609食目 悪影響
異世界転移。その名の示す通り、元の世界から別の世界へと、なんらかの理由で転移することだ。
僕らはそれをVRG【エンドレスグラウンド】というバーチャルオンラインゲームで体験してしまった。
ゲームの世界観に限りなく近く、そして果てしなくかけ離れている不思議な世界での生活を余儀なくされた僕らは戸惑いながらもエルティナさんの保護の下、忙しい日々を送っていた。
そして、元の世界である地球へ帰ることができずに一週間ほど経った頃、エルティナさんが恐れていた事件が起こったのである。
遂に僕ら以外の【エンドレスグラウンド】プレイヤーが異世界カーンテヒルに転移してきてしまったのだ。
彼らは【エンドレスグラウンド】内でも悪い方で有名なプレイヤーたちであり、マナー違反の常連者たちが集まって作ったギルド【バッドチェイサー】のメンバーだ。
彼らの身形は某世紀末漫画を参考にしているのか、どう見てもならず者の集団にしか見えない。
実際問題として、行動もならず者なので擁護のしようもないのだが。
「お~、噂は本当だったようだぜ」
「へへっ、感触機能の強化ってことは、アレやコレも堪能できるって寸法なんだろ?」
彼らは聖都リトリルタースに到着するや否や、市民たちに危害を加え始めた。
【エンドレスグラウンド】ではNPCに攻撃し殺害することができる。その場合はNPCの所持品を奪い取れるが、カルマポイントの減少と衛兵に追われるリスクを伴う。
もしも、カルマポイントが0の状態で衛兵に捕まると、そのキャラクターは永遠に失われる。
非常にハイリスクであるが、NPCはレアアイテムを持っている可能性があるので、略奪を試みるプレイヤーは少なくはない。
それに、NPCは時間経過で復活することも拍車を掛けていた。
ただし、衛兵は非常に手強いので、相対した場合は余程の強さでない限り勝利することはできないだろう。その勝利できる数少ないプレイヤーが彼らなのだ。
誠に遺憾ではあるが、彼らは強い。戦闘での駆け引き、交渉の小狡さ、それらは彼らの残虐性と合わさり数倍に増加するのである。
更に危害の対象はプレイヤーにまで及ぶ。【エンドレスグラウンド】はクエスト必須キャラ以外に戦闘を仕掛ける事が出来るからだ。
当然、敗北すれば所持しているアイテムを奪われた挙句に大量の経験値を奪われることになる。
それゆえに、プレイヤーは戦闘禁止区域であるヒールスポットや、ギルドルームという寄合所をレンタルし、安全を確保してからおしゃべりや戦利品の山分けをおこなう。
そこ以外でおこなえば【バッドチェイサー】に襲われてしまう可能性があるからだ。
尚、略奪行為はマナー違反であるが、刑罰の対象になっていない。ゲームの仕様だからだ。
ゲームのリアルさを追求した結果が、悪い形となって現れた【エンドレスグラウンド】であったが、運営は改善する事はなく全てをプレイヤーたちに委ねた。
それは、プレイヤーたちに好意的に受け入れられ、今では【自警団】なるギルドが結成されて町の治安を守っている。
それでも、【バッドチェイサー】の略奪行為が無くなる事はなかった。
そんな、他のプレイヤーに嫌われることになっても構わない、という連中が集まってできた【バッドチェイサー】であるが、過去に冒険者の勇士が募って大規模な討伐隊が組まれ、大きな戦いが起こったこともある。
その時は流石の運営も仲介に入り、戦いは決着が付かないまま終わる事になる。僕らも討伐隊に加わり数名の幹部を倒した。
それでも【バッドチェイサー】は変わることがないばかりか、益々勢力を拡大していっている。
そんな連中がゲームの感覚で人に襲い掛かれば、どれほどの凄惨な状況になるか。
「うっしゃあ! 景気よくいってみっかぁ!」
「え……? きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
アタッカーと思われる【バッドチェイサー】の一人が、攻撃スキルを用いて通りすがりの女性市民に切り掛かった。
アタッカーのスキル〈クイックスラッシュ〉だ。このスキルは威力こそ低いものの、スキルの出が早く、さまざまな連携攻撃の基礎として愛されている。
直接戦闘系であるならば必ず所持しているスキルの一つだ。
たまたま僕と史俊、エルティナさんはすぐ傍を通りかかっていた。時雨は全身筋肉痛でベッドの上だ。
「あいつらっ!」
史俊が様子がおかしい男たちに気が付き、すぐさまスキルを発動させる。
選択したスキルは〈シールドシュート〉。指定地点に盾を投げ付けるスキルで、タイミングさえ合えば離れた位置でも攻撃を防ぐことが可能である。
史俊は〈シールドシュート〉を上手く使うことができることで有名だ。そのせいで、【盾が本体】と揶揄されるほどである。
史俊が投げ付けた盾は彼の目論見通り、【バッドチェイサー】の蛮行から女性を護ることに成功した。
モヒカンヘアーの手にするナイフを投げ付けた盾で弾き飛ばしたのだ。
だが、その際に女性は腕を切り裂かれ血を流してしまった。
それに気が付いたエルティナさんが、急いで女性の下に駆け付ける。僕らも彼女に続いた。
「このスキルはっ!? てめぇ、ファルケンか!」
手の甲を抑え、忌々し気に僕らを睨み付けたモヒカン男を見て、僕は衝撃を受けた。
「よぉ、ケッツァ。また痛い目に遭いたいようだな」
ケッツァと呼ばれたプレイヤーは、以前僕らが討伐の際に倒した幹部の一人だ。
黒髪モヒカンヘアーの山賊のような身形をしており、他のキャラクターからは【腐れケッツァ】と呼ばれ嫌われている。
「ここを【エンドレスグラウンド】の世界と思うな。どうやって、来ちまったかは知らねぇが、大人しくしていた方が身のためだぜ」
「けっ! NPCなんざ、時間が経ちぁ、勝手に生えてくんだろうが!」
「だから言っただろう。ここはゲームの世界じゃない。殺された人は生き返らないんだ」
「あ? おまえ、何ゲームでマジになっちゃってんの? バカか?」
ケッツァはまるで史俊の話を聞こうとしなかった。それどころか、史俊を侮辱し煽るような言動を繰り返したのだ。
だが、史俊は耐えた。ここで手を出せばヤツらと大差ない、と知っているからだ。
悔しさのあまり、史俊の握られた拳が震えている。けど、ここで手を出せば僕らの負けだ。同類に成り下がってしまう。
連中はそれを知っているから煽ってくるのである。
「はん、この意気地なしめ。てめぇは群れていねぇと、なんもできないノロマな亀だ」
それはおまえだろうに。すぐ喉まで出かかっている、でも出せば史俊の行いが無駄になってしまう。
「おいぃ、黙って聞いていりゃあ、調子ぶっこきやがって」
その時、市民の女性を治療していたエルティナさんが口を開いた。その顔は怒りで染まっている。
「ん? おぉ? NPCがウィンドウ無しで話したぞ! やっぱ、ウィンドを表示しないってのはスゲェな!」
「それに……おいおい、こりゃあ、上玉だ」
「ひゅう、お持ち帰りして五感機能の強化を堪能しようぜ?」
「そりゃあ良い。いい体してっから、楽しめそうだ」
ケッツァがエルティナさんに顔を近付けて挑発的な態度を取る。彼はNPCがプレイヤーに攻撃できない事を熟知していた。
だが、その知識はゲーム内でのみ通用する。ここはゲーム世界のようであって、そうではない。
「というわけで、おまえ。今から俺たちのペットな? きちんと毎晩、ご奉仕すんだぜ?」
「真昼間だけどよ、今からでもいいんだぜ?」
【バッドチェイサー】たちが勝利を確信して大笑いした。そんな彼らを見てエルティナさんの堪忍袋の緒が遂に切れた。
「あんたの顔をよく見せてくれないか」
エルティナさんが腕を組み胸を強調する挑発的なポーズを取り、ケッツァにそう告げた。
いったい何をしようというのだろうか。僕と史俊は彼女の行動に戦々恐々とした。
「ははは、おまえのご主人様の顔を見たいとか、可愛いところがあるじゃねぇか。素直なヤツは痛い目を見せずに可愛がってやるぜ?」
ケッツァは勝ち誇ったかのようにエルティナさんに顔を近付けた。
「ぶるぅあっ!」
めごしっ。
そんな無防備なケッツァの顔に、容赦なくエルティナさんの拳は突き刺さった。遠慮のない一撃だ。まるで漫画のようにケッツァの顔面が窪む。
「ま、前が見えねぇ……」
どこかで聞いたようなセリフを吐きながら、ケッツァがよろよろとふらついた。
「史俊、何をしている! 怒れる時は怒れっ! ここはゲームの世界じゃねぇ!」
「っ!」
史俊はエルティナさんの力強い言葉によって解き放たれた。まさに火山の噴火である。
それはエルティナさんも同様だ。彼女はもっと顕著であり、大人しそうな顔をしている分、更に迫力は増していた。
「この糞野郎ども! 五体無事だと思うなよ!!」
「おめぇらに明日はぬぇ! 全員纏めて【ウイグるんるん監獄】にぶち込んでくれるわ!」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
両者のあまりの剣幕に【バッドチェイサー】たちは腰が引けた状態になった。バッドステータス【恐慌】となってしまったのだ。
この状態異常は全てのパラメーターが半分になってしまう、という厄介な状態だ。自然経過か回復魔法〈キュアスピリッツ〉で回復可能である。
僕も加わろう、あいつらは許すわけにはいかない。
腰に装着していた剣を抜き、僕は攻撃スキルを発動した。
数に勝っていた【バッドチェイサー】たちは、結局、僕らに手も足も出ないまま袋叩きに遭い、あえなく御用となった。
その後はエルティナさんが騎士たちに命じて、ケッツァたちを【ウイグるんるん監獄】という場所に護送したらしい。
もちろん、面会になど行かない。エルティナさんは、異世界転移事件が解決するまではずっとぶち込んでおく、と語気を強めて断言していた。
恐らくは彼らと再会する事はないだろう。会いたくもない。
「はぁ、異世界転移は悪影響しかないのかな……」
「ん? どうした、難しい顔して」
カツカレーを食べ終え、コーヒーを飲んでいた史俊がそう訊ねてきた。
気が付けば僕の前にもコーヒーが置いてある。どうやら、史俊が持ってきてくれたようだ。
「うん、実は【バッドチェイサー】のことを考えていた」
「それで上の空だったのか。あいつらの件は済んだんだ。もう気にすんな」
「……そうだね。でも、僕らも、あいつらと同じ異世界転移者なんだ」
「誠司郎……」
僕はコーヒーを手に取り飲んだ。冷めている。それは、まるで今の僕の心のようだった。