608食目 慣れてゆく自分
僕らがラングステン王国へと転移し、モモガーディアンズとの交流を果たして半月程が経過した。相も変わらず僕らはこの世界に留まっている。
「今頃、父さんと母さんは心配してくれているのかな」
「してるさ、きっとな」
僕らは自由騎士だというルドルフさんに日々稽古を付けてもらいながら、一日置きにやってくるモモガーディアンズのメンバーと実戦さながらの訓練をおこなっていた。
訓練は過酷を極めるといっても差し支えはないだろう。それほどまでにルドルフさんは厳しい基礎体力訓練を僕たちに課してきた。
それは【マジックユーザー】である時雨に対してもだ。訓練が終わると時雨などは立ち上がる力もない。僕も史俊もガクガクと震える足で歩くのが精いっぱいであった。
だからといって、僕らだけに厳しいのか、といえばそうではない。
聖光騎兵団と呼ばれるミリタナス神聖国の騎士団に所属する若き騎士たちも、僕らと共に厳しい訓練に参加していたのだから。
「は~、今日もルドルフ様は厳しかったなあ」
「俺も、もう腹がペコペコだよ」
「俺も俺も! それに、今日は聖女様が夕食を作ってくれたらしいぞ!」
「マジか! お代わり確定じゃねぇか!」
「食堂に急げっ!」
僕らに比べて、若き騎士たちは若干の余裕を残していた。
僕らも最近は夕食を食べる気力があるが、最初は訓練後に食事が喉を通らなかった。時雨はいまだに喉を通らないらしい。
「み、みず……」
時雨はぶるぶると震える手を伸ばし、水分を欲した。
「もぐ~」
「うねうね」
そこに手を差し伸べたのは、ここいら一帯に広く生息するモグラの一匹であった。その手の上には【ミミズ】がうねうねと踊って自己アピールしている。
「……ぐふっ」
「も、もぐ~!?」
「うね~!?」
うん、酷い光景だ。モグラとミミズはそんな風には鳴かない。じゃなくて、時雨はミミズじゃなくて水が欲しかったんだよ。
僕はコップに水をなみなみと入れて時雨に手渡たす。ひったくるようにコップを受け取った彼女は、それを一気に喉に流し込んで盛大にむせた。
「げほっ! うげっほ!」
「もぐ~~~~!?」
「うね~~~~!?」
時雨から吐きだされた水飛沫の直撃を受け、モグラとミミズは悲鳴を上げた。
「なんだかなぁ……慣れって怖いな」
史俊がポケットからハンカチを出して、モグラとミミズに掛かった時雨の唾液入りの水を拭きとってやった。
地球にいた時には決してそんなことはしなかっただろう。ましてや、ミミズなんて触るのも嫌がるレベルだ。
だが、この世界の生き物たちは虫を含めて妙に愛嬌のある連中ばかりであった。
「もぐ~」
「うね~」
綺麗にふき取ってもらったモグラとミミズは喜びをダンスで表現した。適当に踊っているだけにしか見えないが、本当に嬉しそうに踊っている。
「本当に変な世界だな。捕食者と被捕食者が仲睦まじいだなんて信じられねぇよ」
「本当にね。地球もこんな子たちばかりなら、戦争も起らないのかな」
「どうだろうな」
僕らは、絶対に乙女が見せてはいけない姿で地面に這いつくばっている時雨を回収して宿舎へと戻った。
時雨をベッドに横たわらせた僕らは騎士団食堂へと向かう。今日はエルティナさんが夕食を作ってくれるとなれば【アレ】しかないからだ。
僕らが食堂に到着すると、そこは既に戦場であった。
「おいぃ! グリシーヌ! とんかつ揚がったかぁ!?」
「ば、ばっちりなんだな! だなっ!」
「エルティナさん! ご飯の追加、炊きあがりましたよ!」
「でかした、メルシェ! 野郎共! カツカレーの時間じゃあ!」
「「「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」」」
そう、エルティナさんと言えば【カツカレー】であるのだ。それを知ったのはここに転移して六日目の事。今でも忘れられない、衝撃的な味。
「っしゃ! 出来たてにありつけるぜ! 先輩たちに遅れるな!」
「わ、分かっているよ! これだけは譲れない!」
基本的にエルティナさんは弱肉強食を奨励している。強きが食べ、弱きは奪われる。それを聖女が口にするのはどうかと思われたが、彼女の経緯を知れば、それが妙に納得できてしまう。
結論から言えば、彼女は僕らを厳しく育てているのだ。それは訓練というよりは生存競争を勝ち抜くためのものに近い。子犬が母親の乳を奪い合う光景に近いだろうか。そんな感じの食事風景となるのだ。
がつがつがつがつがつ! もぐもぐもぐもぐ!
熾烈な戦いを勝ち抜いた猛者は一気に極上のカツカレーを平らげ、再び競争へと参じる。恐るべきはエルティナさんのカツカレーの魔力だ。
「うっしゃあ! カツカレーゲットだぜ!」
「ぼ、僕もゲットだよ!」
コツは掴んだ。史俊は力技で身体をねじ込んで取りに行くけど僕にはそんな能力は無いので、スキルを多用しての突破となる。
スキル〈シャドウステップ〉で一時的に自分の当たり判定を無効化し、〈バックステップ〉の一定距離を瞬間移送する性能を利用して先輩たちを物理的に無視してすり抜けるのだ。
突然として現れる僕の姿を見て、エルティナさんは「ふきゅん」と鳴いて驚いているが、仕方のない事なので許してほしい。全てはカツカレーを手に入れるためなのだから。
無事にカツカレーを入手した僕らは、空いている席に座りカツカレーを食べることにした。蠱惑的な香りが空になった胃袋を刺激し、口内に唾液をどばどばと溢れさせる。もう我慢ができない。
「「いただきます!」」
僕らは合掌し、作ってくれた人たちに感謝の念を送る。さぁ、いただくとしよう。
「こういう時って先割れスプーンて便利だよな」
「寧ろ、これがこの世界にあるのが不思議だよ」
先割れスプーンはスプーンとフォークの特性を合わせもつ食器具だ。
先がフォークのように割れているので突き刺すことが可能。それより下はスプーンなので食べ物を掬うことができるのだ。
まさにカツカレーのためにあるような物である。
僕はまず、カレーライスから食べる。まずは基本を抑えるのが僕の食べ方だ。対して、史俊はカレールウを塗したカツから食べる。彼は好物から先に食べる派の人間だ。
「んふぅ」
思わず美味しさのため息が漏れる。まさか異世界にまで来てカツカレーが食べれるとは思わなかったから尚更だ。
「かぁぁぁぁぁぁっ! 堪んねぇ! 美味過ぎる!」
史俊はその後、一気にカツカレーを掻き込んで再び争奪戦の渦中へと飛び込んでいった。
僕はこの一杯で満腹になるため、良く味わって食べる。次はいよいよカツだ。
冗談かと思えるほど肉厚のカツを噛みしめる。すると、驚くほどの肉汁が溢れ出して僕の口周りを濡らしてしまうのだ。
この肉は聞くところによると、【ブッチョラビ】と呼ばれる豚に似た兎の肉であるそうだ。取れる量も多いので、この世界の定番の肉であるらしい。
しかも安いので、このように分厚く切って調理するとのこと。贅沢な使い方だと思う。
そして、間髪入れずにカレーライスを口に入れて味わう。
この繰り返しなのだが、次第にカツが口の中に残っているにもかかわらず、カレーライスを詰め込んでしまうのは日本人ゆえであろう。
その二つが出会って新たな味へと変化する。これが堪らない。これを最初から行うのはカツカレーを冒涜しているのも同然だ。
カツカレーを半分ほど食べたところで、容器の端に添えてある福新漬けを食べる。律儀に赤く染めてくれているのが嬉しいところだ。
口に運ぶと紛う事なき漬物であり、心が安らぐのを感じる。一息吐いた感じだ。
そして、再び気持ちを一新してカツカレーに臨む。これを残してしまうなんて、とんでもない。
最後に水を飲みほして食事は完了となる。もちろん、最後は……。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて感謝の気持ちを捧げる。ここが日本でなくても、この習慣はそうそう変えることはできない。
「えっ? もう食べねぇのか。食わねぇと強くなれねぇぞ?」
「僕は史俊みたいに食べられないよ。それって何杯目?」
「三杯目」
「食べ過ぎ」
「だよなぁ……でも、食べちまう」
彼は無類のカレー好き。しかもカツカレーとくれば尚更だ。
僕はそんな彼の食べっぷりに呆れながらも、現在起っている異変に付いて思い返してみた。