605食目 砕かれたプライド
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
危惧していたとおり、彼らは【エンドレスグラウンド】のシステムに囚われ過ぎていた。
異世界転移ものだと分かっていても、それを口にすることははばかれた。口で言ってもどうにもならないし、言ったところで理解してくれないだろう。
ならば原始的な手段を取り、身体に分からせてしまうのが手っ取り早い。
この国というか、世界には子供に何かを教える場合に手を上げてはいけない、という法律はない。寧ろ、そうやって身体に叩き込まなければ、いざという時に何もできないまま死を迎えることになる。
恨まれても構わないから、というスタンスで子供を教育する大人が大半だ。もちろん、他所の子共でも悪いことをしたら容赦なくげんこつを落して叱る。
それは子供達に大人よりも先に死んでほしくない、という願いからだ。この世界は常に死と隣り合わせの世界なのである。
法律なんぞ、モンスターには通用しないからな。当然といえば当然だ。
「粘るな」
「それは、ライオットに対する皮肉かい?」
「いや、誠司郎たちに対する称賛さ」
模擬戦は既に五戦目となっていた。連敗が続く彼らは、意地でも勝とう、と挑み続けている。
今度はライオットが単身で彼らの相手をしている。いくらなんでも舐め過ぎだ、と彼らは憤慨していたが、ライオットに独りで戦うように指示したのは、何を隠そう俺である。
そろそろ、彼らは知らなくてはならない。ライオット上回る変態どもが、この後に控えていることに。だから、もう許して下しあ、とケツプリ土下座させるつもりでライオットを送り出したのだ。
だが、事態はそうそう上手くゆかないようだ。流石に一人ではコンビネーションを崩せないでいる、というか……。
「まずったな。あいつが本気でやったら相手がバラバラ死体になっちまうのを忘れてた」
「肝心なことを忘れていたね」
「かといって、ライは手加減が苦手だしなぁ。あぁもう、フォクがいれば完膚なきに叩きのめしてくれたのに」
フォクベルトであれば、その技量の高さと戦術によって彼らを凹ませることができたであろう。
そうすれば暫くの間は大人しくさせることができたはずだったのだ。
このままでは、地球に帰ることなく彼らは人生をゲームオーバーすることになりかねない。
そんなの許されざるよ!
「いっそ、ライに負けてもらうか?」
「それは無理だろうね。彼の性格からして」
一方的に攻撃する誠司郎たちだが、その攻撃はことごとくライオットに回避されている。
一方のライオットは終始防御に徹していた。というか、どうやって降参させるか悩んでいるようだ。
それはボロボロの鎧で戦っている史俊を見れば分かるだろう。ライオットの軽いジャブであのような有様になってしまったのだ。
そんなものを生身の身体に打ち込むようなら、いったいどうなるか……推して知るべし。
「仕方がない、やるか」
彼は初めて戦闘態勢を取った。その瞬間、凄まじい突風のようなものが誠司郎たちを貫く。
瞬間、彼らは泡を吹いて倒れた。ライオットは威嚇によって、彼らの意識を刈り取ったのだ。これは酷い。
「はぁ……なんか疲れた。拳も交えることもできない相手とか勘弁してくれよ」
「ふきゅん、すまん。あそこまで差があるとは思わなかった」
ため息交じりで苦情を言ってきたライオットに桃先生を送り、それを賄賂とした。これで口封じ完了である。
誠司郎たちにはライオットの見えない拳が炸裂した、とでも言っておけば万事オッケーであろう。願わくば、これで諦めてくれればいいのだが。
俺は三人に治療を施し【クリアランス】で意識を呼び戻す。小さな悲鳴と共に三人は目を覚ました。
「え、え? ど、どうなったの?」
「時雨、残念がら、また敗北だぁ。ライオットの必殺技〈にゃんにゃん踊りハードみっくす〉が三人の意識を刈り取った」
「そんな技ねぇからっ!」
ライオットの鋭いツッコミは史俊を盾にしてしっかりとガードする。さすがは【タンク】だ、なんともないぜ。
「そ、そんな……一人にすら勝てないだなんて」
誠司郎は既に心が折れ掛けている。もう一人心が折れれば模擬戦は終了となろう。
「ま、まだよっ! 終われないっ! 終わりたくないっ!」
あえぇぇぇぇぇっ!? 時雨さんっ、まだやるんでぃすかっ! このままでは、俺も手の施しようがないぞっ!
「クスクス……そろそろ現実を見た方がいいわね。エルティナ、いいわよね?」
「ふきゅん、約束だから仕方がない。命だけは奪うなよ?」
「えぇ、【命だけ】は……ね?」
遂にユウユウが模擬戦に登場してしまった。最早、俺には祈ることしかできない。
生きろ……おまえら。
◆◆◆ 誠司郎 ◆◆◆
ここまで負けても諦めないのは流石だとしか言いようがない。時雨は負けず嫌いの塊のような少女だった。
自分が諦めなければなんとかなる、を実践している。事実、そうやって何度も窮地を脱してきた実績があった。
でも、今回は何かが違った。僕は薄々感じ始めていたのだ。
微かな違和感、スキルを使用する際の僅かなずれ、頭と体がチグハグになっているかのような……例えるならタイムラグに近い。このラグは強敵と戦う際に致命的な時間差となる。
「さぁ、私が相手よ。かかってらっしゃい」
僕らの前に姿を現したのは深緑の髪を持つ妖艶な少女。名を確か、ユウユウといったはずだ。
どうやら彼女は僕らを相手に一人で挑むらしい。
「遂にマジックユーザーひとりで相手をするってか? 舐められたもんだ……とは、もう言えねぇよな」
流石に史俊も負けが過ぎたのか最初の威勢は鳴りを潜めていた。それでも、【タンク】としての誇りまでは失っていないようで、しっかりと盾を構え僕らを護ろうとする。
「これで、これで終わらせるんだから! 史俊、誠司郎、いいわね!」
時雨の掛け声にヤケクソ気味で返事を返す。相手はどう見てもマジックユーザーだ。
純白のドレスに細い腕、柔らかさを強調する女性特有の身体。武器は一切持っていない。INT特化型のマジックユーザーに違いなかった。
ならば、一人で戦闘する際の手段は限られてくる。
攻撃を無効化する防御魔法を発動させた後の広範囲殲滅魔法の発動。それこそが、ソロマジックユーザーの常套手段だ。
決まれば確かに高レベルのモンスターだって仕留められる。だが、プレイヤー同士の戦いにおいては既に対処法が確立されていた。
『AGIの高い誠司郎で防御魔法を阻止、その後の史俊の攻撃で撃破。私は出の早い攻撃魔法で詠唱を阻止するわ。今度こそ勝つわよ!』
そう、マジックユーザーはとにかく詠唱を阻止することが肝要であった。そうすれば、相手は成す術もなく蹂躙されるのみだ。それができない場合は、立場が逆になるだけのことである。
勝負は一瞬、僕はエルティナさんの開始の声と同時にユウユウさんに踏み込んだ。剣の柄を彼女のみぞおちへと叩き込む。
それは寸分違わず彼女のみぞおちへと命中した。手応えあり、勝負は決した。
「ふぅん、それで?」
「え?」
そこには苦悶する彼女の姿はなく、平然とたたずむ彼女の姿があった。
「誠司郎!」
史俊の声を聞いた僕は咄嗟に横っ飛びをして彼に進路を譲った。史俊の攻撃スキル〈スラッシュビート〉によって加速した剣がユウユウさんに迫る。
だが、彼女は避けようともしない。そんな彼女を見て史俊の剣に迷いが生じたのを僕は感じ取った。このままでは、彼女の首を刎ねてしまうのではないか。
その迷いは彼女の手によって、否、指によって一瞬にして砕かれた。
「そんな剣じゃ、私の首を取ることなんてできなくてよ?」
あろうことか、ユウユウさんはその細い指で史俊の剣を受け止めてしまったのだ。
驚愕の表情を浮かべる史俊は咄嗟に剣を捨てて飛び退いた。
「判断はいいわね。そうよ、格上とやり合う際は小動物のように警戒すること」
摘まんだ剣をまるで重さを感じないかのように放り投げる。
ぐさっ。
「ありがとうございますっ!」
「ロフトの頭に剣が刺さったさね!?」
それは黒色の逆毛の少年の頭に突き刺さった。あれで死なないのは正直、凄いというか……どうなのだろうか? 分かってはいけないような気がして思考を取り止めた。
「さぁ、教えてあげる。今までが全て、この私の前座だった、ということを」
吹き荒ぶ突風は夢か幻か。断じてそんな生易しいものではない。
本能が、魂が叫び、僕らに止む事なき警鐘を鳴らし続ける。
仮に悪魔というものがいたなら、彼女のような姿を取るのであろうか。そう思わせるほどの恐怖と戦慄。その中に感じる美しさに僕らは発狂しそうになる。
「見せなさい、貴方たちの足掻きを! このユウユウ・カサラに!」
その瞬間、感情が爆ぜた。生き残るために、ありとあらゆることを辞さない覚悟が一瞬にして決まる。それは己が弱者だということを認めるには十分過ぎた。
ここから先は何も覚えていない。一方的な蹂躙があったことだけは、なんとなく覚えている。地に伏し動かない身体、首を動かして視界を確保するのも億劫だ。
僕の霞む視界には盾を構え、ユウユウさんと対峙する史俊の姿。
「こ、こんなはずじゃあ……」
その言葉と共に盾は粉微塵となり、風に流されてどこぞへと流されてゆく。膝を突き倒れる彼の姿がまるでスローモーションのように見えた。
「な、なんなの! 貴女は!? 攻撃魔法が当たっているでしょうに! 倒れなさいよ!」
半狂乱になりつつ攻撃魔法をユウユウさんに叩き込む時雨。やがて、その行為も彼女のMP切れという結果と共に終わりを告げた。
「うふふ、効かない攻撃をわざわざ避ける必要もないでしょ? 軽過ぎるのよ、貴方たちの攻撃。まるで信念が籠っていない、形だけ。まるでスポンジでも投げられているかのよう」
彼女は時雨に対して妖艶な笑みを浮かべるのみ。自らは手を出さない。やれるものならやってみろ、と暗に告げているも同じだ。
彼女の行為は、まるで時雨の心を砕きにいっているかのようだった。そして、その考察は正しかったのだろう。
「そ、そんな……」
力無く膝を折る時雨。ここで彼女の心が折れる音を聞いた。これで、もう彼女が再び立ち上がる事はないだろう。
僕らは完膚なきまでに敗北を喫したのだ。
今まで積み上げてきたものが一切通用しなかった。僕らの自信とプライドは粉々に砕かれ、残ったのは自分が弱者であるという結果のみ。
「目が覚めたか、いろいろな意味で」
僕たちはモモガーディアンズ本部の医務室に寝かされていた。医務室といってもベッドが五つほど並べられているだけの狭い部屋だ。
「……強過ぎるよ、あの人たち。いったいどうなっているんだ?」
「特に最後のユウユウさんってなんなんだ? マジックユーザーじゃないの?」
「……」
時雨は完全に呆然自失となっていた。プライドが人一倍高い分だけあってショックも大きいのだろう。
「すまんな、おまえたちが手も足も出ないことは理解して模擬戦をやらせた」
「なっ!?」
最初から出来レースだったというわけか。エルティナさんは僕らの実力を見抜いていたのだろう。僕はそのように考察する冷静さを残していたが、史俊はそうではなかった。
「ふ、ふざけんなっ! それじゃあ、最初っから無理ゲーじゃねぇか!」
「あぁ、そうだ」
「ならっ……!」
「言っておくが、鬼はあいつらを平然と殺す能力の持ち主だ」
「なっ……!?」
戦ってみて初めて分かることもある。痛みを知って初めて分かることもある。
絶望は……彼らを上回る絶望は確かに存在している、というのだ。それも、生きとし生ける者の敵として。この世界に、そして……僕らの地球にも。
「俺としては、トウヤが事態を解決するまでは大人しくしておいてほしい。知り合いが死ぬのは……いつまで経っても慣れないんだ」
僕らは何も答えることはできなかった。エルティナさんのふと見せた悲しい表情に、彼女の全てを見てしまったからだ。
そんな僕らに、エルティナさんはゆっくりと考える時間をくれた。静かに医務室のドアが閉まる音を聞いた時雨が震える声で話し始める。
「私……思い上がっていたのかな? 全然、歯が立たなかったよ」
時雨は掛け布団をすっぽりと被り、かたかたと身体を震わせた。
数時間前までは、鬼などおそるるに足らず、と豪語していた彼女の姿は最早ない。そこにあったのは普通の少女である時雨の姿だ。
「俺もさ。戦ってみて分かったんだ。あの人たち、実際に生き死にの戦場で生き抜いた人たちだって。何もかもが違った。手を抜かれていたにもかかわらず、遠く及ばない」
史俊は自分の手を握ったり開いたりするのをただ見つめていた。意味などないだろう。その行為は、彼が落ち込んでいる時に気を紛らわすためにおこなう癖だからだ。
「プレイヤー同士の決闘とは違う。ユウユウさんは言っていた、僕らの攻撃には信念が籠っていないって。避けるまでもないって」
また無言になる。どれだけ時間が経っただろうか。
「私、悔しいよ」
最初に口を開いたのは時雨だった。相変わらず声は震えている。
「みんなと積み上げてきたものが否定された。そんなの許せない」
「時雨……」
彼女は被っていた掛け布団を跳ね除け久々に顔を見せた。目は赤く充血し頬は濡れていた。声を殺して泣いていたのだろう。
「決めた、強くなって絶対に認めさせてやるんだから!」
「おいおい、時雨」
「なによっ! 史俊は、誠司郎は悔しくないの!?」
「そ、それは……」
彼女の言うとおり、確かに悔しい。だけど僕はエルティナさんとの優しさの狭間で揺れ動いていた。
時雨の言うことも分かるが、このまま僕らが勝手に動きだしたら、最悪の結果をたどることになるのでは、とも思う。
「そうだな、そうだよな。俺たちは冒険者なんだ。挑んでなんぼじゃないか。要は、鬼に圧倒するだけの能力を身に付ければいいだけの事じゃねぇか! なぁ、誠司郎!」
「え……あ、うん。そ、そうだね」
気の弱い僕は結局、二人に押し切られる形となった。なんだろうなぁ……こんな自分が情けない。
「この、バカちんがぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「「「うひゃあっ!?」」」
いきなりエルティナさんの声がして驚いていまった。周囲を見渡しても姿が見えない。
「悪いと思ったが隠蔽魔法の〈カムフラージュ〉を発動させて様子を見ていたんだ。案の定の結論を出しやがって!」
いう事を言ったエルティナさんが姿を現す。なんと現れた場所は僕らの間近だ。なんという高度な隠蔽魔法であろうか。気配ならともかく、息遣いも香りも隠蔽するだなんて聞いたこともない。
「う~、だってぇ」
「う~、じゃありません!」
「きゅ~ん」
怒ったエルティナさんの迫力に、流石の時雨も大人しくなってしまった。こんな光景は滅多に見ることはできないだろう。
「仕方がない……こうなれば、最後の手段だ」
「え? 最後の手段って?」
エルティナさんの暗黒微笑に僕らは戦々恐々となる。そんな彼女の口から飛び出した言葉は意外なものであった。
「おまえらを、モモガーディアンズの代表、エルティナ・ランフォーリ・エティルの名に置いてモモガーディアンズに強制編入させる」
僕らは暫くその言葉の意味を理解できずにいた。そんな僕らにエルティナさんは独特の笑い方でもって諭し始めた。
「要するにだ……おまえらを冒険者としてじゃなく、鬼退治のエキスパートとして鍛え上げる、と言っているんだ。覚悟しろよ? 冒険者どころの冒険じゃねぇぞ」
「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」」」
エルティナさんのまさかの宣告に、僕らはただ戸惑いの悲鳴を上げる事しかできなかった。