602食目 初クエスト
◆◆◆ 誠司郎 ◆◆◆
大変なことになってしまった。昨日までは普通にゲームを楽しんでいただけ……だったはずなのに。
「俺たちどうなっちまうんだろうなぁ。エルティナさんはいい人っぽいけどさ」
「そんなの僕にも分からないよ」
幼馴染の史俊は悩んでいるように見えて実は悩んでいない。こいつはそういうヤツなのだ。
事実、不安や悩みよりも、好奇心の方が優先されるのは何度も彼に振り回されてよく理解している。
今だって、いきなり飛ばされてしまったこの世界に興味津々であり、時雨が手綱を握っていなければ、一人でどこかに飛んでいってしまいそうな勢いだ。
ただ、彼はトラブルメーカーではあるが、仲間想いの一面も持っている。それが、彼を【タンク】と呼ばれるポジションに付かせていた。
【タンク】とは冒険をする際に戦闘になった場合、敵からの攻撃を一手に引き受ける非常に危険な役割を持つ。
更には後方の仲間を護るために、敵対者の注目を常に集め続ける必要があるため、常に死と隣り合わせのポジションであると言え、あまり【タンク】をやりたがる者はいない。
VRG【エンドレスグラウンド】は操作キャラクターが死亡すると経験値の1%を失い記録地点で復活する。という方式が取られているため、高レベル者になればなるほど、【デスペナルティ】を嫌悪する傾向にある。
よって、史俊のようにレベル97という高レベルタンクは非常に重宝される傾向にあった。
尚、アップデートによって最大レベル99までだったのが、レベル150にまで引き上げられた。
これによって、更に【デスペナルティ】はプレイヤーに重く圧し掛かることになるだろう。
「なるようになるしかないわね。トウヤさんは地球にいるらしいし、報告を待つほかにないわ」
時雨が赤い髪をかき上げてため息を吐いた。彼女も僕の幼馴染だ。
小さい頃から気が強くてお姉さん気取り。史俊の事を良く観察し、彼の暴走を抑え込んでいる。
そんな彼女は【マジックユーザー】という魔法を行使するポジションにいた。
このポジションは戦いを決定付ける最重要ポジションだ。高火力の攻撃魔法を行使して戦闘を早期終了させるのが【マジックユーザー】の役割である。
また、回復魔法や攻撃力増加といった補助魔法も全て【マジックユーザー】の役割である。
ただし、魔法を使うという特殊な立場から、防御面のパラメーターが伸びにくく、装備も服やローブといった防御力が無いに等しい物しか装備できないデメリットが存在する。
そのため、能力を最大限に発揮するためには、【タンク】や【ディフェンサー】といった、防御要員が必須となるのだ。
ちなみに、時雨はレベル99。アップデート前までは【カンストユーザー】と呼ばれる、ある意味で頂点に立っていた者の一人だ。
「そうだね……今の僕たちは知らないことだらけで迂闊に動けないよ」
で、僕が時雨を護る【ディフェンサー】というわけだ。レベルは74、死んでばかりいて、なかなかレベルが上がらない。
史俊と時雨は【アタッカー】に転向しろと言ってくれているが、そうすると今までの戦法が取れなくなってしまうので断り続けている。
【ディフェンサー】は名が示す通り、防御に特化した技能を取得した者が名乗る通称だ。
というのも【エンドレスグラウンド】にはクラスや職業が一切ない。なので、自称騎士や自称魔法使い、盗賊、中にはトップアイドルを謳う者までいる。
このゲームはとにかく自由を売りにしていた。そこが僕らを魅了する要因になっているのは事実である。
話が逸れたが、【アタッカー】とは【ディフェンサー】とは真逆で、攻撃に特化した技能を取得した者が名乗れる。
このゲームはスキルツリー方式と呼ばれる者が採用されており、一定のスキルレベルに達しない限りは次のスキルを取得できない。
よって、ゲーム開始早々に自分の方針を決める必要性に迫られるのだ。
今はそんな事を思い出さなくていいか……それよりもこれからのことだ。
「おいぃ、おまえら。ここいらで労働してもらおうか」
「えっ? 労働って?」
エルフ族のエルティナさんに連れられて、僕らは聖都リトリルタースの中央広場にやってきた。
そこには数多くの市民が一心に祈りを捧げている姿があり、エルティナさんの登場に彼らは色めき立った。
「おはよう、みんな! お待ちかねの朝ご飯だぞっ!」
その言葉を待っていた、と言わんばかりに雄叫びを上げる彼らは一斉に列を作り、大人しくその時を待ちわびた。
まるで、日本人のようだ、と感じたものの、髪色がカラフルなのを見て、やはり違うなと思い直した。
「さぁ、これを並んでいる連中に渡してやってくれ。ふぁーすとみっちょん、というやつだぁ」
エルティナさんが食料が入った袋を手渡してきた。それと同時にYES、NOの選択画面が表示される。
クエストの発生だ。僕は手慣れた手つきでYESを押す。
ぷにゅっ。
とても柔らかな感触が伝わってくる。どういうことだろうか、いままでは無機質な感触しかしなかったはずなのに。
「おいぃ、いきなりのパイタッチは犯罪だぞぉ!」
「えっ……うわわっ!? ご、ごめんなさい!」
なんと、エルティナさんが選択画面に重なっていたのだ。そして、偶然にもYESの位置が彼女の胸の位置にあったわけで……。
「誠司郎! おまえってヤツは……! 後で感想プリーズ」
「あ~、選択画面と彼女が重なったのね」
きょとんとしているエルティナさんに事情を説明する。地球から転生したという彼女はすぐに事情を察してくれた。大事にならなくて助かったというものだ。
「ゲームのシステムが生きてるってことだよなぁ?」
「そういうことになりますね」
「でも、異世界転移して生身の身体を得ているのに。それはおかしくないか」
「そ、そういえば」
エルティナさんの指摘に今更ながら違和感を覚えた。そこから芋づる式に疑問点が浮かび上がってきた。
そもそもが、今の僕らの姿は【エンドレスグラウンド】で使用していたキャラクターの姿だ。
偽りの肉体にしては味覚や嗅覚、そして痛覚の機能が正常に働いている。どういうことであろうか。
エルティナさんに、僕らの身体が正常かどうか確認できるかを聞く。彼女はできるといった。
「じゃあ、お願いします」
「あいよ。〈ステート〉」
エルティナさんが魔法を発動させるとパラメーター画面が現れた。しかし、この世界独特の文字のようで僕らには理解不能であった。
そういえば、僕らはこれらと普通に会話をおこなっているが、どういうことなのだろうか。
考えたらキリがないほど矛盾点が出てくる。頭が沸騰しそうだ。
「ふきゅん、異常無し。幻術で姿を変えられている形跡もないんだぜ」
「そ、そうなんですか……でも、僕らの本当の姿は違うんですよ」
「だろうな、黒髪に黒い瞳の日本人だもんな」
彼女は理解が早くて助かる。だが、だからといって事態が進展するかといえば、そうではない。
「まぁ、難しい事は全部トウヤに丸投げするのが一番だぁ」
「トウヤさんも大変ね」
エルティナさんの容赦のない発言に、時雨はころころと笑いながらツッコミを入れる。
気を取り直したエルティナさんは食料袋を手渡してきた。僕は食料袋に手を伸ばすも、見えない壁のようなものに阻まれて袋を受け取ることができなかった。
「おいおい、誠司郎。クエスト受けてないだろ?」
「あっ、しまった」
僕は慌ててクエスト受領ボタンを押す。すると、クエスト内容が表示され、効果音と共にクエストは開始された。
「これで、もう大丈夫です」
「ふきゅん、不便だなぁ、そのシステム」
エルティナさんの言葉を受けて時雨が弁解をする。その表情は苦笑いだ。
「私たちはもう慣れているんですが、そちらからしてみれば、おかしな行動ですよね」
「時雨の言うとおりだな。何もない場所を指で突いているって、かなりシュールだぜ」
時雨の言葉に史俊は相槌を打つ。彼の言うとおり、確かにシュールな光景だ。
でも、僕らはこのルールに従ってでしか何かをおこなう事ができないようだ。だから、この事態が解決するまでは、ゲーム感覚で過ごすしかないのだろう。
「よし、がんばろうか」
エルティナさんから食料袋を渡され、この世界初のクエストは開始された。
なんてことはないクエストだ。お腹を空かせた人々に食料を渡し、感謝され、また次の人へ食料を手渡す。食料を受け取った人はそれを食べて仕事へ向かう。ただ、それだけの事だった。
「なんだろう……このクエストは心にくるものがあるな」
隣の史俊がポツリと漏らした。実のところ、僕もそう思っていたのだ。それは時雨も同じようで、笑顔を作ってはいるものの、どこかぎこちない。
【エンドレスグラウンド】にも似たようなクエストはあるが、それは初心者用に作られたクエストのみだ。しかも一回きりで記憶に残るようなものではない。
一応、NPCもお礼は言うのだが、ハッキリ言って感情がまったく籠っていないので、嬉しくもなんともない。
あとはクエスト達成の画面が出て微々たる報酬を受け取って終わりだ。ただの通過点に過ぎない。
「感情が伝わってくるのよ。本当に、ありがとう、って伝わってくるもの」
時雨が身形の汚い小さな子供に食料を手渡した。すると子供は満面の笑みで「お姉ちゃん、ありがとう」とお礼を言って走り去っていった。
そして、食料を食べ終えると大人に混じって仕事を始めたではないか。
その姿を見た時雨は堪えきれなくなったのか涙を流した。
「ここは、どうなっているんですか? あんな小さな子まで働くだなんて」
筋違いではあるが、彼女はエルティナさんに感情をぶつけてしまった。
この国の事情もよく分からないのに、エルティナさんにぶつけるのは違うと感じたが、当の本人は憤慨することもなく諭すように時雨に事情を説明した。
「この町は五年前に一度、侵略者たちによって壊滅したんだ」
「えっ?」
あり得ない話であった。聖都リトリルタースの見た感じは、歴史の感じられる古都、といった風貌だ。
町には活気があって人々の表情には生気がみなぎっている。
「俺たちは戦争を勝ち抜いてゼロから再スタートした。そこじゃあ、大人も子供もない、全ての者が聖都リトリルタースを自分たちの手で蘇らせる、という志の下に集った勇者たちなんだ」
エルティナさんは語った、絶望的な力を持った侵略者との戦いを、その後の経緯をだ。
にわかには信じ難い話に、だが、その話は僕と史俊を魅了した。
その時に異世界転移していれば、役に立てたのではないかと思うほどに。
「そ、そんな……じゃあ、たった五年で、この町をここまで復興させたというの?」
「ま、そういうことになるな。これも民が一丸となって努力した結果さ」
そう言って、小さな子供に食料を手渡し、子供の頭を撫でてあげる彼女の姿は聖女そのものだ。
だが、その蒼い瞳には悲しさが宿っている。
「不甲斐ないことに、この国は表面上は復興が成されているが、内部はまだガタガタなのさ。こうして配給しないと民たちの生活が成り立たない」
深いため息を吐く彼女は自身の頬をぴしゃりと叩いた。
「おおっと、こんな不甲斐無い表情を民に見せるわけにはいかんな。うへへ」
そして、彼女は男前な笑顔を僕らに見せたのであった。
僕の前にはクエスト達成の表示画面と報酬の受け取りボタンが表示されている。そのボタンを押すのが躊躇われた。
それは史俊と時雨も同様のようだ。そんな僕らを見かねたのはエルティナさんだ。
「おいぃ、報酬画面がポップしてんだろ? さっさと受け取っちまえ」
「で、でも……私たちは……」
時雨は先ほどあのようなことをしてしまった自責の念からか、いつもの彼女らしさが失われていた。そんな時雨の背中をぺちっと情けない音で叩くエルティナさんは言った。
「おまえらはきちんと仕事をしたんだ、胸を張って報酬を受け取れっ! それができないなら、最初から仕事を断れ! それが【冒険者】ってやつだるるぉ?」
あぁ、僕らよりも冒険者らしい、そう感じた僕は肩の力がスッと抜けてしまった。
それは、史俊と時雨も同様であったようで、素直に報酬の受け取りボタンを押してクエストを完了させた。
報酬は微々たるものだ。取得経験値も少なく貰えるアイテムもない。
でも、それ以上の経験を僕らは得たのだ。
その日の夜、僕らは宛がわれた部屋で今後の事を真剣に話し合った。ゲーム内で、いや、現実世界……地球でもこれほど真剣に話し合った事はなかっただろう。
「決まりね」
「あぁ、俺に異論はねぇよ」
「うん、僕もだ」
この世界にいる間は、この世界にいる人々のために活動しよう、そう決めたのだ。
そのためには情報が必要になる。丁度おあつらえ向きな人が傍にいるのだ、こちらも問題ないだろう。
僕らはこれから始まるであろう冒険に心ときめかせ、今は柔らかなベッドにて休息を取るのであった。