59食目 全てを喰らう者
◆◆◆ アルフォンス ◆◆◆
「こたびは大変であったようじゃな」
「はっ、いえ」
「畏まる事はない、今はプライベートであるがゆえにな」
現在、俺はフィリミシア城の国王陛下の私室へと通されていた。なんと、彼と二人っきりでの問答だ。極度の緊張で吐きそうになるも、これをなんとか耐え凌ぐ。
当然ながら、これは異例中の異例、あってはならない珍事だ。十年近くも彼に関わってきたが、今の今まで、このようなことは一度もなかった。
いったい何が、陛下の心を動かしたのであろうか。興味は尽きないものの、それを確かめる術を持たないわけでやきもきする。
「改めて、そなたの口から、今回の件の詳細を聞きたい」
「しかし、それは……」
「心配は無用じゃ、ここには、わしと、そなたしかおらぬ」
「……陛下、俺はあなたを信用して話します」
「うむ、心得た」
俺の覚悟を悟り、陛下は神妙な面持ちで俺の説明報告を受けた。俺が語る報告は自分で言っていてなんだが、おとぎ話そのものだった。
巨大なヤドカリとの友情、教え子たちが困難に立ち向かい、傷付き、それでも前に進んだ結果、掛け替えのない者を失った。
そして、白エルフの聖女と、心優しいヤドカリとの聖なる契約。【身魂融合】なる同化の儀式。神秘的で、幻想的で、悲しい儀式だ。
そこまで言い終えて、俺は自分が正しかったかを再度自分に問うた。友を雷で貫いてまで俺は生き残るべきであったのか。
その時、俺の肩に大きな手が置かれた。陛下のごつごつとした手だ。
「そなたは、よくやった。子供たちの命を守りとおしたのだからな」
「……救われます」
陛下の傷だらけの手は、いくつもの命を守り、そして救ってきた。だが、肝心の己はいまだ救えていない。彼の悲しげな瞳がその証拠だ。
「子供たちには辛い経験であったろうが、同時にこれを克服した時、確かなる力となろう」
「はい、そうであると信じております」
陛下には様々な悲しい経緯が付き纏っている。どこまでが本当であるかは分からない。
しかし、彼が最愛の妻と子供を失っているのは事実であり、仇が存在していることも明言していることから、それらは真実味を帯びている。
そんな彼の希望は、息子リチャード王子が残した孫、エドワードだ。
「エドワードには、これから先、わしをも上回る困難が待ち受けておるじゃろう」
「それは……」
「慰めの言葉は王族に必要ない。我らは民を導き護る盾ぞ」
「……それでは、救われません」
「アルフォンス、それでいいのだ」
陛下は柔軟な思考を持つと同時に意固地な部分を持つ。こうと決めたら絶対に曲げない意志の強さ。それは時に悲劇を招いた。
重苦しい空気が籠る。それを陛下は嫌ったのか、話題を変えた。
「時にエルティナの様子はどうじゃ?」
「エルティナですか? 相変わらず、ふきゅんふきゅんと鳴いているようですが」
「そうか、そうか……」
陛下の目尻が下がる。彼はエルティナを大層可愛がっていた。エドワードに甘くできない分、それがエルティナに注がれているようなのだ。
「あの子は、将来的にエドワードよりも困難が立ち塞がるであろう」
「エドワード殿下よりも? ご冗談を」
「いや、冗談ではないのだ。そして、そなたから【身魂融合】の件を聞き確信に至った」
「なんですって?」
陛下の言葉に俺は背筋を凍らせた。あの、みょうちくりんで、でも憎めない不思議な子が、国の未来を担うエドワードよりも苦難の道を歩むというのだ。
「果たして、聖が出るか邪が出るか……」
それっきり陛下は黙りこくり、時計の針が進む音だけが、国王にしては質素過ぎる部屋に響く。やがて、陛下は顔を上げて改めて俺に問うた。
「アルフォンスよ、身魂融合の際の輝きは【緑】で間違いないのじゃな?」
「は、はい、間違いありません」
「そうか……アルフォンス、大義であった」
「……はっ」
こうして、陛下による尋問は終了した。フィリミシア城を後にする。すっかり日は落ちて月が顔を覗かせている。夜風が気持ちいいのは、尋問による緊張で汗を掻いていたからだろう。
「エルティナ……おまえは、本当に何者なんだ?」
白エルフで、聖女で、桃使い。本当にわけが分からない。ただ分かること、それは、おまえが誰よりも命に真剣だ、ということだ。
「信じてもいいんだよな?」
俺の呟きは夜風に運ばれ、遥か遠くに流されていった。それはまるで、心配は不要だ、と風が囁いているようだった。
極度の緊張で疲弊していた俺は、考える事を一旦、取り止める。こんな状態では、碌なことを考えまい、と確信したからだ。
そうすると自然に足は前へと出ていた、愛する妻が待つ我が家へ、とだ。
◆◆◆ ラングステン王 ◆◆◆
「よもや、【身魂融合】の名を聞く事になるとはな」
それはウォルガング・ラ・ラングステンにとって忌まわしき言葉。最愛の妻と子を奪いし【黒い男】が言い残した呪われし言葉だ。
その言葉を思い出すたびに、度し難い恨みと憎しみ、やるせなさが込み上げてくる。
わしは無力であった。最愛の人を救う力すらない、無力な男。無力を憎み、力を付けたはずだったが、愚かにも、わしは黒い男に三度も敗北を喫した。
その度に、男はわしの大切な人たちを奪う。最初は両親、次に初恋の人、三度目は妻と生まれたての我が子だ。
血に沈む我が手は、息絶えた我が子を求めた。その薄れゆく視線の先に消えゆく我が子。
それは血であっただろうか、それとも……。
赤い輝きを残し、僅かな産声を世界に刻んで娘は殺された。妻もついでにとばかりに引き裂かれた。憎悪の果てに絶叫するわしを、黒い男は冷笑でもって迎える。
立ち上がることすらできないわしに興味を失ったのか、黒い男は溶けるかのように闇に消えていった。
わしの耳に残った言葉、それが【身魂融合】。この言葉を、わしは徹底的に調べ上げた。
すると、王宮の奥に存在する大図書館の古き書物に、その言葉を認める事ができた。
その書物の名は【全てを喰らう者】。いわゆる、おとぎ話に属されるものだ。
五百年も昔、不思議な能力を持った一人の男がいた。その男は優しく、大人しい男だったという。誰にでも親切で、誰にでも優しいと評判の男だった。
ところが、ある日を境に豹変、性格が歪み、誰にでも当たり散らし、遂には人を喰らいだした、というおぞましい内容だ。
男は人を喰らえば喰らうほどに強くなった。次第に誰も敵わなくなり、被害は拡大する一方。
彼は人を喰い、村を喰い、町を喰い、国を喰い、遂には世界をも喰らおうとした。
男は憎悪の塊、絶望の権化、欲望そのものだった。しかも、ありとあらゆる攻撃を受け付けず、圧倒的な破壊力を持った得体の知れない武器を持っていた。
たった一人の男の為に、世界が滅びようとしていた。
その時、一人の少女が立ち上がった。少女は不思議な力を持っていて、周りからは女神マイアスの化身だと言われていた。
少女はその力を持って、男に立ち塞がり暴挙を止めようとした。しかし男の力は、想像を遥かに超えて高まっていた。
激闘の果てに、少女は倒される。しかし、彼女は何度でも立ち上がったのだ。
何度も倒されても立ち上がり、全てを喰らう男に挑む少女を見た一人の冒険者は、世界中の力ある者たちに訴えた。このまま見ているつもりか、と。
その言葉に心を動かされた者が、続々と少女の下に集った。驚くべきことに、世界中の力ある者が全て彼女の下へと集まったのだ。
そして世界全ての英雄、勇者、冒険者たちが、女神マイアスの化身と思わしき少女と共に全てを喰らう男に戦いを挑み、多くの犠牲を払った末に全てを喰らう男に勝利した。
これが【全てを喰らう者】という書物の内容だ。似ている、と思った。怨敵、黒い男に。
また別の書物に【身魂融合】という名が確認できる。こちらも詳しい内容は記載されていない。というか、そのページがごっそりと失われている。
手で引き千切られた痕跡があることから、相当におぞましい内容だったのであろうか。今となっては確認することもできない。
しかし、わずかに残ったページの端に、命を喰らう邪法、との記載が残されていた。
そして、赤い輝きがそれだ、という記述にわしの血は沸騰し逆流したかのような錯覚を覚えた。黒い男がおこなった虐殺と同じような記載であったからだ。
あれ以来、黒い男はわしの前に姿を見せなくなった。興味を失ったのであろうか。
だが、わしの怒りは、恨みは、悲しみは、黒い男を決して忘れさせることはない。
「鍛えに鍛えた我が肉体。それが活かされる時は来ぬか」
呟きに応える者はいない、当然だ。人を遠ざけているのだから。
目を閉じる。走馬燈のように過去の出来事が脳裏を過った。その殆どが失われた人々であることに愕然とする。わしは、何を護り救ってきたというのか。
その記憶の最後にエドワードとエルティナの姿が蘇り瞼を開ける。そして、再認識した。
護らなくてはならない者の存在を。
「今度こそは護ってみせようぞ。この命を賭してでも」
部屋の隅に立てかけておいた素振り用の剣を手に取る。幾度となく繰り返してきた剣の所作をおこなった。
あとどれくらい、わしは肉体を維持できるであろうか。あとどれくらい、わしは黒い男の悪夢を見続けるのであろうか。それは分からない。
しかし、わしは生ある限り抗うだろう。全ての悪夢に。それが宿命なのだ、と自分に言い聞かせながら。
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
「ふきゅん? 妙な夢を見たなぁ」
妙な夢を見た、数多くの戦友と決戦に臨む夢だ。多くの戦いを共にしたはずなのに、戦友たちの顔はおぼろげで確認することはできない。
それでも、俺は笑顔で彼らに告げるのだ、「必ず生きて帰ろう」と。
「……その後が気になるんだぜ」
でも、俺は夢から覚めてしまった。この続きは自分で作り出せ、そう夢が告げているようで、少しばかり怖くなる。
戦いなんてくだらねぇ! 俺の歌を聞けぇ! と叫びたくなるも、俺は超音痴なので自重した。下手をすれば死者が出かねない。悲しいなぁ。
そんな事よりも、これだ。ダナンに貰った卵。これが意外に大きい。
サイズ的にはソフトボール程度の大きさはあるだろうか。食い応えがありそうで結構なことだ。
珍妙な事に卵には炎の文様が描かれており、なかなかに珍しい。でも、そんなのは関係ない、食うね。
「目玉焼きにするか、ゆで卵にするべきか、それが問題だ」
玉子焼きもいいかもしれない、卵料理は無限の可能性に溢れている。
とはいえ、今は卵をどうするかよりも確かめるべき事案があった。それは、ヤドカリ君と融合しパワーアップした俺の確認である。
そのための桃先輩……そのための能力確認魔法?
「ふっきゅんきゅんきゅん、限界を超えた俺の力か……楽しみだぜ」
俺の魂の中にはヤドカリ君が眠っている。間違いなく超絶ぱわーあっぽぉ、しているだろう。いやぁ、俺の時代が、ぬるりと来てしまった感。
「ひゃあ! たまんねぇ! れっつら、ごぉ!」
俺は期待に胸を膨らませ、ドタバタとヒーラー協会裏の空き地へと駆け出した。