58食目 笑おう
◆◆◆ ??? ◆◆◆
暗闇の中、蠢く影在り。音も無く子供たちが眠るテントへと潜り込む。
テントの内部には、すっかり寝静まった子供が三名、目的の少年はその中にいた。
やれるはずだ、その言葉を反芻する。この時のために何度も訓練を重ね、身体に沁み込ませてきたのだ。これで失敗しようものなら、その日々の努力は水泡に帰す。
懐から禁断の筒状の棒を取り出した。そして、音を立てないように、ゆっくりと鞘から引き抜く。
覚悟するがいい、心の中で呟いた時には、既に行為は終わっていた。哀れな姿になった少年の額には犯行の跡がしっかりと刻まれていた。
任務完了だ、もうここには用はない。速やかに現場を後にする。ヤツの変わり果てた姿はテント内に居た子供たちが発見するだろう。そして、大騒ぎするはず。
やり終えてみれば他愛のない仕事だった。何を恐れる必要があったのか。これで、復讐は成ったのだ。
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
朝である。圧倒的な清々しさに、昨夜の戦いが嘘であったかのように感じるが、決してそのような事はない。現に気怠さが残る身体が現実に在ったことである、と告げていた。
新しい朝であるのだが、クラスの皆の表情は冴えない。当然といえば当然だ。
友達を失うという非現実に打ちのめされて、次の日にケロッとしているヤツがいるなら相当の阿呆か外道だ。
だが、こんな俺たちを見て、果たしてヤドカリ君は納得してくれるだろうか。
否に決まっている、無理をしてでも元気を出さなくては。
「おう、おはよう、エル」
「ふきゅん、おはよう、ライ。起きるのが早いな」
「妙に早く起きちまった。そういうエルも早いな」
「ライと似たような理由なんだぜ。それに朝飯も作らないといけないし」
「それは重要だな。早速頼む」
「ブレねぇなぁ」
そんな彼は身体を解すと、砂浜をランニングしてくる、と言って猛ダッシュして行った。
世間一般的に、それをランニングとは言わない。だが、そのことをライオットに告げても無駄であろうことは明白であったので、生暖かい笑顔で見送って差し上げた。
彼が早起きだったのは、早朝のトレーニングが習慣になっているからだろう、と推測する。俺も体力づくりにランニングでもしようかな。
「まぁ、今は朝食を作る方が先決か」
俺は欠伸を噛み殺しながら火を起こした。流石に四十一名分ともなると支度にもひと手間だ。学食のおばちゃんたちの大変さが嫌でも理解できてしまう。
いかに効率よく、且つ美味しく仕上げるかが重要になるだろう。
「ふきゅん、今日の朝食は簡単な物を手早く作るとしよう」
そういうわけで、本日の朝食はふわふわのスクランブルエッグを、カリッカリのトーストに載せた物を用意。おかずはボイルしたウィンナー、サラダにスライスしたトマト。
自家製のトマトケチャップやマヨネーズ、岩塩を用意。調味料を掛けてもいいし、掛けなくてもいい。食べる者の自由だ。
飲み物は定番のミルク。デザートには大奮発して桃先生を進呈する。
「……ヤドカリ君と食べる予定だったんだけどな」
ヤドカリ君の在りし日の姿を思い出し、じんわりと涙が浮かんでくる。
いかん、いかん、ここで俺が泣いてどうするというのだ。皆に元気を出してもらうために、なんとかしようとしているのに、俺の湿気た面を見せてしまったら、全てが台無しになる。涙よ、ひっこめぇ!
そんなわけで、涙を【にょるん】と引っ込めて笑顔を作ってみる。絶対にキモい表情になっている、という自信があった。
「……おはよう、エルちゃん」
それを肯定するかのように、俺を目撃したリンダが怪訝な表情を見せている。俺はそんな彼女に対し、スッ……と真顔になった後、呟いた。
「朝は肌寒いな、スープを作ろう」
「いや、さり気なくなかったことにしようとしても無駄だからね?」
「そこをなんとかっ!」
結局、俺の変顔はリンダのメモリーにインプット。暫くの間、顔を合わせる度に思い出し笑いされることになった。ふぁっきゅん。
「んもう、俺の変顔を見るだなんて。罪深いリンダにはスープ制作を手伝う刑に処す」
「はいはい、手伝うよ」
使用するのは野菜の木っ端、肉の切れ端、使いどころがなかった豆。それに固形のコンソメの素を使用する。簡単野菜スープの完成だ。
簡単であるが栄養バランスは抜群。しかも、美味しいとくれば作らない手はない。
「できたよ、エルちゃん」
「ふきゅん、助かったんだぜ、リンダ」
リンダは見た感じは大丈夫そうに見えるが、ふとした時に憂いた表情を見せている。
無理もない話である。昨日、今日で元気が出るはずもない。無理をしているのは皆同様であり、リンダ以外もきっと無理をしているはずだ。
特にリンダはヤドカリ君に人一倍の感情を抱いているに違いない。ヤドカリ君と身魂融合を果たした俺には理解できるのだ。
何故ならば、俺はヤドカリ君の記憶をそっくりそのまま継承している。その中に、リンダを励まし勇気付けたという記憶があった。その中のリンダはか弱く小さくて、今にも消えてしまいそうだったのだ。
もし、ヤドカリ君が駆け付けるのが、あと少し遅かったなら、俺たちはリンダも失っていたかもしれないのだ。
そう思うと、途端に恐ろしくなって、ぷるぷると膝が震え出す。
「エルちゃん……おしっこ?」
「なんというか……違うんだぜ」
リンダに不要な心配をさせてしまった俺は、震える膝を虐待し機能を停止させた。
そんな俺たちに声を掛けてきた者がいる。銀色のドリルが眩し過ぎるクリューテルだ。
「おはようござい……ます……ふぐ、うう……」
「おいぃ、出だし落涙は反則だぞぉ」
普段はクールビューティーを気取るクリューテルであるが、一度泣き崩れてしまうと暫くの間、立ち直るのには時間を要するらしい。昨日から、ずっとこの有様である。
「ご、ごめんなさい。気持ちを切り替えないといけませんわよね」
「そうだね、泣いてヤドカリ君が帰ってきてくれるなら、私も大泣きするよ」
「リンダさん……はぁ、一番泣きたい人にそう言われては、泣くにも泣けませんわ」
クリューテルは半ば呆れて目尻に浮かぶ涙をハンカチで拭った。その勢いで鼻をブビッとかまないのは流石である。
ブビッ!
やるんかい。
俺は心の中の中心で、そうツッコんだ。壊れるなぁ、雰囲気。
取り敢えずは場の雰囲気を一新するため、出来上がった朝食を起きてきた順番に食べていただく。冷えたら美味しくなくなるしな。
「クー様、朝飯を食べておくれ。お腹が空いてたら、気分も沈む一方だぁ」
「そうですわね。それでは、いただきますわ、エルティナさん」
「私もいただくね」
クリューテルとリンダは出来上がった朝食を口に運ぶ。
もりもり、とはいかないまでも、しっかりと食べているので少し安心した。
朝食の匂いに引かれたのか、それとも朝日に覚醒を促されたのか、続々とクラスメイトたちがテントから目を擦りながら顔を見せる。ここからは忙しくなりそうだ。
「ふきゅん、おはよう。朝飯を作ってるから一ミリも乱れずに並べぇ。乱れたヤツは飯抜きな」
「条件が厳し過ぎるだろう! せめて二メートルにしろっ!」
「おいばかやめろ、それでは隊列が乱れて俺の心労がマッハでレッドライン。見事に過労死する」
無茶苦茶な要求をするマフティには、さり気なくトーストにマスタードをたっぷりと塗っておく。し・ぬ・が・よい。
「うめぇ! やっぱり飯は、食いしん坊の作った物に限るな!」
「ふぁ~! シンプルなのに深いわぁ! たまらない!」
「ぽぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
大袈裟な連中だ。別に対して手の込んだ料理でもないのに。そして、マフティは死亡を確認、安らかに眠るがいい。
「おぉぉぉい! エル! めしっ!」
「くるるぁ! 俺はライの女房じゃねぇぞ!?」
「気にすんな!」
ランニングという名の何かを終えたライオットは問答無用で朝食を要求、まるで俺をかみさんのように扱う。まったく、困ったヤツだ。
まぁ、いい。ライオットには世話になっているので無下にはできない、できにくい。だから俺はヤケクソ気味に彼の朝食を作るだろうな。
そんなわけで完成、【ハイパースクランブルダッシュトースト・ヤケクソの香り】。
トーストの上にスクランブルエッグをこれでもかと載せ、その上にトースト、スクランブルエッグと重ねる。繰り返すこと四回。
なんということでしょうか、トーストのタワーが出来上がったではありませんか。ばかやろう。
「サンキュー!」
そして、それをものの数秒で平らげてお代わりを要求するバカタレがいた。どうすれというのかね。
「もっと噛んで食え。いくら作っても足りんぞぉ」
「いくらでも食えるのが悪い」
「鼻の穴に唐辛子突っ込むぞ?」
「もうしわけありませんでした」
平謝りするライオットに呆れつつも、二つ目のトーストタワーを建設する。やはり、トーストの塔の寿命は数秒という短さであった。
あかん、このままじゃ、食材が死ぬ。まだ起きてきてない連中もいるんだぞ。
そんなライオットの食欲に戦慄を覚えつつ、三つめの塔を制作中の俺の耳に、クラスメイトたちの爆笑が聞こえてきた。何事であろうか。
「うぃ~す。お、良いにおい。腹減った」
「ふきゅん、おはよう。ダナンは今日も男前だな」
「なんだよ、さっきから。皆して俺の顔を見た途端に……」
朝飯を食っていた連中は等しく腹を抱えて笑いを堪えている。ライオットに至っては大笑いしながら砂浜を転げ回っていた。
「へんな連中だな」
「いや、ダナン。それは鏡を見てから言うべきなんだぜ」
俺は【フリースペース】から手鏡を取り出し、困惑するダナンへ渡す。その鏡を見た彼は顔を青ざめさせた。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ぶはははははははははっ!」
遂に俺も噴き出した。そう、ダナンの額には見事な【肉】の文字が煌めいていたではないか。
「エルティナ! おまえの仕業だなっ!?」
「ふっきゅんきゅんきゅん……きみは良い友人であったが、きみの弄られキャラがいけないのだよ」
「謀ったな、謀ったな、エルティナ! こうなったら、道連れにしてやる!」
ダナンは懐に手を入れ、そこから筒状の棒を取り出した。禁断の兵器【油性マジック】である。俺はただちに危険を察知、迷うことなく猛ダッシュで逃走する。
「さらばだ、ダナン! あの世で、カブトムシと仲良く暮らすがいい!」
「なんでカブトムシなんだよ! 待て! 額に【アホ】と書いてやる!」
「冗談ではない!」
突然として始まった俺とダナンの追い駆けっこは泥沼化、朝飯を食べていないダナンは早々にスタミナが切れ、元々スタミナの無い俺も早々に逃走速度が低下、やがて追いかけっこは共倒れとなり終了した。
これにリンダや元気の無かった連中も大笑い。どうやら、元気を取り戻すことに成功したようだ。
「ぜぇぜぇ……作戦、成功なんだぜ」
「はぁ、はぁ……貸し一つだからな?」
「ふきゅん、分かってるんだぜ」
こうして、俺たちの海水浴は終わりを見せた。この海で経験したことは、決して忘れることはないだろう。俺は、命を喰らうことの重さを知り、それでも前へと進む。
喰らった命に恥じぬよう、喰らわれた命が誇れるように。胸を張って前へと進む。