56食目 身魂融合という名の覚悟
あまりの事に俺は目の前の現実を受け入れることができないでいた。
俺が吹き飛ばされて僅かな時間、意識を手放していた間に、全ては終わっていたのだ。
焦げ臭い嫌な臭いが鼻につく。閃光にやられて目は使い物にならない。声も出ない、身体も動かない。俺はいったい何をやっているんだ。
こんな置き物になっている場合じゃないだろ。動け、動けよ。
「動け……うご……けよ」
『後輩、もう無理をするな。全て終わったんだ』
『終わった? まだ、終わってなんかいない。ヒーラーの仕事はこれからなんだ』
『後輩……』
そうさ、ヒーラーの仕事はこれからだ。これからなんだよ! なんだ、身体が動かないくらいで! 声が出ないくらいで! 俺がとまるかよ!
「……!」
俺は立ち上がった。そして、ゆっくりとだがヤドカリ君の下を目指す。そんな俺にアルのおっさん先生が立ちはだかる。
「エルティナ、よせ! おまえはもう、とうに限界を超えているじゃねぇか!」
「……どけよ」
俺の口からは驚くほど冷徹な言葉が飛び出た。それはあまりに弱々しく小さな言葉だった。しかし、彼は絶句し思わず手を離してしまった。悪いとは思ったが、今はそんな余裕はない。
早く、早く、ヤドカリ君を治してあげなくては。その気持ちだけが、俺を突き動かす。
「ぜぇ、ぜぇ……」
まともに声は出ないのに、荒い息だけはしっかりと発音できているのは、なんの皮肉だ。
そう思いつつ、ようやくたどり着いた。
「……」
あの一瞬でよくもここまで。そう呆れるほどに荒れ果てた大地があった。砕け散り原形を留めない。
雷の暴君は何もかもを破壊しつくして、いずこかへと去っていったのだ。
この黒い炭は異形の存在のなれの果てだろう。早く、ヤドカリ君を探さなくては。
俺の友達。
「はぁはぁ……」
俺の仲間。
「ぜぇぜぇ……」
俺の……俺の……。
「ヤド……カリ……君?」
彼はいた。酷い姿だった。
「そん……な……」
掠れた声が口から出る。思わず出た。彼はそれほどまでに酷い有様だったのだ。
赤みを帯びた身体は黒焦げになり所々が融解している。
白くて綺麗な貝殻は無残に砕け散り、力強く大地を掛けた沢山の足も数本を残して失われていた。
彼のご自慢の大きなハサミも片方が失われ、残ったハサミも辛うじて残っているという有様だ。
嘘だ……! 嘘だって……誰か言ってくれよ!
ヤドカリ君の元気な姿を思い出す。
ダナンやリックに協力してもらって、乗った背中の大きな貝殻……。
今は……砕けて無残な姿。
魚を持って来てくれた、立派なハサミ。
今は……片方折れて、どこかにいってしまっている。
リンダを助けるために、全力で動かした沢山の足。
今は……半分くらい、なくなっている。
呆然と立ち尽くす。何をしていいのか、分からなくなってしまった。
だが、俺のヒーラーとしての本能が俺を突き動かした。
「治療……治療しなきゃ……」
そうだ、まだ死んだと決まったわけじゃない。俺の治癒魔法は天下一品なんだ。
ゆらゆら、と幽鬼のようにヤドカリ君に近付く。だから、俺は気が付かなかった。
『後輩! 後ろだ!』
「え……?」
桃先輩の叫び声。後ろを振り向けば……体全体が炭と化した異形の塊が、俺に向けて巨大な口を開き、今にも飲み込まんとしている姿があったのだ。
今から動こうにも、もう体はいう事を聞きやしない。俺はただ、それを目を見開いて見ていることしかできなかった。
絶体絶命というやつなのだろう。しかし、俺に終わりが迎えに来ることはなかった。
ズドンという大きな音、俺のすぐ脇を通り過ぎた物とはヤドカリ君の大きなハサミだった。そのハサミが黒こげの塊を貫いたのだ。
その最後のハサミがボキリと音を立ててへし折れた。崩れ落ちるヤドカリ君。声にならない悲鳴を上げてぶくぶくと溶けてゆく異形の存在。
今度という今度は滅びを受け入れた様子だった。だが、そんな事よりもヤドカリ君だ。
生きていてくれた、生きていたくれたんだ。生きているなら、俺のヒールはまだ間に合う。
震える手を持ち上げ、治癒魔法を満身創痍のヤドカリ君に施す。早く、そんな怪我を治して、一緒にご飯を食べようぜ、と願いを込めて。
だが、一向に彼の身体が修復される気配はなかった。そんなことはないはずだ、ともう一度治癒魔法を施す、施す、施す……。
「ヒール! ヒール!」
『もうよせ……後輩』
桃先輩の諦めろ、と言う声。バカ野郎、ここまで来て諦めてどうすんだよ!?
「へへ、おかしいなぁ……ちょっと、調子が悪いだけだからさ」
治らない、ヤドカリ君が苦しんでいるのに、一向に治癒魔法が仕事をしない。どうなっているんだ。おい、早く仕事をしろよ。
「ヒール! ヒィィィィィィィィィィルッ!」
魔力が無くなった。ならば魂を魔力に変換する。
『もうよさんか! 彼は……ヤドカリ君は……おまえが来た時にはもう【死んで】いた』
それは残酷な宣告だった。もう、どう足掻いても救う事などできないという確定事項だった。だから、俺は、抗う。
「嘘だ! だって、だって俺を……守ってくれたじゃないか! まだ……まだ間に合うよ! そうだろ? なぁ、ヤドカリ君……」
『死した者が返事を返すことはない』
冷酷なまでの桃先輩の言葉。あぁ、分かっている。それは俺を想ってのことだ。
分かっちまっている。多くの命を看取ってきた俺だ、分かっているんだよ。
でも、認められない自分がいる。それが俺の大部分を占めちまっているんだ。
「なあ、桃先輩。助けてくれよ……お願いだよ。友達なんだよ……仲間なんだよ……! 命を救ってくれた、恩人なんだよ……お願いだよ、お願いだ……」
『………………』
桃先輩は何も答えてくれない。それが答えだったのだ。
俺は己の力の無さを痛感した。何が聖女だ、何が俺に任せろだ。結局俺にできたことはなんだ。
俺は大切な友達も救ってやれない、クソ情けない珍獣でしかないじゃないか。
ちくしょう、ちくしょう!!
「ちくしょう! ちくしょう!!」
やり場のない怒りは拳に宿り、抵抗できない大地へと向けられた。何度も、何度も、大地は黙して俺の怒りを受け入れる。大地が赤く染まっていった。
「もうよせ……エルティナ」
アルのおっさん先生が俺の手を掴み、大地への暴力行為を窘める。俺は震える顔を彼へと向けた。
「……っ!」
彼は泣いていた。涙は流していない。でも泣いていたのだ。涙の代わりに固く握られた拳からぽたりぽたりと血が流れ落ちている。それこそが彼の涙だった。
教え子の前では涙を流せない、大人の自覚が彼に涙を流させることを拒んだ。それはあまりにも不自然で不条理だった。
「ごめん……ごめんよう!」
「いいんだ、おまえさんは……よくがんばったよ」
もう堪える事などできるはずもなかった。アルのおっさん先生にしがみ付き大声を出して泣く。枯れ果てたはずの声は、俺の慟哭を風に乗せて運び去った。
「ヤ、ヤドカリく……ん?」
異変に気が付いた皆が次々とやってきた。リンダが変わり果てたヤドカリ君を目の当たりにして崩れ落ちる。やがて事情を察したのか、彼女は人目をはばからず涙を流す。
「そんな、そんなぁ。まだ、お礼も言ってないんだよ? なんで、こんな……酷いよぉ…………!」
もう、彼女は言葉を発する事はなかった。正しくは言葉にならないだ。ヤドカリ君に対する謝罪と、自分に対する無力さを呪う言葉。ある意味で言葉にならなくてよかった。
「ヤドカリ君……」
友人の亡骸を前に呆然自失になる者、慟哭する者、無力さを痛感する者、多種多様だ。
しかし、その全てがヤドカリ君の死を悲しんでいた。彼と過ごした時間は僅かなものだっただろう。でも、そんな事は重要ではないのだ。
共に遊び、食を囲み、また会えることを願った。それでけで十分過ぎるではないか。
ヤドカリ君を掛け替えのない、友達、というには十分過ぎるではないか。
「エルティナ……見ろ」
「え?」
アルのおっさん先生に促されて、俺は閉じていた瞼を開ける。そこには俺を取り囲むように沢山の光が漂っていたのだ。
それは優しい、優し過ぎる輝きだった。夜の闇に咲く光の花とでも言えばいいのだろうか。淡い緑色の輝きは命そのもの、と感じることができた。
「この光は……?」
桃先輩は答えた。
「この光は魂そのもの。特定の条件下で発生する儀式の始まりを意味する」
「儀式?」
「そうだ。【真・身魂融合】……桃使いの秘儀にして呪いの儀式でもある」
「どういうことだ?」
「身魂融合がどういう意味を持つか、は以前教えたな?」
「あぁ、要は食事だろ」
「そうだ」
この輝きの元を辿れば……ヤドカリ君の亡骸だと? まさかっ!?
「後輩よ。ヤドカリ君は、おまえの力になることを望んでいる」
「そ、それは……つまり! 俺にヤドカリ君を食えってことかよ!」
俺の言葉に皆が驚愕し声を詰まらせた。もう桃先輩も俺の口で話すことを躊躇っていない。皆に聞かせるために俺の口を使って会話しているようだ。
身魂融合……対象の身と魂を取り込む秘術。俺はただ単に桃先輩との融合を果たすのみの術だと思っていた。思い込んでいた。だが、実際は違ったのだ。
「そのとおりだ」
「言っていい事と悪い事がある!」
「これは彼の望み……いや、願いだ」
「……っ!」
桃先輩の声には多分に悲しみが含まれていた。決して声質は変わらない。でも、俺は感じ取ってしまったのだ。
たぶん、それが桃使いとしての能力の一つなのだと思う。
「この輝きはヤドカリ君そのものなのだ。心から信頼のおける特殊な存在がいる場合のみ、この現象は発現する。それが何者かは理解できるな?」
頷くしかなかった。桃先輩が桃使いになる時に覚悟を決めろといった理由は、きっとこれのことだったのだろう。
生と死は沢山見てきた。でも、死に行く者、その想いを受け取る側に回るのは初めてのことだった。
戸惑いがないとは言えない、現に俺は戸惑いの最中にあった。
「ヤドカリ君は悟ったのだろう。自分の運命と託すべき存在に。だからこそ、彼は死地に飛び込んだ。救うべき存在のために」
「ヤ、ヤドカリ君……そんな、わたしの……ためにぃ……!」
リンダの真っ赤になった目からは、とめどもなく熱い滴が溢れては零れ落ちた。大地は優しくその滴を受け止める。
「リンダ……」
エドワードが優しくリンダの背中を擦る。その小さな背中の震えは、いつまでも治まる事はなかった。
「桃先輩、俺は……」
「後輩よ、【真・身魂融合】は辛ければ拒否できる」
「え?」
「この儀式は辛いのだ。理由は……」
言葉に詰まった桃先輩は一呼吸置いて【かつて】を語り始めた。それは遠い、遠い世界の戦士の昔話だ。
「……話をしよう、俺が以前、パートナーだった桃使いのな」
桃先輩の声には、覚悟と寂しさが含まれている。決して話したいことではないのだろう。
でも、彼は話そうとしている。それはきっと、俺のためにだ。
その男はさえないサラリーマンだったという。中年に差し掛かろうというのにゲームやらアニメにのめり込む、食いしん坊で自堕落なろくでなし。
しかし、彼は仲間のために一生懸命になれる稀有な存在であったらしい。
「やがて、そいつはとある事件に巻き込まれて、桃使いへと至った。俺がヤツと出会ったのもそのくらいの時だ」
桃使いとなった男はサラリーマンを続けながら、桃使いの宿敵と戦い続けたという。
その宿敵の名は【鬼】。生きとし生ける者の天敵。情け容赦のない命の略奪者。
理不尽が具現化した存在である鬼に対抗できるのは桃使いのみだという。
「男は鬼と戦いながら成長を重ね、やがて多くの仲間に恵まれた。しかし……」
共に戦った仲間は鬼の強大な力に一人、また一人と倒れてゆく。男は桃使いの力をすり減らしながら戦い続けた。時には倒れることもあったという。
でも、それでも尚、彼は立ち上がり、名も知らぬ人々のために戦い続けた。
「鬼に対抗できるのは桃使いのみ。それは我々が持つ桃力以外は鬼を退治することは叶わないからだ」
しかし、ある日のことだ。桃使いの男は鬼に取り囲まれて窮地に立たされた。残された力もなく、仲間たちも傷付き打つ手なしの状態だ。
「……そこで、男の仲間だった犬が、自分の身を男に差し出した。無論、男は断った。だが、状況がそれを許さなかった。躊躇すれば仲間が全滅する」
男は選択を迫られた。犬は既に瀕死で助かる見込みはない。しかし、他の仲間は治療さえできれば助かるのだ。
だが、犬は彼にとって掛け替えのない家族でもあった。どんなに苦しい時もずっとそばにいてくれた家族だったのだ。男は苦しんだ。
「その男は無茶をするヤツだった。後輩、おまえのようにな。しかし、それは家族である犬を瀕死の重症にさせる結果になった。勇敢なる犬はヤツを庇って倒れたのだ」
桃先輩の言葉に胸が詰まる。痛い、自分のことのように痛い。ズキリと頭が痛む。
白い毛並みを真っ赤に染める大切な家族。苦しそうに俺を見つめる瞳。
あぁ、許してくれ。俺の……。
「やがて、死の淵にいた勇敢なる犬が息を引き取った。彼の亡骸から滲み出るように光が溢れ出し、絶望に打ちひしがれていた男を包み込んだ」
ずきずきと痛む頭の中、俺は漂う輝きを見つめる。かつて見たであろう光景を。
「分かるな? おまえを包んでいる……その光だ。魂は己の終着点を見据える、そして結論を出す。還るか、託すか。託すことは即ち『魂の継承』だ」
継承。その言葉を聞いて真っ先に浮かぶ顔。それは俺に存在する理由をくれた初代エルティナだ。
『継承の魔法』
彼女の知識と経験を受け継ぐ秘術。嬉しい事、辛い事、夢、希望、絶望、そして……名前。その全てを、俺は受け継いだ。
「男は号泣した。何故、こんなにも辛い選択をしなくてはならないのか、と。しかし、男は身魂融合をおこなったのだ。それは、男の覚悟の証。身魂融合とは、魂を補うだけのものではない。その者と、一つになり共に生きることでもある」
「かく……ご……」
「そう、覚悟だ。もう後には退けない。前進するしかない道をヤツは選んだ」
「辛いのにか?」
「あぁ、そうだ」
男の選んだ道はまさに修羅の道だったという。戦って、戦って、戦って、傷付き倒れ、また立ち上がって、戦う。その繰り返しだ。
仲間はどんどんと倒れ、その度に彼は真・身魂融合を重ねてゆく。強さと引き換えに心を失いながら。
「その桃使いは……どうなったんだ?」
「英雄になった。数多くの鬼を退治したからな」
嘘だ。そんな泣きそうな声で言っても説得力がない。
「後輩……いや、エルティナ。おまえにヤドカリ君を受け入れる覚悟はあるか? 先ほど言ったように拒否することもできる。受け入れることで心を壊した者も少なくはないからな」
「俺は……」
……考えるまでもない。
俺達の為に命を捨てくれたヤドカリ君。彼の望む事、それが俺にできることであるならば……!
淡い緑の光が俺を包み込むようにゆっくりと回り始める。それは魂の輝きだ。
覚悟を決めた俺の身体がふわりと宙へ浮く。それは始まりだった。
「エルティナ……それがおまえの出した答えか」
桃先輩の悲し気で、それでいて褒め称える声を聞いた。
ヤドカリ君の体は解けるように光の粒へと変じてゆく。それは幻想的な光景だった。
その光景を見た者は小さな感嘆の吐息を漏らす。傍にいたアルのおっさん先生がゆっくりと俺から離れてゆく。その顔は今まで見たことがないほど優しい顔だった。
「エルティナ……しっかりな」
「あぁ」
俺は小さく頷いて彼の期待に応える。すぅっと空気を肺に溜め込み宣言する。誓いの言葉を、覚悟ある言葉を。
「ヤドカリ君……俺と共に生きよう! 真・身魂融合!!」
淡い緑色の輝きがゆっくりと、時に激しく螺旋を描き俺を包み込んだ。それはまさしく魂の繭。
やがてそれは羽化する蝶のごとく割け俺へと吸収されてゆく。
それ即ち、ヤドカリ君を食べていることと同義であった。
体中のいたる場所にヤドカリ君が吸い込まれてゆく。疲れ果てていたはずの身体が軽くなってゆく。同時に心が魂が満たされてゆくのだ。これが食べるという事なのだろう。
なんという、残酷で甘美なる行為なのであろうか。罪深い、罪深いのだ、俺は。
『なんか、ちっちゃいのがのってきた』
……これはヤドカリ君の記憶?
『……おいしそう。ぼくにくれるのかな? おいしい、こんなにおいしいものは、はじめてだ』
ああ……これはヤドカリ君に焼きそばをごちそうした時の記憶か。
『あの、ちっちゃいのに、さかなをもっていってあげよう。ごはんをたべそこなっていたようだしね』
『みんなでごはん。たのしいな、うれしいな』
これは夕食を一緒に食べた時の……楽しかった。皆で食べた夕食、また皆で食べたかった……!
「ふぐ……うっうう……!!」
堪え切れない涙。大粒の涙が頬を伝る。とめどもなく流れては、汚れ果てた衣服を更に汚してゆく。
『そっちはあぶないよ? あぁ、でもことばがつたわらない。むずがゆいなぁ』
『なかないで、みんながまっているよ。いこう、きっとだいじょうぶ!』
俺達を心配して付けていたのか。それにリンダも助けてくれたようだった。
あとは俺達と合流して、建物の外で化け物と戦って……。
『もう、からだがうごかないや。でも、ちっこいの……ええと、そうそう、えるちゃん。ようやくおぼえれた。でも、さようならだよ。えいっ。りんだちゃんをよろしくね』
『これで、ぼくのやくめはおしまい。ばいばい、みんな。げんきでね』
淡い輝きは全て俺に収まった。残ったのは静寂と月の光だ。
夜の静けさを取り戻し辺りからは風が草を揺らす音が聞こえてきた。
そして俺は気が付く。最も重要な記憶がなかったことに。
「最後に俺を救ってくれた記憶がない!?」
俺は愕然とした。ヤドカリ君は死しても尚、俺を救うために動くはずのない身体を動かし、窮地から救ってくれたのだ。
「あぁ……ありがとう、ありがとう、ヤドカリ君……!」
きみに貰った、この命……決して無駄にしない。命ある限りきみと共に生きよう!
俺は最大限の感謝と覚悟を込めて言った。それは誰しもが言うなんの変哲もない言葉、でも俺には特別な意味を持つ言葉だ。
「……ごちそうさまでしたっ!!」
手を合わせ深く感謝する。頬を伝う涙は止まることはなかった。
そこにいたヤドカリ君はもういない。全てが光となり俺とひとつになった。
「ありがとう、ヤドカリ君。俺はこの日の事を決して忘れない」
今は俺の中で眠りについているであろう友達に語りかけた。決して忘れないと。
この日、俺は桃使いとしての、本当の一歩、を踏み出したのだった。