559食目 止めることなんてできない
◆◆◆ ユウユウ ◆◆◆
世界が悲鳴を上げている……そう錯覚させるほど壮絶な二人の戦いは、第三者が止める、などという生易しい選択を頑なに拒んでいた。誰から見ても、彼らの戦いは異常であり、そして神聖なものだったのだ。
そんな戦いに割り込めば確実に滅びが舌なめずりをしながら迎えに来る。そのような愚か者は、これ以上ないほど丁重に案内されることだろう、あの世へと。
「エルティナ……ダーリン……」
確かに私には、両者の戦いを止めたい、という願望があった。と同時に二人の行き着く先を見届けたい、という度し難い欲望も混在していたのである。
しかし、二つの欲望は極めて僅差であるが、二人の行き着く先を選択、そして今に至る。
「妬けるわね……」
ついついこぼしてしまう愚痴。それに苛立ち、私は親指の爪を齧ってしまう。
エルティナとダーリン、二人はあの時よりも更に強くなっていた。それは抵抗する余地もなく砕け散る大地、抵抗を無駄だと悟り蹂躙を受け入れる大気を見れば一目瞭然。
景色を彩る白い雪は戦いの余波で瞬時に蒸発するか、その純白を赤く染めるかのどちらかであった。
美しい、そう思ってしまう両者の流す穢れなき鮮血。気持ちが昂り抑えきれなくなってくるも、残された理性を総動員してこれを抑え込む。この神聖な戦いを穢すなど、瀟洒な淑女を自負する私がおこなうなどもっての外。
だが、この煮え滾るかのごとき欲望をどうしたものか。あぁ、欲望を持て余す。
「ゆうゆうちゃん。どうして、えるちゃんと、しぐるどくんは、けんかしてるの?」
相変わらず、たどたどしい喋り方をする狸獣人の少女プリエナが、その可愛らしい顔を顰めた。二人の戦いに納得していないのだろう。
彼女的には以前、両者が力を合わせて戦ったことによって仲直りをした、と思い込んでいるに違いない。
「そうね、どうしてかしらね」
プリエナに二人の戦う理由を正直に伝えたとしても到底理解できないであろう、と考えた私はお茶を濁す答えを返した。
私の視線の先には、巨体を誇る黄金の竜と華奢な白エルフの少女が、己の全てを賭けて互いの命をぶつけ合っている。傍から見れば異常な光景である事は否めない。
だが、私たちのように事情を知っている者であれば、この光景はいつか訪れるであろう光景であることをよく理解していた。そして、この次はないだろうことも。
それは、戦っている二人が一番理解しているに違いなかった。
「魔法技禁じ手!〈怒轟大噴火〉!!」
「それは既に見切ったと言っている!」
「ぷじゃけんな!」
戦い始めて既に十五分以上が経過している。その間に持てる全てのカードを切ってしまったエルティナ。それに対して、ダーリンはまだ切り札を残していた。
動く山と呼ばれていた移動要塞を一撃の下に葬り去ったという、あの必殺技を。
「エル……」
獅子の獣人ライオットが強く拳を握り過ぎ、自身の赤い雫をぽたりぽたりと滴らせている。この戦いに手出しは無用、ただ見届けるのみ。これがどれほど、この少年には、そして私に辛いことか。
「ライオット、血が流れていてよ」
「分かってる」
彼は視線をエルティナから逸らさずに答えた。その姿を目に焼き付けんとばかりに。
エルティナは全身を赤く染め上げ、ダーリンの猛攻を捌き切っていた。しかし、その猛攻を捌くので精一杯であるのが現状だ。
彼女の十八番といえる治癒魔法を発動する事さえ許さぬ連続攻撃、それがダーリンの導き出したエルティナ攻略の答えなのだろう。
ただし、この方法には当然リスクが伴う。4メートルを超える巨体を誇るダーリンに連続攻撃は相当に堪えるはずだ。消耗する体力はエルティナの比ではないだろう。
対してエルティナは最小限の動きで体力を温存している。掠りでもしようものなら、容易に肉が削げ骨が砕ける一撃を、すれすれで交わし続けるその度胸に私は思わず唸った。
更には彼女の奇妙奇天烈な攻撃魔法を利用したカウンター攻撃までおこなっている。絶大な威力こそ無いものの、治癒魔法が使えないダーリンは、この蓄積するダメージこそ望まないものであろう。
そして、この戦いが異常に見える最大の要因は両者の所持する【枝】の存在にある。私たちの常識など、最早そこには通用しない。
目に見えない物までをも喰らい無効化、機能停止させるなど当たり前におこなっているのだ。
空気を喰らい広範囲を真空状態にする、熱を喰らい一瞬にして絶対零度の温度まで下げる、更には木の根を伸ばし【枝】の能力を一時的に奪う、などという能力は私たちの理解の範疇を超えるものだ。
だが、最も異常な能力はやはりエルティナの桃力である。あろうことか奪われた枝の能力を桃力で取り戻すとは誰が想像できるであろうか。桃力は【陽の力】ではなかったのか。
彼女が桃力で作り上げたのは桃色に輝く……いや、あれは桃色だけではなかった。私の最も馴染みのある力が混じり込んでいたではないか。
その赤黒く輝く光は紛れもなく【鬼力】、桃使いにあってはならないものだ。だが、彼女はその二つ力を用いて禍々しい大蛇を作り出しダーリンの強靭な木の根に噛り付かせた。
のたうち回る巨大な木の根、それを逃すまいと噛みついて離さない異形の大蛇。だが、やはり注目するのは白エルフの少女。
彼女の顔は私たちの知るエルティナの顔ではなくなっていたのだ。いうなれば修羅、私ですら背筋が凍り付くその表情に、思わず……興奮してしまう。
「くわせろよぉ! おめぇもくったんだろうがぁ!」
「うぬっ!」
「ブラザー、木の根を切り離せ! 木の根はすぐに再生できるだろ!」
「っ!? そうであった!」
ダーリンの桃先輩マイクの機転により、木の根を根元から切り離し難を逃れる。その直後、巨大な木の根は存在そのものが無かったかのように異形の大蛇に貪り尽されてしまう。
「うめぇ! もっとだ! もっとよこせぇ!」
傍から見れば暴走状態、だが今回の彼女には理性の輝きが瞳に宿っていた。それでも彼女を止めるのはエルティナの桃先輩トウヤだ。
「エルティナ、力の均衡を保て! 引きずり込まれるぞ!」
「ふきゅん!? うおぉ……ダークサイドに落ちたら、黒い全身鎧を着て呼吸音を強調するハメになる! ありがとう、もうダメかと思ったよ」
「魔導光剣の練習でもしておけ」
「善処する」
暗黒面とはよく言ったものだ。確かに先ほどまでのエルティナの顔は、そこに落ちた者が良く見せる表情であった。
だが、パートナーの一言ですぐさま正気に戻るとは……エルティナと桃先輩は相当の信頼関係なのであろう。
「なんて戦いをしてるんだよ、こいつら」
二人の戦いを特殊魔法〈ウォッチャー〉を用いて空に映してくれているアルフォンス先生がこの世の終わりを見ているかのような表情でそう呟いた。
彼だけではない、ここにはそのような表情をした少年少女たちが多数いる。
「誰だよ、エルティナが最弱だっていったのは」
そう、ダナンの言うとおり、かつての彼女は確かに最弱だった。最弱を自負し、恥ずかし気もなくそれを強調し、それでも強くなることを諦めなかった少女は、幾多の試練と強敵の屍を踏み越えて強者の領域へと足を踏み入れたのだ。
もう誰もエルティナを弱者だとは言えない、彼女は間違いなく強者だ。この私が保証しよう。
「ぶはぁっ! 少し休ませろ、くるるぁ!」
「させぬ、休むなら朽ち果ててからにせよ!」
「やなこった!」
最早、戦いは我慢比べの様相を呈している。ここで息を切らせた方が一気に劣勢になるのだ。いわゆるターニングポイントというヤツだ。
「あっ!?」
誰かの悲鳴、それが示すところはエルティナの被弾であった。ここにきて致命的なミス。
「クソッタレめ! 左手を持っていかれた!」
エルティナの左腕が血煙となって消えた。ダーリンの鋭い爪による一撃が遂に命中してしまったのである。
一撃をもらった衝撃で彼女はバランスを崩している。これを見逃すようなダーリンではない。決着を付けるべく、彼は巨大な前足をエルティナに突き出す。決まれば決着だ。
絶体絶命、既に残された手段はない。エルティナの敗北を誰しもが想像した。
「まだっ!」
だが、我が半身リンダだけは見る個所が違ったのだ。その証拠にダーリンの爪がエルティナに突き刺さる直前で停止している。それを成しているのは巨大な赤い爪だ。
「ソウルガーディアン・ヤドカリ君!」
エルティナの魂から魂の守護者が出現する。もしや、彼女はこれを狙っていたのか? だとしたら、左腕の被弾はヤドカリ君を出現させるためにわざと?
この局面でなんという度胸であろうか、仮に魂の守護者が出現しなければ終わっていた場面である。にもかかわらず、彼女は魂の守護者を信じ切り、彼女の期待に魂の守護者は応えた。
これは値千金のカウンターだ、戦いが遂に動く時が来たのである。
「ヤドカリ君、頼む!」
この一瞬の隙をエルティナは虎視眈々と狙っていたのだ。治癒魔法を発動し瞬く間に左腕を再生させた彼女はサイドポーチから丸薬と水筒を取り出し飲み込む。
丸薬の方は【増血丸】であろう。改良に改良を加えたエルティナの自信作だ、水と混ざり合い即座に失われた血液を補うはず。
「まだ終わらぬ!」
ダーリンの声は既にかすれていた。異様な呼吸音が彼の口から洩れている。もう彼は限界を越えていたのだ。そんな彼がヤドカリ君の攻撃を防げるはずもなく、巨大なハサミによる一撃を右肩に受ける。
弾け飛ぶ黄金の鱗、吹き出す鮮血、骨の砕ける音がここまで伝わってきそうな、そんな一撃であった。
今度はダーリンが劣勢になる。止めを刺そうと巨大なヤドカリがダーリンの心臓を狙って巨大な爪を突き入れた。
だが、それはなされることなく終了する。先ほど見た光景が立場を逆にしておこったのである。
ダーリンの胸から飛び出してきたのは巨大な大剣であった。それがヤドカリ君を圧し返してしまったではないか。
「シグルド……汝!」
大剣と共にダーリンから飛び出てきたのはピンク色に光り輝く剣士であった。姿は靄が掛かっているかのように見え、どのような姿なのかもわからない。だが、その剣士はダーリンを護るかのようにヤドカリ君に立ちはだかった。
やがて、剣士とヤドカリ君は互いの大切な者のために刃を交える。
何もかもが似ていた。姿形は違えども、二人は似過ぎていた。
「エルティナァァァァァァァァァァァァァッ!」
「シグルドォォォォォォォォォォォォォォッ!」
二匹の獣の咆哮。それは決着を付ける時が来たことを知らせる叫び。
この勝負、どちらに転ぼうとも私は受け入れるつもりだ。それが、エルティナの友人たるユウユウ・カサラの決断であり、ダーリンの恋人たる私の覚悟である。
やがて、戦場は眩い輝きに包まれた。戦いの終焉の時が訪れようとしていたのである。




