556食目 エルティナとシグルド
嫉妬の炎で大炎上する混沌の宴からこっそりと緊急回避した俺は、寂しげな雰囲気が漂う町の外れにまで来ていた。
現在、ここには人っ子一人いない。それもそのはず、町の住民たちはフィリミシア中央公園の宴の真っ只中にいるのだから。
そんな中、ラングステン英雄戦争の立役者の一人が宴の輪から外れ、一人チラホラと降りてくる白い妖精たちを見守っていたのである。
「……汝か」
「あぁ」
その者とは桃使いにして竜、盟友にして最大のライバル、ガルンドラゴンのシグルドであった。
彼は寂し気な瞳で、舞い降りてくる小さな小さな雪を見ている。まるで、その姿に何者かを重ねているかのように。
何故、こんな隅っこにいるんだ、とは聞かない。理由などいくらでも出てくるだろうから。俺は黙って〈フリースペース〉より、大量のこんがりお肉を取り出しシグルドに進呈する。
ジュッジュと音を立てるのは焼き立てをすぐさま〈フリースペース〉に保管したためだ。
もしかしたら、こいつは生肉の方が好みなのかもしれないが、それでは俺がひと手間かけてご馳走した感がまったくないので、こうして手を加えることにしたのだ。
要するに俺は自己満足が欲しかったのである。ただ、それだけのこと。
「これは施しか?」
「いや、約束を果たしにきたのさ」
「そうか」
ティアリ解放戦争の際にシグルドと約束したことを忘れてはいない。いつの日にか、彼にフレイベクスの無限お肉をご馳走することになっていたからだ。
あの戦いの後、すぐさまシグルドが姿を消したこともあって約束を果たせないままでいたが、今回はオオクマさんの仲介もあってシグルドも宴に参加することになり、これに便乗して約束を果たしてしまおうと考えたのだ。
尚、オオクマさんはフィリミシア中央公園で、親友のトスムーさんに、たらふくビールを飲まされている。トスムーさんの奥さんのミシェルさんも無事に戦いを切り抜けたそうで、そのお祝いということだ。
だが、彼らの飲む速度が尋常ではない。彼らは確実に二日酔いコースであろう。
このケースが各所で見受けられているため、ヒーラー協会のヒーラーたちは酒も飲まずに会場の待機所にて酔っ払いたちの面倒を見ている。
スラストさんも飲みたかったろうに……まぁ、これもヒーラーのお仕事なので仕方がないと言えば仕方がない。
「馳走になる」
シグルドの目の前に出したホカホカと湯気を立てる巨大なこんがりお肉は、俺が苦労を重ねて調理した自信作だ。何度、ライオットの妨害にあったか分かったものではない。
「ふきゅ~ん! ふきゅ~ん!」
「にくぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
「ガンズロック! きますよっ!」
「えぇい! 正気に戻りやがれぇ!」
最初はフォクベルトとガンズロックで防衛してもらったのだが、どうもうまくいかない。何度もフレイベクスの無限お肉を捕食されてしまった。
場所を変えて調理しても、どこから嗅ぎつけてくるのか気付けばすぐ隣にいるというありさま。
流石に、久々にキレちまったよ……屋上に行こうか、状態になった俺は恥ずかし気もなく聖光騎兵団を招集、調理中のフレイベクスの無限お肉を防衛させる。
「にゃ~ん」
が、ダメっ! 暴食の獣と化したおバカにゃんこは【輝けるぬこ】となりてミカエルたちを懐柔してしまったのだ! くやしい! でも、可愛い!
普段はこういう搦め手をしないのに、食べ物が掛かったら形振り構わないライオットに、俺は最後の手段を取る。
それは武闘派クラスメイトたちの招集である。この珍獣、情け容赦などない。
「いけぇぇぇぇぇぇっ! 殺しても構わん!」
「ええっ!? 流石にそれはダメですよぉ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ! 死なない程度に死ねぇ!」
「四肢を破壊すれば……って、えぇぇぇぇぇっ!? 破壊できない!?」
「にゃぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「クスクス、これは手ごわい相手ねぇ」
攻撃魔法が乱れ飛び、衝撃波が大気すらも蹂躙する。その圧倒的な暴力の渦の最中にあって輝けるぬこは縦横無尽に駆け回る。
なんという機動力だ、壁を走るとか漫画でしか見たことがない。そして輝けるぬことなったせいで身体が劇的に縮み攻撃がまったく当たらないという。厄介なことこの上ない。
あ~!? メルシェ委員長のおパンツがっ! た、大変なことになったぞ! 彼女の大きなお尻が丸見えにっ!
「「「ごちそうさまです!!」」」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
彼を阻止するために呼んだクラスメイトたちですら、野獣と化したライオットには苦戦を強いられたのだ。
何故、ライオットはこの力を有効活用できないのか……これが分からない。
「美味い」
「そっか、どんどん食え」
過去を思い出し白目痙攣状態になっていたが、シグルドの美味い、という声を聞いて正気に戻る。彼の豪快な食べっぷりに俺の腹もクゥと鳴き、恥ずかし気もなくフレイベクスの無限お肉を要求してきた。
この事は予測済みであったため、自分用に焼いた小さめのこんがりお肉を取り出し、シグルドの隣に座って噛り付く。
さまざまな香辛料を黄金配分で馴染ませたお肉は、俺を香りと肉汁の洪水の中に容赦なく叩き込んだ。これも、獄炎の迷宮で手に入れたスパイスのお陰だ。
こんがりカリカリに焼けた肉の表面は歯応えバッチリ。だが、ある程度の圧が掛かると歯をすんなり受け入れて儚く貫かれる。そして、その中のむっちり柔らかな肉は官能的な肉汁を溢れさせながら侵入者を快く受け入れるのである。
そして、豪快に肉を噛み千切り咀嚼すれば、そこからはパラダイスだ。噛めば噛むほど肉汁が溢れ出てくる。
早く飲み込まなければ、だけどもっと味わっていたい、堪能していたい、という欲望に葛藤していると無残にも口から旨味のジュースがこぼれ落ちてしまっていることに気付きショックを受ける。
これを教訓として再びこんがりお肉に噛みつくのだ。そして、同じ過ちを繰り返す。
もう止まらない、肉を噛みしめる度に原始的な喜びが自分の意思とは別に口を動かす。この肉を誰にもとられまい、と肉を掴む手に信じられないほどの力が籠るのだ。
やがて、俺の頭ほどもあったフレイベクスの無限お肉は綺麗さっぱり俺の胃の中に納まったのである。
俺は小さめといったが、それはあくまで、シグルドに進呈したこんがりお肉に比べれば、の話である。
ちなみにシグルド用に焼いたフレイベクスの無限お肉には殆ど味付けをしていない。丁寧に焼いただけである。
それでも、このお肉は美味しいのだからとんでもない食材であるといえた。
食事を終えた俺とシグルドは、ぽつり、ぽつりと言葉を交わした。途切れ途切れの不器用な会話だ。話は出会いから始まり、そして今に至るまでのことを互いに語り合った。
シグルドはやはり成るべくして成ったのだ、桃使いに。彼の不器用な優しさ、そして熱い友情に俺は心を打たれる。
シグルドもまた、俺の言葉に目をつむり耳を傾けていた。返事こそないが彼は真剣に言葉一つ聞き逃すまいという姿勢を見せている。
そして、会話は途切れた。語るべきことは語り尽したという証でもある。
ふわりふわりと降りてくる冬の妖精たち、彼らは俺たちの温もりに引き寄せられ儚く溶け消えては再び空より降りてきて俺たちの下へ来るのだ、構ってくれと。
その冬の妖精たちを手の平で受け止める。やはり、彼らは一瞬の輝きを見せて儚く消えた。だが、その名残は残して。
俺はそれを握りしめる。シグルドは瞑っていた目を開いた。
「「決着を付けよう」」
俺たちの口から出たのはその言葉。疑いようなどなかった。ずっと、ずっと心の奥で燻ぶり続けていた感情だ、抑えられるわけがない。
皮肉にも、それを見破ったのが虎熊童子というのが恨めしく思う。だが、ヤツの言うとおりだ。こんな感情を抱いたまま、シグルドと共に虎熊童子に挑んでも返り討ちにされてしまうのがオチであろう。
「我は汝を求めている」
「俺もだ、シグルド。俺はおまえが欲しい」
俺たちは二度殺し合い、二度助け合い、そして共に食事をし語り合った。その末に出した答えが【決着を付ける】だ。後悔などない。
確かにシグルドと共に歩む未来を考えたこともある。だが、俺の全てがそれを否定したのだ。彼との関係は慣れ合いではない、と魂が叫んでいるのだ。
俺たちは立ち上がった。決闘の場所、時間は告げていない。だが、俺たちはそれを本能で理解していた。
それはあの日、俺たちが初めて対峙した場所、そして時間。
二人は言葉を交わすことなく背を向けた。一人は町へと、一匹は空へとお互いの進む道を行く。己の信念を抱いて。
俺は明日、モウシンクの丘にて、シグルドとの最後の決着を付けに行く。それは【野生の戦い】。今度こそ、どちらかが生き残った者の胃の中に納まるのだ。
暗闇を照らす白い明かりに導かれ、俺は一人、宴の中へと還った。




