551食目 神々の野望
◆◆◆ 天空神ゼウス ◆◆◆
悲鳴、そして怒号、ゴッドルームに訪れる混沌。その原因はエルティナという桃使いが発動した最終奥義にあった。
「ど、どういうことだ!? たかが、桃使い一人が【The・End】を呼び寄せるとは!」
「【涅槃】を構築……いや、呼び寄せたとでもいうのか!? あってはならない! あっては!」
スクリーンに映る大宇宙、それは星と星を繋ぐ空間ではない事を神々は悟った。神々によっては呼び名が違うが、そこは正しく星と魂を繋ぐ場所。即ち【輪廻の輪】であったからだ。
「ち、父上っ! これは大事でございます! あの娘は……神を亡ぼし得る存在!」
「落ち着け、我が息子アポロン」
アポロンは金色の癖っ毛のある髪を掻きむしり、普段は見せないほどの狼狽を晒している。
無理もない話だ、ここに集まった数多の神々も一部を抜かし混乱を極めているのだから。
アポロンの言うとおり、桃太郎に至った少女がおこないし禁断の秘儀は【現在】の神を亡ぼし得る。それは、我ら神の力が衰退したことを暗に示していた。
【かつて】の我らであれば、少女のおこないを見事と称賛したであろう。しかし、今は違う。力の弱った我らは輪廻の輪に抵抗することはできないのだ。
たとえ、人間たちの信仰があろうとも、たちまちの内に輪廻の輪に取り込まれてしまう。そして、何者かに転生させられてしまうのだ。
現に、我がオリュンポス神の数名は事故などで命を落とし、輪廻の輪に取り込まれ、人や獣へと転生し地上で細々と生きている。
神の力が弱まったと同時に、輪廻の輪の力が強まってきていることが原因と思われた。だが、いまだに解決策はない。精々、死なないように気を付けるのみである。
「おぉ……なんという光景だ」
「ありえぬ、かの少女はいったい?」
「しかし、無謀よの。あれでは、すぐさま爆ぜてしまうわ」
輪廻の輪に在ってその存在を崩壊させず、尚且つ無垢なる魂を取り込み力を増大させる。
この行為に見守っていた神々は、最後の最後に失敗をした、と少女を嘲笑した。しかし、その薄っぺらい虚栄もすぐに剥がれ落ちる事となる。
「何故だっ!? 何故、爆ぜない!」
「あれほどの魂を取り込むなど、我らとて不可能だ!」
スクリーンに映る少女は桁外れの魂を、その身に取り込んでいた。確かにあの量の魂、私とてこの身に受け入れることなど不可能である。だが、彼女はそれを可能とするものを備えていたのだ。
「あれはセフィロトか?」
我が友オーディンが小声で話しかけてきた。力ある神であれば、彼女の魂の中心に巨大な大樹が根付いているのが理解できるはずだ。
「【やすんば】でしょう。あの子の魂は安らぎの樹がございます」
オーディンの問いに答えたのは先ほどまで沈黙を保っていた桃使いの神であった。名立たる神々が慌てふためく中、腰をどっしりと下ろして平静を保っているのは大した胆力である。
これも桃使いトップの立場にいるにもかかわらず、前線に赴き鬼との戦いに明け暮れているがゆえの精神力であろうか。
日本という小さな島国の神にしておくには惜しい傑物である。
「ほぅ、【やすんば】とな……彼の者の魂は、我ら神々ですら癒すと?」
「さようにございます」
バンとテーブルを叩く音。その音に騒いでいた神々が一斉に言葉を失う。それを成したのは太陽神アポロンであった。
その表情は憤怒、今にも噴火しそうな活火山の様相を示している。
「一介の桃使いが魂にセフィロトを宿すなどと!」
だが桃使いの神は動じることはなかった。そして自動ドアが開き頭にバケツを被った奇妙な女性が入室してきたのだ。代わりに答えたのは、その女性であった。
「あの子は私と吉備津彦命様との子ですから」
女性はバケツを取り外し素顔を晒す。そこにはスクリーンに映る少女と瓜二つの顔があったではないか。
もっとも、その熟れた肉体は少女の比ではないが。いや、しかし……大きい。
彼女は桃アカデミーで【桃先生】と呼ばれているそうで、この組織の中心人物の一人であると聞き及んでいる。
そして、彼女が何者であるかも既に調査済みだ。女性であればなおさらである、とは言うまでもあるまい。
「ば、バカな……では、あの娘には神と人との血が混ざっていると!?」
「そのとおりでございます。アポロン様」
その答えは正しくない、彼女は人にして人に非ず。お茶を濁した答えに、私は少しばかり気分を害した。
正体を明かしたのであれば、素性を説明して息子を納得させてくれればいいものを。
「そのような愚行……!!」
この答えに納得がゆかないアポロンは桃先生に対して強い殺気を放つ。
しかも、そこまでにしとけばよかったものを、アポロンは怒りに任せて神気を解き放とうとした。
アポロンの神気の特性は【核】、太陽そのものだ。こんな場所で発動されては堪ったものではない。
流石に止めよう、と手を上げようとしたところで彼女は動いた。
「闇の枝」
ずるり、と彼女の陰からおぞましい大蛇が姿を現す。おびただしい数の眼球、全身に鋭い牙を備える口を持つ黒き大蛇だ。
瞬間、女神たちを中心として悲鳴が上がる。
「カロロロロロロロロロロロ……!」
黒き大蛇が威嚇音を発した。それは、本当に威嚇音であっただろうか。実際のところは分からない。
だが、行動を起こした、というのは間違いないようだ。
しゃくっ、しゃくっ。
「ううっ!?」
食われてゆく、アポロンの作り出した核の炎が意図も容易く。しかも、黒き大蛇は身動き一つしていない。動いている部分といえば、黒い身体に無数に存在する口だけである。
想像の域を超えないが、恐らくあの大蛇は目で認識したものを口を動かすだけで食らうことができるのではないだろうか。
だとすれば、これほどまでに恐ろしい存在はないだろう。
「ば、バカな……!? 私の炎が!」
これを目撃した者は彼女がいかなる存在であるかを理解した。全てを喰らう者を支配する者、古き伝承に僅かに記されている伝説の存在、【真なる約束の子】であることに。
「お痛はゆるしませんよ?」
その極上の微笑みに対して、彼女がアポロンに放つ殺気はあまりなものであった。
吹きすさぶ突風、ひび割れてゆく壁、神ですら蝕まれてゆく精神。これは邪神の持つ特性そのものではないか。
マジでこわい。この歳でちびったら何を言われるか分からない。耐えるのだ、私。
「エティル」
「あぁっ、申し訳ございません。娘のことになると我を忘れて……」
桃使いの神の一言によって、あっさりと攻撃的な姿勢を解く桃先生ことエティル。
殺気から解き放たれたアポロンはへなへなと崩れ落ち、力無く椅子へと収まった。あとで女は怒らせるなと忠告しておかなければ。
「彼女が桃使いの神の切り札か。なかなかにえげつない」
「そうだ、オーディン。彼女は本来、カーンテヒルで活躍するはずだった桃使い、エティル・カーンテヒルだ」
そして、カーンテヒル自らの手によって生み出された【真なる約束の子】でもある。その規格外の力はご覧のとおり。
地球に来てからはその力の使用を躊躇い、後方よりの支援に充てていたが、本来エティルの力が最も輝くのは戦いの中、それも最前線である。
エティルが使役している大蛇……全てを喰らう者は調べによると四匹。この時点で彼女の娘、エルティナは母を上回った。
確かにエティルはカーンテヒルが全ての能力を注いで生み出した究極の【真なる約束の子】ではある。だが、彼女にはバグが発生していた。
そのバグの原因が皮肉なことに【桃力】である事は殆ど知られていない。彼女の桃力の特性は【与】、ありとあらゆる能力を他者に与える力を持つ究極の能力。
しかし、それこそが命取り。全てを喰らう者の本質は奪うこと。即ち【奪】であるのだ。
矛盾する二つの力が魂内で拮抗した結果、究極の能力は共倒れとなり、彼女が【真なる約束の子】として存在するには困難となってしまった。
多少、能力の優れた桃使いへと堕してしまったのである。
【真なる約束の子】として存在できず、且つ桃力の特性を使えない桃使いに価値などない、そう思っていたのだが……ある日、エティルと桃使いの神が恋仲であることを知り、脳裏に一つの妙案が浮かぶ。
彼女の子に【真なる約束の子】の能力を引き継ぐことはできまいか、と。
この計画は極秘裏に決行。そして、その成果が巨大スクリーンに映し出されている。
『遂にここまで至ったか』
『うむ……我らの悲願も、そう遠くはない』
北欧の神々の主神オーディンが念話にて語りかけてきた。彼の表情は険しい。だが、それは表面上のもの。
許されるのであれば、この場で大笑いしたことであろう。私も同様に大笑いしたかったのだから。
こうも、とんとん拍子に上手く事が運ぶ、とは思ってもみなかったゆえに。
『いよいよか?【LR計画】』
『あぁ、準備は整っておるだろうな?』
『抜かりはない。いつから準備を進めておると思っておる?』
『ふっふっふ、そうであったな』
だが、油断はできない。特に桃使いの神【吉備津彦命】、エティル、そして天照大神。この三名は我らの計画に勘付いている可能性がある。
今、この計画を知られてはならない。我々は必要なのだ、あの娘が。
【真なる約束の子】……待ち望んでいたのは、おまえだけではないぞ。全てを喰らい尽す厄神カーンテヒル。
『今こそ、我ら神々が真の力を取り戻す時』
『黄昏に決別を、輝かしい未来に祝福を』
この時をもって、長い時間を掛けて練られてきた【LR計画】は遂に実行に移されたのである。
【LR計画】成就の時まで、決して死ぬことは許されぬぞ。真なる約束の子エルティナ。




