546食目 帰還せし者
◆◆◆ フウタ ◆◆◆
夜の空に明るみが差してきた頃、大賢者デュリンクがモモガーディアンズのリーダー、エルティナ・ランフォーリ・エティルが鬼の総大将アラン・ズラクティを討ち取った、との情報を戦場に流した。
全ての戦場に行き渡る吉報、あるいは凶報に我が兵は奮い立ち、鬼たちの将は混乱を極めた。既に形勢はこちらに傾いている。先ほどの情報はとどめと言ったところだろう。
だが、鬼の将は混乱しても魔導装甲兵、そして知能が低い変異種は、この情報有り無しに関わらず、こちらに激しい攻撃をおこなってきた。
勝敗は既に決しているとはいえ、まだまだ油断することはできない。
十数年戦いを共にした愛刀は、度重なる戦いに耐えられず折れてしまった。今は主を失い戦場に横たわっていた無名の剣を使い鬼を切り裂いている。
贅沢は言えないのは重々承知しているが、やはり洋式の剣は扱い難い。
「フウタ、生きてるか!?」
「えぇ、生きていますよ。アルフォンスさん」
全身を赤く染めたアルフォンス・ゲイロンが、幾つもの風の大剣を従えて駆け付けてきた。そういう俺も全身を返り血と自身の血で赤く染め上げている。
大地には中身が空になった魔導装甲と、もう動くことはない友軍の兵で埋め尽くされている。ここはまさに地獄であった。
否応なしに思い出される【魔族戦争】。だが、ここはそれよりも更に酷い。迫り来る絶望に何度ひざを折ったことか。
「もう少しです、皆さん、諦めないで!〈ワイドヒール〉!」
この治癒魔法に幾度となく命を救われた。この優しさに立ち上がる勇気をもらった。
戦場に不釣り合いな少女の声。それは暗闇に包まれた戦場であっても、尚も輝きを放ち俺たちを照らし続けた。
その少女は聖女ゼアナ。ラングステン王国の新たなる聖女だ。そのすぐ傍には彼女を守護するかのようにマーツァル副司祭、そしてデルケット最高司祭が魔法障壁を展開していた。
「ヒーラー隊は重傷者を優先! 死なせるんじゃないぞ!」
「「「おうっ!!」」」
戦場に響くヒーラーたちの呼び声、それは間違いなく希望の声。死から這い上がるための細き糸。
俺たちはその細い糸に掴まり、死という底なし沼から抜け出す。そしてまた、戦場へ赴き底なし沼に捕まるのだ。
だが、俺たちは生きている限り、何度でも死という底なし沼へ踏み込むだろう。何故なら、俺たちの後ろには護るべき沢山の命があるのだから。
俺たちがいる限り終わらせない。この世界の歴史は終わらせない。
「ダイク! もう、待てぬぞ!」
「まだ、エルティナが出てきてねぇよ、相棒!」
「ブラザー! ダイク! 流石にこれ以上は無理だYO!」
移動要塞がフィリミシアに迫る中、青き竜使いと黄金の竜は白みがかってきた空を飛んでいた。黄金の竜の鱗が光を受けて輝く。
彼らの獅子奮迅の活躍により山のごとき移動要塞は確実に歩みが遅くなっている。だが、ここにきて移動要塞の様子が変わった。
初めて聞く咆哮。その後の移動要塞はまるで別のものになったかのように感じたのだ。その証拠に澱んでいたヤツの目に光りが戻っている。
移動要塞の歩みに力強さが戻った。己の身が砕けることも厭わぬその歩み……生半可な覚悟ではない。
「まずい、移動要塞に攻撃を集中させるんだ! 大樹に特攻するつもりだぞ!!」
戦場に集結した戦士たちは移動要塞に苛烈な攻撃を加えた。吹き飛ぶ装甲、肉がそがれ鮮血が吹き出し戦場を赤く染め上げる。それは正しく血の雨と言えた。
だが、移動要塞止まらず。ただ一点に桃先生の大樹を目指し突き進む。
桃先生の大樹がやられてしまっては鬼たちが盛り返してしまう可能性がある。それだけは、なんとしてでも阻止しなければ。
「ダイク! 我らの後ろには護るべき者がいる! やるぞ!」
「くそっ……分かったよ、相棒。マイク、準備はできてるんだろうな!?」
「とっくに終わってるさ! ブラザー、やっちまいなYO!」
ここで黄金の竜が動いた。天高く空に舞い上がったのである。そして、青き竜使いと黄金の竜は太陽に匹敵するとすら思わせる輝きを放ち始めた。
「何をするつもりだ……!? だが、今は攻撃を!」
我々の度重なる攻撃により、遂に移動要塞は歩くことがやっとの状態になった。それでもヤツは大樹に向かって歩き続ける。それは意地のなせる業であろうか。
世界各国より集まった戦士たちの攻撃は苛烈を極めた。一人一人が一個師団に匹敵するとまで言われる力を移動要塞に集中した結果、動く山と言われた移動要塞を撃破寸前にまで追い詰めたのである。
だが、あと一押しが足りない。決定打が無いのだ。
「シグルドの野郎っ! エルティナが脱出してないのにおっぱじめる気か!?」
眩い光の包まれた黄金の竜を確認してアルフォンスさんが険しい表情を晒した。
だが、俺は寧ろ黄金の竜の判断を評価したい。もう既にフィリミシアは目前、これ以上は待てないのが現状なのだ。
冷酷と言われるだろうが、幾多の人の命が掛かっている。それを護るために俺たちは戦ってきたのだ。
だが、ここで俺は移動要塞から飛び出してきた何かを確認した。目を凝らしてよく見ると、それは巨大なシーハウスだったではないか。
「あ、あれは……エルティナ様だっ!」
「なんだって!? うおっ! ありゃあ、ヤドカリ君かっ!?」
城から飛び出してきたシーハウスの貝殻からは光り輝く翅が生え、薄っすらと明るくなってきた空を飛ぶ。まったくもって、彼女には驚かされることばかりだ。
「マイク、ダイク! エルティナは成し遂げた! 今度は我らの番ぞ!」
「あぁ、心をひとつに!」
「ひゃはぁぁぁぁぁっ! 最終リミッター解除だZE!」
黄金の竜が暗き世界を照らす、その大いなる輝きは戦場にいた戦士たちの動きを止め釘付けにしたではないか。
やがて、黄金の竜は輝きそのものとなり、放たれた矢のごとく移動要塞へと向かっていった。
「受けよ、我らが必殺の〈輝ける咆哮〉を!」
その輝ける矢は物理法則を無視したかのような不規則な動きで移動要塞へと向かってゆく。あまりの速さに目で追うことができない。
対して移動要塞は最後まで抵抗した。各部に設置されている大砲で迎撃を試みたのだ。もちろん黄金の竜には当たらない。だが問題はその流れ弾だ。
「まずい! あのままじゃ、大樹の根元に命中する!〈ガイアチェイン〉!」
土属性上級特殊魔法〈ガイアチェイン〉。大地を巨大な鎖とし対象を拘束し瞬時に石化させる恐るべき拘束魔法である。
威力、特殊効果それぞれに申し分ない魔法であるが、消費魔力と詠唱時間が多いため、ここぞという場面で使い難いのが欠点である。
だが、アルフォンスさんはこの欠点をエルティナ様と共同開発した特殊魔法〈スペルストック〉を用いて解決していた。
このスペルストックはいわゆる魔法の弾倉である。現在の最大ストック数は六つまでだが、上級であろうと下級であろうとストックできる特性がある。
ストックするためには〈スペルストック〉を発動後、実際に魔法を発動させる必要があるが、これらは事前におこなうことができるので、消費魔力が多い魔法を予めストックしておけば、自分の最大魔力量を大幅に超える魔法を携えて任務に赴くことができるようになる画期的な魔法だ。
「くそったれ! ストックが切れた!」
アルフォンスさんは土属性捕縛魔法〈ガイアチェイン〉で殆どの砲弾を絡め取って町への被害を未然に防いでいた。しかし、彼の魔法の弾倉も無尽蔵ではない。とらえきれなかった砲弾が大樹に迫る。
俺たちの戦いはこれで終わりではない、更なる大物がこの後に控えているのだ。ここで大樹を失ってしまっては勝機はない。
「当たる……!?」
轟音、そして炎上。だが、それは大樹ではない。大樹を庇うように飛び出してきたのは、いもいもベース。大樹の身代わりとして砲弾の直撃を受けたのである。
「無茶をする! こちらフウタだ! いもいもベース、応答せよ!」
急いで〈テレパス〉でクルーの安否を確認する。すると、少女の声で応答が返ってきた。
『ダ、ダナンがっ! ダナンがっ!!』
声の主はララァ・クレストのようだ。相当に心を乱しているのか、こちらの質問に答えられていない。何かあったことは確かだが、状況が分からなくては手の打ちようがない。
『……ラ、ララァ……通信機を寄越せ。こ、こちらいもいもベース、ダナン。艦橋にダメージ。走行不能、げほっ! わりぃ、大破だわ。げほっげほっ!』
混乱するララァに代わって状況を説明したのはダナンだった。だが、喋り方がおかしい。空気が漏れるかのように言葉を紡いでいる。
『しっかりして、ダナン! 死んじゃ、やだぁ……!!』
どうやら、相当に彼は危険な状態のようだ。早急にヒーラーを向かわせなくてはならないだろう。
「すぐにヒーラーを向かわせる! ダナン君、気をしっかり持て!」
しかし返事はない、ララァのすすり泣く声が聞こえるのみだ。急ぎヒーラーに連絡を入れる。しかし、今駆け付けることができるヒーラーなどいるのか?
「くそっ……間に合うのか!?」
黒煙を上げるいもいもベース。あそこは丁度艦橋がある部分だ。今からヒーラーを派遣しても間に合うかどうか。
今も尚、フィリミシアでは侵入してきた鬼との激しい攻防が繰り広げられていると聞く。そんな場所で駆け付けることができる手練れがいるのだろうか。
「まにあうんじゃにゃい、まにあわしぇてちまうのぎゃ、ひーりゃー」
その声は上空から聞こえてきた。幼い、とても幼い声、そして喋り方。だが、この声には覚えがある。
「エ、エルティナ様っ!?」
「ゆくじょ! しんきはっちょう!〈わいどひ~りゅ〉!」
更なる輝きがラングステン王国を照らす。それは傷付きし者を救う命の輝き。
聖女エルティナの復活、俺たちはそれを確かに確認したのだった。
◆◆◆ ダナン ◆◆◆
ドジった、これ以上ないほどにドジっちまった。
「ダナン! ダナン! しっかりして!」
ララァの励ましの声がどこか遠くに聞こえる。艦がダメージを受けた際に俺は負傷した。
落ちてきた鉄骨からララァを護るために彼女を突き飛ばし、その結果として俺だけが下敷きになったのだ。
背中に落ちた鉄骨はかなりの重量だ。背骨も内臓もやられているだろう。まともに息もできやしない。
フウタ様はヒーラーを向かわせると言ってくれたが、そこまでは持たないだろう。
「こ、これは……治癒魔法の輝き……?」
涙でくしゃくしゃになっているララァが自身に、そして俺に起こっている現状が何かを理解した。当然、俺も把握している。
エルティナの治癒魔法〈ワイドヒール〉の輝きだ。軽傷だったララァは瞬く間に怪我が癒えてゆく。だが、俺はそうもいかなかった。何よりも、この鉄骨をどうにかしない限り、完全に怪我が治る事はない。
多少痛みは和らいだが根本的な解決にはならないだろう。死に至るまでの時間が伸びたにすぎないのだ。
ララァはそのことを理解していた。鉄骨をどかそうと近くに転がっていたパイプを使用し、てこの原理を使って鉄骨をどかそうと試みる。
「ハァ……ハァ……! う、動かない!」
動かせるはずがない、女……それも少女の細腕である。
どうやら、本格的に俺はここまでのようだ。惚れた女を救えたのが唯一の救いか。
「……もういい。ララァ、おまえは……安全な場所に避難しろ。げほっ!」
「嫌よっ! ダナンから離れるなんて、いやっ!」
折角、治癒魔法で怪我が治ったというのに、彼女の手の平は血で塗れていた。パイプを無理に掴んで切ってしまったのだろう。
「ぬるぬるして上手く掴めない……!」
パイプを真っ赤に染め、それでも彼女は諦めなかった。艦橋は爆発によって炎上中だ。
いもいもベース配属の戦士たち、そしてクルーは現在、俺とララァを残し船から降りている。総員でフィリミシアに侵入してきた鬼の排除に当たっているのである。だから、すぐに駆けつけてくれる者はいないのだ。
いもいもベースの動力源であるキュウトも、ありったけの魔力をいもいもベースに供給した後に出撃した。
彼女の攻撃魔法は大きな力になるため、渋る彼女を説得して出撃させたのだ。残念ながら俺はなんの役にも立たないからここで留守番することに決めていた。
何事もなく戦いは終わるだろうと踏んでいたのだが、最後の最後に不測の事態が起こった。それがこれというわけだ。
俺も男だ、護るべきものの順序はわきまえている。わきまえていたんだが……なぁ。
「動いて、動いてよぉ!」
動くわけがない。ララァは亜人であるが、その中でも筋力が少ない鳥人タイプなのだ。
爆発音。どこからかは確認できないが、危険だという事は確認できる。このままでは折角助かる命を無駄に失ってしまうだろう。なんとか、彼女を艦橋から脱出させなくては。
「ララァ、もういい、もういいんだ」
「よくないっ!」
ララァはどうしても諦めることができないようだ。ここまで強情な彼女を見たことがない。
もし、俺にユウユウたちのような力があれば、こんな鉄骨程度は軽くどかせただろうし、ララァにも辛い思いをさせることもなかっただろう。
こんなにも力が無い事を呪った事はない。ちくしょう。
「煙が……逃げろ、逃げてくれ」
黒煙が艦橋に満ちてきた。もう残された時間はない。そう諭してもララァは首を立てには振らない。
「……ダナンがいない世界じゃ……私、生きてゆけないよ……」
最早、何も言い返せなかった。俺は選択を誤ったのだろうか? 彼女には生きていてもらいたい。だが……彼女は俺がいないと生きてゆけないという。
「……一緒に生きようよ……ダナン。ね?」
すすと涙でぐちゃぐちゃに汚れた顔でララァは俺に微笑みかけた。それを見て、俺は愚かにもようやく理解できたのだ。彼女の気持ちを。
あぁ、俺は自分の気持ちを押し付けていただけなのか。致命的じゃないか。バカだなぁ、俺。
「そうだな、ダナンがいないと面白くないもんな」
不意にララァ以外の声が聞こえてきた。もしや、幻聴? いよいよもって俺も年貢の納め時か。
「……え」
ゆっくりと持ちあがってゆく鉄骨。赤い鎧を身に纏った少年はその行為を片手でやってのけていた。
ぼやける視界と立ち昇る黒煙で、少年の顔が隠れていて素顔は確認できない。だが、声だけで十分だった。
「……おせぇよ」
「すまない」
その直後だ、数人の足音が聞こえ魔法を発動させる音が聞こえ始めた。顔に掛かる冷たい水からして〈ウォーターボール〉で消火を始めたのだろう。
「ダナン、しっかりしやがれ! 今、治してやる!」
この声はキュウトだ。なるほど、彼女なら多少無茶をしてでも駆け付けれる実力はあるだろう。流石はフウタさんだ。あとでお礼を言っておかないとな。
「……キュウト。すっかり……おまえもヒーラーしてんなぁ……」
「バカ野郎! 俺が離れている間に勝手にいもいもベースを動かしやがって! 怪我が治ったら思いっきりぶん殴ってやる!」
「お手柔らかに……頼む……」
まいった、女を泣かせるのは本当に堪える。キュウトがここまで怒るなんて思ってもみなかった。だが、事態は一刻を争う事態だったのだから。
あの時、俺は独断で桃先生の大樹に命中するであろう砲弾を、いもいもベースを盾にすることによって防ごうと思った。それは見事に成功、桃先生の大樹に届くことを阻止する。
ただ、当たり所が悪かった。装甲が薄い部分、しかも真横で受けたために艦橋にまでダメージが届いてしまったのだ。
これは完全に俺のミス、そのせいでララァまで危険な目に遭わせてしまった。
「バカ野郎……バカ……やろう」
「あぁ、ダナン……ダナン……!」
俺の頬に落ちる二人分の涙。俺は誓う、この光景を二度と繰り返しはしまいと。癒えてゆく怪我、そして和らぐ痛み。疲労も相まって意識が遠のいてゆく。
「あとは任せるよ、キュウト」
「ぐすっ……行くのか?」
「あぁ、決着を付けに」
「行ってこいよ、死に損ない!」
「行ってくる!」
赤い鎧を身に纏った青い髪の少年は艦橋を後にした。燃え盛っていた炎は駆け付けてくれたラングステンの市民たちとスライムのゲルロイドによって消火されつつある。
「帰還せし者に祝福を」
ゲルロイドは彼を【帰還せし者】と呼んだ。なるほどな、と思う。
俺を抱きしめる二人分の温もり、それは抗い難い安心感を呼び起こす。やがて、俺が意識を手放すのにさほど時間を要さなかったのは言うまでもない。




