545食目 鬼たちの遠吠えは夜空に消えた
◆◆◆ マジェクト ◆◆◆
「う、嘘だ……アラン兄貴が、アラン兄貴がっ!?」
俺は目の前のモニターに映っている映像が信じられなかった。兄貴が、俺の兄貴が負けた。能力を奪われ、搾りカス同然だったエルティナに。
「兄貴……兄貴っ! 返事をしてくれっ!」
全てが信じられなかった。エルティナが呼び出した夜空、なんの冗談かと思わず叫んでしまった。
彼女の中に入り込む膨大な数の星。破裂してしまえ、と何度となく罵倒した。
兄貴の攻撃はことごとく回避される。命中すると思っても、エルティナから飛び出してくる化け物によって無効化され、攻撃は決して届く事はなかった。
そして、エルティナが持つ光の剣が兄貴に振り下ろされる。外れろ、とどれほど強く祈ったことか。その願いは叶うことなく、彼女は俺たちのアラン兄貴を切り裂いた。
「なんで、なんでだよっ!? もう少しだったんだぞ? もう少しで俺たちの夢が、その一歩が! ちくしょう、ちくしょう!!」
悔しさで、怒りで、悲しさで、俺はコンソールを叩きつけた。自身の血で赤く染まるコンソール。痛みを感じない、俺はどうしてしまったのだろうか。
痛くない、手は……痛くないんだよ。手は。
『こちらベルカス! どうした、アランの力が感じられない! 状況を報せろ!』
「べ……ベルカス」
アラン兄貴を心酔する男、忠義の徒ベルカスの通信によって、俺は我に返った。同時に拳の痛みが蘇る。こっちはいらない要素だ。
だが、この痛みが俺に考える力を呼び戻した。いつまでも黙っているわけにはいかない。そのようなことをすればベルカスにアランの兄貴の身に何かあったことを覚られてしまう。
しかし、どうする? 良い考えが浮かばない。もう正直に伝えるべきか? いや、だめだ。そんな事をすれば、この軍は総崩れになってしまう。
マジェクト、もしもの時は頼む。
その言葉が兄貴と交わした最後の言葉となった。後悔しかない。ただ、分かったとしか返さなかったことに。
もっと、言うべきことがあったはずなのに。どうして、俺も戦うと言えなかったんだ。一人で行かせなければ、結果は変わっていたはずだ。
その一言を言う勇気が、何故……俺にはなかったんだ。なかったんだよぉ! ちくしょう!
『マジェクト! どうしたんだ!? アランは無事なのか!?』
「あ、兄貴は……」
その時のことだ。裏切り者デュリンク博士の声でとある報告がおこなわれた。それは戦場全体に行き渡る。
桃使いエルティナが、鬼の大将アラン・ズラクティを討ち取ったと。
この報告に我が軍は動揺、各戦場からは撤退、壊滅の報告が相次いだ。それはまさに氾濫した川のごとし。俺ではもうどうにもできない事態に発展したのである。
『……マジェクト、嘘……だよな?』
ベルカスの震える声。最悪だ、なんてタイミングで情報を流してくれるんだ。突然消えた兄貴の陰の力、そしてデュリンク博士の流した情報。何より、俺の態度。
もう、隠しとおせる要素はなかった。素直に伝えるしかない。
「アラン兄貴は……死んだ」
『はは、笑えねぇ冗句だ。嘘だろ? 嘘だって言えよっ!』
「……」
『嘘だって……言ってくれよぉ……!』
もう言葉はなかった。ただ、ベルカスのすすり泣く声がデスマッドニングのコントロール室に響く。しくしく、と。
「ベルカス、全軍を撤退させる。俺たちは……負けたんだ」
認めなくてはならない。俺たちは導く者を失い、この戦いに敗れた。事実はもう覆らない、覆せない。
ならば、せめて生きて明日を繋げなくてはならないのだ。
アラン兄貴の遺した、もしもの時は頼む、という言葉が俺に重たく圧し掛かった。
『負けた……だと? まだ、負けてねぇ! 見ろっ! もう、フィリミシア陥落まで一押しなんだ! もう少しなんだよ! そうだろ!?』
「ベルカス……もう、我が軍の80%が失われている。その一押しが、もうできないんだ」
そう、信じ難いことに圧倒的な兵力差で侵攻、盤石をもって戦いを挑んだというのに、最後の最後で猛反撃を受け軍は壊滅状態に陥っていた。
アランの兄貴が生きていれば、どうとでもなっただろうが、今となってはどうにもできない。風前の灯火というヤツだ。
「生きて……生きて兄貴の志を継ぐんだ! まだ、タイガーベアー様もいらっしゃる! 俺たちはやれる! まだ、やれるんだよ!」
『アランがいないのに、どうすれっていうんだ!? 俺はあいつがいるから、あいつの【夢】があるから生きてゆけたんだ! 夢から覚めちまったら……俺は生きてゆけねぇ』
「ベルカス! 夢はまた見ればいい! 俺たちならできるはずだろう!?」
『マジェクト……おまえは良いヤツだよ。どうして、おまえみたいな良いヤツが、鬼になっちまったんだろうなぁ』
「ベルカス……?」
『あぁ……今俺が見ているのは、きっと悪夢なんだろうな。それでも、俺はこの夢の中でしか生きられねぇ』
「何を言っているんだ!? ベルカス!」
『アラン……良い夢だった、良い夢だったよ。ベルカス隊、行くぞ!! 鬼の意地を見せてやれ!!』
「何を言っているんだ! 待て、返事をしろ! ベルカス! ベルカスッ!!」
それっきり、彼からの返事はなくなった。俺は兄貴に託されたこともまっとうできない男だというのか。
「ちくしょう、なんでだよ。なんでなんだよぉ……!」
視界がぐにゃりと歪む。奪われ、奪われつくされ、どん底にいた俺たちはアラン兄貴の手によって、ようやくさまざまなものを取り戻していった。
そして、住むべき場所を手に入れ、多くの仲間を手に入れた。そして遂には皆で見る【夢】をも手に入れたというのに。
「もう、俺から大切なものを奪わないでくれ! もう、いやだ……!」
失う、失ってゆく。俺の大切なものが。次々と、次々と。
やがて、爆発音が聞こえ始め、デスマッドニングの歩みすらも鈍くなってきた。あと少しで、あの忌々しい大樹に辿り着くというのに。
『カリスクだ! 増援の件はどうした!?』
通信に爆発音が混じる。彼らがいる場所は大樹の近く、もっとも抵抗が激しい場所だ。増援が遅れないとあれば、たちまちの内に鎮圧されてしまうだろう。
「……カリスク、作戦は失敗だ。兄貴は戦死したよ」
俺の報告に彼は絶句し、暫く言葉が無かった。それでもカリスクはなんとか言葉を絞り出す。
『……みじけぇ夢だったなぁ』
それは俺に対する言葉か、それとも己に対する言葉かは分からない。だが、彼にはまだ生きる気力が残っているようだった。
『話は分かった。マジェクト、俺たちはどうすればいい?』
その言葉を受けて、俺は僅かばかりの希望を見いだすことに成功する。ならば彼に指示を与えなくては。
「撤退、生きて……生きて夢の続きを見よう」
具体的な指示を出せない自分に苛立ちを隠せない。だが、現状ではこれが精いっぱいの指示なのだ。
『マジェクト。おめぇさん、強ぇなぁ』
「えっ?」
『カリスク隊、撤退だ! 包囲網を突破しろ! チグサ、もうひとがんばり頼む!』
『えぇ、もちろん』
カリスクが慰めのつもりで言ったであろう言葉、それは俺を勇気付けた。だから、俺は残存部隊に訴え続ける。撤退せよ、生きて本国へと戻れと。
この言葉を信じて、どれほどの仲間が生きて本国へ戻れるだろうか。それは分からない。
だが、俺は託された者として責任をまっとうしなくてはならないのだ。生き残った仲間と新たなる【夢】を見るために。
やるべきことを見定めた俺はデスマッドニングのコントロールを解除、移動要塞の意思を解放する。
「悪かったな、デスマッドニング。短い時間だが……あとはおまえの自由に生きろ」
デスマッドニングは俺たちのコントロールから解き放たれ咆哮を上げた。彼は自由の身になった、にもかかわらず大樹を目指す。それが己の使命であると言わんばかりに。
「すまん、そして……ありがとう」
兵器として生み出され、それをまっとうせんとするデスマッドニングの意地を心に刻み、俺は鬼戦技〈闇渡り〉を起動、向かうは戦場。一人でも多くの同胞を本国へと脱出させる。
力のない俺では、これが精いっぱいの抵抗だ。それでも、やらないよりはマシだろう。
やらなくてはならない。いや、そうじゃない……俺が、やりたいんだ。
「アラン兄貴。俺は、俺たちは……生きる」
戦場に響く鬼の咆哮は、薄っすらと明るみがかってきた夜空に吸い込まれ消えてゆく。
この日、俺たちは掛け替えの無い者と、大切な夢を失った……。




