54食目 桃力
アルのおっさん先生が上級魔法をぶっ放すまでの時間稼ぎ。これがまた、大変な作業となった。
切っても、叩いても、突いても、撫でても、再生する肉の塊……おいぃ、撫でたヤツは誰だぁ! 出てこい!
「チクショウめ! キリがないぜ!」
リックが悪態を吐くのも分かる。あと二分程なのに、それが異常に長く感じるからだ。露骨に皆の動きが鈍くなっていく。
そんな中で遂に一人のクラスメイトが触手の攻撃を受けた。
「ぐあっ!」
「ふきゅん! 大丈夫かぁ、しっかりしろぉ!」
俺は触手に見つからないように、こそこそと倒れたクラスメイトに近付き〈ヒール〉を施そうとする。
「あぁ……だが、膝に触手を受けてしまってな」
「ヒール!」
〈ヒール〉を施され、クラスメイトはとても驚いていた。ここで俺は自分がヒーラーだということを秘密にしていたことを思い出し「ふきゅん」と鳴いた。
やっちまったもんは仕方がない、それにこうなってしまっては隠しとおすことは難しい。
もう開き直って〈ヒール〉祭りを開催せざるを得ない! そらそら、治れ~!
治療を終えたクラスメイトは礼を述べ、すぐさま戦闘に復帰する。しかし、直後に別の仲間が触手の一撃を受けて転倒してしまった。
無論、すぐさま俺は倒れた仲間の下へ、こそこそと移動する。
「大丈夫かぁ!? しっかりしろぉ!?」
「だ、大丈夫よ。でも、膝に触手を受けてしまったわ」
「俺に任せろぉ!〈ヒール〉!」
やはり彼女も〈ヒール〉を行使されて驚きの表情を見せた。もちろん、もう気にしない。
再び立てるようになった、わんこな彼女は尻尾をふりふりさせながら攻撃に加わった。
しかし、またしても触手の一撃を受けて倒れた者が発生したではないか。
「ぐおっ!?」
「ゴードン! 今行くから待ってろ!」
俺はごろごろと無駄に転がりながらゴードンに接近した。
「今の行動は何か意味があるのか?」
「回避行動による無敵時間を作ったんだぁ。それより、怪我の方は?」
「あぁ、膝に……」
「了解」
執拗に膝を狙うとか……この触手は膝フェチなのか? 特殊過ぎんでしょう、こいつ。
もう、ヒール祭り、IN 膝。で疲れてきた。主に精神。
しかし、後どれぐらいの時間を要するんだ。これでは皆が持たないぞ。主に膝が。
「おい、先生よぉ! あと、どんだけ、ねばりゃいいんだ!?」
鋭いナイフを煌めかせて兎獣人のマフティが叫ぶ。
あわや直撃の触手を背面跳びで避けたのは見事の一言に尽きる。
「あと、三十秒! 耐えろ!」
「無茶を言う!」
アルのおっさん先生の答えにマフティは余裕のない返事を返すに留まった。
実際のところ、触手の攻撃が激化しているのだ。シャレにならない数の触手が縦横無尽に飛んでくる。既に防戦一方の状態だ。
「泣き言は死んでから言え! あと三十秒だろうが!」
ライオットが咆えた。余裕がないのは彼も同じだ。彼の得意とする拳法が通用しないのだから。
ぶよぶよの肉体には打撃による攻撃は効果が薄い。
「言いたい放題言いやがって、ちくしょう!」
マフティがヤケクソ気味にナイフを振るう。切り裂かれた触手から気味の悪い体液が飛び散り、彼の鬼気迫る顔を汚した。
俺もボケっとしている場合じゃない。自分の役割をまっとうしなくては。
「ふきゅん!?」
が一歩踏み出した途端に、すってんころりん、と転倒。何もないところで転ぶとか、俺はドジっ子だった……?
そんな俺に目掛けて触手さんが殺到。あらやだ、俺ってば大人気。
「そんな事考えている場合じゃねぇ!〈魔法障壁〉展開!」
が出ない。嫌な予感、たぶんそれは間違いなく……。
『魔力を使い過ぎだ! 必要魔力が足りん!』
「おう、じ~ざす」
魔力切れによる役立たずに降格した瞬間である。そして、マジに死に直面する五秒前。
過ぎ行く走馬灯は飯、飯、飯、飯、そして……おっぱい。ろくなものが流れなくて軽く絶望した。
だが、俺はまだ諦めるわけにはいかない。全ての筋肉を総動員して回避を試みる。
自分……筋肉じゃないっすから。
謀反、圧倒的……謀反! 俺の脆弱な筋肉は仕事をボイコットしてしまったのだ! ちくしょうめっ!
「かわせねぇっ!?」
「えるちゃぁぁぁぁぁんっ!!」
その時、あまりに幼い声と共に俺に向かって何かが飛んできた。そして、激突。
「げふっ!?」
俺の脇腹に激突したそれは俺と共に転がり、間一髪のところで触手の攻撃を回避することに成功する。
そして俺は脇腹の激痛で白目痙攣状態へと速やかに移行した。誰か助けてっ!
「プ、プリエナか!? 無茶をしたな!」
「こ、こわかった。こわかったよぉ」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしたプリエナは俺に抱き付いて嗚咽した。
臆病な性格をしたプリエナは、いつも誰かの陰に護られていた。決して前に出るようなタイプではない。
そんな彼女が取った大胆な行動に俺は呆気にとられたのだ。
「でも、えるちゃんがいなくなるのは、こわいよりも、いやだったの!」
「ちくしょう……たぬ子に借りができちまったな」
俺はプリエナの頭をわしわしと撫でて彼女を安心させる。大きな尻尾がゆらゆらと揺れた。安心したのだろう。
だが、いつまでもここで感傷に浸っている場合ではない。いつ、触手一行の第二弾が大挙して押し寄せて来るか分からないのだ。すぐにこの場を離れなくては。
俺はプリエナの手を握り、急いでここから離脱した。直後に元居た場所に触手が突き刺さった。
マジで幼女に容赦ねぇな、この触手。決して紳士にはなれないぜ。
さて、危機は出したものの、治癒魔法が使えない俺はただのクソザコナメクジだ。
皆の支援をしようにも有効的な手段が何一つ存在しない。いっそ、鼻くそでも飛ばしてやろうか、と考え出したところで、桃先輩から提案を示された。
それは【桃力】という、謎エネルギーを魔力に変換するというものであった。
『桃力? なにそれ、美味しいのか?』
『美味くはない。ただのエネルギーだからな』
『ふ~ん』
『少しは興味を持て。いいか、桃力とは桃使いが扱う基本的な力。ありとあらゆるエネルギーに変じる力があり、それ自体も莫大なエネルギーを持っている』
『何その素敵エネルギー』
『そうだ。桃力のエネルギーは素晴らしい。しかしだ、それゆえにつけ狙う者は後を絶たない。理由は分かるな?』
『万能だからか?』
『そうだ、これひとつで大都市のエネルギー事情を解決できるだけの可能性がある』
ご機嫌なエネルギーじゃないか。早速変換しようぜ!
『正直な話、この力はまだおまえには早い、と考えている。未熟な者が手を出してはいけないからだ』
『そんな事は言ってられない。皆が戦ってる。俺だけが安全な場所でぬくぬくなどしてられるか』
『分かっている。おまえはどうしようもない間抜けだが、その勇気を俺は高く評価している』
『ま……間抜け』
俺は精神に114514ものダメージを被った。これは訴訟問題に至る! 法廷で会おう!
『早くせんと、地獄で再会することになるぞ』
『さ~せん』
『まったく……今より、桃力の使用法、使用の際の注意点、心構えを直接おまえの脳にダウンロードする。死ぬほど痛くしてやるから感謝しろ』
『や、やさしくしてね?』
『断る』
非常なる宣告と共に膨大な知識が俺の頭の中に流れ込んでくる。不思議な感覚だが痛くはない。桃先輩の脅しは俺に対する戒めであったのだ。
しかし、ある情報が俺の頭に流れてきた途端にそれは起った。
度し難い激痛。吐き気を催す、とある記憶。黒く染まる心。怒号、悲鳴、崩れ落ちる女性を見下ろす……俺。
突き刺さる刃は【俺】を赤く染め上げる。そめあげる……。すまん、相棒。
「が……あぁっ!?」
俺は堪らず悲鳴を上げ、頭を抱えて蹲った。世界が回っているかのように視界がぐるぐる渦巻いている。目を開けていたら狂ってしまいそうだ。
『どうした、後輩!?』
「う、うぅ……ぐ、が……」
大丈夫だ、と言葉を返そうにも声にならない。
大丈夫じゃない、とでもいえと? 言葉にならない時点で却下だ。
『しっかりしろ! 何が起こった!? 痛みはないはずだぞ!』
意識がもうろうとする中、【俺】は思い出した。相棒の声だ。毎度、世話を掛けてすまん。
『すまん、大丈夫だ……桃夜』
『今……なんと言った!?』
『……ふきゅん?』
『後輩! 今なんと言ったんだ!』
『……ふきゅん、かな?』
『っ! もういい』
俺はなんと言ったのだろうか。誰かの名前だったような気もするが、思い出すことはできない。物凄い苦痛だったが、なんとか桃力の知識を手に入れることはできた。
少し混乱状態のままではあるが、この状態なんぞいつものこと。混乱に乗じて活躍せざるを得ない!
『桃先輩、考えるのは後回しだ! 今はやることをやる!』
『分かった。決して無理はするな』
『応! ユクゾッ』
俺は心の中心に存在する自身の魂に語りかける。応えた。
魂は熱を帯び始める、赤く赤く血のように赤くなる。それは勇気の色。早まる鼓動はまるで力の産声だ。抑えつける事などもうできない、俺はこの力の使い方を【思い出した】。
「桃力ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
溢れ出す魂の輝き、その色は正しく桃色。爆発的な力に驚きながらも、俺は桃力を魔力に変換し吸収してゆく。桃色から青白い輝きへと変じてゆく光景は幻想的だ。
『少し変換し過ぎたかな?』
『そうだな、溢れているからさっさと消費してしまえ』
溢れ出す魔力がもったいないので、すかさず負傷者に治癒魔法を施す。どうやら触手には毒を保有している個体も存在しているようだ。厄介な。
「あと少しなんだ、皆、死なないでくれよ」
決着の時は刻一刻と迫る。洋館での奇妙な戦いは終焉へと向かおうとしていた。