522食目 暮れ行くフィリミシア
◆◆◆ アラン ◆◆◆
日が沈みかけ、代わりに姿を現した暗闇の世界が俺たちを招き入れる。空に輝く星々はありとあらゆるものを照らす。それは生者も死者も分け隔てなくだ。
玉座の間に据えられている巨大スクリーンに映る星々は目で直に見るよりも遥かに魅力が薄かった。やはり、星は直に見上げるに限る。
俺は星が好きだ。彼らだけが、俺たちを平等に扱ってくれた。彼らだけが、何の見返りも求めることなく、俺たちを照らしてくれたのだ。
「まだ、あの樹を潰せんのか!?」
「現在、フィリミシア内部に魔導装甲兵三百と共に侵入! だが市民の抵抗に遭い大樹に接近できず! 応援求む!」
マジェクトがフィリミシアに侵入したカリスクに怒声を飛ばす。長かった戦いも大詰めだ。
しかし、ここにきてデスマッドニングの動きが急に鈍くなった。理由は明白、フィリミシアを護るように立っている巨大な樹が原因なのだ。
というのも、あの樹からは異様な量の陽の力が常に放たれている状態であり、この巨体を誇るデスマッドニングですら接近には苦労していた。
このデスマッドニングはスウェカー博士が陰の力を利用して作り上げた半生体兵器であるので、人工的な鬼である、と見なしてもいいだろう。したがって陽に力をまともに受けると不具合が発生してしまうのだ。
スウェカー博士はこうなることを予め想定していたので、デスマッドニング正面に陽の力を中和する特殊フィールド発生装置を装備させていた。
これにより、少しずつではあるが正面に特殊フィールドとやらを展開することによって接近が可能である。
「時間が掛かるな」
「兄貴、南のチグサ部隊もフィリミシアに突入した! フィリミシアが陥落するのも時間の問題だぜ!」
正面の巨大スクリーンには火の手が上がるフィリミシアが映されている。最早、こちらの勝利は揺るがないだろう。
なんてことはない……多少は手こずったが、終わってみればこんなものだったのだ。
「所詮はエルティナも、この程度のようだな。いや、搾りカスにしてはがんばった方か?」
俺はエルティナに何を期待していたのだろうか。ヤツはもう、ただの抜け殻。搾りつくされたカスだというのに。
「なんじゃい……折角、現身を苦労して送ってきたというのに出番なしとは」
「そうじゃ、そうじゃ、虎熊に許可をもらうのに、どれだけ貴重な酒を提供したと思っておるのじゃ。あぁもう、わらわの秘蔵の【鬼殺し】が……よよよ」
巨大スクリーンを退屈そうに眺めていた二人の鬼が不服を漏らす。彼らはタイガーベアー様の古くからの知人であり、ここカーンテヒルで大きな戦が起っていることを聞き付けて、はるばる鬼ヶ島本島からやってきたとのことだ。
彼らから発せられる陰の力に中てられ、マジェクトは竦みあがった。無理もない話だ、現身とはいえ……【鬼の四天王】が二人もいるのだから。
「のう、アランや。もうわしらも暴れていいかえ?」
「さよう、せめて人の百や二百を喰らわねば割りに合わんわい」
鬼の四天王、星熊童子と金熊童子は獰猛な笑みを俺に向けてきた。この笑みが本体の見せるものであれば、強大な力を得た俺とて委縮するであろうが、現身ではその効果も半減する。マジェクトには酷な話であるが我慢してもらう他にない。
星熊童子は長い黒髪に赤い瞳の女だ。かなりきつい面構えではあるが美人と言えよう。なによりもスタイルが抜群だ。惜しむらくは、あまりにも巨体過ぎて抱けないということか。おおよそ四メートルもある女など、どうすれというのだ。流石の俺も無理だ。
金熊童子は白髪の老人。押せば倒れるのではないかと思わせるほど痩せている。それはまるで枯れ木に白髪のカツラを被せているかのようだ。
だが、彼らにとって姿かたちなど意味を持たない。その気になれば幾らでも姿を変えることができるのだから。
肝心なことは彼らの大本である陰の力を見極めることにある。これを計れない者は誤った選択をし身を亡ぼすことになろう。
「ふむ……まぁ、いいぜ。あの御方からの許可があるなら、俺はとやかく言わねぇ。それに勝負はもう決したも同然だしな」
二人は俺があっさりと許可を出すとは思っていなかったのか、許可が下りた途端に目を輝かせ抱き合って喜んだ。
金熊童子からボキボキと、あまり聞きたくない音が聞こえてくるのだが大丈夫なのだろうか?
「「流石、アラン。惚れてしまうだろうが」」
「爺は簡便な」
「酷い! わしとは遊びだったのね!?」
割とノリがいい二人の鬼の四天王は仲良く出撃した。これで勝利は確実なものとなろう。
「……」
「ん? どうしたんだ、兄貴」
どうやら、俺は不満が知らず知らずのうちに顔に出ていたらしい。マジェクトが心配そうな顔を見せていた。
最近はマジェクトに心配ばかり掛けさせている。少し気を付けなくては。
「なんでもねぇよ、それより……宴の準備は整ってるんだろうな?」
「もちろんさ、これで姉貴も少しは元気が出るはずだぜ」
「そうだな」
ハーインが死んだあの日からエリスは抜け殻のような状態になってしまった。どんなに屈辱的な目に遭っても、自分の足で何度でも立ち上がってきた、あいつが。
「これで終わらせる。終わらせるんだ」
巨大スクリーンに映る陥落寸前のフィリミシアを俺は目に焼き付けた。
長い戦いもこれで終わる、暮れ行く夕日はフィリミシアそのものだ。長きに渡って栄華を誇った大国も俺たちの力によって滅びる。
恐れおののけ、俺の力に。これが、おまえらが蔑んできた者の力だ。
◆◆◆ プルル ◆◆◆
もう作戦も何もあったものじゃない。圧倒的な物量の前には作戦などないに等しいのだ。
「このっ! 倒しても倒してもキリがない!」
「泣きごとなんか聞きたくないわよ」
僕の隣で拳を振るい異形種の頭を粉砕したユウユウに一喝される。こんなどうしようもない状況なのだから愚痴の一つや二つは許してほしい。
「うわわ、魔導ライフルの弾が切れちゃった!」
「リンダさん! 弾丸です!」
リンダとメルシェ委員長も不慣れなGDを身に纏いがんばってはいるが……正直、この乱戦では足手まといになりつつある。
いけない、大切な仲間を足手まといだなんて……僕、ネガティブになってる。
「食いしん坊は!?」
「さっき、移動要塞に突撃して鳴きながら帰ってきたわ。今はゴーレムギルドで損傷したGDを直してもらっているわね」
そう、僕らの最後の突撃は失敗に終わった。アルフォンス先生やフウタ様の助力を得ても尚、失敗に終わったのだ。そして、北と南の守りも瓦解し、フィリミシアは鬼で溢れかえっている。
ここにあるのは既に希望ではなく……絶望。
「もう、ダメなのかな? 僕たちがやってきたことは無駄だったのかな?」
視界が涙で歪む、照準が定まらない。その時、僕の右頬に衝撃が走った。
「そういうのは死んでから言いなさい。貴女、まだ生きてるでしょう?」
ユウユウが情けない僕の頬を平手打ちしたのだ。戦火に照らされる彼女の横顔は諦めを知らない戦乙女。
「そうだよ! エルちゃんだって、まだまだ諦めてないんだから!」
「そうです! 別々に戦っている皆だって諦めていませんよ!」
既に満身創痍のリンダとメルシェ委員長に励まされた。先ほどまで彼女たちを足手まといだと罵っていた僕を殴り飛ばしてやりたい。
「ごめん。僕、弱気になってた。もう、諦め……」
「悪いけど、諦めてくれんかえ?」
その声は上空から聞こえてきた。その直後に振動、そして大地が陥没する。
僕らの前に降り立ったのは、巨大な女と枯れ木のような老人だった。見た目も異様だが、問題なのはそこじゃない。彼らの内包する陰の力の量だ。
「っ!? こいつらっ! 今までの連中の比じゃない!」
僕は思わず大声で叫んでしまった。それは悲鳴を無理矢理に注意を促すものに変えたからだ。少しでも気を緩めれば、へたり込んで二度と立ち上がることはできないだろう。
「ほぅ、わしらを一目見て、その認識に至るか」
「よきかな、よきかな。食い甲斐があるものよ」
黒髪の大女が巨大な拳をメルシェ委員長に向かって振り下ろした。彼女は迫り来る拳を避けることもなくただ見つめている。まさか、腰が抜けているの!?
「あらやだ、節操がないのは今もなのね?」
その拳を止めたのはユウユウだった。彼女の頭には一本の黄金の角が生えている。つまり、こいつらはユウユウが本気を出さなくてはならない相手だということ。
「んん? まさか、まさか!?」
「かかか! 茨木童子ではないか!? どうしたんじゃ、その情けない姿は」
「お言葉ね。私にして見れば、貴方たちの方がよっぽど変よ? 星熊、金熊」
まるで古い友人にばったり出会ったかのような会話。それが激しい拳の応酬をしながらでなければ微笑ましいものであっただろう。
「おおう、星熊! わしも混ぜろ! こんな機会なぞ滅多にないわい!」
「これっ! 今はわらわが楽しんでいるんじゃ、そなたはそっちで楽しめ!」
「モテる女は辛いわねぇ」
いけない、余裕のある返事を返しているけどユウユウは黒髪の大女で手いっぱいだ。今あの枯れ木に乱入されたら彼女とて危ない。
それに、あの角が出ているということは制限時間もあるということ。短期決戦に持ち込まないとこちらが全滅する。
迷っている暇はない、動け僕の身体!
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
恐怖で震える腕を無理矢理動かし、魔導ライフルの引き金を引く。狙いは、あの枯れ木老人だ。
「うぬっ!? 邪魔をするか!」
「や、やらせない……やらせはしないっ!」
僕は咆えた、竦む心を奮い立たせるために。冷え切った心を熱くするために。
「わ、わたしだって! やどりん、まだいけるよね?」
「うう、少しお漏らしを……あ、ナンデモナイデス。ワタシモガンバリマスヨ」
リンダと目が虚ろなメルシェ委員長に一抹の不安を覚えるも、ここは僕らで乗り切るしかない。他の皆は手一杯なのだから。
「そんなに死にたいのであれば、まずはおまえさん方から喰らってくれるわい」
金熊と呼ばれた老人は枯れ木のような細い手を僕らに突き付けた。
「鬼仙術〈腐化爪〉!」
陰の力が金熊の爪に凝縮されたかと思うと、それが突如として伸び僕らに向かってきたではないか。あまりにも突然だったが、僕はそれに反応して回避に成功した。
だが、GDに不慣れなリンダとメルシェ委員長はその爪の一撃を受けてしまった。
「うわっ!? きゃん!」
「あうっ!」
リンダは胸に、メルシェ委員長は右肩に爪が命中した。すると、命中箇所がぶくぶくと泡立ち嫌な臭いを放ち始めたではないか。
「貴女たち! すぐさま装甲をパージしなさい!」
ユウユウの怒声に我に返り、彼女たちはそれぞれに受けた個所の装甲をパージした。すると排除した装甲が地面に落ちるなり、形を維持できずに腐り果ててしまったではないか。
「ひっ!?」
「良い顔じゃ。〈腐化爪〉はありとあらゆる物を腐らせる魔爪。この爪でおまえらをグチャグチャに腐らせてやるわい。ひっひっひ」
危険な鬼だ、装甲があったからいいものを、もしも肉体に受ければたちまちの内に腐り果ててしまう。もしも、あの爪で身体を貫かれたらと思うと恐怖で動けなくなる。
ちらりとリンダとメルシェ委員長を見やると、やはり二人は恐怖で強張っているではないか。ここは僕がやるしかない。
「大人しくやられると思うなっ!」
「ほう、あれだけの恐怖を経験してまだ立ち向かうか。よいよい、相手になってやろう」
金熊は僕に標的を定めた、あとは僕次第。鬼とは今まで何度もやり合っているんだ。いつもどおりにやればいい。
心を燃やせ、でも頭はクールに。動け大胆に、でも攻撃は繊細に。
「しゃおっ!」
「横なぎっ!?」
突きさすだけかと思った爪は横に薙ぎ払われた。予想だにしなかった攻撃だが、何度も鬼と戦ってきた経験が活きる。僕は背面跳びの要領で爪を飛び越え爪を回避、そのまま魔導ライフルを金熊に定め引き金を引く。
「しぃ!」
けれども金熊はその身体からは想像できないほど機敏に動き、魔導ライフルの一撃を避けた。
「このタイミングでかわす!? それなら……イシヅカっ!」
『マイ・ウー』
魔導光剣の刀身をを最大出力で固定し金熊の足に投げ付けた。それはヤツの足の甲を見事に貫き、地面に縛り付けることに成功する。
その代償として、僕は受け身を取れないまま地面に激突した。口の中に鉄の味が一気に広がる。どうやら、口の中を切ってしまったらしい。
「やってくれる、小娘が!」
「墜ちろ!」
頭を打ったらしく照準が定まらない、が無視して魔導ライフルの引き金を引く。一発、二発、三発、どれか一撃当たればいい。当たって!
「しゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「なっ!?」
ヤツは高速で迫る光線を長い爪で切り裂いた。切り裂かれた光線は一瞬にして蒸発、嫌な臭いを残して消えたことから腐らされたのだろう。
「現身とはいえ、鬼の四天王、金熊童子を舐めてもらっては困る」
「お、鬼の四天王!?」
「おにぃ」
そこに、どこから湧いて出てきたのか、風のバリバリクンが現れたではないか。
「おまえさんじゃないわい。飴ちゃんを上げるから、あっちに行ってなさい」
「おにぃ」
バリバリクンは金熊童子から飴をもらい嬉しそうに走り去って行く。どう見ても祖父と孫にしか見えなかった。
突如として現れたアラン四天王風のバリバリクンに話の腰を折られてしまったが、金熊童子の話が本当ならばとんでもないヤツが相手だということになる。
果たして、僕なんかでどうこうできるのだろうか。でも、やらなくちゃならない。
僕は萎える心を叱咤し魔導ライフルを再び構えた。




