516食目 光と闇の超越者
「うそ……あれがタカアキさん?」
そこに佇む男は果たして勇者タカアキであろうか? 二メートルを超す巨躯から放たれるのは黒きオーラ。それは決して勇者が持つべき力ではない。そして、憤怒に満ち満ちた表情は、人々を導き救う者の顔ではなかった。
そう、今の彼は復讐者……勇者ではないのだろう。どうか、この現象が嘘であってほしい。
『ふぅぅぅぅぅぅ……変身、完了です』
頭部からは二本の逞しい大角が天に向かって伸び、背からは蝙蝠のような一対の大翼が生えていた。そして、その服装はいつものオタク服ではなく、魔族の王が身に纏う物。
かつて魔王コウイチロウが愛用していた黒衣を身に纏っていたのである。しかも、黒いTシャツには白字で【魔王】と書かれているではないか。
「そ、そんなっ!? 勇者タカアキが魔王にっ!?」
ミレットの口からは絶望の言葉。彼は勇者タカアキの活躍を見守ることが大好きだった。というか、生き甲斐であるかのようだったのだ。
そう……この女神たる私のお世話よりもだ。ううっ、女神様、悲しい。
「勇者タカアキが……魔族に! 何故、何故なんですかっ!」
ミレットが悲痛な声を上げた。しかし、その声は天界から地上に届くことはない。ただ、虚しくこだまするだけであった。
と、ここでまさかの出来事が起こる。その出来事に私とミレットの目が点になった。
ぽろっ。
『おっといけない、角が取れてしまいました。やはり、お米ではくっ付きにくいですね』
なんと、タカアキさんの片方の角が何の前触れもなく取れてしまったのだ。
「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!? 何それっ!?」」
私とミレットの声が重なる。ほぼ同時のツッコミであった。
そして、タカアキさんは何事もなかったかのように、取れてしまった角を拾い上げて自分の頭にぎゅむっと取り付けた。今度はしっかりと固定されたようである。
彼の満足げな表情が恨めしい。
「というか、タカアキさん! せめて、ゴム紐を使いましょうよ!? お米ってなんですか!」
「マ、マイアス様がツッコミを!? あぁ、この世の終わりだぁ」
ミレット、驚くところ違う。女神様は心に大きな傷を作ってしまったわよ?
それにしても……まさかのコスプレであった。ということは背中の蝙蝠の羽根も作り物で間違いないだろう。変なところにこだわる彼の制作物は、本物と見紛うばかりの出来で判別しにくい。しかし、彼の左腕は紛れもなく本物のようだ。
つまり、それが示すところは【魔王の左腕】。
彼が左手を大地にかざすと大地は身震いし咆哮を上げ始めた。そして、大地から黒き光が生まれだす。
やがて、その大地から溢れ出る光は意思を持つかのように、とある形を成した。それは召喚用の魔法陣。禍々しい紋様はおぞましき産声を上げ、次々と負の力を解き放ってゆく。
『おいでなさい、戦士達よ』
ぬるりと魔法陣から影が湧いて出てきた。そして、影は実体を持つに至る。
次々と魔法陣から現れしは黒衣に身を包みし戦士たち。彼らは今のタカアキさん同様に頭部から角を生やし、背から蝙蝠の翼を生やしていた。
紛れもなく彼らは【魔族】。暗黒に忠誠を誓いし闇の使徒。
その彼らが何故、タカアキさんの召喚に応えたのであろうか。彼らにとって、勇者タカアキは憎むべき仇であろうに。
彼らの王、魔王コウイチロウを葬ったのは紛れもなく、そこにいるタカアキさんなのだから。
魔族の一人がタカアキさんに頭を垂れた。それに倣い、魔族の戦士達は一斉に頭を垂れる。圧倒的な忠誠心、誇り高き魔族たちが頭を垂れるべき存在はただ一人。
『この時が来ることを、一日千秋の想いでお待ちしておりました。我らが【王】よ』
高位魔族と思われる老紳士がタカアキさんを【王】と呼んだ。私の嫌な予感はこれで現実のものとなったようだ。
『我が友、コウイチロウとの約束ですからね。今、この時を持って、私は貴方たちの【王】となりましょう、バズラー将軍』
『ははっ! 我らが王に絶対の服従を! 我らが王に仇成す愚か者に滅びを! 全軍、全力を持って敵を蹂躙せよ!』
魔族の戦士たちが咆えた。それは戦いを告げる声、それは欲望を満たさんとする声、それは……王の帰還を祝福する声。ギラギラと光るその眼は獲物たる犠牲者を探し忙しなく動く。
『魔王タカアキが命じます、敵を殲滅せよ』
底冷えするような声に背筋が凍る。嘘であってほしい、でも、まぎれもない現実。
あの優しいタカアキさんが、こんなに冷たい声を出すだなんて。胸が締め付けられるかのような思いだ。
『タカアキ様、奥方様を』
『えぇ、お願いします』
タカアキさんが女性の魔族兵にエレノア司祭を託す。託された彼女はすぐさま治癒魔法を施し始めた。腕の再生までとはいかないものの、この女性兵士の技量もかなりのものだ。
それにしても、人間であるエレノア司祭を嫌な顔一つせずに治療するとは。いったい、彼らに何があったのだろうか。そして、この原因を解明することは、タカアキさんの魔王化の謎をも解き明かすことに繋がるのではないだろうか。
この戦いが無事に子供たちの勝利に終わったら調べてみることにしよう。
『それでは……始めましょうか。血と肉と悲鳴の饗宴を』
『タカアキ様、ご出陣! タカアキ様、ご出陣!』
彼はゆっくりと一歩を踏みしめた。それは魔王としての一歩。どうして、このようなことになったのだろうか。
いや、もう考えても意味がない。彼は魔王として歩み始めたのだから。せめて、彼の軌跡を見守ることにしよう。
ズズズズズズズ……。
大地が悲しくて泣いているかのように震える。彼の一歩は大地を悲しませる一歩。しかし、彼はそれを知っても尚、その歩みを止めることはなかった。
魔族たちは今もって続々と魔法陣から飛び出してゆく。その数は既に三百を越え、尚も途絶えることはない。
鬼たちは突如として現れた魔族に攻撃を加える。魔導キャノン、魔導光剣、魔導技術の粋を集められて制作されたそれらの攻撃が、あろうことか魔族に一切通用しない。
『けけけ! なんだ、その哀れな攻撃は?』
魔族たちは、その二の腕だけで容易に魔導装甲を引き裂き、鬼たちを蹂躙し始めた。彼らに桃力が力を貸しているように見えない。寧ろ逆、桃力は彼らを【拒絶】している。
『コウゲキヲ、カイシ。コウゲ、コウゲ……ゲ、ゲゲゲ』
それは最早、一方的な蹂躙。再生三角鬼ですら魔族たちの餌食となった。明らかに異常な力である。
というのも、再生した三角鬼を屠った者はどう見ても魔族の一般兵なのだ。あり得ない。
「おかしい、いったい何が起こっているの? 魔族はあそこまで強くなかったはず。人間たちでも太刀打ちできたはずなのに、人間たちよりも強い鬼ですら歯が立たないなんて」
デスマッドニングに向かって悠然と歩を進めるタカアキさんは不意に立ち止まり、左手を握った。瞬間、大気が歪み悲鳴を上げる。
きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……!
大気の悲鳴など、いつ振りであろうか? 本来はあってはならない現象。逃げ惑う大気の精霊たちを、風の精霊達が手を繋いで懸命に逃がす。そして大地の精霊もひょっこりと顔を出し、大気の精霊の……足を掴んだ。
あ、大地の精霊ったら! 邪魔をしちゃダメでしょ!? めっ!
そんなやり取りを見守っている間に、タカアキさんは攻撃に移った。
ぼっ。
タカアキさんは【つっぱり】ではなく【拳】を形成しデスマッドニングに向けて放ったのだ。
その一撃から放たれる衝撃波は、大地を抉り立ち塞がる鬼たちを粉々に砕いてデスマッドニングに到達。そのあまりの威力に、山のように巨大なデスマッドニングが遥か後方へとふっ飛ばされた。
衝撃波はそれに飽き足らず、デスマッドニングの周辺を警護していた鬼たちを容赦なく粉微塵にしていったではないか。
『なーーーーーーーーーーっ!?』
悲鳴。しかし、その悲鳴はアランのものではない。彼の義弟マジェクトのものだ。アランは玉座に座したまま冷笑を浮かべている。
『狼狽えんな、デスマッドニングにゃ蚊ほども効いちゃいねぇよ』
『ううっ、ダメージチェック、損傷無し。分かっていてもビビるぜ、兄貴』
冷静、アランは酷く冷静であった。それは全てを喰らう者を手中に収めているがゆえの余裕か。それとも事態を見抜けない愚か者ゆえか。
『……なるほど、全てを喰らう者に【ダメージ】を食わせているのですか。どおりで硬いわけです』
『ようやく気付くとは、随分と余裕じゃねぇか』
ここでタカアキさんは挑発的な笑みを浮かべ、アランの全てを喰らう者の欠点を指摘した。
『しかし、貴方の全てを喰らう者が食べれるのは攻撃の一部のみのようですね。衝撃までは食べれていないようです』
『けっ、それで十分なだけだ。それに忘れちゃいねぇか? 俺にはあと二匹の全てを喰らう者がいるんだぜ』
『えぇ、存じ上げておりますよ』
タカアキさんは右手と左手を組み合わせ付き出した。右腕からは聖なる輝きが、左腕からは邪悪なる輝きが立ち昇り、それらは彼の拳にて混ざりあってゆく。
え? 聖なる輝き!? 魔王化したのに、どうして聖なる能力が使えるのっ!?
『光と闇、聖と邪、愛そして憎しみ。元は一つのこの力、別れたこれら力が一つになった時、どれほどのものになるか……貴方には分かりますか?』
『知るかよ、どんなに凄かろうが、俺の全てを喰らう者で食い尽すのみだ』
『では教えてあげましょう。受けなさい、〈光魔王拳・滅撃〉』
何かが放たれた。音はしない、いや違う。音は後からやってきた。破壊音? それとも衝撃音であろうか? もう何がなんだか分からない。
光と闇が交わり、悲鳴のような歓喜のような声が響き渡る。それは金切声のようにも聖歌のようにも聞こえ酷く心を掻き乱す。
『て、てめぇっ!?』
デスマッドニングは健在、しかし巨大な二本の角の一つが根元から消滅していた。居城からは三匹の全てを喰らう者が恨めしそうにタカアキさんを睨んでいる。
これはつまり、三匹の全てを喰らう者を出さなければ防ぎきれない威力だったということになる。いや、訂正しなくては。
それでも防ぎきれなかったではないか。その証拠があの折れた大角だ。
鬼側が受けた損害は甚大、デスマッドニングこそ健在であるが、タカアキさんの一撃で四万七千三百十一体もの鬼が消滅した。
そのさまを見て薄ら笑いをするのは、彼に従う魔族たち。よく見れば、彼らからもあり得ないものが立ち昇っている。それは聖なる輝き。
ま、まさか……!? でも、でも推測の域は出ない。確認をっ!
「ミレット!」
「ただいま調査中です。しかし、十中八九、あれは光の力でしょう」
ミレットの言葉に耳を疑う。魔族は闇の権化として生まれた種族。それが光の力を生み出すだなんてあってはならない。その矛盾は自己を亡ぼすというのに、寧ろ安定してしまっているという事実。
相変わらず桃力は一切手を貸してはいない、では誰が……何者が? 答えは目の前にいる彼。光と闇を従えし者、勇者と魔王を超越し君臨した異世界の青年。
光と闇の超越者【勇魔王タカアキ】。
『やはり紛い物ですね。エルティナの闇の枝なら、私の攻撃とて全て喰らってしまっていた事でしょう』
まっこい、まっこい。まっこい、まっこい。
『おや、テレパスですか。もしもし、タカアキです』
えぇっ!? 何、その着信音!? ひょっとして〈テレパス〉に着信音が鳴る機能を持たせたのかしら!?
『はい、はい、えぇ……了解しました。それでは』
彼はデスマッドニングを前にして余裕の態度を見せた。それはアランのプライドを刺激し彼を激昂させるに至る。
『ふむ、頃合いですね。王国兵は……残念です。それではバズラー将軍、手筈どおりに』
『はっ、お任せください。全軍、撤退!』
タカアキさんは魔族たちに撤退を指示。背を向けて逃走を開始した。それを見て唖然とするアランを嘲笑う。
『ふふふ、悔しかったら追ってきなさい』
『くそデブが……調子に乗りやがって! マジェクト!』
『わ、分かった! デスマッドニング、全速前進!』
撤退するタカアキさん、彼は役目を放棄したわけではない。〈テレパス〉の会話内容からして、予定よりも早く他の部隊の準備が整っただけである。これにより戦いは新たなる局面を迎えようとしていた。
最早、私が結末を予測することなどできやしない。私にできる事は見守り祈ることだけ。
願わくば……愛しき子らに勝利を。




