514食目 貸しひとつ
◆◆◆ 女神マイアス ◆◆◆
「マイアス様、遂に鬼たちがフィリミシアに到達するもようです」
ここは天界。多くの可愛らしい天使たちがせっせと地上世界のために働く職場であり、女神たる私の住居である。
澄み渡る青い空。私が天界に身を据えた際に、どさくさに紛れて入り込んだ小鳥たちの子孫が可愛らしい声で歌を歌う。
天界の地面たるふかふかの雲は、どこで寝っ転がっても優しく受け止めてくれる。そう、ここは全てが優しい世界。一部を除いて。
……ここは天界。全ての命の楽園。でも、最近はこの楽園が妙に息苦しく感じる。
主に大量のレポートのせいで。
「分かっております、この世界の命運を掛けた大戦となりましょう」
従順な僕、天使ミレットが鬼の襲来を告げた。特殊魔法〈ウォッチャー〉によって映し出されるおぞましき軍勢は行く先の命を奪い尽くしつつ前進を続け、遂に愛しき子らが住まうフィリミシアの町へと到達しようとしていた。
この鬼の軍団を率いるのはアラン・ズラクティと呼ばれる男。やけに私を敵視する人物だ。
私は敵意を向けられると、部屋の隅っこでぷるぷる蹲る性格をしているので勘弁してほしい。
「マイアス様、あの男の憎悪はただ事ではありません。いったい、何をやらかしたのですか?」
うひょう、我が子の疑いの目が痛いわ。
「まったく記憶にございません」
そう、私には彼に対する【記憶】がない。何かをすれ、と誰かに命じたこともないのだ。なのに彼は私を憎悪し敵視する。寧ろ、私にその理由を彼から説明してほしいくらいだ。
「でしょうね、そういうわけで私が調べておきました」
「えっ? このやり取りの必要性は?」
「ないです」
「おぉん」
息子が反抗期で女神様は辛いです。
ミレットはこっそりと地上に降りてアランの情報を調べ上げてくれていた。彼がもたらした情報はにわかに信じがたいものであったが、ミレットが私に嘘を吐いたことは一度たりともないので信用する。
「……私がマイアス教徒に【吸運の儀】をおこなえと指示したですって?」
「はい、私が潜入したマイアス教団支部の記録にそう記されておりました」
彼が侵入したというマイアス教団の支部は【暗部】と呼ばれており、いわゆる道を外れた者が集って出来上がった組織であるらしい。
マイアス教団の名を語り悪事を働いているそうだが狡賢く、なかなか尻尾を出さないのでデルケット君も相当に手を焼いているようだ。
「私が【吸運の儀】をおこなえと指示するわけないじゃないの。それに、吸い取った【運】はあの世にいらっしゃる閻魔様がお持ちの【収運庫】でなくては保存できないのよ?」
「はい、閻魔様にも問い合わせてみましたが、【収運庫】には新たな【運】の増加はなかったそうです」
「え? あなた、閻魔様に問い合わせたって……」
「今度、マイアス様と二人でじっくりとお話がしたい、と閻魔様はもうされておりました」
「ひぎぃ」
天空神ゼウス様を相手にするだけでもいっぱいいっぱいなのに、このうえ閻魔様とか私のストレスがマッハで胃を攻撃しだして穴が空いちゃうわ。誰か助けてっ!
「結論から言えばマイアス様は【白】、と閻魔様はもうされておりました」
「ううっ……身の潔白が証明されたのに素直に喜べない」
それにしても奪った【運】はどこにいったのだろうか? そもそも【運】を奪われて生き残っている彼も驚異的だけども。
【運】とは生きる上で最も重要なエネルギーだ。
さまざまな者たちが生きるために必要なものは、生命力だの、知恵だのと論議を交わしているが、その根底には【運】という全ての事象を左右するエネルギーがあることに気が付いていない。
確かに生命力、知恵は生きる上で必要だろう。しかしそれも【運】があってこそ得られるのだ。
圧倒的な生命力。これを得られるかどうかは運しだい。その個体がそれを獲得できるか否か、は生まれる前に【運】が決めてしまうから。
危機を回避する知恵。正しい知識があっても、それが常に正しく効果を発揮するかは分からない。イレギュラー要素はそこいら辺に転がっているもの。それを回避する力こそ【運】というエネルギーなのだ。
神であっても、その莫大な力に左右される。神話で語られる悲劇は【運】が尽きてしまったことから発生するのだ。
【運】が尽きる時、それはその個体の【死】に他ならない。
「何者かが【運】を奪って我が物にしているのであれば由々しき事だわ。彼以外からも?」
「はい、定期的に【吸運の儀】はおこなわれているようですが、いつ、どの場所でおこなわれているか特定できないのです。まるでその行為自体が無かったかのように隠蔽されております」
「隠蔽されている、ということ自体は認識できるか……厄介ねぇ」
ミレットから渡された【吸運の儀】の被験者のリストは膨大だ。この人数だと年に五十人近く犠牲になっていると推測できる。
ただでさえ人口が減っているカーンテヒルであるのに、これ以上減ってしまっては危機的状況に陥ってしまうではないか。なんとか歯止めを掛けたいところだ。
「なんとかしたいところだけど……それには、こっちを先にどうにかしないとね」
「ですね、マイアス様」
私は別の〈ウォッチャー〉の映像を覗き込む。そこはフィリミシア城の儀式の間。沈痛な面持ちのエルティナちゃんと、穏やかな表情のミレニアちゃんが映っていた。
どうやら、これから儀式をおこなう様子である。であれば、急がなくてはならない。
私とミレットは天界の儀式の間へと移動した。そこには魔法陣と雲で作った祭壇、そしてテーブルと椅子が存在していた。全部、私のお手製である。見事なものでしょう? どやぁ……。
「急にドヤ顔をなされて、いかがなされましたか?」
「うん、なんでもないわ、忘れてちょうだい」
私はションボリしながら椅子に座り、儀式に必要な道具が揃っているかどうか再点検し始めた。
「まったく、誰があんな無茶苦茶な儀式を作り出したのか。全てを喰らう者を倒すため、とはいえ酷過ぎます。ぷんぷん」
「いやいや、貴女様じゃないですか」
そう彼に指摘されるのであるが実は困ったことに、これも【記憶】にないのだ。歳による物忘れなどではなく、本当に記憶にないのである。
いったい、どういうことなのだろうか? 私の身に何かが起こっている?
いや、今は目の前の事に集中しよう。
「それはさておき、このままミレニアちゃんが犠牲になるのは我慢ができないので、なんとか頑張って地上に干渉したいと思います」
そのための儀式を私は準備しておいたのだ。必要な道具は全て揃えておいた、後は実行に移すだけ。ふふん、私もやればできるのです。えっへん。
「さて、それでは始めましょうか。彼女たちが先におこなってしまっては本末転倒ですからね……って、あら、ベア・ルファ・レスの書はどこへいったのかしら?」
肝心要の本が行方不明になっていた。おかしい、さっきまで確かにあったはずなのに。
ま、まさか!? 私をドジっ子女神にせんと企む邪神の仕業!? おのれ邪神めっ!
「あ、マイアス様の大きなお尻の下敷きになっております」
「えっ? あ、本当だ」
そうだった、忘れてはいけない、と椅子の上に置いておいたのだった。ああっ、どこからか邪神の苦情の声がっ!
なんていうか、ごめんなさい。しょぼん。
「こほん、それでは儀式を始めちゃいます」
「……心配だなぁ」
「思っていても口には出さないで。女神様、落ち込んじゃう」
辛辣な我が子に凹みつつも私は儀式を開始した。この干渉の儀式は何度もおこなっているので失敗するなんてあり得ない。目をつぶっても成功しちゃうのだから。
私は長い長~い詠唱を開始した。練習もバッチリ、後は詠いきるだけ。ね、簡単でしょう?
「囁き……詠唱……いっぷし! ずびび。ネンジロ」
「マイアス様?」
「な、なにかようかしら?」
「今……やらかしましたね?」
「ふひ~、ふひ~」
「できない口笛を吹かないで、こっちを向いてください」
やっちゃった! なんで、こういう時に限って失敗しちゃうのよぉぉぉぉぉっ!?
「じゃ、邪神の仕業よっ」
「彼女は今オフで【惑星アセルフート】へと旅行に行っているではありませんか」
「うぐぐ、ハクロウちゃんってば、肝心な時にいつもいないんだからっ!」
ハクロウは邪神であると同時に私の護衛役であり、親友でもあった。そんな彼女は現在、長期休暇を取ってアセルフートという異世界に遊びに行っている。
長期休暇といっても神々の長期とは一世紀ほどもある。つまりは、この危機的状況下でも帰ってこないということだ。なんてことでしょうか。
まぁ、彼女の場合、私以外はどうでもいい、という性格なので、人間たちのために働くという考えはないと思うが。つまり、どのみち協力はしてくれないということだ。
「あ、儀式が始まりますよ!?」
「ふひぃっ!? もう干渉する時間が無いわよっ! こ、こうなったら!」
私は手を合わせ祈りを捧げた。それはもう、めっちゃ祈った。
映像に映るミレニアちゃんが聖杯に捧げられる。その身体は光の粒に解きほぐされ、聖杯に吸収された後に真紅の液体と変じた。苦痛が無いのが唯一の救いであろうか。
『ミレニア様……』
その真紅の液体の中に、エルティナちゃんがミリタナスの指輪を浸した。すると、指輪を受け入れた聖杯が光り輝き、真紅の液体を吸収し始めたではないか。
エルティナちゃんの悲痛に満ちた表情を見ると胸が締め付けられる。何故、この子だけがこれほどまでに苦難の道を歩まされるのであろうか?
でき得ることなら、彼女の下へ馳せ参じてギュッと抱きしめて上げたい。
「この光景は、できれば見たくはなかったわ」
「マイアス様……」
これで三度目。こうならないために、今までがんばってきたのに。全ては無駄に終わってしまった。
「……」
私は本当にこの世界の主神なのだろうか。私にできる事といえば、誰かに縋り頼ることのみ。
数々の転生者をこの世界に招き頼ってきた結果が、この映像なのだ。なんという無力。
『ふきゅん!?』
映像には酷く驚いたエルティナちゃんの姿。先ほどまで泣き出しそうだった表情が一変して、驚愕のそれへと変化していたのだ。いったい何事であろうか?
エルティナちゃん同様に、驚きの表情を浮かべるウォルガング君が聖杯の中から取り出したものはミリタナスの証ではなく、一人の赤ちゃんだった。
『うー!』
元気よく手足を動かす元気な女の子の赤ちゃん。というか、どこから現れたのであろうか?
『ま、まさか……この赤ん坊は』
『ふきゅん、赤と緑のオッドアイに銀色の髪の毛。どこからどう見てもミレニア様ですほんとうにありがとうございました』
『あっぷ~』
なんと、それは赤ちゃんになったミレニアちゃんだったのだ。きっと私の祈りが天に通じたのであろう。
「私、成し遂げた」
「……いやぁな予感がします」
すると、ひらひらと頭上から紙切れが落ちてきたではありませんか。それをミレットが拾い上げ確認した瞬間に顔を顰め、それを私に渡してきた。いったい何かしら?
「えっと、なになに……貸しひとつ。by・ゼウス」
天界に私の悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。勘弁してください、本当に。
◆◆◆ 天空神ゼウス ◆◆◆
「困ります」
「開口一番にそれか。いいではないか、桃使いの神よ」
ここは【桃アカデミー・ゴッドルーム】と呼ばれている部屋。基本的に神々だけが出入りを許されている特別な部屋である。
この部屋の目的は鬼に対策を講じるためのものであるが、根本的に鬼に対する知識は桃使いたちの方が断然優れているので、ここでは彼らの戦いを見守る部屋といって差し支えはない。つまりは暇を持て余した神々が集いし場所であるのだ。
「はっはっは、相変わらず、女好きですな。ゼウス殿は」
隻眼の屈強な戦士風の男が気さくに話しかけてきた。この部屋にいるからは彼もまた神の一人である。
「久々にフェンリルの腹から出てきたかと思えば……嫌味かね? オーディン殿」
「いかにも」
「こやつめ」
彼は北欧神話の主神オーディンだ。親睦を持って幾世期になろうか?
長い付き合いであるからこそ許されるやり取り。それに安心感を覚えるのは仕方なき事であろう。互いにそれぞれの神々のトップであるがゆえに気苦労も似通っており、愚痴を語り合う内に気心が知れる仲にまでなった。
「そろそろ、戦が始まるみたいです。父上」
「うむ、してアポロンはどちらが勝つと予想する?」
異世界カーンテヒルに興味を持ったのか、息子である太陽神アポロンが珍しくこの場に参じた。妹のアルテミスは月に引き籠って何やらおこなっているようだが詳細は不明だ。
アルテミスも、たまには顔を見せてほしいものだが、娘は出不精であるため滅多に月から出てこない。父は少し悲しいぞ。
「九割方、鬼の勝利でしょう」
アポロンはピュトンなる大蛇から、人間から何を問われても答えられる能力を奪っている。神には適用されはしないが、数々の神託を授けてきた経験から導き出した答えであろう。
「ふむ、そうか。では私はエルティナが勝つと予言しようではないか」
「父上、お言葉ですが……彼女らが勝利する確率は1%もございません」
「まぁ、そうであろうな。だが、たかが1%、されど1%だ。戦は終わってみなければ分からぬ」
アポロンは特に反論はしてこなかった。私の言葉の意味を、息子はよく理解していたからだ。
「戦が始まる……」
誰に言ったわけでもない、黒髪が美しい天照大神がポツリと呟いただけ。だが、その憂いを秘めた横顔は、この場に集った男神たちをたちまちの内に虜にする。
正直な話、私も彼女をすぐにでも【お持ち帰り】したい。だが、今は我慢しなければ。
私は巨大スクリーンに映し出される人と鬼との戦を、神酒【アムリタ】を片手に見守ることにした。
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
「たまげたなぁ」
「だう~」
ミレニア様が聖杯の生贄になったかと思ったら、次の瞬間に可愛らしい赤ちゃんが『うー☆』と爆誕した。自分でも何を言っているか分からねぇ。だが、白昼夢よりも愉快な現象が起こったことは確かだ。
現在、ミレニア様はボウドスさんに抱っこされてミルクをグビグビいっている。その物凄い飲みっぷりは、仕事帰りのサラリーマンが居酒屋にて最初の一杯を飲む様によく似ていた。
「げぷっ」
「はい、よくできました」
「きゃっきゃ」
信じられるか? この二人……ほぼ同い年なんだぜ? 壊れるなぁ、年齢。
もうミレニア様はなんとお呼びすればいいのだろうか? 老赤ちゃん? 赤様? わかりません、誰か教えて偉い人。
「やれやれ、まさかミレニアが赤子になろうとはのう。これには、わしも驚きじゃわい」
一番驚いていたのが何を隠そう王様であった。俺以上に驚いていたのだから間違いない。というか……これに驚かなかったら、何に驚くというのだ。
「仕方なき事かと、ウォルガング王」
「まったくのう。珍事といっても差し支えなかろうて、ボウドスよ」
「うー!」
小さな手を王様に差し出すベビーミレニア様。王様がぶっとい指を差し出すと彼女は力いっぱい握りしめたではないか。
「分かっておる、後のことは任せておくがよい。ミレニアを頼んだぞ」
「無論でございます」
一礼をしたボウドスさんは、ミレニア様を大切に抱きかかえて退室した。それと入れ替わるように伝令兵が儀式の間に入り込んできたではないか。
「伝令! 鬼の移動要塞が接近! 一時間後に先発隊と接触するもよう!」
「いよいよか……エルティナ、全てはそなたに掛かっておる。心の準備はいいであろうな?」
「もちのロンだぜ。ミレニア様が命を懸けて授けてくれたこの剣で、未来を切り開いてみせる!」
俺は【ザ・セイヴァー】を引き抜く。そこには今までなかった黄金の刃が備わっていたのである。実体を持ってはいるが、俺が軽々と持ち上げることができるほど軽い。
しかしながら、その切れ味と頑強さは確かなものだ。大根で試し切りをしたから間違いない。
「さぁ、この聖なる【大根切り】で、全てを喰らう者を退治して差し上げるわ!」
「これこれ、【ザ・セイヴァー】じゃぞ。間違えるでない」
王様の的確なツッコミを受けた俺は、溢れんばかりの闘志を漲らせ、友が待ついもいもベースへと駆け出したのであった。




