513食目 父と子と
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
わずか半日のミリタナスの聖女の役目を終えた俺は疲労もあってか、自宅に戻ることもできずにフィリミシア城で一泊してしまった。もちろん、添い寝はミレニア様である。
俺の聖女活動は僅かな時間であった。しかし、そこには大いなる収穫があったのだ。
聖女ゼアナ、マーツァル副司祭。この二人の本当の姿を垣間見ることができたのは大きい。
ゼアナの方はスラストさんの仕込みがあったにせよ、マーツァル副司祭の姿には驚きと謝罪の念が絶えなかった。
大いなる目的のために己を殺し続けていた彼のことを悟り、つるっぱげと蔑んだ己をピシピシ引っ叩きたくなる。
おごごごご……さーせん。許してプリーズ。
「さ、おゆきなさい」
「うん、ありがとうなんだぜ。ミレニア様」
やたらと肌がつやっつやになっていた彼女に送りだされて向かう先はゴーレムギルドだ。
そこでは、今尚も急ピッチでGDと戦闘用ゴーレムが製造されていた。話しかけるタイミングすらも難しいレベルだ。
普段もやたらと威勢の良い掛け声やら怒号やらが飛ぶ工場であるが、今日は更に鬼気迫る雰囲気で満たされている。
作業スタッフはもちろん、受付嬢ですら作業服を身に纏い、機械油に塗れて一心不乱に作業に従事していた。
まさしくここは戦場、等しく彼らも戦士であるのだ。
「やぁ、食いしん坊。顔色は良くなったみたいだね」
「お互いにな」
作業着に身を包み、話しかけてきたのはプルルだ。その後ろには工具や部品をたくさん抱えたケンロクの姿。更にその奥には、やる気がなさそうに寝っ転がっているシングルナンバーズ・ファストスの姿があった。
他のシングルナンバーズは働いているぞ? もっとやる気出してどうぞ。
「いよいよ決戦だね」
「あぁ、絶対に負けられねぇ」
ハンガーに寝かされている傷だらけのGD・X・リベンジャーとGD・デュランダ。思えば、こいつらには相当の無茶をさせてきた。百に及ぶ出撃の内、まともな状態で出撃できたのは一~二回程度であろう。
すまんが、もう少しだけ俺に付き合ってくれ。X・リベンジャー。
無論、返事はない。X・リベンジャーは静かに、そこにあるのみだ。
「おぉ、来よったな」
「ドゥカンさん、ドクター・モモ」
二人で一人のマッド爺さんズが俺を出迎える。その眼の下には大きな隈をこしらえていた。相当に無茶をしている証拠である。
「ふぇっふぇっふぇ、泣いても笑っても決戦じゃ。覚悟はできておろうな?」
「もちのロンだぜ」
偵察の情報によると、アランの移動要塞は三日後にフィリミシアに到着する予定であることが判明した。それまでに、でき得る備えを残さずやっておこうというわけだ。
「そうか、ならよい。問題はワシらが間に合うかどうかじゃな」
そう言い残してドゥカンさんとドクター・モモは腰を叩きながら作業へと戻っていった。
話によると、彼らはX・リベンジャーとデュランダの追加パーツをこしらえているそうなのだが、完成までに四日ほどかかるそうなのだ。
決戦までには間に合わせたいとのことだが、恐らくは間に合うことはないだろう。ドゥカンさんもドクター・モモも殆ど不眠不休で働いている。もう、とうに限界を迎えていてもおかしくはないのだ。
「俺らにできる事は、彼らのおこないに報いることだけだ」
「うん……そうだね、食いしん坊」
俺とプルルは決意を新たにし、ハンガーに固定されている相棒たちを見つめたのであった。
◆◆◆ ライオット ◆◆◆
「うぐっ!?」
右頬に衝撃。踏ん張りがきかずにフッ飛ばされ、自宅の道場の床に叩き付けられた。三年前に親父が大穴を開けて、お袋にこっぴどく叱られた天井の大穴。それを修繕した箇所が目に入る。
「立て、ライオット」
俺を意図も容易くぶっ飛ばした男がそう告げた。
「それとも、もうへばったのか?」
「冗談だろ……親父」
震える足を無理矢理言い聞かせて俺は立ち上がった。冗談だろ、とは言ったが目の前にいる男は本当に冗談が具現化したかのような人物だ。
世界最強の格闘家と呼ばれし者、ハーキュリー・デイル。我が父親ながら本当に恐ろしい。
「ならいい」
俺も相当な修練を積んできたつもりだ。それでも手も足も出ない事に絶望する。絶望なんて今まで何度も経験してきた。
もう慣れっこだ、と開き直りつつあった自分。それを一撃で我に帰させるのが親父の拳だった。
「構えろ、一秒たりとも気を逸らすな」
「っ!」
俺は構えた、微塵の油断もなかったはずだ。だが、俺は宙を舞っていたのだ。そのことに気が付いたのは殴られた後のこと。床に叩き付けられて意識が引き戻される。
殴られたダメージよりも拳が見えなかった事の方がダメージが大きい。
「がはっ!」
「立て」
俺は再び立ち上がる。もうこれを何度繰り返してきたことか。
「ぜぇぜぇ……ま、まだまだっ!」
正直に白状すれば、俺が今まで親父に稽古付けられた事は一度もなかった。
俺の武術は全て親父の稽古する姿を真似て会得したもの。それゆえに未熟であり、不完全なものであったことは否めない。それでも俺は必死に鍛錬を続け、幾多の強敵を退けてきた。幾多の戦士たちの記憶を拳に刻ませてきた。
「がっ!?」
「立て、ライオット」
何度目か分からない床との激突。
いつ親父にぶっ飛ばされたか分からない。朦朧とする意識を無理矢理引き戻し、俺は立ち上がり構える。
そして……また、ぶっ飛ばされて床に転がった。
「な、なんで、親父の拳が見えないんだ」
事の発端は、俺が恥を忍んで親父に教えを乞うたことによる。この頃には、既に親父と俺とでは進むべき武の種類が違っていた。
親父は【剛】、そして俺は【柔】。いや、今もって柔にはほど遠いが、そうなれるように試行錯誤を繰り返して技術を身に付けていった。桃師匠という模範的な存在もあってか、俺の技術は向上し続けたと思う。
でも……それでも、俺はどこかで物足りなさ……いや、致命的な【何か】が不足していると感じていたのだ。それが何か分からなくて、悲しくて、拳を無心で繰り出し続ける。
かつてスラストさんが言った『拳は嘘を吐かない』、それを信じて、信じて、それでも信じられなくなる自分がいることに気が付いて、誰もいない場所で叫び走り続ける。それを何度も繰り返した。
「ぜぇ……ぜぇ……」
俺の覚悟はなんと安っぽいのだろうか、俺の誓いはなんと軽いのだろうか。
俺の覚悟は強敵が現れる度に容易く砕かれ、俺の誓いは護られることなく破られてゆく。
全ては俺が弱いがために、全ては……己が拳を信じきれんがために。
「立て」
「……」
もう返事を返す気力はなかった。遠ざかる意識、もういいや、と妥協する自分。
最強の格闘家である親父に、ここまで食らいついたんだ、誰も俺を悪く言う者なんて……。
「……まだ、終われない……」
居た、他ならぬ自分だ。ここで終わったら、エルティナに、仲間にどんな顔をして会うというんだ。負け犬ならぬ【負け猫】の面を見せろというのか? ふざけるな。
そして、再びぶっ飛ばされる。どうやっても親父の拳を見切ることなどできやしなかった。
「立て」
俺は分かっていたんだ。俺は強くなんてない、クラスには俺を遥かに凌駕する連中がうようよいる。クラス内での俺の強さは精々中の上、トップクラスの連中には手も足も出ずに敗北してしまう。
そんな俺が彼らと対等に付き合うには、彼らの倍以上にも及ぶ鍛錬が必要不可欠。それでも、俺と彼らとの実力差は開きつつあった。
この差はいったい、なんなんだ? 誰か……誰か教えてくれ。
「……はぁ、はぁ」
見えない、何も、見えない。
親父の拳も、自分がどこへ向かおうとしているかも。
俺は何故、武を志したんだ? 俺は何故、ここまでがんばっているんだ?
「にゃ~ん! にゃ~ん!」
シシオウの悲しい鳴き声が聞こえる。俺の可愛い息子の声だ。ごめんな、情けない姿を見せちまって。
「立て」
親父の呼びかけに応えようにも、もう身体が言う事を聞かない。指一本動かすこともままならない。
「立て」
このままじゃ、終わっちまう。最初で最後の親父との稽古が。
「……」
親父は頑なに俺との稽古を拒んだ。それは初めて親父との稽古に臨んでみて理解できた。手加減している親父の拳が【見えない】のだ。
これはつまり、親父と稽古する資格すらないという証。俺は嫌われているわけではなく稽古する資格が無かったのだ。それゆえに俺の身を案じた親父が断り続けてきたに過ぎない。
「ライオット……やはり、おまえは優し過ぎる」
どこか遠くから聞こえてくるような親父の声。もう意識が遠くへ行ってしまうかのようだ。
「誰かを傷付けることを無意識に恐れるがために迷いが生まれる。それは、おまえの目を、そして心を曇らせる」
優しさが目を曇らせる? 優しさが心を曇らせる? それは……違う。そんなことはない、そんな事があってたまるか!
「……違う、そんなことなんて……ない!」
どこから湧き上がってくるのか、腹の底から力が湧きあがってきた。拳に力が漲る。
そして気が付いた時には、既に俺は立ち上がって構えを取っていたのだ。
「ならば、証明してみせろ。これが最後だ」
親父が初めて構えた。最後と言ったように、一撃で俺の意識を刈り取るつもりなのだろう。もう、後がない。正真正銘、最後の稽古となる。
俺は全身の力を抜いた、というか入らないが正しい。よくもまぁ、こんな状態で立ち上がったと褒めてやりたい。
それでも意識はハッキリとしていた。寧ろ元気だった先ほどよりも鮮明で鋭敏になっている。
暫しの沈黙、風の音、鳥たちの鳴き声だけが道場に響く。そして、その時は訪れた。
「……風?」
親父が放つ最後の拳。今まで見えなかったその拳がハッキリと見えたのである。
「稽古は終わりだ」
そう言い残して親父は道場を後にする。もちろん、息一つ乱れた様子はない。
「押忍、ありがとうございました」
俺は道場に床に大の字になって転がっていた。もはや立ち上がる気力などない。そんな俺の腹の上にはシシオウが乗っかり、俺を心配そうに……って、寝るんかい。
流れるような動作で丸くなってしまった我が子に呆れる事となる。でも、そんな彼に救われる、と思う自分がいることも確かだ。
「何が見えた」
去り際に、親父は背を向けたまま俺に聞いてきた。だから俺は答えた。
「……風」
「そうか……迷わず進め、我が息子よ」
「……押忍」
こうして、俺と親父の最初で最後の稽古は幕を閉じたのだった。




