50食目 若さってなんだ? 暴走する事さ!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
俺に迫る巨大な拳の迫力に俺は腰砕けになった。床に情けない姿で転がるも、それが俺の命を伸ばしたのは確かだ。
硬い床を易々と貫く化け物の腕力に戦慄する。掠っただけでも俺の身体は砕けるのではないだろうか、そう思わせるほどの恐怖がそこにはあった。
化け物は再び拳を振り上げる。次はない、と暗に言っているかのようだった。
その拳が再び俺に振り下ろされた。もうダメだ。俺は恐怖に屈して目を閉じる。
だが、先にやってきたものは衝撃でも痛みでもない、何かが爆発する音であった。
続いて熱風、何事かと閉じていたまぶたを上げる。
目に映る光景は、身体から煙を上げ壁に向かって倒れ込む化け物の姿だった。
「ダナン! こっちに走れ!」
「せ…先生!」
俺の担任であるアルフォンス先生だ。彼が攻撃魔法を行使して化け物に一撃を加えたのであろう。
しかし、何故、彼がここに? いや、今はそんな事を考えている暇はない。とにかく立ち上がってここから離れなくては。
もう、化け物は視界の隅で立ち上がろうとしている。無様でも構わない、アルフォンス先生の下へ急ぐんだ!
俺は必死に走った。足がもつれ何度も転びそうになるが、なんとかアルフォンス先生の下に辿り着くことに成功した。
だが、既に化け物は俺たちに迫ってきている。身体の殆どが焼き焦げているのに元気過ぎるだろう!?
「よし、ダナン、よくがんばった! ここから離れるぞ!」
アルフォンス先生の突き出した手の中より炎の矢が放たれる。それもとんでもない数が生まれては放たれ、生まれては放たれた。火属性中級魔法〈ファイアボルト〉だ。
威力は広範囲を攻撃する〈ファイアーボール〉に対して、極々狭い範囲を攻撃する〈ファイアボルト〉は攻撃力と貫通力にアドバンテージがある。
ただし、威力がある分、消費魔力量も高いのだが、彼はお構いなしに連射していた。とてつもない魔力量だ。
だが、黒い服の化け物はお構いなしに突っ込んでくるではないか。あいつは痛みを感じないのであろうか?
「足止めにしかならんか!」
アルフォンス先生は〈ファイアボルト〉に効果がない事を悟り、別の魔法を発動させた。
「凍れる鎖よ、我が敵を戒めろ、〈アイスチェイン〉!」
水属性中級妨害魔法〈アイスチェイン〉。氷の鎖で対象を絡めた後に凍結させ、その動きを封じる魔法だ。
これは扱いが難しい魔法であり、魔法が暴発して自身が氷漬けになった先輩たちを何度も目撃している。それを容易く発動させるアルフォンス先生からは普段の頼りなさは感じられない。
「ちっ、やな野郎だ。走れ、ダナン!
悪態を吐いたアルフォンス先生は俺の手を掴んで走り出した。後ろでバキバキと音がしているのはそういうことなのだろう。
彼ほどの魔法使いであるなら上級攻撃魔法を使えるはずなのに、何故使わないのだろうか、と考えたところで俺は気付いてしまった。
俺がいるからだ。こんな狭い場所で強力な魔法を放てば、余波だけで俺が死んでしまう可能性をアルフォンス先生は予見していたんだ。なんて足手まといなんだよ、俺!
「あぁ、やれやれ。追いかけてくるのは可愛い女の子だけでいいんだがな」
「ぜぇぜぇ、激しく同意です」
軽口を叩くくらいには精神が安定している。これも頼りになる彼がいてくれるお陰だ。
呼吸がし難く、足もガクガクいっているが、あいつらに会うまでは死ぬつもりはない。
俺とアルフォンス先生は薄暗い通路を駆け抜けた。
◆◆◆ フォクベルト ◆◆◆
「これは、いったい?」
僕が負傷したヒュリティアを背負い、ガンズロックが護衛を務める。そうやって出口を目指した僕たちを待っていたのは、変わり果てた玄関ホールの姿であった。
「こりゃあ、いったい何事だぁ?」
「かなり高位の火属性魔法を使ったみたいだね。もしかしたら、アルフォンス先生かも」
玄関ホールはその全てが焼焦げており、焦げていない部分を探すのが困難である。
この玄関ホールに無数にいた亡者たちも、ことごとく姿を失っていた。
これほどの業火に耐えられるはずもなし、と結論付けた僕らは警戒しつつも館を後にした。
「もう少しで、皆の待つキャンプ場だ」
「もう少しの辛抱だぞぉ! ヒーの字!」
彼女からの返事はない。ぐったりとしているヒュリティアからは苦し気な呼吸音しか返ってこなかった。
いくらエルティナの治癒魔法が凄いからといっても、失われた血液まではどうにもならないらしい。
彼女がヒュリティアに飲ませた丸薬は血液の生産を早めるらしいが、それでも安静にしてゆっくり休ませることが必須条件だという。
とにかく、皆のいるキャンプ場へ急がなくてはならないだろう。
やがて、波の音とほのかに輝く焚き火の姿が見えた。皆の待つキャンプ場だ。
「見えたぞぉ! キャンプ場だぁ!」
ガンズロックがわざわざ口にしたのは、ヒュリティアにも分かるようにだろう。背中におぶさるヒュリティアが微かに反応した。
僕は足を速める。ようやく見えた希望だ、ここで彼女を終わらせるわけにはいかない。
様子のおかしい僕らを発見した数名のクラスメイトが駆け寄ってきた。事情を説明し、数名でヒュリティアを慎重に、でも急いでキャンプ場へと運び込む。
そして、ようやくキャンプ場に僕たちは到着した。
大した距離じゃなかったはず、それでも異常に長く感じたのは、極度の緊張状態にあったからだろう。
安全を感じた瞬間、僕はへたり込み大量の汗が噴き出してきた。呼吸も荒い。なんとも情けないものだ。
「フォクベルト! それにガンズロック! ヒュリティアも……よく無事で!」
「エドワード殿下!」
僕たちを出迎えてくれたのは、エドワード殿下だった。
彼はヒュリティアを看てくれとクラスの女子たちに的確な指示を出している。
そんな彼であったが、途端にせわしなく辺りを窺い始めた。
「フォクベルト、エルはどうしたんだい?」
「エルティナは、行方が分からなくなったダナンを探しています」
「ダナンが……それにエル自らが、かい?」
エドワード殿下は顎に手を添えると非常に厳しい表情を見せた。今まで見たことがないほど険しい。それほどまでにエルティナが大切なのであろう。
やがて、決断に至ったのか、彼はとんでもない事を口にした。
「フォクベルト、きみは消耗しているからキャンプ場にて待機。及び、ここの確保を任せるよ」
「え? し、しかし……」
だが、僕はすぐにでも館へ戻り、エルティナの手助けをしなければならない、と考えていた。確かに消耗はしているが、動けなくなるほどではない。
すぐにでも殿下に思い直していただかなくてはならないだろう。
「ふふっ、たまには僕にもエルティナの前で、【良い格好】をさせてはもらえないかい?」
殿下は目が本気であった。彼は平静を保っているが、父上の話によれば、本来は激し易い、とのことだ。
彼の全身から放たれるオーラみたいなものが僕の反論を許させない。
「御意」
僕は彼に対して反論の手段を封じられてしまった。それゆえに肯定することしかできなかったのである。
臣下は辛いなぁ。
「ありがとう、無理を言ってすまないね。でも、君たちは既に消耗しきっている。だから、ヒュリティアとここで僕たちの帰りを待っていてくれ」
彼は〈フリースペース〉から剣を取り出し腰に差した。
その様子を見ていたクラスメイトたちから待ったの声が掛かる。
「まちなっ!」
エドワード殿下に待ったをかけたのはクラスの問題児……になろうと日々努力しているおかしな少年、マフティ・ラビックスだ。
「おうおう、王子様よぉ! 食いしん坊を助けたい、って思ってんのはあんただけじゃないんだぜぇ?」
そう言って凄んでいるが、顔が可愛らし過ぎてまったく効果がない。
彼はウサギの獣人であり、艶のある黒髪をわざとボサボサにして不良少年ぽさを主張している。
鋭い目つきをしているが、気が緩むと途端に鋭さは失せ、大きくて魅力的な赤い瞳が姿を現す。
何よりも、マフティの頭からぴょこんと生える白い兎耳が、彼の努力を全てを台無しにしていた。
小柄ということもあって、女子に混じってもなんら違和感はない。
性格は、喧嘩早く、ガサツな性格だ。
だが、どういうわけか彼はエルティナに心を許している。
これは推測であるがエルティナの誰に対しても平等、という心構えからであろう。
彼女は王族や貴族にも、一般市民にも、獣人や黒エルフと言った亜人でも分け隔てなく接している。そこが彼の琴線に触れたのであろう。
「ケケケ、こんな面白れぇことを独り占めかい? 王子様よぉ」
ゴードン・ストラウフはゴブリン族の少年だ。
緑の肌に金髪を短く刈り込んだ髪、そして、常に気難しそうな表情をしている。
彼こそがこのクラスの真の問題児である。気に食わない者には容赦のない攻撃を加えてくるのだ。
だが、それも筋が通っていなければの話だ。彼は問題児ではあるが、同時に知性を持ち合わせている。
そんな彼がマフティと共に行動するのは、幼馴染という理由から、といっていたが、真相は分からずじまいである。
「……」
ブルトン・ガイウスはオーク族の少年だ。
紫の長髪、口から飛び出た牙、クラス一の大柄な体。そんな彼はとにかく無口だ。だが、決して喋れないわけではない。
彼が言うには必要な事はマフティとゴードンが言ってくれている、とのことだ。
僕の見立てでは、彼は思慮深く心配性な一面を持っているようだ。
そんな彼らはマフティを中心にしていつも行動を共にしている。当然、怒られる時も一緒だ。ブルトンはとばっちりを受けているにすぎないが。
「よーするにだ、俺たちが食いしん坊の助けに行くから、留守番してなってことさ!」
「ケケケ、そうそう。お上品な王子様の剣じゃ、助けれる者も助けられねぇ」
「………」
彼らの言葉を聞いたエドワード殿下は、激昂するであろう、と僕は予測するも、それは見事に外れた。
彼は穏やかに微笑み悠然と告げたのである。
「残念ながら譲るわけにはいかないね。エルは僕の后にするんだ。誰にも譲る気はないよ」
どす黒いとも思われる何か、突風のようなものが駆け抜けた。エドワード殿下の普段は見せない迫力にマフティは呆気にとられている。そして、ゴードンは何故か大爆笑であった。
ブルトンは無言で何かに納得したかのように頷いている。
そして、ちゃっかりおこなわれた爆弾発言。一部の者は嫉妬に狂っていた。どうするんだろう、これ。
「へ、へなちょこかと思えば、い、言うじゃねぇか! そこまでいうなら、男を見せてもらおうじゃねぇか。なぁ、おまえらっ!」
マフティはそのようにクラスメイトを焚きつけた。彼の挑発を受けたクラスメイトたちは次々に武器を取り出し武装してゆく。全員、目が本気だ。
「ふん、雑魚相手じゃ、駆け付けた時にはもう終わっているかもな」
「クスクス、最近は暴れてないから楽しみね?」
「うふふ~、腕が~鳴りますね~」
恐ろしいことに、クラスの【武闘派】と呼ばれる存在ですら戦闘準備をおこなっていたではないか。なんという、エルティナの影響力であろうか。
「えるちゃん! わたしも、おたすけするよう!」
なんということだ、戦闘能力皆無のプリエナまでが名乗りを上げた。
「あっははは! こりゃあ面白くなってきたぜ!」
この状況にあってエドワード殿下は尚も冷静さを失っていない。まるで何かに目覚めたかのようだ。
「よろしい。では、皆で行こうか。きみも来るつもりなのだろう、ガンズロック」
「とぉぜんだぁ。エルぁ、俺の妹みてぇなもんよぉ。手が掛からなくなるまではぁ、おちおち目も離せやしねぇ」
「分かった、どうやらクラスの大半が立ち上がってくれたようだね。でも、ここを留守にするわけにはいかない。負傷したヒュリティアを看る者が必要だ」
エドワード殿下はヒュリティアを看てくれているグリシーヌにそして数名の戦闘能力の高いクラスメイトに残るように願い出た。
「わ、わかったんだな。わ、私がヒュリティアを、み、見ておくんだなっ! だなっ!」
「やれやれ、か弱い子豚を護るのも騎士の務めか? オーケー、ここは任せておけ」
「すまない。頼んだよ。これより、二年八組はエルティナ及びクラスメイトの救出へ向かう。かなりの危険が伴うと思われるが恐れることなく突き進め! 出陣!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
雄叫びが上がった。それは空に浮かぶ月にまで届くかのようだ。
こうして、エドワード殿下は皆を率いて出発した。果たして僕の選択は正しかったのだろうか。
皆の戦闘能力が、同年代の少年少女と比べても桁外れである事は理解しているが。それでも、練習と実戦とではまったく違う。
「エドワード殿下……どうかご無事で」
だが、もうこんなことを考えても遅い。既に賽は投げられたのだ。後は結果を待つことしかできない。
僕は気怠い身体を奮い立たせ、せめて皆が帰ってくる場所を護ろうと決心したのであった。