487食目 ユウユウ・カサラ ~茨木童子を継ぐ者~
「ちょっと、シャレにならないでしょ!? 鬼を退治する軍団に鬼がいるだなんて! 鬼、汚い。流石、鬼、汚い。こんなこと、黄金の鉄の塊の騎士も許さないし、元桃使いの俺も許さない、ユウユウ閣下を返してくだしあ! はやくっ、はやくっ」
平静を保っていたと思われたエルティナだったが、どうやらそうではなく、この状況に情報の整理が追いつかずにフリーズをしていただけだったようだ。
彼女の成長を喜んだ俺の気持ちを返してほしい。
「ま、こんなものか……物足りないわねぇ。角が片方しかないと、ここまで弱体化するだなんて」
と己の頭部に生えた黄金の角の感触を確かめながら、ユウユウはそう不満を漏らした。
彼女の『弱体化』とはいったいなんなのだろうか? 現状でも鬼ヶ島本島に置ける『上級の鬼』となんら変わりがない能力値を叩き出している。
カーンテヒルにおいては、タイガーベアーを除いて敵無しのレベルと見ていいだろう。
「な、ななななな……!?」
カリスクは己よりも遥か上位に位置する鬼を目の当たりにして完全に腰が引けていた。
無理もない、鬼とはそもそも上下関係がとてつもなく厳しい種族だ。仮に力の無い者が上位の存在に盾突こうものなら、理由の有無なく滅ぼされてしまうのが常である。
カリスクはそれを理屈ではなく『魂』で察したのだろう。
「さて、それじゃ……私に本気を出させた『ご褒美』を上げなきゃね?」
ユウユウ……いや、『茨木童子』がその一歩を踏みしめた。この一歩に大地が震え、大気が悲鳴を上げたではないか。
なんという化け物が復活してしまったのだ。
◆ 桃アカデミー・第一リンクルーム ◆
『茨木童子復活』
この情報は即座に桃アカデミーが共有すべき情報であるが、現在において、俺は桃使いと直接リンクしている状態ではないので、現在『第一リンクルーム』で情報が止まっている。
状況が状況だ、茨木童子として復活したユウユウ・カサラはエルティナのクラスメイトであり、大切な仲間。この情報をどうするかで、彼女、そしてエルティナの行動が変わってしまう。
最悪の事態を防ぐためには……この情報を一次的に、ここで留めるのが最も賢明な選択だろうか?
「トウヤ少佐! こいつはっ!?」
この状況に反応したのはマトシャ大尉だ。彼女も茨木童子討伐に参加した桃使いの一人であり、当時の激戦を知る者の一人だ。
その戦いは死闘というには、あまりにも凄惨過ぎた。百五十人を超す、手練れの桃使いが決死の覚悟で臨み、生き残ったのは俺たちを含む僅か七名。中には当時の『木花桃吉郎』を超える戦闘能力を誇る桃使いもいた、にもかかわらずの結果。
桃吉郎が決死の覚悟で放った『桃戦技』の奥義が決まらなければ、一人残らず全滅もあり得たほど絶望的な戦いだったのだ。
「あぁ……茨木童子だ。恐らくは転生体だと思われる」
茨木童子は桃使い木花桃吉郎に退治された鬼だ。その地位は鬼ヶ島本島の中において実質的なトップ2になる。この鬼を退治したお陰で、鬼による地球の侵攻が一時的に食い止められたのだ。
桃吉郎に退治され、茨木童子は輪廻の輪の中に還ったはずだったが、僅か百数年でまさかの転生。早過ぎる、あまりにも早過ぎる。もう少し輪廻の輪の中で、ゆっくりと過ごせなかったのだろうか?
「そんな……桃吉郎が命懸けで退治したというのに、もう復活しただなんて」
当時の戦いを思い出したのか、彼女は震える身体を両腕で抑え込み、鉄仮面と呼ばれ表情が変わらないことで有名な顔を歪めた。
そのさまを見て驚くのは当時の戦いを知らないトウミ少尉だ。彼女は茨木童子討伐時にはその存在すらなかった若い桃使いである。
桃使いとは言っても『桃使い見習い』から抜け出せていない若輩者であるが。
「な、何が起こっているんですか!? この子って、ユウユウちゃんですよね!? なんで陰の力を放っているんですかっ!? はわわわわわわ……ほ、報告しないといけませんよねっ!!?」
「落ち着け、トウミ少尉、この情報はここに留める。これは第一級の非常事態だ、上層部……いや、桃大佐と直接、論議する必要がある」
俺のこの言葉にマトシャ大尉が反応した。表情からして懐疑的になっているのが理解できる。
「これは軍規違反よ? チームの連帯責任になるわ。トウヤ少佐は上層部を疑っているの?」
「……そうだ」
「狡賢くなったわね、これで私たちを拘束するだなんて」
口封じする形になって心苦しいが、今の上層部には昔と違い『異国の神々』が席を持っている。迂闊な発言は『桃使いの神』を窮地に追い込みかねない。それにエルティナのこともある。
現在、彼女は立場的に危うい状態にあるのだ。いつ『全てを喰らう者』として討伐命令が下るか分からない状況に置かれている。
能力を失っている今こそ討ち取れと声高々に叫ぶ者、様子を見るべきだと擁護する者が均衡している中、茨木童子の復活という情報は、その均衡を崩しかねない。
この異常な現象が全て『カーンテヒル』にて起こっているという事実、これは地球の神々も見過ごせない状態にまで発展していたのである。
「すまない、だが……」
「分かっているわ」
マトシャ大尉は短い問答であっても事情を察してくれたようだ。彼女とて、桃吉郎の生まれ変わりであるエルティナを大切に思ってくれる者の一人なのである。
大事になってエルティナを失うことになれば、必ず後悔することになるのは言わずとも理解しているのだ。
「あのぉ……私にも分かり易く説明ぷり~ずですぅ」
「取り敢えずは状況を見守る、桃大佐への報告はそれからだ」
「そうね」
「うわ~ん、華麗にスルーされた~!」
「あんたは黙ってモニターしてなさい」
ドスっ!
「ぴぎぃ!?」
先ほどから話に入ってこれないトウミ少尉が騒ぎ立てた結果、その大きな桃尻にマトシャ大尉のハイヒールのつま先がめり込んだ。
かなり深く刺さっていたが、大丈夫だろうか?
「はおぉん! 乙女穴が広がっちゃうぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
身体を痙攣させながらも、モニタリングに戻るトウミ少尉は以前よりも逞しくなったと思う。我々にできる事は、この情報を余すことなく収集し記録として残すことだ。
「信じるしかないか……」
俺はこれまでエルティナと行動を共にしてきた、ユウユウという少女の心を信じることしかできなかった。
彼女が本気で鬼としての本能のまま行動するのであれば、桃使いの能力を失ったエルティナ、そしてガルンドラゴンの桃使いシグルドでは太刀打ちできないだろう。
俺はモニターに映るユウユウ・カサラを注意深く見守るのであった。
◆◆◆ ユウユウ(茨木童子) ◆◆◆
うん、良いわ。この感じは久しぶりね。
およそ百年ぶりに肉体を得て復活した私は、ユウユウ・カサラという少女として生きてきた。
鬼としてではなく人間として生を受けた私は暫くの間、奇妙な違和感を感じつつも心優しい両親に見守られながら成長していったのである。
何一つ不自由はなかった、壊れ易いこの肉体以外は……であるが。己の能力に肉体が付いて行かない、まるで桃吉郎が抱えていた悩みそのものではないか、と苦笑したものだ。まったく、人間とは不便なものである。
生活に変化が訪れたのは、学校という施設に通うようになってからだ。そこには興味深い人材が多く見かけられた。特にクラスメイトとなった子供たちは磨けば光る玉だ。期待せざるを得ない。
私は退屈していた、ゴロツキを壊しても心が満たされることはない。そんな悶々とした日々を送っていたのだが、エルティナと出会ってからは奇想天外な出来事ばかりが起こって私の退屈を吹き飛ばしてくれた。
直接その出来事に参加していなくとも、彼女の可愛らしい身振り手振りを交えた会話を聞くだけで私の退屈は癒されたのだ。
転機が訪れたのはティアリ解放戦争の時、私はその場にこそいなかったが、自身の半身が解放されたことを知った。
半身は勝手に肉体を得ようとして桃使いとして目覚めたエルティナ……いえ、木花桃吉郎の転生体といった方がいいかしら? によって無様に阻止され、挙句の果てに特殊なガラスケースの中に封じ込められてしまった。
勝手に行動した報いよね。貴女はとうの昔に退治されたんだから、私に従うのが道理なのよ?
『ぐぬぬ……わらわのくせに生意気じゃ』
うふふ、今は私の時代なのよ? 過去の遺物がでしゃばるとろくな目に遭わないの。身を持って知ったでしょう?
『聞きとうない、わらわはもう寝るのじゃ。後は好きにせい』
そのつもりよ。おやすみなさい、茨ちゃん。
『言うでないわぁぁぁぁぁぁっ! うえ~ん!!』
茨木童子の黒歴史は私には通用しない、このまま行けば将来的には、かつての茨木童子くらいのプロポーションにはなるだろう。
だが、今の私はかつての茨木童子の面影は……あんまりない。
茨木童子のきつかった目元は、ママに似て垂れ目気味の可愛らしいものとなった。最早、これだけでかつての私と認識することはできやしない。勝利したも同然である。ありがとう、ママ。
ただ、髪の色が同じであることが気がかりではあるが、淑女である私が、あのような『紐』を水着と呼んで着るわけがない。やはり黒歴史など恐れるに足らないのだ。うん、きっとそう。
だ、大丈夫、大丈夫よっ! エルティナもきっと、そこのところは理解しているはず!
「……ふぅ、黒歴史なんてなかった」
思わず呟いてしまったが、きっと誰にも聞かれていないはず。取り敢えず目の前の活きの良い獲物を堪能することにしよう。
「く、クソがぁっ! この俺が臆するだと!? そんなことがあってたまるかっ!」
カリスク……とか言ったかしら? 貴方が私に与えた痛みは、なかなかに良かった。だから、ご褒美を上げるわ。それっ。
軽く踏み込む、するとカリスクの正面に移動を完了していた。身体に痛みはない、これなら茨木童子の能力の一部を使えそうだ。
「!?」
驚愕する彼を上空に向けて軽く小突く。手加減はした。だが、その一撃でカリスクは内臓をやられたようで、おびただしい血反吐を撒き散らし私を更に紅く染めた。
もう少し楽しめるかと思ったが、どうやら実力差が開き過ぎたようだ、残念。
あ、そう言えば……ママにあまり返り血を浴びてはいけない、とお小言をいただいていたわね。失念していたわ。
これじゃあ、言い訳もできないくらいに汚しちゃったから後の祭りね。我慢して怒られよう。
「ふふ、楽しませてくれたお礼に……見せてあげるわ。私の鬼力の特性をね」
「や、やっぱり、てめぇも鬼なのか!? だったら、なんで俺たちに敵対するんだよぉ!!」
「簡単なことよ、私はクラスの皆が好きなの。もちろん、パパとママがいる、この国もね」
「なっ……!? そんな理由で……ごぼっ! 鬼を……同族を!!」
もう語ることは尽きた、彼には退場願いましょうか。
「鬼力特性〈重〉! うふふ……楽しんでいってね、カリスクさん?」
私は広げた手の平から鬼力を放ち、宙に浮かび上がったカリスクを捕らえた。
「うぐっ、な……なんだこれはっ!?」
私の鬼力の特性は重力を操る能力、『ブラックホール』だって作れちゃうけど、それじゃ味気ないので、いつもは相手を押し潰すことに用いる。もがき足掻く姿を肴に一献やる時もあった。懐かしいわねぇ……。
「が、ががががががががががががっ!?」
空中でメキメキと音を立てながら縮んでゆくカリスクは見ていて楽しい。私はゆっくりと手を握る、それに合わせて彼を包み込む重力は圧縮してゆくのだ。
「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
ベキベキと骨が折れる音が聞こえてきた。これはこれで楽しいが何かが違う、と心が訴えている。茨木童子は感じなかった感情だ。
何故、このように感じるかはわからない。時間が経ったがゆえの変化か、それとも……。
「う~ん、何か違うのよねぇ……まぁいいわ。それじゃ、さようなら。クスクスクス」
モヤモヤした気持ちを振り払うかのように、私は一気に手を握り込んだ。ぐしゃりと言う音が聞こえ、カリスクの姿は消えた。
実際は圧縮して小さな肉塊になっただけなのだが……ん? 何か違和感を感じる、カリスクの鬼力が消えていない。どういうことかしら?
「鬼力、特性〈離〉! 私の能力はありとあらゆる物から『離れる』ことができる!!」
彼との戦いに水を差したのは黒髪の女だった。赤い縁の眼鏡が印象的だ。先ほど聞こえた音はカリスクの装備一式だったようだ。現に彼は半裸状態で地面に横たわっている。
そのカリスクを抱き起した女の顔は青白く血の気がない。私の鬼力を感じ取って威圧されている証拠だろう。
まったく……つまらない事をしてくれるものだ。
「が、がはっ! チグサ、俺を置いて逃げろっ! がぼっ、あいつは異常だ!!」
「もちろん逃げますよ、貴方を回収して。全軍撤退! 港まで引き上げよ!!」
この私を前にして逃げおおせようはずがない、私の能力は何も限定された狭い範囲ではないのだ。この戦場程度の範囲であれば容易に重力を操作できる。身の程ってものを教えてあげるわ。
チグサと呼ばれた女がカリスクを担ぎ上げて逃走を始めた。だが、逃がしはしない。
この茨木からは何人たりとも逃れることは叶わないのだから。
私は背を見せて逃走する彼らに向けて手を向けた。
「鬼力〈重〉……え?」
だが、鬼力が応えることはなかった。そして突然、私の黄金の角が点滅し始めたのである。やがて、その輝きを失ってしまったと同時に、私は今まで味わったことのない酷い倦怠感に襲われた。
まさかとは思うが……不完全ゆえに活動限界があるというのだろうか?
「ふん、ままならないわね」
度し難い倦怠感で身動きが難しい私は、むざむざと獲物の逃亡を許してしまった。くやしい。




