484食目 フィーザント港の戦い
◆◆◆ リオット ◆◆◆
「ふっ……まさか私たちがエルティナのために戦場に立つ日が来ようとは」
「そうですね、リオット兄さん」
私たちの部隊がいるのはフィーザントの町から五キロメートル先にある港だ。港までの道が石畳で舗装されているとはいえ、人が歩くには少し離れ過ぎている。
とはいっても定期的に馬車便が走っているので、それに乗れば行き来に不便はないそうだ。
まだ日も昇らない時間帯の港は、なんとも言えない寂しさに包まれている。それは港とは活気に包まれているのが当たり前、との固定概念を私が抱いているからだろう。
今日の潮風が妙に冷たく感じるのも、それが理由だろうか。
「この港の施設も老朽化が進んでいるな」
「フィーザントの港には古い歴史がありますからね、仕方のないことかと」
この港には大きな倉庫がいくつも建てられている。いずれも年代物で朽ちかけている物ばかりだ。基本的に使用されている物は、新しめの倉庫二~三個程度だといったところだろうか。
国王陛下もフィーザントの港の老朽化を気に掛けていたが、実際に目の当たりにすると聞き及んでいるよりも状態は悪化しているようだ。
「この戦いが終わったら、陛下に港の状態を報告するか」
「えぇ、それがよろしいかと、リオット兄さん」
私たちは大賢者デュリンクが作り出したという魔法の馬を譲り受けた。普段から乗馬しているが、この馬はなかなかの上物だと感じずにはいられなかった。欲を言えば無機質的な外見をなんとかしてほしかったが、それは贅沢というものであろう。
大賢者デュリンクはこの馬は使い捨てだと言っていたが、使い捨てるなどとんでもない、と思わせるほどに素直で俊敏な馬だ。とても魔法で生み出した存在とは思えない。
是非とも我が家に数頭ほど譲っていただきたいものだ。エルティナを乗せてやれば、きっと「ふきゅん、ふきゅん」と鳴きながら大喜びすることだろう。うん、楽しみだ。
ふと隣にいる弟のルーカスを見やると、彼は私が何も言っていないのに頷き、懐から最新式の『光画機』をチラリと見せた。流石は我が弟、よく分かっている。
「さて、そろそろ日が昇るな……私たちは上手くやれるだろうか?」
「きっと大丈夫です。それに、我々の本当の役目は敵の誘導にあります」
私たちは攻撃魔法が使え、尚且つ馬に乗れる者を二百名ほど集めて港へ赴いていた。その目的は遠距離攻撃で敵戦力を削ることと、その後に敵部隊を本体へと誘導することである。
問題となるのが、我々の攻撃が本当にドロバンス帝国に通用するかどうかだ。
竜巻の件で私たちが戦った化け物は小鬼という最下級の鬼であり、桃使いではない我々でも普通に攻撃が通る相手だったのだという。
だが、今回はそれが通用しない『本物』が相手だというのだ。
「なるようにしか、ならないか……だが、問題は私自身だな」
実を言うと、私が実戦に参加するのは本当に久しぶりであるのだ。エティル家次期当主として、さまざまな実務を経験し身に着けるために、不本意ながら戦いからはずっと離れた生活をしてきた。
訓練こそ欠かさなかったが、実戦と訓練とでは雲泥の差がある。
「リオット隊長! 敵戦艦、来ます!! 数、二十!!」
索敵兵がドロバンス帝国の襲来を告げた。朝日に照らされ向かって来る船たち、そこには罪のない人々の命を無情にも奪わんとする悪魔どもがひしめいているのだ。
でき得るならば、港に達する前に全て海の藻屑としたいところであるが……。
『各員、持ち場に就け!』
〈テレパス〉にて戦闘準備をするように伝える。距離からして攻撃魔法の有効射程距離に入るまで後十分少々といったところか。
「ルーカス、俺もだが……おまえも久々の戦場だ、油断するなよ?」
「無論です、リオット兄さん。我らの力をヤツらに見せ付けましょう」
私たちは攻撃魔法の準備を開始した。丁寧に詠唱し、威力を最大まで高めた範囲魔法を主にする。もし、敵船が木造であるならば火属性の攻撃魔法は最も効果的だ。たちまちの内に業火で船を包み込んでくれるだろう。
『敵戦艦、範囲内に入ります! 三……二……一……有効射程範囲内!』
特殊魔法〈ウォッチャー〉を使用し、敵戦艦を監視していた索敵兵が攻撃の時を知らせた。彼は索敵と同時にオペレーターも兼任する優秀な人材だ。冒険者にしておくのはもったいない。
いよいよ作戦開始だ。帝国め、目にものを見せてやろう。
『全軍! 攻撃開始!!』
私の〈テレパス〉による攻撃命令に従い、次々と放たれる火属性の攻撃魔法たち。そのおびたたしい数の炎の砲弾に晒されるドロバンス帝国の船。攻撃魔法は次々と着弾し船を赤く染め上げてゆく。
『命中! 敵戦艦、八、炎上!』
『やはり木造だったか! いいぞ! 攻撃の手を緩めるな!』
尚も攻撃の手は緩めない。数を減らせれば、それだけ本隊の消耗も減らすことができるからだ。
だが、そろそろ敵戦艦の攻撃射程範囲に入る頃だ、防御も考えなくてはならない。
『……敵船一、撃沈! 敵戦艦からの砲撃きます!』
『弾地点を予測!〈魔法障壁〉多重展開! 急げ!』
『着弾予測……107地点!〈魔法障壁〉展開せよ!』
着弾地点を予測し外れるのであれば無視するところだが、残念なことに着弾地点は自軍の兵が密集している場所であった。
そこで数人単位で魔法障壁を展開し、エルティナが得意としていた〈魔法障壁〉の多重展開を試みさせる。それは見事に上手く発動し、索敵兵の読み通りの場所へと砲弾が着弾した。
『着弾! 被害軽微!』
砲弾は魔法障壁に阻まれ爆発、どうやら中身は〈ファイアーボール〉だったようだ。数人が爆発の余波で火傷を負ったが、すぐに衛生兵が治癒魔法で治療を施した。
基本的に攻撃魔法は距離間隔が開けば開くほど威力は衰えてゆく、そこで考え出されたのが砲弾内に攻撃魔法を詰め込んで大砲で打ち出すというものだ。これならば着弾時に最大威力の攻撃魔法が炸裂する。
ただ、それでは個人が使用するには不便な上、数を揃えることも大変なので、相変わらず戦場での主流は兵士の数を集めての集団攻撃魔法の発動であった。
「やはりエルティナは天才だったか。この多重魔法障壁の性能は使える」
「見事なものですね、我が妹ながら戦いのセンスは我々を凌駕しているかと」
「まったくだ。あの柔軟な考え方を見習いたいな」
攻撃から三十分、遂にドロバンス帝国軍が港へ辿り着いてしまった。敵船四隻を沈める戦果に、まあまあの手応えを感じた私は撤退の準備をしつつ迎撃をするように指示。
次々と下船してくる黒い甲冑の兵士に混じって、異形の存在がその姿を我々の前に晒した。
「な、なんだ、あいつは……!?」
戦場の温度が急激に低下したように感じた。実際には、そのようなことはない。その異形の存在が我々に向ける殺意……それが私たちの本能を呼び覚ましたのだ。あれと戦ってはいけない早く逃げろ、と。
その本能は極めて正しい判断だろう、だが……我々は逃げ出すわけにはいかないのだ。最低限の役目を果たさなくてはならない。
『攻撃! 接近を許すな!!』
異形の存在が動いた。黒い兵士が着ている魔導装甲と同じ物と思われるが、異形の存在はそれが所々破損、全壊している。恐らくはあの異常な筋肉によるものだと判明するまでには時間が掛からなかった。
「ぎゃあっ!」
「っ!? 早いっ!!」
油断……! 異形の存在は三十メートルの距離を一瞬で詰め、私の隣にいた冒険者の乗る馬の頸を一撃で刎ねたのである。その衝撃で馬に乗っていた冒険者が落馬し昏倒した。
私は急いで剣を抜き冒険者のカバーに入る、指揮官を任されてはいるが目の前の命を見捨てるほど冷徹になれはしない。
「かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うぬっ!」
異形が私の攻撃に反応し右手を突き出した。その手の指は二本しかない。だが、恐ろしく太く、その先に生えている爪はまるで槍の穂先のように鋭い。こんな爪にやられてしまっては命がいくつあっても足りないだろう。
ガキンッ!!
「えぇい! 硬い!!」
私の剣をその異形は手で受け止めたのだ。だが、剣はその姿を保っている。これは我らの攻撃は通用するという貴重な情報だ。
「がふっ! かふふっ!!」
一瞬の隙を突く形で異形が私に対して噛み付きをおこなってきた。
だが……甘い。
「舐められたものだ……ぬぅん!!」
実は私は剣は得意な方ではない、体裁を保つために使用しているのだ。私本来の戦闘スタイルは己の肉体を用いた格闘にある。
噛み付きをするために開けた口は攻撃をしてくれと言っているようなものだ。その防御の脆くなった顎に目掛けて拳をアッパースイングする。
骨が砕ける音、そして歯……いや、牙を撒き散らしながら異形は吹っ飛んでいった。
「ふむ、少しばかり衰えているな……これは鍛え直しが必要だ」
私は顎から頭部を粉砕するつもりで放ったのだが、下顎を粉々にするに留まってしまった。まことにもって遺憾である。
だが、衝撃で脳震盪を起こして立ち上がることはできないはず、今の内に冒険者を救助して撤退することにしよう。
「しっかりしろ」
「うう……」
昏倒した冒険者を私の馬に乗せ撤退しようとした矢先のことだ。先ほど下顎を粉砕した異形がもう立ち上がって飛びかかってきたではないか。
まずい、今私が避ければ冒険者に攻撃が直撃してしまう! どうする? 受けるか? いや、迎撃を!
「リオット兄さん!」
ゴゥンっ!! という爆発音と共に、飛びかかってきた異形の頭と右腕が吹き飛び、その衝撃で地面に叩き付けられた。
だが頭部を失った異形は息絶えることなくすぐに立ち上がり、残った左腕を滅茶苦茶に振り回し始めたではないか。
「無茶をする! この距離で〈フレアジャベリン〉を発動するとは!」
「申し訳ありません、ですが並の魔法では倒せないと判断したのです」
火属性上級攻撃魔法〈フレアジャベリン〉、炎の精霊を凝縮し炎の槍を形成する上級攻撃魔法だ。
炎の槍は直接武器として使え、投げ付けて相手に突き刺されば内部から焼き尽くせる強力な遠距離攻撃にもなる。ただし扱いが非常に難しく、また素質もA以上が求められる。習得してもまともに扱えるかどうかは別の話になるため、使い手は非常に少ないことで有名だ。
「しかし……なんという生命力だ。頭部を失ってもまだ戦意が衰えないとは」
こんな化け物を相手に私たちは戦いぬくことができるのだろうか? いや、これは私が考えることではないな。今、私たちは任務を全うすることだけを考えればいい。
「リオット隊長! 被害増大! このままでは……!!」
戦場は一気に混乱を深めた。異形の存在のこともあるが、魔導装甲兵も尋常ではない強さだ。魔法が受け付けない上に『重力フィールド』を展開されては物理攻撃も効果が薄い。
「少し、撤退命令が遅れたか……不覚」
索敵兵の報告を受け、私は即時に撤退命令を出した。このままでは貴重な兵を全て失いかねない。
『総員撤退急げ! ある程度距離を保ち本隊へと引き付ける!!』
続々と船から降りてくる異形の数に寒気を感じる。寧ろ、魔導装甲兵の方が少ないくらいだ。
この異形の数……本隊の戦力であっても太刀打ちできるかどうか。だが、我々は負けることが許されない。
『敵に捕まるな! 距離感覚に注意せよ!』
私たちの部隊は撤退した。後は本隊と協力し、この恐るべき敵と対峙しなくてはならない。
果たして、我々はこの強大な悪魔どもを相手に勝利を収めることができるのだろうか。