479食目 ガッサーム・レパルトン
ミリタナス神聖国『聖光騎兵団』の生き残り、そして勇者サツキをモモガーディアンズに迎え入れた俺は更なる戦力の増加に邁進していた。
七月に鬼たちは必ずラングステンへと侵攻を開始するだろう。たとえアラン自身が攻め込んでこなくとも、ヤツには強力な部下が数多く存在している。
よって、取り敢えず部下を先鋒として送り込んでくる可能性が高い。
「ふぅ、今日もお日様がハッスルし過ぎだぜ」
今日もフィリミシアは快晴だ。時折〈フリースペース〉より、冷た~い麦茶入りの水筒を取り出し、グイッと喉に流し込む。
今日の目的地は冒険者たちが屯する露店街の酒場『レッツバーボン』だ。この店は売りであるバーボンが他店よりも安く飲めるのだが……なんと、この店はバーボン以外を出さない。つまみも他の酒も売っていないのである。
その代り持ち込みが許可されているので、露店街で販売している料理を数品買い漁り、持ち込んでバーボンと合わせるのが冒険者たちの楽しみとなっていた。
俺は西部劇の酒場のような佇まいの店の前に立つ。いつかはここで酒が飲みたいものだ、と心に想い少しくたびれた感じのする扉を押して店内に入った。
店内に入ると、むせかえるような漢の匂いが鼻腔に流れ込んできた。匂いで分かる、歴戦の兵たちのその実力が。こんな連中がフィリミシアでだらだらと惰眠を貪っているのである。これを放っておく手はない。
「ここはガキの来るところじゃねぇぞ、エルティナ」
タキシードを身に纏い、グラスを磨いていたダンディな中年紳士が俺に対して注意した。
店内に入ってくるところを見られた感じはなかったはずだが、この店の店長マーカス・ボンジーヤは店内に入ってきた俺をしっかりと把握していたのである。
「まだ酒は飲まないさ、店長。今日はここの漢たちに用があってきたんだ」
「ふん……」
マーカスは俺の言葉を聞くと手にしたグラスを磨く作業に戻った。何も言わない、ということは『好きにしろ』ということである。
俺は酒を飲むことはしなかったが、この店の雰囲気が好きだったので、たまにアルのおっさん先生に随伴し店の雰囲気を堪能していたのだ。
だからこそ分かる、ここの客である冒険者たちの質の高さを。いずれもBランク以上の実力を持つ猛者ばかりだ。だが、彼らは実力に見合うクエストに恵まれていなかった。いつも退屈そうに、ここでバーボンを浴びるように飲む毎日を過ごしていたのである。だからといって、その腕が錆びることはなかった。
たまたまではあるが、俺はここで出会ったとある冒険者が町の外で無心に剣を振るう姿を度々目撃している。その顔は必死……否、修羅のごとき表情に染まっていたのだ。
己の力を活かすことのできない葛藤ゆえに剣を振り続けるしかない。荒事にしか活躍できない事を自覚し、それが無いがために日夜、酒を飲んで紛らわせる自分に対しての戒めとも取れる行為。
この町の冒険者たちは、その葛藤に苛まれていた。
確かにラングステンを離れれば、幾らでもクエストはある。だが、縄張りというものが冒険者たちの間にはあるらしく、余所者は美味しいクエストにはありつけないらしいのだ。
また、アルのおっさん先生に聞いた話によると、彼らは『フィリミシアの冒険者』にこだわる節があるそうなのだ。
彼に言わせれば、それは『呪縛』に過ぎないと断じたが、俺には彼らの気持ちが分かる気がした。
俺は靴を脱ぎ空いていたテーブルの上に立ち、俺と共に鬼に立ち向かうことを願い出た。真昼間だというのに彼らは酒を飲み退屈そうにしている。
その中に一人、体格の良い男がコップをコトリとカウンターに置き俺に問うてきた。
「話は分かった、それで鬼とやらと戦って俺たちが得る物はなんだ?」
今まで、なんの反応も示してくれなかった冒険者たちが俺と交渉の場に就いたと考えるべきだろう。
彼らは命を張って危険な依頼を遂行し生活するための賃金を獲得する。当然、彼らには相応の報酬を用意してあった。
資金源はジェフト商店や匿名の協力者たちからの提供もあり、五百人程度であれば十分に賄える。フィリミシアに滞在する冒険者はおよそ三百六十名ほどと聞き及んでいた。よって、共に戦ってくれるのであれば、彼らを納得させるだけの報酬を与えることができるだろう。
今回の依頼の危険度と報酬額を彼らに提示した。だが、彼らは良い顔をしなかったのである。
「それっぽちじゃ足りねぇな、他を当たってくれ」
どうやら、足元を見てきたようである。だが、今の俺にはこれ以上の報酬を与えることはできない。そのことを踏まえて更なる交渉を試みたが、彼らの反応は悪くなる一方であった。
どうやら、フィリミシアで長いこと燻ぶっていた彼らは疑い深くなってしまっているようだった。それでも俺は諦めるわけにはいかない、粘り強く説得を続けた。
「はっはっは、確かに足りねぇな。鬼相手にやり合うにはあまりに割りに合わねぇ」
交渉が平行線に入りかけた頃、店内の隅のテーブルにに座っていた冒険者が静かではあるが店内に行く届く声を上げた。まるで飢えた野獣のごとき風貌の漢、ガッサーム・レパルトンである。
彼は敗戦後、俺と共にフィリミシアに転移してきたのだが、そのままフィリミシアに滞在を続けていた。きっと再び俺が立ち上がる、と信じて待っていてくれたのだろう。
「鬼は強ぇ、理不尽の塊さ。特別な攻撃方法が無ければダメージを負わせるどころか、こちらが致命傷を負いかねねぇ。そんなヤツが大挙して、ここに押し寄せてくるんだ。少ねぇ報酬だよな?」
彼はまるで俺を煽るような発言を繰り返している。俺はそれに対して沈黙を守った。何故なら、彼はそのようなことを考えなしに言うような漢ではないと信じていたからだ。
不甲斐なく惰眠を貪っていた俺を信じて待っていてくれていた。だから俺もガッサームさんのことを信じ、その言動を見守る。
冒険者たちから「そうだ、そうだ」とヤジが飛び始める。ガッサームさんは完全に冒険者たちの注目を集めていた。その様子を見て彼はニヤリとほくそ笑み言った。
「でだ……そんな鬼が攻め込んで来たら、おまえらはどうするんだ?」
「えっ?」
急に話を振られた冒険者たちは動揺した。ガッサームさんは俺を口撃していたはずなのに、いつの間にかその対象が冒険者たちに変わっていたからだ。
「さっき言ったとおり、鬼は強ぇぞ。チーム単位で戦いを挑んでも返り討ちに遭うだろう。俺らみてぇにな」
ガッサームさんの冒険者チーム『野獣の牙』はラングステンにも名が知れ渡っていた。そのリーダーである彼があっさりと敗北を認めてしまったのだ。それによって冒険者たちは更なる混乱に陥った。
「ここがやられちまえば、もう鬼に対抗する手段はない。後は鬼に世界を食いつぶされて滅亡を待つだけさ。そんな状況になっちまえば、金なんてかさ張るだけのお荷物になっちまう」
「そ、それは……」
ここに至り、冒険者たちは今自分たちが置かれている状況に気が付いたのだ。彼らの中には小鬼と戦った者もいるだろう。だが、小鬼は桃力なしでも倒せるのだ。
ここに攻め込んでくるであろう鬼たちは小鬼の比ではない。圧倒的な攻撃力と防御力を備え、桃力という特別な力なくして対抗することができない最凶最悪の軍団であるのだ。
「なぁ、おまえらは、なんで冒険者なんてもんをやってるんだ?」
誰も彼の問い掛けには答えない、答えられないのだろう。
「俺は戦うのが好きだからさ、仲間たちと一緒に強敵と戦って、戦って、戦う! 勝って報酬を得れば、それを元手に高い酒を浴びるように飲む。負ければ安い酒を片手に反省会だ」
ガッサームさんのその言葉に冒険者たちは顔を歪ませる。失われた熱の中にあった光景、それが冒険者たちの胸を締め付けているのだろう。
「別に戦うだけが冒険者じゃない、皿洗いを頼まれることもあるし、爺さんの護衛を任される時だってある。猫探し、なんてのもやった。そうさ、基本的に冒険者なんてただの便利屋、英雄になんてなれやしない。おとぎ話にある英雄になんて……なれやしないんだ」
冒険者たちの中には話を聞きながら酒を飲んでいる者もいた。その眼には光るもの、きっと英雄を夢見て挫折を喫したのだろう。
ガッサームさんの言葉は真に迫るものがあった。それは彼が経験してきたことを包み隠さず話しているからだ。それが冒険者たちの心を、冷めきった情熱を引き吊り出してゆく。
「俺もかつては英雄に憧れた。危険を冒し依頼の達成を積み上げてゆけば英雄になれると信じていた。でも、それは間違いだったんだ。そんなことは、ある程度実力が身に着けば誰にだってできる。危険を冒して依頼を達成すれば『英雄』の再来とはやし立てられるだろう」
椅子に座っていたガッサームさんが立ち上がった。そして冒険者たちを見渡す。
「でも、それは決して本当の英雄じゃない。俺はかつて英雄と呼ばれ活躍していた冒険者を知っている」
「ガッサーム……」
隣に座っていたゴリラの獣人ゴンザレスさんが彼を窘めようとするも、ガッサームさんは首を振ってそれを制した。
「英雄ってヤツはただ強ければいいってわけじゃねぇ、誰よりも勇敢で無謀であればなれるってわけじゃねぇ。紛い物の英雄は自分を上回るヤツに叩きのめされたら、それで終わっちまう……かつての俺のような」
彼はかつての自分を語った。その上で話を続ける。
「本当の英雄ってヤツは叩き潰されても、自力で立ち上がることができるヤツだ。まったく力が無くても、ちっぽけな勇気しか持ってなくても、それでも誰かのために立ち上がることができるヤツだ。そこの嬢ちゃんのようにな」
冒険者たちが一斉に俺を見た。縋るような目、羨望の眼差しを向ける者もいる。その眼には間違いなく熱が戻りつつあった。
「どん底って辛ぇよな、何もしたくなくなる。消えて無くなりてぇ、って常に思うようになる。その次は無力感に追い立てられ酒に走るようになる、今のおまえらのようにな。俺もかつてはそうだった。あぁ、そうさ、あん時は人生の中でも最悪だった」
目を閉じその頃の自分を思い出しているのか、ガッサームさんは苦々しいものでも噛みしめているかのように顔を歪ませた。
「そんな俺をどん底から引き揚げてくれたのが冒険者仲間だったこいつらさ。そん時、俺は初めて理解した。金よりも名誉よりも大切なものがあることを、護るべき者がいることをな」
彼は再び冒険者たちを見渡し言った。
「なぁ、おまえたちの護りたいもの、なりたいものはなんだ? なんで冒険者をやっているんだ?」
再びの問いに冒険者たちは一人、また一人と立ちあがり始めた。
「英雄はなるもんじゃねぇ、なるべくしてなるもの。護りたいものは失った後じゃ護れやしねぇ。迫り来る脅威に騎士たちは戦う力を失い過ぎている。ここが墜ちればもう後はねぇ、滅亡を待つばかりだ」
最早、椅子に座っている冒険者は一人とていない、その眼に熱き輝きを蘇らせていたのだ。
「俺たちを纏めれる者はエルティナの嬢ちゃんを置いて他にはいねぇ、誰よりも鬼の脅威、失うことの恐怖を知っている。どん底を体験し、失意の底から自力で立ち上がった者だ。おまえらの気持ちを共感してくれている。だからこそ、こうしておまえらに頼みに来ていたんじゃねぇか、そうだろ!?」
冒険者たちは沈黙を以てして、それを肯定していた。
「なぁ、おまえら、この超ド級の緊急クエスト……やらないか?」
うほっ、良い漢。
最高に格好良い表情でガッサームさんは冒険者たちを誘ったのである。その瞬間のことだ、地鳴りが鳴るかのごとく漢たちの雄叫びが店内に轟いた。
最早、燻ぶり続けていた冒険者はいない、ここに生気を取り戻したは熱き魂を持つ戦士達だ。
「やろうぜ、鬼退治! 勝てば英雄! 負ければ滅亡! この大博打には命を賭ける価値がある!」
ガッサームさんは笑った。熱のある笑い、それは彼を象徴するものであった。
そう……どん底を知り、それでも立ち上がった者が身に着ける強い笑顔だ。
「ありがとう、ガッサームさん! ありがとう、皆! 俺と共に、この国を……世界の未来を護ろう!!」
全てはガッサームさんのお陰だ、こうして俺はフィリミシアの冒険者たちの協力を得ることができたのだった。