478食目 聖女の証
ぷいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん……。
「ふきゅん、『いけないガス』による単独飛行は無理があるようだな」
「いったい何をやってるんだよ、食いしん坊は」
GD〈リベンジャー〉の訓練中、俺は偶然にも、このGDの弱点を発見してしまった。
その弱点とは〈リベンジャー〉には空中戦に置ける姿勢制御、及び滞空時間が圧倒的に少ないということだ。
これでは某白い悪魔のごとく活躍できないので自分なりに打開策を練っていたところなのである。
「ふぁっふぁっふぁ、屁で空を飛べれば科学の力や魔法はいらんじゃろうて」
俺の失敗を見て大量のポテトチップスが入った笊を手に抱えたドクター・モモがパリパリと小気味良い音を立てながら、ゴーレムギルドに併設されている実験場へとやってきた。
俺はすかさず彼の下へローラーダッシュし、笊に入ったポテチをひと摘まみする。
ポテチは安心と信頼の塩味であり、揚げたてなのか熱々の状態であった。彼は硬く揚げた物が好みなのか、なかなかの歯応えだ。
噛みしめるとジュワっと脂が染み出し、実に纏った塩との美味しさの競演を果たす。後から遅れてやってくるドジっ子はジャガイモの甘みだ。
この塩っ辛さがまた堪らない。この塩辛さを中和するため、更にポテチに手が伸びるこの矛盾。これこそがジャンクフードの魔力の正体だ。
塩、油、炭水化物、人体が求める三大要素がこのポテチを構成しているのも手が止まらなくなる要因と言えよう、むしゃむしゃ。
「こりゃっ、食べ過ぎじゃ。昼飯が食べられなくなるぞい」
とドクター・モモに注意をされてしまう。現在の俺は桃使いではないため食事の摂取量に限界があるのだ。つまり、ご飯前にお菓子を食べ過ぎると、肝心のご飯が食べれなくなってしまうのである。
「ふきゅん、そんなことよりも、ドクター・モモ、リベンジャーに姿勢制御用のバーニアは付けれなかったのか? これじゃあロケットのように真っ直ぐしか飛べないぞ」
俺はこっそりと話題をすり替えた。お年寄りのお説教は長いのでキャンセルだ。
「それじゃと重量過多になってバランスが崩れるんじゃよ。そもそも、ランドセルに付いているブースターは、地上での加速用じゃ。空中には対応させておらんぞい」
「むむむ」
「だからって、おならで空を飛ぼうという発想にはならないよ」
プルルにそう言われて、少しばかり俺はしょんぼりしてしまう。自分としては最も可能性がある方法だと思っていたのだ。
何しろ俺は『いけないガス』で単独飛行を達成した人物を知っているからだ。
『勇者タカアキ』誰しもが知る偉大なる勇者。彼こそがそれを成し得た人物である。
彼はその身一つで人が空を飛べることを証明してみせた。あの巨漢がお尻から出るガスで飛んだのである。それならば、彼よりも遥かに軽い俺が低い『屁力』で飛べるのは道理と言えよう。
結果としては上手くいかなかったのだが……。
「その前に、女の子が人前でオナラってどうかと思うよ?」
「戦場での恥じらいは死を招くぞぉ」
「そう言う問題じゃないよ」
そうも言ってられない事情というものが俺にもあるのだ。アランに能力を奪われた俺には、ほんの僅かばかりの魔力と、この身体だけが武器となる。そのため、この身体に秘められた能力をより詳しく知る必要があるのだ。
何よりも六月も既に半ばとなった。鬼たちが攻め込んでくると思われる七月まで後『十五日』しか残っていないのである。
「焦る気持ちは分かるけどさ、僕たちは自分にできる以上の事はできないんだ。地道に訓練を重ねるしかないよ」
「分かっているさ……おっと、そろそろ時間だ」
「今日も『お願い』しに行くのかい?」
「あぁ、今の俺には頼み込む事しかできないからな」
聖女としての立場を失った俺は、ただの一般市民に過ぎない。今までは自由にフィリミシア城に行き来できたが、今となってはそれもできない状態だ。
それにモモガーディアンズも国という後ろ盾を失っている状態なので活動費も工面しなくてはならない。デュリーゼさんは活動資金については問題無いとは言ってくれたが、それを当てにして何もしないのは間違いというものだ。
俺は週に三回ほど露店街の屋台でバイトをおこなっていた。主に料理を作って賃金を稼いでいる。実はこれが中々に楽しい。気分転換にもなるし、地味に筋力と体力も上がるという恩恵もあるのだ。
中でも俺の作るオムライスはなかなかの好評を得ている。なんといってもミランダさん直伝の味だからな。
この味を求めて、俺がバイトに顔を出す月、水、金曜日は長蛇の列ができるのだ。
さて、それとは別に俺は毎日と言っていいほど町の実力者たちの下に訪れ、鬼に立ち向かうための協力を頼みに行っていた。
まずは冒険者ギルド、直接に腕の立つ冒険者と交渉することもある。そして、農家の方々。彼らは町の守りをお願いしている。そして俺はスラム地区の奥……犯罪者やならず共が潜んでいる最奥地にも足を運んだ。
といっても、聖女をやっていた時も内緒で足を運んだことがある。それはスラム地区の無法地帯を仕切る『親分』の治療を頼まれたことがあったからだ。
俺はその時の恩を当てにし、彼らの協力を仰ごうとしたのである。
結果としては『保留』という形となった。やはり、騎士団の敗北、そして俺の能力の喪失が彼らの重い腰を動かすには至らなかったようだ。
だが、俺はこれしきの事で諦めるような事はしない。良い返事を聞くまでは何度でも通ってやろうじゃないか。
俺はもうなりふり構っているような状態ではない。目的のためには全てを巻き込む覚悟がある。それは知人、友人は勿論……家族だって対象になる。
俺はヤッシュパパン、リオット兄、ルーカス兄ですら協力を仰いだのだ。
「ううむ、なかなか上手くはゆかないか。だが、時間はまだ残されている。ここで諦めるわけにはいかない」
日も傾きかけた頃、俺は独り家路に就いていた。いつも護衛をしてくれていたルドルフさんとザインは、それぞれの事情で単独行動を取っている。
そもそもルドルフさんは、俺が聖女だったため護衛として就いていてくれたので、俺が聖女でなくなってしまった今、彼が俺を護る理由は既にない。
そしてザインは暫しの暇がほしい、と言って姿を消した。今頃何をしているのかは連絡が無いので分からない。ただ、自分を信じてほしい、と言い残し俺達の前からいなくなったのである。
ザインのその言葉を信じて、俺は自分のできる事をおこなっていた。
そして、先の戦闘で傷付き倒れていたクラスの皆も順調に回復を見せていた。これならば、七月までには何とかなりそうである。
暗雲立ち込める一本道に僅かな光が差し込み始めたと言ったところか。
「これは、これは……先代聖女様ではございませぬか」
「ふきゅん、あんたは確か……」
偶然にも出くわしたのは現聖女である美しい黒髪の持ち主ゼアナ・フリエンと、その擁立者マーツァル・カウ・ツツアムであった。
マーツァルの禿げ頭が夕日を反射してクッソ眩しい。墨で黒くしてあげれば少しはマシになるだろうか?
俺はマーツァルに対して良い印象を持っていない。それどころか、どうやって懲らしめてやろうかと考えているくらいだ。
彼の隣にいる可憐な少女を洗脳し、その上で聖女に仕立て上げる教育を施し、意のままに操る傀儡としたのは明らかにこいつの仕業である。たとえ、お天道様が許してもこの俺が許さん。
「はい、わたくしはマーツァル・カウ・ツツアムでございます」
「お久しぶりでございます、ゼアナ・フリエンですわ。エルティナ様の医療魔法には大変に感銘を受けております。わたくしも立派な『ヒーラー』になるべく日々精進を……」
ここでマーツァルがわざとらしく咳払いをおこなった。恐らくは彼女が無意識に言ってしまった『ヒーラー』という言葉に対しての注意の意味合いだろう。
それにしても……スラストさんめ、さっそく良い具合に『洗脳』をおっぱじめてんな。これはゼアナが立派な『ヒーラー』に堕ちるのも時間の問題だろう。ふっきゅんきゅんきゅん……あぁ、俺も参加したかったなぁ。
事実、初めて彼女と出会った時に印象に感じた力のない赤い瞳に、僅かではあるが力強い光が灯り始めているように見えたのだ。これは自分という存在に、どれほどの価値があるかを知り始めた証拠である。
流石はスラストさんだと感心するがどこもおかしくはない。
「ど、どうかなさいましたか? か、顔が酷い……もとい、顔色が優れないようですが」
この『つるつる坊主』め、さらりと酷いことを言ってのけやがった、ふぁっきゅん。
「いえ、少しばかり疲れただけです、マーツァル副司祭様」
俺がそのように返事をするとマーツァルは途端に上機嫌になった。恐らくは副司祭『様』の部分が琴線に触れたのだと思われる。こいつ……ちょろいぞっ! 圧倒的に……ちょろい!!
「それはいけません、貴方は一市民とはいえ、かのエティル伯爵の御息女であります。わたくし共が貴女をご自宅へとお連れ致しましょう」
むむっ、こいつ……調子ぶっこいて、ヤッシュパパンに恩を着せようと目論んでいやがるな? そんなんじゃ甘いよ?
丁度、向こうから見慣れた毛玉とわんこが走ってくるのが見えたのだ。これで勝つる!
「わんわん!」「ひゃんひゃん!」
「とんぺー、雪希、ありがとう。どうやら、彼らが私を迎えに来てくれたようです。折角の申し出ですが聖女様のお手を煩わせてしまうのは躊躇われますので、私は彼らと共に帰ることにします」
「左様でございますか……それでは、くれぐれもお気をつけてお帰り下さい」
マーツァルは軽く会釈をおこなうとゼアナを連れて立ち去った。恐らくはヒーラー協会へと向かったものだと思われる。
バカめっ、そこはただの治療の場ではない。筋金入りのヒーラーを養成する魔界よ! 入ってしまったが最後、骨の髄までヒーラー魂を鍛え上げられる定めっ! 徹底的……徹底的に染められるっ! ヒーラーにっ!! それは聖女だろうが、王子さまだろうがお構いなしだっ!!
「スラストさんに、あの申し出を言わせた時点で敗北不可避なんだよなぁ……」
俺は遠ざかる二人の背に哀悼を捧げたのであった。主にマーツァルに向けてだが。ゼアナには祝福を捧げておいた。これを切っ掛けに立派な聖女様になってほしいものだ。
俺よりかは遥かにマシな聖女となってくれるだろう。その時に『ゼアナは俺が育てた』と言えないのが残念ではあるが。
◆◆◆
次の日のお昼過ぎのことだ、昼食を終えた俺の下にとある人がやってきた。大勢の騎士たちに囲われてやってきたのは、ミリタナス神聖国の教皇であるミレニア様だ。
彼女は俺とヤッシュパパン、リオット兄、ルーカス兄、のいる応接間に通された。
現在、彼女は捕虜としてフィリミシア城に滞在している。彼女たちと逃れてきたミリタナスの民はフィリミシアの町で日雇いの仕事をしながらフィリミシア城で寝泊まりしているという。
……いつか祖国に帰ることを夢見ながら。
「久しぶりですね、エルティナ」
「久しぶりです、ミレニア様」
俺は一般市民となったこともあり、口の利き方に気を付けるようにしていた。ただし、気を付けているだけなので、ちょくちょく地が出てしまうのは華麗にスルーしてほしい。
「お待ちしておりました、ミレニア様」
「ヤッシュ伯爵にも無理を申して、すみませんでした。ですが、どうしても私はエルティナに伝えなくてはならないことがあったのです」
「まずは、お互いに座ってからにしましょう、どうぞおかけください」
ヤッシュパパンにソファーに座ることを勧められた彼女は、そこでようやく腰を下ろした。
ぎゅむっ。
「……」
「「「……」」」
彼女が据わったのは一人用のソファーだ。だが、そのソファーは『エルティナ専用』だったのである。きっとメイドさんが間違えて用意したのだろう。俺の身体に合わせて作った特注品であるため座席部分が小さく作られており、大人が据わるには小さいのだ。というか、座る前に気付いてほしい。
「これは違うんです私はふとってなどおりませんエェソウデストモ」
「ふ、ふきゅん、取り敢えずは落ち着くんだぜ、ミレニア様」
「ただすこしだけおしりまわりがボリューミーになっているだけなんですおねがいですしんじてくださいなんでもしますから」
少しばかり瞳から光が失われ始めたミレニア様をこちらの世界に引き戻すため、俺とメイドさんとで彼女のビックヒップから俺専用ソファーを救出した。
ぎぎぎぎぎぎぎ……にゅっぽん!
「ひゃあぁん!?」
これはエロい。ただでさえ少ない布地が尻に食い込んでハイレグも真っ青な状態になっていたのだ。ソファーを引っこ抜いた反動で、ぷるるんと艶めかしく揺れるミレニア様の尻肉が印象に残る騒動であった。
もちろん、これにはヤッシュパパンたちも苦笑いである。
ただ、しっかりとミレニア様のお尻をガン見ていたことはディアナママンに報告しなければなるまい。
「どうか、この事は内密に」
顔を真っ赤にさせてぷるぷると震えるミレニア様が不覚にも可愛いと思ってしまった。これで王様と同じくらいの年齢だ、と言われて信じる者が果たしてどれくらいいるだろうか? たぶん、いない。
「それはどっちの方なんだぜ?」
「お尻の増量の方です」
「そっちなのかー」
というか、ソファーに尻がハマったという時点で、尻肉が増量されたということはバレバレなのだが……まぁいいか。この話はここで終わらせよう、話が進まないからな。
改めて大人用のソファーに座り直したミレニア様は姿勢を正し、俺と向かい合った。
「エルティナ、話とは貴女に渡したミリタナスの証の件です」
「ミリタナスの証……確かに今の俺が持っていても意味がありませんね。それにもう俺は聖女ではない、これはミレニア様にお返しします」
俺は左指の人差し指にはめていたミリタナスの証を外そうとした。だが、どういうわけか指輪が外れないではないか。
それこそ俺は指輪が外れないほどに増量してまったのだろうか? いや、俺の場合は成長期ということで誤魔化しが効くはず。
いやいや、そんなはずはない。ミレニア様のお尻のインパクトが強過ぎてそのような考えに至ってしまったが、俺は太ってなどいない。寧ろ、少しばかり太れと言われるほどに細っこいのだ。急に太れれば苦労はしない。
「は、外れないんだぜ……もしかして、呪いかっ!?」
「そうでしょうね……って、違います! それは、そのようなものではありませんよ!?」
俺の反応に肯定し、急遽それを慌てて否定したミレニア様。想うところでもあるのだろう。
「ミリタナスの証は貴女を受け入れているのです、正統な聖女として」
「でも俺は……」
俺はミレニア様にそう言われ気付いたことがあった。ミリタナスの証は魔力が少ない者が身に付けると魔力を奪い去り死に至らしめるという話を彼女自身に聞いていたのだ。
今の俺は魔力が人並み以下にまで低下している。だというのに俺はこの指輪に魔力を奪われることなく今日までやってきた。いったいこの矛盾はなんだ?
「どうやら、気が付いたようですね。貴女は魔力ではなく、その純粋で真っ直ぐな精神をミリタナスの証に認められたのです。ゆえに指輪は貴女を死に至らしめず、更には共にあろうとしているのですよ」
「それで外れないというわけか……ごめんな、今の俺じゃ、おまえの声は聴いてやれないんだ」
今まで考えたこともなかったが、ミリタナスの証にも意思があるとしたら、俺は今までかなりの期間ほったらかしにしていたということだ。この指輪に対して、すまない気持ちでいっぱいになる。
「さて、これで心置きなく貴女に託すことができるというものです。それに……ふっふっふ」
「なんだか笑い方がおっかないんだぜ、ミレニア様」
「こほん、エルティナ」
「は、はい」
ギラリとミレニア様の目が鋭くなり俺の目を射貫くがごとき視線を放つ。
「貴女に生き延びたミリタナス神聖国『聖光騎兵団』、及び勇者サツキを任せます」
「聖光騎兵団とサツキさんを!?」
「えぇ、生き延びたとはいっても聖光騎兵団の見習いたちですがね」
ミレニア様はそう説明を加えると少しばかり悲し気な表情を見せた。
「私は彼らをモモガーディアンズに編入させることにいたしました。何よりも、それは彼らにとっての願いでもあったのです。彼らはその未熟さゆえに私の警護を仰せつかい、結果生き延びてしまったと嘆いておりました。このまま無気力に過ごさせるくらいであるならば、エルティナに託した方が彼らのためになると思ったのです」
ミレニア様の申し出を聞き、まだ希望は潰えていなかったことを実感した。俺たちが決死の覚悟でおこなったあの戦いは無駄なことではなかったのだ。
「その申し出……モモガーディアンズの代表として謹んでお受けいたします」
「よろしい、三人とも入りなさい」
ミレニア様の指示に従い三人の少年が応接間に入ってきた。もちろん、三人とも知っている顔である。
「お久しぶりです、聖女様」
「ミカエル、メルト、サンフォ! 無事だったのか!」
ずっと姿が見えなかったので心配していたのだが、どうやら無事だったようで一安心だ。
「はい、我々はずっとミレニア様を護衛する任に当たっていましたので」
「寧ろ、護ってもらっていたって感じ?」
「情けない話だが事実だな」
久しぶりに見る三人は、もうあどけなさが残る少年ではなかった。この世界での成人は十五歳からだ。彼らは立派な大人の仲間入りを果たしていたのである。
「この者たちを貴女に就けます。どうか上手く使ってやってください」
「多大な戦力ばかりか彼らまで……この御恩は必ずお返しします!」
「えぇ、期待しています。それはもう。うっふっふっふっふ」
「ふきゅん!?」
ミレニア様の目が『ギュピーン!』と怪しく輝いたのを俺はしっかりと見た。少しばかり迂闊な発言だったのかもしれないが後の祭りだ。
それよりも『聖光騎兵団』そして『勇者サツキ』までもをモモガーディアンズに編入させるとは、彼女の俺たちに対する期待度は、かなりのものと言えよう。であれば俺たちはその期待に応えなくてはならない。
戦いの時は刻一刻と迫ってきている。俺は新たなる仲間を迎え入れ、更なる備えを推し進めるのであった。