475食目 迷いの中
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
アランとの戦いに敗れ、大切な人たちを失ってから二週間が過ぎようとしていた。その間に俺は聖女をクビになり更にはヒーラーとして活動できない事からヒーラー協会を離れ実家へと戻っていた。
能力を失い、ただの珍獣と化した俺をエティル家は優しく迎い入れてくれた。その優しさは一時的にではあるが俺の心を癒してくれたのだが、どうしても立ち直ることはできなかった。かなりの重傷だと思う。
今回のことは本当に堪えた、どうしても気力が湧き出てこない。このままではいけないと分かっているのに、どうしようもない無力感に苛まれて立ち上がることができないのだ。
こんな為体では、クラークとチゲに笑われてしまう。
「クラーク……チゲ……」
デュリーゼさんのお陰で俺たちは間一髪のところを救われた。それだけではなく、戦場に取り残された者たちをも纏めて安全な場所へと転移させてくれたのだ。その中にはクラークの亡骸も含まれていた。
そして彼の家族に確認された後、その身を清められて『ラングステンの安息の地』に埋葬されたのだ。
俺はクラークの両親に謝罪をした。だが……彼らから返ってきたのは罵倒でも非難の声でもなかった。
『エルティナ様、息子は騎士として勤めを果たしただけです』
『聖女様もこんな姿になられて……女の子なのに……うっ、うう……』
俺の身を案じる言葉、それは俺が望む言葉ではなかったのだ。罵倒された方が幾らかはマシだったと思う。更に重くなる責任に俺は押し潰されそうだった。もう、何もかも投げ出して逃げたかった。
でも……できなかった。
それをするには俺は重い荷物を背負い過ぎていた。俺を信じて託して逝った者が多過ぎたのだ。
でも、今の俺はなんの力も無いちっぽけな存在となり果てた。皆の期待になんて応えられるはずもなく、悶々とした気持ちで時間を無駄に消費していったのだ。
それでも仲間は、そして家族は俺を信じて待ってくれている。その優しさが、今の俺には最も辛いこととは知らずに。
◆◆◆
それから一週間過ぎた。俺は実家を飛び出し一人モウシンクの丘にまでやってきていた。モンスターに襲われれば、今の俺ならひとたまりもないだろう。別に構わなかった。だが、俺を襲うモンスターは一匹とていなかったのである。
たまたま遭遇した一匹の大猪のモンスターは俺の姿を見て近寄ってきた。襲いかかってくるのだろうと思ったのだが……そうではなかったのだ。
大猪は俺の頬を舐めて鼻で優しく胸を突き去っていた。これは、つまり「元気を出せよ」と同情されたのだ。
俺は戦う価値がないとモンスターに判断されたのである。なんという情けない有様であろうか?
「……」
俺は崖の上に立った。そこからはフィリミシアの町がよく見渡せる。
フィリミシアの町。そこには俺の思い出が沢山ある、俺の大切な仲間……そして家族が暮らす町。
吹き抜ける風が夕暮れ時を伝えてきた。お日様もそろそろベッドへ向かうために地平線というベッドに向かっていった。
ここでクラスの皆と訓練をした。その懐かしい思い出が蘇ってくる。掛け替えのない日常、その中には確かにクラークの姿があった。
もう望んでも手に入らない……彼と過ごす日常がどれほど価値のあるものだったか。失ってから分かるその価値、そして失ってはならなかったことを、失った後でしか理解できない愚かな俺に絶望する。
戦いに敗れて一週間経った頃、俺はフィリミシア城に呼ばれ、そこで聖女の地位を剥奪された。別に異論を挟む気にはならなかったし、新たな聖女として紹介されたゼアナ・フリエンという少女を見て、一目でその才能を感じ取ったのだ。
この少女は聖女たらん素質があると。
デルケット爺さんや、エレノアさんは暫しの猶予をと願い出てくれたが、つるっぱげのおっさんの話術にやり込められた事と俺が納得したことにより、とんとん拍子で事は進み、あっという間に俺は聖女をクビになった。
王様はとても残念そうな表情をしていたが、俺には既に聖女としての価値はない。それならばゼアナという少女の方が遥かに活躍できる。
「……桃先輩」
桃使いでなくなった俺は桃先輩を召喚することはできなくなった。彼は今、ドクター・モモの下にいる。その未熟な果実が腐らぬように特殊加工を施しているのだ。
桃先輩は俺が桃使いでなくなったにもかかわらず、俺を引き続きサポートすると宣言してくれた。だが……俺に何ができるというのだろうか? もう、俺には戦う力など残されていないのに。
「……皆」
クラスの皆のダメージも少なくはなかった。中には深手を負った者もおり、長い期間の治療をおこなわなければならない者もいたのである。
相手が鬼であるため普通の治療では治らない、そこで桃先生の大樹から湧き出る水で身を清めて体内に残る陰の気を追い出すという方法が取られた。
この治療には時間が掛かり最低でも一ヶ月の期間を有するそうだ。これでは鬼たちが攻めて来たら間に合わない。
「……」
だが、鬼は……アランは攻めては来なかった。何かしらの意図があるのか、それとも攻めてこられないのかは分からない。噂通り、手痛い傷を負っているのかもしれない。それも、鬼力の特性で癒せないほどの何かを。
「……俺がそんなことを考えて何になるというんだ」
そう、もう意味がない。俺は桃使いではないのだから。もう、皆を鬼から護ることなんてできないのだから。
そう思うと情けなくて、情けなくて……涙があふれてこぼれた。
大切なものを自分の力で護ることができない、ただ護られるだけの自分に逆戻りしてしまったのだ。
目に映る夕日が歪む。俺はもうダメなんだろうか? それならばいっそ……。
◆◆◆ リンダ ◆◆◆
お昼頃に思い詰めたエルちゃんを通りで見かけ、私は彼女の後を付けた。彼女は門から外に出るのではなく城壁に向かうとぽっかりと空いた小さな穴から外へ向かってしまったのだ。
私はエルちゃんのただならぬ雰囲気に焦燥感を覚え、クラスの皆に〈テレパス〉で連絡を入れた。そして、急いで彼女の後を追う。
「こんなところに抜け穴があったなんて……きっとエルちゃんの仕業ね。よぉし、私もここを通って追跡よっ」
がさがさ……ぎゅむっ! ぎゅむむっ!
「ほあっ!? ちょっ!? これ、はまった? ぬ、ぬけないぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
なんということだ、エルちゃんは、いもいも坊やのように通り抜けて行ったというのに、私は入り口付近ではまってしまったのである。
原因は極めて明快、大きな私のお尻はこの抜け穴に拒絶されてしまったのである。ちくちょうめっ。
最近お尻が大きくなった私ではつっかえて穴を抜けれない。仕方ないので門から外へ出てエルちゃんを追うことにした。
ああっ、とんでもない時間ロスだよぉ!
「あるぅえ~? エルちゃんどこ?」
不覚にもエルちゃんを見失う。まだ、そんなに遠くに行っているとは思えないが心配だ。忙しなく視界を動かすとぶんぶんと手を振って走ってくる金色の少年を確認した。
「リンダっ!」
「あ、ライオット! こっち、こっち!」
クラスメイトのライオット、リック、フォクベルト、アマンダがここで合流。他の皆も支度をして、こちらに向かっているそうだ。
「まったく、エルはあんな身体で、どこに行くってんだ」
「それが分からないから、後を付けるんじゃない。危なくなったらすぐに助けるんだよ」
ライオットはボリボリと頭を掻いて愚痴を言ったので、私はすぐさま彼を窘めた。まぁ、彼の気持ちも分からないでもない。エルちゃんの身体はボロボロなのだ。
精神的に参っているのも回復が遅れている原因である、とスラストさんは言っていた。それ以上に鬼に傷付けられた傷が彼女を蝕んでいるようで、毎日、モモセンセイの大樹の湧き水で沐浴しなければ命に関わる容体であるそうだ。
「おいっ、いたぞ! 聖女様だ!」
リックが小声で叫んだ。器用なものだと感心する。エルちゃんを発見した私たちは物陰に身を隠す。
ねちょん。
にゃ~っ!? 頭に蜘蛛の巣がっ!! 洗ったばかりだったのにぃ!!
「リック、エルティナさんはもう聖女じゃないのよ? きちんと名前で呼ばなくちゃ」
「うっせぇ、アマンダ。俺にとっちゃあ……聖女様はただ一人なんだ」
リックはエルちゃんが聖女の地位を剥奪されたのを認めないものの一人であった。彼のように認めない者は数多くいるが、既に新たな聖女が誕生してしまっているので、この決定がひっくり返ることはないだろう。
私としてはエルちゃんが聖女だろうと無かろうと、どうでもいい。エルちゃんは、エルちゃんなのだから。それはエドワード殿下も口にしていることだ。
彼は新しい聖女様に迫られているようだが、やんわりとそれをかわしていた。彼もまた、エルちゃんが再び立ち上がると信じている者の一人なのだ。
逆にエルちゃんのご両親はエルちゃんが聖女を辞めたことを喜んでいる。彼らは彼女にもう危険なことをしてほしくはないと常々思っていたらしい。
能力を失い普通の女の子になったエルちゃんを護り、更にはこの国を守る、とヤッシュさんとエルちゃんのお兄さんたちは熱く語っていた。
現状ではモモセンセイの大樹のお陰で鬼を退治することは可能なのだそうだ。ただし、それは大樹の加護が及ぶ範囲内。つまりはフィリミシア周辺でのみ、鬼を退治する力を得ることができるらしい。
よって、こちらから攻め込むことはできず、常に防衛を強いられることになるそうだ。
「危なっかしいですね……大丈夫でしょうか」
フォクベルトの言うとおり、フラフラとした足取りは危なっかしい。ただでさえ彼女は右腕がないというのに、危険な外へ出てどうしようというのだろうか?
「それにしても、どこへ向かっているんだろう?」
「……モウシンクの丘よ」
「わっ? びっくりした! もう、気配を消して背後に立たないでよ」
「……気を付ける」
絶対に直す気はない返事だ。完全に気配を消して背後に現れたのは黒エルフのヒュリティアだ。外に出るということなので彼女は完全武装の姿である。
〈フリースペース〉が使えないというのは本当に不便だと思う。
それにしても……とても同い年とは思えないほど出る場所が出てきている。人間と亜人では成長速度が違うとは分かっていても焦ってしまう。うん、どの部分とは言わないけど。
◆◆◆
暫く尾行を続けると彼女はモウシンクの丘へとたどり着いた。ここは昔、授業の一環で『ヒルボア』という猪を狩りに来た場所であり、ガルンドラゴンと初めて遭遇した地でもある。
「ふん、遅かったじゃないか」
私たちよりも先にモウシンクの丘にいたのはクラスメイトのシーマだった。茂みから上半身だけを出して腕を組み、随分と偉そうにふんぞり返っている。
「あ、シーマ。まさか、おまえもエルを付けていたのか?」
「バカを言うな、元上級貴族がそのようなみっともないマネをするはずもない。私のたぐい稀なる勘で、ここに至ったのだ」
ライオットの指摘に彼女は大袈裟な仕草で否定した。この仕草を取る彼女は大抵の場合、真実を隠している場合が多い。それは既にクラスの皆が知るところである。
「……そのわりに随分と衣服が汚れているわね」
「うぐっ、決して昨日から狩りをしていたわけではない! そこのところを勘違いするな!?」
服の汚れ具合をヒュリティアに指摘され狼狽えるシーマは、言わなくてもいい情報を吐露し、やはり自爆した。真っ赤になって狼狽える顔がまた可愛い。
「危ないなぁ……あんな崖の上に」
「どうやら、フィリミシアの町を眺めているようですね」
エルちゃんはフィリミシアの町を眺めているようだった。夕日に染まる私たちの町を眺めて彼女は何を想うのだろうか? 以前の彼女であれば「『エビチリ』みたいで美味しそうだぁ……」とか言ったのだろうが、今の彼女は以前の面影がまったくないのだ。
「あっ、そんなに乗りだしたらっ!?」
エルちゃんが不意に崖に向かって身を乗り出した。まさか、飛び降りるつもりじゃという、いやな予感が脳裏をかすめる。それは皆も同じようだった。
ライオットが飛び出そうとしたところで、その動きが止まる。いや、これは止められたのだ。
「行くな、獅子の少年」
「シ、シグルド?」
音も無く私たちの背後に現れたのは巨大な黄金の竜だった。怒竜のシグルド……エルちゃんの宿敵であり、桃使いである。
全身を黄金に鱗に包まれた彼はどうやっても目立つ。そんな彼がどうやってエルちゃんや私たちの目を欺くことができたのだろうか?
「うおっ!? おまえは成金ドラゴンではないか。どうやって私の聡明な眼を掻い潜ってここに来た?」
「掻い潜ってなどおらぬ、我は初めから、この丘にいた。我は魔術を使用して姿を隠し、ここで療養していたのだ」
彼は目を瞑りそう語ると、シーマが顔を青ざめさせた。
「ま、ままままま……まさか!?」
「うむ、イノシシに尻を突かれて崖に落ちていったのを目撃した」
「みなまで言うなぁぁぁぁぁぁぁっ!」
と思ったら今度は顔を真っ赤にさせて怒り始めた。とても忙しない娘である。というか……。
「うわわわっ! そんなに大声出したら、エルちゃんに気付かれちゃうよ!」
「もごごごごごごごご!?」
私は慌ててシーマの口を手で塞ぐ。ふむ、なかなかふっくらとした唇だ。最近はしっかりと食事を摂っているようで肉付きが良くなってきたように感じる。流石はアカネの見立てと言ったところか。
「やれやれ、賑やかなお嬢ちゃん達だZE。桃力特性〈散〉。声は散らしておいたからエルティナのお嬢ちゃんには届いていないはずだ。あ、ついでに気配も散らせているから多少は騒いでも平気だZE? HAHAHA!」
シグルドの口から軽い声が発せられた。彼の桃先輩であるマイクさんの声である。
厳格で近づきがたいシグルドとは打って変わって、明るくて人懐っこく接し易いのがマイクさんだ。
「よう、三日ぶりだな、リンダちゃん、ヒュリティアちゃん」
「お久しぶりです、マイクさん」
「……お久しぶりです」
実は私とヒュリティアは個人的にシグルドとマイクさんに会っていたのだ。たまたま二人でエルちゃんの傷の痛みを抑えるのに適したハーブを摘みに、このモウシンクの丘に赴いていた時に彼らと出会った。
彼らはあの時私たちと同じ戦場で戦っていたという。その証拠にその体には生々しい治りかけの傷跡が無数に刻まれていたのだ。
私たちは少しばかり対応に困った。それはティアリ解放戦争時、彼と共闘していたからだ。そして、私たち二人は、お世辞にも彼には良い思いを持ってはいない。
だが、彼はどっしりと腰を下ろし敵意がないことを私たちに示した。その度量に毒気を抜かれてしまった私たちは彼との対話に何の抵抗もなく応じたのだ。
度量……それはエルちゃんにも劣らない。これが桃使いの貫禄というものなのだろうか? いや、魅力……人を引き付ける引力と言うべきだろう。
あ! 今、私……凄く格好良い事言った気がする! えへへ、これって私も成長しているって言ってもいいよね!?
げふん、げふん、えーっと、彼の魅力にやられた私たちは、べらべらとエルちゃんのことを詳しく彼らに説明しました。
……。
うん、仰いたい事は分かります。ごめんなさい、調子ぶっこいてました。今の私はこんなものです。
「……シグルド、今のエルをどう思っているの?」
目を瞑り思慮に耽っているシグルドは近寄りがたく話しかけ辛い雰囲気があった。にも関わらず、彼女は堂々と彼の顔を見据えて話しかけたのだ。
その声は凛として一点の曇りもない、その声に感嘆したのか彼は目を見開き彼女の問いに答えた。
「今のエルティナは……『かつての我』だ」
そう答えると再び彼は目を閉じ事の成り行きを待った。今の言葉を想う辺り、彼はエルちゃんに期待しているものと勝手に想像してしまう。
だって、シグルドは自他共に認めるエルちゃんのライバルなのだから。
「……そう」
シグルドの言葉を聞き届けたヒュリティアもまた、問い掛けを終了させエルちゃんの動向を見守った。私はシグルドよりも彼女の方がよく分からない。
時にして脆く儚く、時にして強固な意志を持ち力強い。とても不思議な少女だ。
「あっ……」
その声は誰が発したのだろうか? だが、それはどうでもいいことだった。エルちゃんが新たな行動に移ったのだ。それは私たちを驚かせるに十分な行動だった。
そう、それは……。




