473食目 この世で最も優しい炎
◆◆◆ チゲ ◆◆◆
お友達が死んでしまった。名はクラーク・アクト、物を作るのが大好きな子で僕の椅子やテーブルを作ってくれた優しい子だ。
「走れっ! 皆、走れっ!!」
今、僕たちは戦場にいる。だけど、どうやらとっても怖い魔法がやってくるらしくて逃げている最中なんだ。
走っても、走ってもゴールは見えない。砂が間接部分に入り込んでじゃりじゃり言っている。あぁ、もう、走りにくいったらありゃしない。フィリミシアの舗装された道が恋しいよ。
「諦めるなっ、走り続けるんだ!」
エルちゃんは意地悪な鬼に不思議な力を盗られちゃって本来の能力を発揮できないみたい。酷い話だよ。
それでも、必死にみんなを励ましている。やっぱり、聖女様は違うんだなぁ。
でも、時々……思うんだ。
エルちゃんは無理をしてきたって。出会って間もなくはまったくそれを感じなかったけど、一緒に暮らすようになって段々と感じてくるようになった。
彼女自身は気が付いている様子はなかったけどね。
エルちゃんの無理がはっきりと分かったのは少し前。囮になると言って飛び出そうとしていた時の事。
僕は分かった、あの時、彼女を行かせてしまったら二度と会えないことに。だから勇気を出して……ううん違う、体が勝手に動いたんだ。
あの時もそう、住んでいた迷宮から離れてエルちゃんについていく、と決めた時も体が勝手に動いたんだと思う。
「……」
もう、エルちゃん以外は喋らなくなってしまった。黙々と足を動かすだけ。エルちゃんはとんぺーに乗っているから皆の代わりに声を出し続けていた。でも、とても辛そうな顔をしている。それも当然だよ、今エルティナちゃんの右腕は肘から先が無くなっているんだから。
僕には痛いということが分からないけど……きっと、とても痛いはずだよ。それでも彼女は皆のために声を出して励ましていたんだ。
「きゃいん!」
「うわわっ!? ぶへっ!」
突然とんぺーが悲鳴を上げて転んでしまった。その拍子にエルちゃんが顔から地面に突っ込んでしまう。痛そう。
でも、どうしたんだろうか? 僕は初めて、とんぺーの悲鳴を聞いてびっくりしてしまったんだ。
「と、とんぺー!?」
「へっへっへ……きゅ~ん」
大変だ、とんぺーの後ろ足が真っ赤に晴れ上がっている。今まで我慢していたのかな? でもこれじゃあ、もうエルちゃんを運んであげられないと思う。
無理をしていたのはエルちゃんだけじゃなかったんだ、僕はそんなことにも気が付かなかっただなんて……。
「ありがとう、とんぺー。今度は俺が運んでやる番だ」
「きゅ~ん」
でも、とんぺーは立ち上がって足を引きずりながらも歩き出したじゃないか。それは決して諦めないと皆に体を使って表現したんだと思う。だから、僕はとんぺーの代わりにエルちゃんを抱っこして走り出した。
そして、とんぺーはザイン君におんぶされて一緒に逃げることになった。
「チ、チゲ!? 俺はもう重いぞ! 自分で歩けるから大丈夫だ!」
確かに重い、あの頃と比べて随分と大きくなったもんね、エルちゃん。でも、その体は異常に冷え切っていたんだ。僕はドクター・モモが付けてくれた『さーもぐらふぃー』という機能でエルちゃんの体温はバッチリ把握できる。だから、きっとエルちゃんは長い時間は走れないと思う。
他の皆も自分のことで精いっぱいの様子だよ。ずっと悪者と闘ってきたんだから当然だ。だからこそ、僕が皆の分までがんばらないといけない。
僕は戦いはからっきしで臆病だから皆に任せっぱなしだったけど、こんな時ぐらいは活躍しないと一緒に歩いてなんていけないんだ。
だから……がんばる! 僕、がんばるよ!
あれから、どれくらい走っただろうか? 十分? それとも一時間? 時間の感覚が麻痺しているけど、メモリー内の時計を確認したら、たったの十五分だった。
にもかかわらず関節がギシギシ言って悲鳴を上げている。まいったなぁ、でも僕はホビーゴーレムだから痛みを感じないんだ。それだけは感謝しなくてはね。
そういえばムセルたちは無事かな? 火力を補うためと桃先輩に言われてシーマちゃんの部隊に入れられて拗ねていたけど。
早く会いたいな、きっとエルちゃんもムセルに会えば元気になると思うから。きっと他の皆も首を長くしてエルちゃんの帰りを待っていると思う。だから……がんばって帰ろう、皆の下に。
……から……ほ……か?
……えっ!? 誰だろうか? 声が聞こえたような。
走りながら周りを見るけど、そこにいるのは仲間を食べることに夢中な悪者ばかりだった。お陰で喧嘩せずに走り抜けられるから大助かりだけど、見ていていいものではないね。
う~ん、気のせいだったのかな?
ち……が……しい……?
また聞こえた。もしかして僕……故障しちゃった? 大変だ、ドゥカンさんに診てもらわなくちゃ!
ドゥカンさんは本当に腕の立つ職人さんで、僕の故障を何度も直してくれた優しいおじいちゃんなんだ。
プルルのおじいちゃんで彼女とも、とっても仲良しなんだよ。だから時々、羨ましく思う時があるんだ。おじいちゃんがいて羨ましいなぁって。
ドゥカンさんに早く会いたいなぁ。そうしたら沢山お話をするんだ。ドゥカンさんは僕たちホビーゴーレムの声が聞こえる不思議な人だからね。お話が好きな僕たちにずっと付き合ってくれるんだよ。
それにケンロクたちも、そろそろ元気になっているはず。彼らともすっかり仲良しになったんだ。会えるのが楽しみだなぁ。
「いかん、超広範囲攻撃魔法が発動された! このままでは巻き込まれる!!」
「なんだって!? 桃先輩、攻撃魔法の範囲外到達まで後どのくらいなんだ!?」
「……九キロメートルだ」
「な……!? 間に合わねぇじゃねぇか!!」
僕の頭の上にいる桃先輩から、怖い攻撃魔法が使われてしまったことを告げられた。もうすぐ、ここまでそれがやってくるらしい。
大変だ! 早く逃げなくちゃ! でも安全な場所までかなりの距離があるみたい。どうしよう!?
僕はエルちゃんを抱えながらおたおたしてしまった。その度にエルちゃんが「ふっきゅん、ふっきゅん」と鳴くけど、なんの力も無い僕にはどうしようもない。困ったなぁ。
『汝、力が欲しいか?』
えっ!?
突然、僕の頭の中に声が響いた。それはさっきから聞こえている『あの声』だった。
重々しい男の人の声、威厳に満ちていて……でも、どこか子供のような雰囲気を感じる。僕にはどうしてもこの威厳のある声の主がフィリミシアにいるガキ大将のトーマス君のように感じてしまうんだ。
うーん、これは流石に失礼かも。言わないでおこうっと。
『汝、炎の心を宿しし者。我が依代を取り込みし資格ある者。故に汝が欲するのであれば与えよう……力を!』
声の主が僕に力をくれるって言ってきた。それはとてもありがたいことだし、今丁度とても大ピンチなんだ。喉から手が出るくらいに欲しいものであることは間違いがない。だから、僕は声の主に聞いたんだ。
それはエルちゃんたちを助けることができるのかな?
『汝がそれを欲するのであれば』
僕は……。
「くるぞっ! 走れ走れっ!!」
クラークをおんぶして走るガッサームさんが悲鳴のような声を出して皆を走らせる。でも、もう、皆は限界だった。走るというよりは歩く、歩くというよりは……。
もう、皆は限界なんだ。ううん、とうに限界を越えて、それでも諦めないで走り続けていたに違いないんだ。でも……それも、もう終わりにきている。これ以上は……だからっ!
誰かは知らないけど……僕は力が欲しい。皆を守れる力が欲しい。
『よかろう、全てを焼き尽くす剣を汝に……』
僕は……。
そう言いかけて僕はガッサームさんにおんぶされたクラークをちらりと見たんだ。大切な人のために命を懸けて盾となった勇敢な騎士。
騎士は僕の憧れだった。弱虫な僕でも騎士になれたらいいなぁ、と心の奥底で思っていた。でも、それは決して叶わないことだとも自覚していたんだ。
僕は弱虫だ。皆は勇気があると褒めてくれたけど、それは土壇場で選択の余地が無くなってヤケクソで選んだ選択肢が偶々上手くいい結果になったに過ぎないんだ。あの時もそう、さっきだってそう、僕は弱虫。
でも、そんな弱虫でも騎士に憧れていいのであれば……クラーク、僕にきみの勇気を分けてっ!
僕は剣なんていらない、僕は皆を守る盾になりたいんだ。
『……そうか、汝は激しき炎の中にあって、尚も心優しい。よかろう、力を授ける』
僕の右腕が光り輝く、そこからとてつもない力があふれ出し始めたんだ。僕のゴーレムコアがどっくんどっくんと大きくなり始める。
「チ……チゲっ!?」
エルちゃんがびっくりした顔を向けてきた。大丈夫、きっと僕が守ってあげるからね!
「来たぞ! ちくしょう、なんて爆炎だ! 地面をえぐりながら迫ってきやがる!!」
リックが叫んだ。確かに酷いや、これじゃあ穴を掘って隠れてもやられちゃう。だから僕はエルちゃんを地面に降ろした後、爆炎に振り向いて輝く右腕を突き出した。
僕が守るよ……エルちゃん、皆。
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
間に合わなかった。迫りくる爆炎、範囲外までは九キロメートルもの距離。まさに手詰まり。
そんな中、チゲに異変。右腕が発光し彼のゴーレムコアが異常な音を発し始める。
「これは何事だっ!? うおっ!?」
「ふきゅん!?」
ポロリと桃先輩の未熟な果実がチゲの頭頂から落っこちて、俺の顔に直撃してしまった。地味に痛い。
「チ、チゲ!?」
チゲは立ち止まり俺を降ろすと爆炎に振り向き輝く右腕を突き出した。するとその右腕から炎が飛び出し、巨大な壁……いや、盾を作り出し襲い掛かる爆炎を防いだのである。いや、それは果たして炎の壁であっただろうか?
「も、紋章? 炎の紋章!?」
誰かが言った、『炎の紋章』と。それは確かに炎を模った壁であったのだ。しかも効果はそれだけではない、たちまちの内に熱で焼き尽くされるであろう俺たちを、炎のベールで保護してくれていたのである。
「す、すげぇ! あの爆炎を防いでいるだなんて!」
リックがチゲの大活躍に希望を見出したのか元気を取り戻している。他のみんなもそうだ、周りの鬼たちが焼かれる中、チゲに守られている俺たちだけが生き残っているのだから。
だが、爆炎は収まることをしなかった。どれほどの規模の爆発だったか予想もつかない。チゲが出している炎の紋章は襲い来る爆炎を防いでいる。確かに紋章の方には問題はないだろう。
でも……問題なのは……。
「チゲ……おまえ……!!」
爆炎に包まれる俺の声は、その轟音と熱に掻き消されてしまった。
◆◆◆ チゲ ◆◆◆
ゴーレムコアが悲鳴を上げている。そういえばドゥカンさんが、あまりゴーレムコアに無理をさせるなって言っていたっけ? でも、そんなことを言ってもいられない。
今僕がこの炎を消してしまえば、皆は真っ黒焦げになっちゃうんだから。だから、がんばる。がんばれるよ!
ギシッ、ビキ、ビキキ……!!
あぁ、ゴーレムコアがもう休みたいと駄々をこね始めちゃった。もう少しの辛抱だから我慢してよ!
『惜しい、惜しいな』
えっ!?
またあの声だ。その声はとても悔しそうだったんだ。本当に悔しそうに、そして悲しそうな声だった。
『ようやく見つけた我が半身とも言える存在。だが、出会うには遅過ぎた』
その言葉で僕はなんとなく分かってしまった。僕の置かれている立場、そして……。
そっか、そうなんだ。僕のゴーレムコアがもうダメなんだね?
『今の汝は燃え尽きる前の蝋燭、最も激しく燃え上がり……そして消える』
なんとなく、分かっていたのかもしれない。僕は結構長生きしていたから。ずっと、あの怖い迷宮の中で動かなくなっちゃうんだろうなぁって思っていた。
十年くらいまで、あの迷宮の中で過ごした月日を数えていたけど、いつの間にか数えるのを止めてしまったんだ。
いつか僕を置いていってしまったご主人様が僕を迎えに来てくれる、と信じて過ごしたのが十年。それ以降はおっかないモンスターを追い払う事と魔力の調達に色々と工夫して過ごしてきた。
いつの間にか僕に近寄ってくるモンスターはいなくなったし、魔力は迷宮内に時折生えてくる魔力キノコを採集していたから問題はなかったんだ。
それが、エルちゃんに出会うまでの僕の生活。そして、僕はエルちゃんに出会って変わった。
彼女と過ごした日々は迷宮内での生活と比べれば、ほんの僅かな時間。でも、それはとても濃くて輝かしい時間だったんだ。
『……』
でもね、僕は後悔なんてしていないよ。だって、僕はエルちゃんを守れるんだから。ひとりぼっちだった僕を家族として迎い入れてくれた、いろいろな楽しいことを料理を教えてくれた。こんなに嬉しいことはない。こんなに世界が輝いて見えたことは今までになかったんだ。
だから、僕は最後までがんばれる。
『……汝は誠に優しい心を持っているのだな。さらばだ、この世で最も「優しい炎」よ』
そして、声は聞こえなくなった、と同時に僕のゴーレムコアがその動きを停止してしまったんだ。
でも、そんなことは重要じゃない。僕は大切な人を守るために最後まで……!!
僕は最後の力を振り絞って炎の紋章を出し続ける。もう、身体もボロボロのようで崩れてきちゃった。でも、僕はまだ、がんばれる。まだまだ、がんばれる。
「チゲ、チゲっ!!」
エルちゃんが僕の下まで来たみたい。でも、もう振り返る力も無いや、残念。最後に顔を見たかったなぁ。
「そんな、嫌だっ! チゲっ! 行かないでくれ! チゲーーーーーーっ!!」
ごめんね、そのお願いはどうやら叶えられそうにないよ。僕はここでお別れだ。エルちゃんたちが助かるように、僕の全部を出し尽くす。
あっ、その前に伝えたいことがあるんだった。声には出せないけどね。それでも恥ずかしかったから言う事はしなかったんだけど。でも……今なら言えるよ。
エルちゃん、僕は……僕はきみに出会うために、生まれてきた。僕に出会ってくれて、ありがとう……大好きだよ、エルちゃん。
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
その時、チゲから熱が失われたのを感じ取った。まさかと思い震える足を鼓舞して無理矢理立ち上がり、チゲの下へと駆け付ける。そして耳を澄ませチゲのゴーレムコアの鼓動を確認した。
だが、その鼓動は聞こえない。いくら爆炎の轟音の中であってもこれだけ近付けば俺の高性能の耳であれば聞き取れるのだ。それが聞こえない。聞こえない。
「そ、そんなっ!?」
恐れていたことが起こった。チゲのゴーレムコアの鼓動が停止してしまったのだ。彼のゴーレムコアは普通のホビーゴーレムサイズでしかない。だというのに、このような規格外の能力を発動してしまえば無理がたたって機能停止してしまうのは火を見るよりも明らかだったはず。
それでもチゲは炎の紋章を出して俺たちを護った。それは間違えようもなく彼の勇気、そして優しさ。
なんていうことだ、その勇気が、その優しさが、また俺の大切な友を連れ去ってしまう。
「チゲ、チゲっ!!」
彼はもう動かない、炎の紋章の力の負荷に耐えられなくなったのか、徐々に崩れてゆく、チゲの赤い身体。俺たちを守るために限界を超えた代償、それがチゲの姿までをも奪い去ってゆく。
にもかかわらず爆炎はまだ収まる気配を見せない。
「そんな、嫌だっ! チゲっ! 行かないでくれ! チゲーーーーーーっ!!」
俺は目の前で彼に起こっている事が信じられないでいた。崩れゆくチゲ、その彼からぼろぼろになったスマイルマスクが剥がれ落ち音も無く砂漠の砂の上に転がった。
崩壊する大きな赤い身体、もうその崩壊は止められない。信じられなかった、信じたくなかった。
チゲは完全に崩壊し灰となって俺に降り注いだ。だが、その赤い右腕だけは残り、俺の足下に転がったのである。俺は震える左手で、なんとか彼の右腕を拾い上げた。
「あ、あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺はチゲの右腕を抱えて泣き叫んだ。もう、堪えることなんてできない。
爆炎を抑えていた炎の紋章も徐々に崩壊してゆく。俺たちは結局、何もできないまま死んでしまうのだろう。
「最早……これまで」
皆も諦め次々に膝を突く。全力を尽くした結果がこれだなんて残酷にもほどがある。もう打つ手はない。チゲが身を挺してまでおこなった行為も結局は活かせずに終わってしまったのだ。
そして炎の紋章が砕け爆炎が迫ったその時、聞き覚えのある声を俺は確かに聞いた。
「チゲ……貴方の残した、この『わずかな時間』。それは必ずや世界を、そしてエルティナを救うでしょう」
そして輝く視界、真っ白に染まる意識、そして暗転。何が起こっているのか分からない。もう精も根も尽きている俺たちには抗うことなどできなかったのだ。
「チ……ゲ……」
その時、脳裏に映ったのは鍋を持って嬉しそうにしているチゲの姿。その姿がどんどん遠ざかってゆく。俺はチゲを追いかけようと手を伸ばすも、その直後に襲い掛かる倦怠感が俺の意識を奪い去った。
真っ暗な闇の中に……俺はずぶずぶと沈んでいったのだ。