470食目 その手は誰のために
だが、その閃光は俺を含む戦場にある命たちを食い散らかしていっただろうか?
答えは否だ。
「アラン!!」
アランの〈ファイアーボール〉は発動されることなく終わりを告げた。では、先ほどの眩い閃光はいったいなんだったのか? その答えは目の前で存在を誇示していた。
「てめぇは……何度も何度もしつけぇんだよぉ! トカゲ野郎!!」
その圧倒的な存在感を誇示する乱入者にアランは怒りを露わにする。だが、その乱入者たる彼は努めて冷静であった。
「貴様が滅びるまで、我は追い続ける……そう言ったはずだ、アラン!!」
乱入者は黄金の鱗に身を包み裂帛の闘気を解き放っている怒竜のシグルド。先ほどの閃光は彼の鱗が日の光を反射させたものだったのだ。
もう一人の桃使いとは、やはり彼のことだったのだろう。
「ちっ、てめぇと俺の鬼力の特性は相性が悪ぃ……だが、もう十分な能力は手に入った。今度こそ、ぶっ殺してやる!!」
シグルドの桃力の特性は〈固〉、それに対してアランの鬼力の特性は〈奪〉。
そうか、シグルドの桃力の特性が奪われることを阻止しているのか。万が一、能力を奪われないように桃力の意思がシグルドに『固着』していたに違いない。
「いかなる能力を手にしようが使いこなせなくては意味などない。我が牙にて輪廻の輪に還るがいい」
シグルドとアランはどうやら何度も対峙しているようだ。二人の会話を顧みればそれがよく分かる。だが、俺の能力を奪った今のアランは、シグルドが戦っていたアランとは一線を画す。
桃先輩が彼らに今の状況を伝えた。シグルドとは宿敵同士の間柄ではあるが、鬼と対峙するのであれば話は別だ。
「シグルド、マイク。エルティナは戦えない。ヤツに能力を奪われてしまった」
「ワッツ!? マジかよ! 最悪じゃねぇか!」
シグルドの桃先輩、マイクが酷く驚いた声を上げた。彼は俺とシグルドとの再戦を最初から最後まで見届けた数少ない人物だ。つまり、俺の能力を把握しているということになる。
「それは真か? だとすれば……我の桃力の特性は気休め程度にしかならぬ」
シグルドの声にも若干の動揺が含まれている。当然だろう。俺との死闘を繰り広げ、俺の能力の異常さを身を持って体験しているのだから。
「そのとおりさ、鬼力〈食〉! この能力は、ありとあらゆるエネルギーを貪り食う!」
シグルドが仕掛けた桃力の戒めを貪り食い、再び自由を手にするアラン。これは確かに最悪の相性だ。いくら桃力で固定しようとも、それを難なく喰らってしまえるのだから。
つまり、彼の基本戦術である束縛からの一撃必殺が通用しないのだ。
「どうする、ブラザー。厄介なことになったぜぇ?」
「どうするも、こうするもない。我らのやることは、なんら変わらぬ」
「だよな、OK、やってやろうじゃない」
それでもシグルドが臨戦態勢に入った。たとえ自分が不利な状況に追い込まれても、この漢は決して気後れした態度を見せることはない。
そんな彼を見て、アランもにやけた顔を引き締め構えを取る。どうやら、強大な力を手に入れてもシグルドに対しては油断を見せるつもりはないようだ。
「今日こそは仕留めてやるぜ、トカゲ野郎」
「それは我のセリフだ、アラン」
両者が動いた、激しい応酬に俺は付いて行けない。信じ難いほどシグルドは強くなっていた。圧倒的な速度で動くアランに対して攻撃を命中させているのだ。
それは間違いなく先読み、そして誘導。いくら早かろうが誘い込まれれば回避は困難。加えて彼は身体の全てが武器といえる。その太く長い尾もだ。
「ちっ、相も変わらず戦い難い! てめぇは最悪だな!」
対してアランも彼に対応できるほどに強い。攻撃を当てられてはいるが、しっかりとガードしているようで動きに衰えが見えないのだ。
気になることは、アランは俺の時に見せた悪魔化をおこなっていないということ。することもないと判断したのか、それとも何らかの事情できないのか……それを判断するには材料が少な過ぎる。
今の俺ではこのレベルの戦いに介入することはできない。それよりも俺にはやらなくてはならないことがあった。
「痛ぅ……い、今の内に戦場に残った皆に離脱を呼びかけなくては!」
そう、戦場に残った者に戦域からの脱出を促さなければならないのだ。
「エルティナ、それはもうやっている、だが、帝国兵に阻まれて思うように行かないようだ」
しかし、それは既に桃先輩がおこなってくれていたようだった。俺とのソウルリンクは切断されていまっていたが、魂の絆のリンクは途切れていないようだ。だが、それも有効範囲にダナンがいるからであって、彼が戦場を完全に離脱すれば、それも途絶えてしまうことは確実であった。
しかも、状況は更に悪化している。当然であろう、俺の桃力が冒険者たちの命綱だったのに、それが供給されなくなってしまったのだ。
今付与している桃力が失われてしまえば、鬼に抗う手段が消滅してしまう。そうなれば彼らにできる事はただ逃げ惑うことだけなのだ。
「なんだって? くそっ! このままじゃ……」
戦場は混沌に染まりつつあった。いもいもベースが緊急発進してしまったこともあるが、大部分の戦士達が戦場に取り残されている事実が一番大きい。
既に冒険者たちの戦死者の数も二十人を越えている。このままでは戦場に残された者が全滅するまでそう時間が掛からないだろう。なんとかしなければ。
「聖女様!」
「うおっ、その腕は!? 早く治療しないと!!」
そこにクラークとリックのコンビがやってきた。どうやら二人とも、いもいもベースになり損ねたようである。
「無理だ、エルティナはあの鬼に能力を奪われてしまっていて治癒魔法を行使できない」
桃先輩の声に違和感を感じたリックがきょろきょろと視線を動かし、足元に転がっている未熟な果実を発見した。それが今の桃先輩だ。
「え? 桃先輩、どこから声を……って、足元の果物から!?」
「身魂分離現象だ。エルティナは、もう桃使いではなくなってしまった」
「そ、そんな……」
ルドルフさんが桃先輩を拾い上げてくれた。俺はリックに応急処置を受ける。本当に気休めではあるが出血を抑えられるのはありがたい。
今も痛みで脂汗が出てくるが気付けには丁度良いと割り切ることにする。
「あれはシグルド? このタイミングで来てくれるとは、まだ運に見放されていない証拠ですよ」
クラークはそれこそ気休めと取れる言葉を贈ってくれた。だが、それは心を消耗し過ぎた俺にとってはありがたい言葉だったのだ。
「そうだな、まだ、諦めるわけにはいかない。皆で帰るんだ」
それには、この鬼たちの包囲網を突破しなくてはならないのだが、それがとてつもなく困難であることは想像するに難しいことではなかった。押し寄せる魔導装甲を着込んだ鬼たち、どさくさに紛れて戦場にいる小鬼の群れ。それらを乗り越えて戦場から離脱しなければならないのだ。
「わんわん!」
迫り来る魔導装甲兵の間を縫って白い犬が飛び出してきた。とんぺーだ。
「とんぺー、無事でしたか! エルティナをお願いします」
ルドルフさんがとんぺーを労い、彼に俺を託した。
「く~ん、く~ん」
とんぺーの真っ白で綺麗な毛並みが血で赤く染まっている。戦闘による負傷かそれとも返り血かは分からない。それでも長時間の騎乗は無理だろう。全てが悪い方角に向かってまっしぐらだ。
この流れをなんとかして変えなければ取り返しのつかないことになるのは必至。しかし、今の俺にそれができるかどうか。
「エ、エル! 鬼たちの様子がおかしい! って、そのケガはどうしたんだ!?」
ここでようやくライオットが戻ってきた。この面子の中でまともに鬼に対抗できるのは彼だけだ。彼を頼りにして、この戦場を脱出するのが最も現実的ではあるが、彼の体力も無尽蔵にあるわけではない。
加えて俺も治癒魔法が使えなくなっているので負傷を治してあげることもできないので、限りある体力を消耗しつつ皆を護って突破ということになるだろう。
ダメだ、どう考えても途中で力尽きる。となれば……。
「事情は直接脳に送る……くそっ、魂の絆の範囲外か! 仕方がない、直接説明するからよく聞くんだ」
最悪なことに魂の絆の有効範囲外となってしまい、効果の恩恵を受けれなくなってしまったため、ライオットの脳に直接情報を送りこめなくなってしまったようだ。
桃先輩が簡潔に俺に起きている現象を説明するとライオットは顔を青ざめさせた。
「そ、そんな……俺が舞い上がって一人で道を切り開きに行ったばかりに……!」
「いや、ライオットが悪いわけじゃない、俺が油断してたから……ぐっ!」
痛みが酷くなってきた。傷口が熱を持ちそれを鎮めようとして身体が汗を吹き出させる。患部の熱は引かないのに正常な箇所は発汗による解熱作用で冷え切ってゆく。最悪のサイクルだ。
このままでは身体が冷え切ってしまって、まともな思考が浮かばなくなってしまう。いくら砂漠地帯でお日様の光が温かくても今の精神状態ではその恩恵を感じることなどできやしない。
「はぁはぁ……俺のことはいい、鬼の様子がおかしいって、どういうことだ?」
「そ、それが……!!」
俺たちはライオットの報告を受けてその内容に顔を青ざめた。簡単に説明しようと思う。鬼たちがおこなっている行為、それはズバリ『共食い』だ。
戦闘によるダメージが深刻な状態になり十分な戦闘がおこなえなくなった鬼を、仲間であるはずの鬼が喰らい始めているらしいのだ。
まさに狂気の沙汰。だが、それは決して無意味な行為ではない。
「弱った鬼を食った鬼は異常な力を手に入れていた。それはもう、かつて戦った三角鬼に勝るとも劣らないと思う」
ライオットは嘘を吐く男ではない。特に戦いのことに関しては絶対とも言える。そんな彼が断言したのだ。これは、いよいよ以って覚悟を決めなくてはならないだろう。
「桃先輩……俺は貴方に出会えてよかった」
「っ!? 何を言っているんだ、エルティナ!」
「俺はリーダーとして責務を全うしなくてはならない。この戦場にいる仲間を離脱させるために囮になろうと思う」
もうこれしかない、俺が囮になり鬼を引き付ければ脱出できる可能性も増す。
「無茶です! そのケガで囮役など死にに行くような……」
リックはそう言いかけて言葉を詰まらせた。俺の顔を見たからだろう。
俺は冗談で言っているわけではない、この状況は俺が招いた最悪の結果。そして、桃使いの力を失った俺では、もう鬼に抗うことはできない。
でも、全てを諦めたわけではないのだ。
口が裂けても言わないが、この世界の鬼はシグルドに任せても大丈夫だと思う。
あいつは本当に強い。絶望に相対しても決して後ろに下がらず前に進もうとする。これはうぬぼれであるが……あいつは俺に良く似ている。だからこそ、託せる。
俺が愛した、この世界を託せる。
「すまない、とんぺー。おまえの命を……俺にくれ!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!」
とんぺーが雄叫びを上げる。俺は彼の背に乗り、残った左腕でしっかりと掴まった。
「いけません、エルティナ!」
「御屋形様! おやめくだされっ!」
ルドルフさんも、ザインもこの世界には必要不可欠。だから随伴は許さない。俺は彼らを残して飛び出そうとした。
だが、そこに立ち塞がるは真紅の巨人。
「そこをどけっ! チゲ!!」
チゲ、俺の眼前に仁王立ち。長い腕を目いっぱいに広げ、俺の進行を完全に阻止。決して、これだけは譲らないという決意の表れ。
「分かってくれ! もう……これしかないんだ!!」
そう、もう一刻の猶予もないこの状況、迷っていては全ての命が失われてしまう。シグルドがアランを引き付けている内に……。
パンッ!
右頬に走る痛み、それは失った右腕の痛みを遥かに凌駕した。神経ではない、心に響く痛みだ。
チゲは俺を引っ叩いたのだ。心優しい彼は決して、そのようなことはしない。その彼が、その彼が……。
「チ……チゲ?」
彼は震えていた。その大きな体を震わせて泣いていた。彼には顔がない、流せる涙すらない。でも……俺は彼が泣いていると認識することができたのだ。
そして、チゲは俺を抱きしめた。これ以上なく強く、決して離すまいというくらいに。
なんということだ、俺は……みんなを想うあまり、残された者たちの気持ちを疎かにしていたのではないのか? 俺は……俺はっ!!
「チ……ゲ……」
視界が歪む、もう堪えきれない。溢れ出す涙が頬を伝い乾ききった砂漠の砂を濡らす。それはまるで泣けないチゲの分まで流れ出ているかのようだった。
「御屋形様……生きるでござる。侍とは死ぬことと見つけたり、しかしながら御屋形様はそれにあらず」
「ザインの言うとおりです。私たちは貴女を生かすためにここにいるのです」
ザインとルドルフさんが頭を下げて俺に生きろと懇願した。桃使いでなくなった俺に、魔力を失ってしまった俺に、何を期待するというんだ。
「エル、生きて帰ろう……皆が待っている。大丈夫、俺の拳はおまえを護るためにあるんだ」
「そういうことさ、くいし……げふん、聖女様」
「リック、こんな時に油断し過ぎだぞ? でも、こんな時だからこそか。聖女様、このクラーク・アクト、全身全霊で以って貴女様をお守りすることを、この盾に誓います。ですから……帰りましょう、フィリミシアへ」
「皆……俺は、おれは……!! なんで、なんで……」
もう、言葉にならない。俺は自分の力を過信し過ぎていたようだ。なにが桃使いだ、何が聖女だ。力を失った俺には何の価値もない。
それでも、皆は俺を生かそうとしてくれる。何故、何故なんだ!?
「皆、お嬢のことが好きなんだろうさ」
「ガ、ガッサームさん?!」
全身を紅に染め上げたガッサームさんがボロボロになった愛斧を肩に担いでやってきた。全身に付着した血は、彼のものなのか他者のものなのかは判別できない。
「もう戦場に残っている連中は鬼ってヤツばかりさ。弱い連中はもう食われちまった。まさに弱肉強食ってヤツだな。はっはっは」
その笑いには疲労の色がかなり濃かった。虚勢、そう判断しろということだろう。
「さて……こっからどうする? 四方八方、敵に囲まれている。見たところ、お嬢には何らかのトラブルってところか?」
「そのとおりだ、エルティナはその能力の大半を奪われた」
「笑えねぇなぁ」
桃先輩の説明を受けたガッサームさんは斧の柄でトントンと肩を叩いた。するとポキリと斧の柄が折れて斧の刃が砂漠の砂に力無く突き刺さる。戦闘による疲労で折れてしまったのだろう。
「……本当に笑えねぇなぁ。あばよ、相棒」
残った柄を力いっぱい投げ飛ばす。ガッサームさんは沢山のものを失ったに違いなかった。それでも、その力強い眼光は衰えることはなかったのだ。
強い、この人は本当に強い。
「さて……と」
バッチィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!
俺の両頬に走る痛み。それは腐抜けている俺に活を入れるガッサームさんの平手打ち。そして彼は俺の頬を覆うようにして掴み、俺の顔を自分に向けさせた。
「目は覚めたかい? お嬢?」
満面の笑み。ガッサームさんは己の頼れるものを全て失っても、まだその輝きを失っていなかった。
「……あぁ、目が覚めたよ。ありがとう、ガッサームさん、みんな」
俺はどうかしていた。能力を失ったからってなんだ、桃使いでなくなったからってなんだ。俺には……まだ皆がいる、頼れる仲間が、信頼できる友が、叱ってくれる先輩がいる!
「この戦闘区域を離脱する! 必ず、皆生きて脱出するんだ!」
俺の決意に皆が賛同し行動に移った。
必ず生きて帰る、皆で!!
熱砂の砂漠、太陽照り付ける灼熱大地にて、最後の決死行がおこなわれようとしていた。
俺たちは生きてフィリミシアに帰ることができるのだろうか?