467食目 絶望的な能力
◆◆◆ トウヤ ◆◆◆
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォン!!」
「キシュアァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「カシュン! カシュン!」
怒りと憎しみに囚われてしまったエルティナから飛び出すは異形の大蛇達。目も鼻もなく無数の鋭い牙を生やす巨大な口のみの黒い大蛇は、全てを喰らう者・闇の枝。
黄金の瞳が収まる八つの目と白い身体を持つ大蛇は、全てを喰らう者・光の枝。その瞳は全てを見透かすかのように鋭く冷たい。
まるでヤドカリのハサミのような外観をした青い甲羅に覆われた大蛇は、全てを喰らう者・水の枝。目も鼻も耳も口すら存在しない異形の大蛇には恐怖しか感じない。水の枝は鳴き声の代わりに、そのハサミらしき物を鳴らして威嚇をしている。
俺はエルティナからこの三匹の全てを喰らう者の詳しい情報を与えられた。だからこそ分かる。世界を簡単に滅ぼすことができる大蛇が三匹、しかも暴走した状態で飛び出してきたのだ。鬼どころの騒ぎではない、もっとも恐れていた事態が発生してしまったのである。
『なんということだ……!!』
『桃先輩! 何が起こっているんだ!? 闇の枝は分かるけど、後の二匹はいったい!?』
この事態にいち早く反応したのは獅子の獣人ライオット。三匹の全てを喰らう者の出現に戦場に立つ者全てが竦みあがる中、彼がいち早く反応を起こしたのは予想外であった。
いや、彼だからこそ、いち早く動けたと考えるべきか。
『鬼にルドルフ殿が殺されたものと勘違いしたエルティナが暴走を起こした! いま出現している闇の枝以外の大蛇は〈光の枝〉と〈水の枝〉だ!』
『なんだって!?』
『ライオット、不測の事態が発生してしまった! こちらはルドルフ殿とザインも戦闘不能な状態だ! 至急、救援に来てくれ!』
『わかった! 今行くぜ、桃先輩!』
今、多くの人員を割くわけにはいかない、いくら戦場が混乱しているとはいえ暫くすれば鬼達も立ち直って再び襲い掛かってくるはずだ。
それよりも不幸中の幸いか、エルティナとのソウルリンクが切断されていない。一瞬、切れかかったが、どういうわけか持ち直したのである。
そこから分かること……それはエルティナから流れ込んできているものが、とてつもなく暗くドロドロしたものだということだ。
こんなものが彼女から流れ込んでくるとは到底考えられない。だが、これは事実だ。認めなくてはならないだろう。
鬼よりも暗く、鬼よりも深く、そして……鬼よりも悲しい。そんな陰の力が流れ込んできているのだ。
『エルティナ、目を覚ませ! 陰の感情に引きずり込まれるな!!』
『…………』
エルティナ……おまえは、こんな感情を心の奥底にしまって、ずっと生きてきたのか? こんな辛い思いを笑顔の裏に隠していたのか?
心の枷が壊れてしまえば、もう溢れ出るものを抑えることはできない。これがエルティナの抱えていた闇だとするなら、なんという巨大な闇なのだろうか。
これではエルティナとアラン、どちらが鬼であるか分からなくなってしまうではないか。
「な、なんだ……こいつは……?」
アランはエルティナから突如として現れた三匹の全てを喰らう者を見て、その身を強張らせている。
無理もない……一匹ですら、この世の物とは思えないほどの恐怖を撒き散らす存在なのだから。
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォン!!」
「キシュアァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「カシュン! カシュン!」
たった一匹の全てを喰らう者が世界を滅ぼす力を秘めている。それが三匹。しかも、その全てがアランという男に狙いを定めているという事実。
仮にアランを滅ぼしても、その憎しみが晴れなかった場合はどうなるか。想像もしたくはない。
よって、なんとしてでも、エルティナに正気を取り戻させなくてはならないのだ。
尚且つ、残された時間は多くはない。ルドルフ殿が体を引き裂かれた際に彼……いや彼女は自らの断面をなんらかの方法で凍結させ血液の流出を防いだ。そして現在、辛うじて生きていられるのはエルティナが開発した医療魔法〈ペインブロック〉を使用して痛覚を麻痺させているからだ。
もし、魔力が尽きて〈ペインブロック〉が発動できなくなれば、襲いかかる激痛に耐えきれなくなりショック死してしまうだろう。
よくもあの瞬間に、これだけの処置を施したものだと感心するが、これもエルティナの治癒能力が前提の応急処置だ。急がねばなるまい。
『エルティナ! 目を覚ませ! エルティナ!!』
俺にできる事は彼女に声を掛け続けることだけだ。だが、俺はなんとしてでも成し遂げなければならない。
もう、あの時のように成す術もなく、蚊帳の外で結果だけを知るだなんてご免こうむる。
俺は心の闇に囚われたエルティナに声を掛け続けた。俺の声が届くまで、何度も、何度も……。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ! この、くそったれどもがっ!!」
その間、アランは狂犬のように三匹の大蛇に食ってかかっていた。蛇に睨まれた蛙、状況は間違いなく彼にそれを強いた。しかし、アランは抗ったのだ。その絶望的な状況に。
敵ながら、なんというタフな精神をしていることか。仮に味方であれば、これほど頼もしいと思える男はいない。
しかし、残念ながら彼は不倶戴天の敵『鬼』なのだ。
「くらいやがれ! 鬼力〈溶〉!〈腐食の槍〉ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
アランの手の中に陰の力である鬼力が集まってゆき黒い槍を形成した。そして、それを闇の枝に投げ付ける。
大気に悲鳴を上げさせながら、恐るべき速度で飛ぶ黒い槍が闇の枝に命中した。だが、それは命中したとは言い難い。
しゃくっ。
放たれた黒い槍は闇の枝の『胴体』に命中した。だが、その槍は命中した瞬間、咀嚼音と共に、この世から消滅してしまったのである。それも一瞬でだ。
つまり、それは闇の枝には何者も触れることは叶わないという非情なる証拠とも取れた。
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォン!!」
「うおあっ!?」
アランに狙いを定めた闇の枝が動いた。その速度はパワーアップし悪魔のような容姿になった彼には及ばないものの、その巨体でよくも出せると感心……いや、呆れる速度であった。
だが、問題なのは、その後だ。
ぞぶっ。
「嘘だろ……砂漠が消えた!? いや、食ったのか!? あの面積を!!」
一瞬にして約二千平方メートルもの砂漠が跡形もなく消滅し、巨大な穴へと姿を変えてしまったのである。当然、その場にいた者たちはことごとく闇の枝の腹の中へ消えてしまった。
急いで検索をおこなう。幸いなことに味方の兵が食われたという事実は浮かび上がらなかった。だが、次もこのような幸運が訪れるとは限らない。
今の闇の枝は暴走状態、見境なく喰らい続ける食欲の権化なのだ。己以外は全てがエサ、ゆえに喰らう。楽しい思い出を作ってきた、モモガーディアンズの子供たちであっても例外ではない。
「っざけんな! これでどうだっ!!」
アランはそれでも諦めない。闇の枝に対して無数の黒い槍を作り出し連射する。一撃必殺の槍をここまで作り出し連射できることに驚愕せざるを得ないが相手が悪過ぎる。
しゃくっ、しゃくく、じゅるるるる……ごくん。
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォン!!」
一切の攻撃を受け付けない無敵の盾、全ての堅牢な守備を嘲笑い一口の下に喰らい尽す最強の矛。この闇の枝は最強の盾と矛を持ち合わす『動く矛盾』なのだ。
「な、なんだよ……それは。俺の力が全然通用してねぇじゃねぇかよ?」
これにはアランも恐怖を感じたのか言葉を絞り出すように愚痴った。
無理もない、俺の見立てではあの黒い槍は彼の必殺の攻撃のはずだ。それが、なんの成果も果たせずに容赦なく貪り食われてしまったのだから。
我々も普段の大人しい闇の枝を見てきたことから恐怖が薄れていたが、闇の枝は本来は恐怖の象徴。この大蛇に目も鼻もないのは、ただ食らう為だけの存在だからだ。
そこには、もちろん慈悲も容赦もない、ただ、ただ食らうだけ。だからこそ、こんなにも恐ろしい。
加えて、その執念深さも厄介なものであり、どこまでも執拗に追いかけてくる。エルティナの言葉を信じるのであれば、その体はどこまでも伸ばすことができ、ここから月まで到達することも可能なのだそうだ。
つまり、一度でも闇の枝に狙われたら最後、食われるか不可能に近いが撃退するしかないのである。
「くそ! だったら、本体をやっちまえばいいだけのこと!」
アランは標的をエルティナに定めたようだ。だが、それはもっとも困難な行為だ。
「カシュン! カシュン!」
水の枝がアランに対して迎撃の姿勢を見せた。この水の枝には闇の枝以上に必要な部位がない。目、鼻、耳、口すらないのだ。
「ははっ、それでご主人様を護っているつもりか? 遅過ぎて欠伸が出るぜ!?」
彼の言うとおり水の枝の動きは緩慢であり、圧倒的な速度を誇るアランの動きにはまったく付いていくことは叶わなかった。
「ちょろいぜ、このまま……うおぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
カシュン!
水の枝のハサミがアランの左腕を切断する。俺は水の枝はアランの動きには付いて行けていないと説明した。それは極めて正しい説明だ。アランの『後ろ』にいる水の枝の動きは緩慢であり、ゆっくりとハサミを彼に定めている最中だ。
では、何故……水の枝のハサミがアランの左腕を切断できたのか?
「な、なんなんだよ、こいつはぁ!? 今おまえは俺の後ろでのろのろしていただろうが……」
そこまで言ってアランは目を丸くして『二匹』の水の枝を交互に確認し、切断された左腕の根元を押さえた。そう、瞬時にして水の枝が一匹増えたのである。
新しく生まれた水の枝のハサミには力無く揺れるアランの腕。それを挟んだまま、血に塗れたハサミをゆっくりと隻腕の鬼へと定めた。
すると驚愕に顔を歪めるアランの目の前で、ハサミに挟まれた彼の腕がカサカサに干からび、灰となって風に流されていった。そう、これは水の枝が捕食したのだ。
水の枝は対象の水分を貪りつくす。それは半径十三キロメートルの範囲内であれば、対象に接触していなくとも、たちまちの内に吸いつくせる能力を持っているのだ。まさに生物にとって、最凶最悪の怪物と言えよう。
ただ、基本的に宿主を護るという役割を与えられた存在であるため、全てを喰らう者としては珍しく、護るという行為が、食べるという行為よりも優先されているらしい。
それが、今もって最悪の事態を免れている証拠となりえていた。仮に水の枝が食事を優先していたのならば、この戦場で生きている者は一人たりともいないはずだ。
「くそっ、今度こそ! この速度なら追い付けねぇだろが!」
アランはもっと早く動いた。俺であっても、その姿を確認することは至難だ。だが、水の枝は『またしても』彼の目の前にいた。
「……え?」
三匹目の水の枝である。
本体はエルティナと繋がっている巨大な蛇と見るか。否、それは正しくはない。大気中に水分を撒き散らし瞬時にして分身体を作り出す。それが水の枝の能力の一つ。
だが、その分身体は『本体』となることもできるのだ。
そして、その膨大な量の水をどこから調達しているか……それは大地に倒れている帝国兵を見れば説明しなくても理解できるだろう。水の枝は主さえ護れれば、他がどうなっても構わないのだ。
つまりは仲間すら同様に扱う。
『ももせんぱい! ゆうゆうちゃんが、たおれちゃったよぉ!』
『プリエナ! すぐに彼女に水分を与えろ! 他の者も同様の症状が出ているなら水分を与えてくれ!』
『も、桃先輩! か、カレーは飲み物に含まれるのかな!? かなっ!?』
『グリシーヌ! 水分があるなら、なんでもいい! 急げ!』
やはり、モモガーディアンズにも被害が出始めている。早くエルティナを正気に戻さなくては。だが、何度呼びかけても聞こえているのか分からない。心を閉ざしてしまっているのか? だが、諦めるわけにはいかない。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
アランの悲鳴。否、それは最早、絶叫に近い。
カシュン!
辛うじてハサミの直撃を回避するアラン。その代償は左足だ。
そのあまりの理不尽さに、いよいよ以って自身が被食者であることを自覚してきたのか、彼は顔を真っ青にさせて水の枝から距離を取った。
水の枝たちは追撃をすることはない。あくまで主の護衛のみを優先させているのだ。
仮に水の枝を倒すのであれば、どうすればいいとエルティナに訊ねてみたところ、彼女はこう言った。
この世の全ての水分を無くせれば倒せると。
俺は言った、それは不可能だと。生物が生物である限り、水分とは縁を切ることはできないのだから。
きっと、怒竜との戦いにおいて、シグルドは全てを喰らう者を暴走させた状態のエルティナを殺すことができた、最初で最後の存在だったのだろう。
水の枝が覚醒した今となっては最早、彼であっても『不可能』と言っても過言ではないはずだ。
「ぐっ!? エルティナァ!! なんなんだ、おまえは……ひっ!?」
「ア……ら……ン……!!」
鬼すら悲鳴を上げるエルティナの表情。桃アカデミー第一リンクルームのモニターに映し出されたその顔を見て俺は絶句してしまった。
「と、桃吉郎……!!」
仲間を殺され絶望に塗れた親友の表情と同じだったのだ。まさか、再びその憎しみに塗れた顔を見ることになろうとは。
「ひっ……そ、そんな。これがエルティナちゃんなんですか!?」
同室でサポートをおこなっていたトウミ少尉が持っていたコーヒーカップを落し小さく悲鳴を上げた。エルティナの変わり果てた姿を見て、彼女は震える身体を両の手で抑えつけて堪えようとしている。
無理もない、トウミ少尉はエルティナの負の感情を現在に至るまで見たことがないのだから。
「て、てめぇは桃使いじゃなかったのかよ!? なんだよ、その陰の力は!!」
「……」
そう、今もってエルティナが放っているのは陰の力だ。これも『覚え』がある。忘れることなどできやしない。
鬼に堕ちた桃吉郎が撒き散らしていた力と『まったく同じもの』なのだから。
いよいよ以って危機感を募らせた俺は、必死にエルティナに語りかけるも、やはりなんの反応もない。このままでは最悪の事態も覚悟しなくてはならなくなる。そのようなことになれば、二度とエルティナは帰ってくることはなくなってしまうだろう。
『エルティナ! 戻って来い! エルティナ!!」
エルティナが右手を天高く上げた。それに応えるように光の枝が鎌首をもたげ、八つの目を怪しく輝かせ始める。
いかん! それだけは、やってはいけない!!
全てを喰らう者・光の枝の能力は半径『九十万キロメートル』の万物をゆっくりと光の粒子に変換し吸収するものだ。
もちろん、これも抵抗は無意味。魔法障壁を張っても、それごと光の粒子に変換されてしまう。これから逃れるには範囲外に逃げることのみ。
だが……一瞬にして九十万キロメートルもの距離を移動できるかと聞かれれば、それは不可能だと言うしかない。
転移装置でも近くにあれば可能性は無きにしもあらずだが。
エルティナはかねてから言っていた。この光の枝を初代が管理してくれてよかったと。だが、暴走している今、彼女は恐らくエルティナの魂で眠りに就かされている。よって、光の枝がエルティナの命令に逆らうことは決してない。
「……きエろ」
『ダメだ! 止せっ! おまえは掛け替えのないもの、全てを自分の手で失おうというのか!?』
俺の制止の声がまるで聞こえないかのように、エルティナは光の枝の能力を発動し始めた。
「キシュアァァァァァァァァァァァァァァ!!」
光の枝を中心としてゆっくりと万物が光の粒子へと変換されてゆく。それは砂漠の砂、照り付ける日の光、空気ですら免れることができない。
殺意、憎悪、愛情、優しさ、といった感情ですら光の粒子に変換され貪り食われてゆく。
無論、『生きる気力』ですら無慈悲に奪い去ってゆくのだ。発動されれば成す術もなく食い尽くされる、史上最も強大で冷徹な捕食者だ。
光の枝が『全てを喰らう者の監視者』と言われているのは、この力があるためだそうだ。白い大蛇の八つの目は他の大蛇達を監視するために存在しているらしい。
だが、自身が暴走状態にあれば、八つの目はなんの意味も持たない。
「な、なにがお 」
アランの声の音すらも光の粒子に容赦なく変換されていった。もう時間がないことは明白だ。
もう、ダメなのか? おまえはこんなところで終わってしまうヤツだったのか?
いや、まだだ! まだ終わらせん! 約束したはずだ! 俺はどんなことが起こっても、ずっとおまえのパートナーであり続けると! 俺が諦めてどうする!?
俺はエルティナに声が届くように、己の全ての桃力を注ぎ込むつもりで声を張り上げた。




