435食目 私らしく
「……撤退」
「ちっくしょう! 今回もダメかよ!?」
「想像以上に厄介さね!」
ミョラムの森の最深部突入から三日が経過しようとしていた。
最深部の探索は人の手が一切入らない鬱蒼とした森の中を進まなくてはならない。よって我々の探索は困難を極め、都合五度目の突入においても大した結果も残せず撤退と相成り、私たちの焦りと苛立ちはいよいよピークに達しようとしていた。
最深部の入り口に仮設したベースキャンプ、そこではルバール傭兵団のメンバーたちがベースキャンプをより良いものにしようと汗水を垂らしながら活動をしている。それらは全て彼らが敬い奉るプリエナのためであることは一目瞭然であった。私たちは、そのおこぼれを頂戴している形になる。
焚き火が起こされている広い空間に置かれたテーブルと椅子。これらは傭兵の一人が現地にて制作した物だという。それはそこまでじっくりと制作した物ではないと言うわりには非常に頑丈でしっかりとした物に仕上がっていた。普通に商品として売れるレベルである。
これほどの腕前を持つのであれば、傭兵家業など引退して安全で安定した鍵職人に就けばいいのにとも思う。しかしながら、彼はルバール傭兵団から脱退するつもりはないらしい。
彼が言うには、この傭兵団は居心地が良いとのことだ。私には彼の気持ちはわからない。
私とクウヤはテーブルを挟み向かい合って椅子に腰かけた。互いの顔には疲れが見え始めている。他のメンバーはテント内で横になっていたり、汗まみれになった身体を濡れタオルで拭いた。
「これは予想を遥かに上回る困難さだ。父上でも手に余ると言っていた理由がはっきりしたよ」
「……それでも、私たちは突入しなくてはならない。最深部の全てを探索しなくてもいいことだけが救いね」
探索を阻むのは予てから言われていた魔力を奪われるという現象だ。以前、エルティナが採取してきたマラジャクという魔力を奪う花は森に存在しておらず、どの植物が魔力を奪っているかも分からない状況下では魔力同様に精神力も奪われてゆく。
常に死と隣り合わせで調査するという状況下で、私たちは徐々に神経をすり減らしていった。
「せめて、おっぱいがあれば、俺はいけるのに!」
「俺も見事なくびれと太ももさえ!」
「わちきも、ぷりっぷりのケツさえあればっ!」
この三人は相変わらずだった。自分を見失わないという点においては高く評価したい。だが探索において、スラックの最大魔力の低さがネックとなっている。しかしながら、探索メンバーの中で最大魔力が一番低い彼ではあるが、その代わりに魔力の回復速度が一番高い。三十分ほど休憩すれば魔力が全快するそうだ。
逆にプリエナは圧倒的な魔力量を保持しているが、一度失うと回復にかなりの時間を費やすこととなる。時間にして半日以上は大人しくしていなければならないらしい。
彼女は探索隊における貴重な治癒魔法の使い手であるため、魔力の管理は他の者よりも慎重におこなわなければならない。そのことが私の頭を悩ます要因にもなっていた。
「……はぁ、このままではいけない、と分かっているのにどうにもできないだなんて。本当にエルやエドワード殿下の指揮能力は高いのね」
「あの方々は別格だよ。エドワード殿下は本当に未来を予測しているかのような指示を出される。逆にエルティナ様は勘で指示をなされるから、指示を受ける方は大変だと思う。でも、それはエルティナ様が我々を信頼しているからこそできる指示の仕方だ」
「……エルの場合は丸投げに近いわ」
「ははっ、手厳しいね」
「……ずっと近くで見てきたもの」
そう、私はエルティナをずっと近くで見てきたはずだ。彼女のようにはできない事は分かっている。それでも少しくらいはやり方を真似てみよう、とやってはみたものの……これがまったくできなかった。
彼女と私ではタイプが違うことは分かっていたが、これほどまでにできないとは思わなかったのだ。
「……だからこそ凄いと思う。私には真似できないわ」
「エルティナ様を真似るのは簡単そうで難しい。彼女のそれは天賦の才だよ」
エルティナは適当に指示しているように見えるが上手く物事と噛み合い、最良の結果になる場合が多くある。とても運が良いだけだ、と決めつけるには抵抗があるほどに。
彼女の目には、いったいどのような光景が見えているのだろうか? それが分かれば、凡人の私でも少しはマシになるというのに。
これほどまでずっと傍に居たというのに、その片鱗すら掴めないことに私は焦りと苛立ちを募らせた。
「おおい、ヒュリティア、魔力が全快したぜ。もういっちょ突入すっか?」
ロフトが干し肉を齧りながら魔力が全快したことを報告し、再び最深部の探索をするかどうか問うてきた。私は暫し考え答えを出す。
「……いえ、このまま無暗に突入しても結果は見えているわ。今日の探索はここまでにして何か別の方法がないかを考えましょう」
「そっか、わかった。おぉい、今日はここまでだとよ!」
私の返事を聞いた彼は残りのメンバーに私の言葉を伝えるために、この場を後にした。彼も疲れているだろうに、そのようなそぶりを一切見せない。彼の方が余程リーダーに向いているのではないだろうか、とすら思えてくる。
「さて別の方法とは言ったけど、何か当てはあるのかい?」
クウヤが干し肉を齧りながらそう問うてきたのは、焚き火の上で沸かしていたやかんに入ったお湯をカップに注いだ時のことだった。
カップの中には私が調合した魔力回復を促す薬草入りの小袋が入っている。少しばかり苦いがミントを多めに入れているので爽やかな飲み心地になっていて評判が良い。自家製ハーブティーといったところか。
「……えぇ、少しばかり気になることがあるの」
クウヤにハーブティーを手渡し、ミョラムの森の最深部に突入した際の違和感を伝える。これは私だけが体験しているものだと確信しているからこそ、思慮深い彼の意見を聞きたかったのだ。
「……たぶん、私だけが魔力を吸い取られていない」
「それは本当かい?」
「……えぇ」
彼はハーブティーを口に含み難しそうな表情を浮かべた。そして暫く沈黙した後に自分の意見を述べてくれたのである。
「これは推測に過ぎないが……この森は生物の魔力に反応して、その生物から魔力を奪うのではないかと俺は思うんだ。基本的に魔法を扱う者は大なり小なり、古い魔力が体から放出されている。魔力を留めると『魔力中毒』になってしまうから常に古い魔力を放出しているわけだ」
『魔力中毒』……エルティナから聞いたことがある。
今しがたクウヤが言ったとおり、古い魔力が体内に蓄積したままになると、古い魔力が変異を起こして身体に悪影響を与えるようになる。
正常者であれば常に古い魔力は体外に放出され無害であるのだが、なんらかの理由で古い魔力が放出されなくなると高熱、頭痛、耳鳴り、に陥り、重症になると意識を失い最終的にそのまま帰らぬ人になる、という極めて危険な中毒症状だ。
「でも黒エルフは魔法を使わないため、魔力はずっと体内に留まったままらしい。俺は父上がその論文を見ていた折に気になって聞いてみたんだが……黒エルフが魔力中毒にかかったという実例が一切ないんだ。経済的な理由でヒーラー協会に掛かれない者もいると思ったけどそうではないらしい」
クウヤは再びハーブティーに口を付け、一息吐いた後に話を続けた。
「父上も気になったことには行動的でね、黒エルフの友人に協力してもらって色々と実験したそうなんだ。実験と言っても危険なことはしていない。体内に溜まっている魔力の状態と、魔力が体から放出されていないかどうかの調査さ。その実験の結果、黒エルフは体内で古い魔力だけを自己消費しているらしい。魔力の放出も認められなかった」
「……古い魔力だけを?」
「そう、古い魔力だけさ。黒エルフの驚異的な身体能力は古い魔力を消費することによって実現されている、という仮説を打ち立て魔法学会に提出したそうなんだ。結果は彼らを納得させるだけの証拠がなくて認められなかったらしいけどね」
「……つまり黒エルフは魔力を放出していないから、ミョラムの森の最深部で魔力を吸い取られない? それならば……」
「可能性がある……というだけだよ。確かに最深部探索においてモンスターとの遭遇は認められていないけど、きみを一人で行かせるわけにはいかない。不慮の事故に遭遇した場合、救出することが困難になってしまうからね」
彼の言うことも尤もではあるが、このままでは埒が明かないのも確かである。もし、自分が魔力を吸い取られないのであれば、先行偵察をして最深部の見取り図を描き計画的に……。
いやダメだ、それでは時間が掛かり過ぎる。私たちには時間がない。いつまでも、ここに留まることなどできないのだ。今は大丈夫でも、いずれ食料が尽きてしまう。
「……いえ、私が一人で行くことが最善だわ。リスクを恐れては最良の結果を掴むことなんてできないもの」
「危険だ、リスクが高過ぎる!」
「あら、リスクが高いほど燃え上がるじゃない。そうでしょう? ヒュリティア」
クウヤの言葉を遮るように話しかけてきたのはユウユウだ。彼女は私が口を付けたハーブティーのカップを手に取り口を付けた。
「あら、なかなか美味しいじゃない」
「ユウユウ、きみはヒュリティアが心配じゃないのかい?」
「クスクス……随分とヒュリティアにご執心ね、クウヤ」
「うぐっ」
クウヤはユウユウに苦情を訴えるも、彼女はそれを簡単に受け流してしまう。そしてユウユウは人差し指を立て、私に突き付けた後に言った。
「一時間」
「……え?」
「一時間以内に終わらせて来なさい。一時間経って帰ってこなかったら……この森を砕いて貴女を回収しに行くわ。そろそろ、この森にも飽きてきたし……ね?」
「……わかった。一時間もあれば十分」
「うふふ、いい返事ね。いってらっしゃい」
私は手早く身支度を整えて最深部へと突入を果たした。クウヤが手を伸ばしてくるも、それを拒絶した形になったのは心苦しいが時間がないのは事実である。
ミョラムの森の最深部をユウユウに破壊されるわけにはいかない。彼女はやると言ったら必ず実行に移す人間なのだ。ミョラムの森が完膚なきまでに破壊されればグレー師匠もきっと悲しむだろう。それだけは絶対に阻止しなければならない。
魔力を奪われる原因か、サトウキビの生えている場所を突き止めれば事は済む。時間はわずか一時間。
だけど一時間もあると考えることもできる。どちらを選ぶかで、その者の度量が量れるだろう。
エルティナなら後者を選択するはずだ。でも私は前者、私には余裕というものがない。
分かっていることだ、何をいまさら。私ではエルティナのようにはなれない。そして、エルティナのような私を望む者が果たしてどれほどいるのか。
答えゼロだ。
エルティナがいるのに、エルティナのような私を望む者なんていない。そんな簡単な答えを見つけるのに、どれほどの時間を費やしたのだろうか。バカバカしくて笑ってしまう。
私は所詮、私でしかないのだ。だったら、私らしく振舞おうじゃないか。一人で行動し、結果を出すのが私のやり方だ。
自分で出来る範囲を全て終わらせ、その後に助力を求める。今まで私がやってきたスタイルに、少しエルティナの要素を足してやればいいだけのこと。
「……ふふ、なぁんだ。簡単なことだったわ。グレー師匠の言うとおりね」
ミョラムの森の最深部への出発に際して私は師に助言を仰いだ。その彼が言った言葉が『気楽に行け』である。どうやら私は気が張って空回りするタイプであるらしいのだが、こうして考えるとなるほどなと思う。
やはりグレー師匠は私のことをよく見てくれている。
気のせいかもしれないが体が軽くなった気がした。軽やかに大地を蹴りふわりと跳躍する。目的地があって突き進んでいるわけではない。ただ、向かいたい方に走っているだけだ。
何も考えない、本能のままに駆け抜ける私は獣と変わらないだろう。でも、それでいいと思った。
「……私らしく突き進む。この一時間は私だけのもの」
ミョラム最深部に私という名の風が吹く。それはこの森に吹く新しい風だったのかもしれない。今はただ駆け抜けるのみ。本能の赴くままに。




