432食目 エルタニア領へ
転移した先は広い庭のような場所であった。所狭しと咲き誇る色取り取りの花たち。けれども圧迫感はなく、見る者を楽しませようという心遣いが随所に見て取れる。一目見て素晴らしい庭園であると感心できた。
その庭園を囲うようにそびえ立つ高い壁は普通の住居には見られないものだ。この壁を一言で言い表すとしたら城壁と言えばいいだろうか? それほどまでに高く頑丈そうな石壁だ。
「ようこそ、エルタニア城へ」
「……フウタ様」
転移してきた私達を出迎えてくれたのは、エルタニア領の領主、フウタ・エルタニア・ユウギであった。予め連絡が彼に届いていたのだろう。恐らくはエルティナの配慮かと思われる。
しかしながら転移先がフウタ様の居城エルタニア城だとは思ってもみなかった。普通は直接攻め込まれないよう離れた位置に設定するものだと、アルフォンス先生の授業で習ったのだが。
「エルティナ様に厄介な仕事を任されたそうだね。微力ながら俺も協力させてもらうよ。とはいえ、アルフォンスさんから、これも授業の一環だ、と言われているから積極的に協力するわけにはいかないけどね。だから俺の代理として、きみ達にこいつを就けようと思う」
フウタ様はそう私に告げた後、手をパンパンと二度鳴らす。すると庭園と城内を結ぶ通路から、一人の少年がこちらに向かって歩いてきた。その姿は威風堂々という表現が良く合う。
少年はフウタ様によく似ていた。そして私は……いや、私たちは彼とは一度、顔を合わせている。
「初めまして……ではありませんね。でも、こうして挨拶を交わすのは初めてなので、初めましてということにします。俺の名はクウヤ・エルタニア・ユウギ。エルタニア領主のフウタの息子です」
「……初めまして、ヒュリティアです」
「よろしく、ヒュリティア」
彼は父親であるフウタ様とは違い、どこか堅物のような雰囲気を纏っていた。とても生真面目な性格をしているのだろうと推測したのだが、直後に少し微笑みながら手を差し伸べてきたクウヤはとても父親によく似た雰囲気を醸し出していた。なるほど……やはり、彼らは親子なのだ。
「……よろしく、クウヤ様」
「クウヤでいい」
「……よろしく、クウヤ」
「あぁ よろしく!」
握手を交わした彼は私を見詰めた後、暫し固まった。
どうしたのだろうか? 少しばかり顔が赤い、風邪によく似た症状だ。夏風邪は厄介なので、早急に休むように勧めた方がいいだろうか? こんな状態では私たちと冒険などできないはずだ。
「……あの、クウヤ?」
「えっ!? あぁ、す、すまない! 他の皆との挨拶をすませないと! ははは!」
ぎこちない動きで私の手を離し、皆との挨拶をこなしてゆくクウヤ。皆との挨拶は至って普通にこなしているように見える。そこで私は気付いた。
なるほど……彼は少しばかり人見知りであるのだ。それゆえに緊張で顔が赤く染まっていたのだろう。今の彼の対応を見れば、私との挨拶で自信が付いたことが窺えた。
私も彼ほどではないが人見知りであるので、彼の気持ちは痛いほど理解できる。なるほど、クウヤとは良い交友関係を結べそうだ。
しかしながら、ユウユウ・カサラとの挨拶は流石にぎこちなかった。無理もないだろう。
彼女との挨拶には最大限の配慮、そして発言には命を懸ける必要がある、とエルティナが口を酸っぱくして忠告している。
クウヤはそのことは知らないはずであるが、ユウユウの発する異様なオーラのようなものを感じ取ったのだろう。というか、ユウユウはクウヤを試している節があった。
今彼女が放っているのは闘気の部類と思われる攻撃的なものだ。常人であれば気を失ってもおかしくはないほど彼女の闘気は危険なものであった。
にもかかわらず、笑みを絶やさずにユウユウを会話を交わしているクウヤはたいした肝を備えているようだ。そんな彼の対応をユウユウは気に入ったのか、闘気を抑え極上の笑みを浮かべたのであった。
尚、そのすぐ隣にいた狸獣人の少女プリエナは顔色一つ変えずにいるばかりか、庭園に入り込んできた蝶を目で追って遊んでいた。どういう肝の座り方なのだろうかと考えるも、それが無駄であることを理解し意識を二人に戻す。
「クスクス……貴方、なかなかそそるわ。でも、ダーリンほどじゃないけどね」
「お褒めに預かり光栄です、レディ」
うやうやしくかしこまり、ユウユウに礼節を尽くす彼はまさに騎士と言えよう。
尚、ユウユウは女王様だ。着ている服が純白のドレスであるので良い絵になっている。会話内容に目を瞑れば、まさに女王と騎士という題名になろう。美男美女はどんな内容でも絵になるのだ。
「ふむ、少し見ない間に女性の対応が上手くなったな。何か想うことでもあったか?」
自分の息子の成長を喜ぶ仕草を見せるフウタ様は私の良く知る彼とは違う印象をもった。私が良く知るフウタ様は、何事もそつなくこなすクールな男性だ。冷静沈着で多少のことでは動じない大人の男性。だが、ここにいる彼は自分の息子の成長を喜ぶ父親の顔をもっていた。
父親を知らない私は父とはこういうものなのか、とまじまじと彼を観察していたのだが、少しばかり露骨過ぎたのか、フウタ様はポリポリと頬を指で掻いた後、恥ずかしそうに話題を変えた。
「さ、こんなところじゃなんだし、城の中に入ってくれ。お茶を用意させるよ」
「それもそうですね、父上。さぁ、ヒュリティアも一緒に。俺が案内します」
クウヤは私の手を引き、フウタ様よりも早く城の中へと向かった。どんどん離れてゆく皆に私は苦笑いを送る。偶然にも皆も私に苦笑いを送っていた。
◆◆◆
私の前に置かれた高価なティーカップに香り高い紅茶が注がれる。今まで嗅いだこともない高貴な香り、そしてルビーを溶かし液体にしたかのような美しい色合いに思わずため息が漏れる。
ヒーラー協会の前ギルドマスター、レイエンさんが淹れた紅茶も素晴らしかったが、この紅茶は別次元だ。きっと値も張るに違いない。
そう考えると、普通の紅茶をあそこまで高めるレイエンさんは異常であることを再認識させられる。
「遠慮なく飲んでくれ。茶葉はエルタニアで採れた物を五年寝かせたものだ」
「……いただきます」
紅茶を一口すすると豊かな香りが鼻腔に入り込んできた。続いて僅かな甘みと舌を引き締める苦み。砂糖など入れずとも美味しく感じる。
私はエルティナが住んでいるヒーラー協会によく赴いていたので、レイエンさんの淹れる紅茶をいただく機会が多かった。そういった経緯もあってか私は紅茶には何も入れずに味わう。
しかし、あまり紅茶に馴染みのないプリエナやロフト達はドバドバと砂糖を紅茶に投入していた。高級な紅茶がもったいないとは思うが、飲み慣れていないと紅茶の繊細な味は理解できないので仕方がないことだと割り切る。
飲み方は個人の自由であるので、ああだこうだと口に出すものではないからだ。
フウタ様もそのことを理解しているようで彼らを温かく見守っていてくれた。特にプリエナ辺りには優しい眼差しを送っている。
ユウユウは流石というか、実に優雅に紅茶を味わっている。それは毎日行っている儀式であるかのようだ。行動一つ取っても美しい、作法も完璧だ。
比較して悪いとは思うが、エルティナとは大違いである。
「それで、目的地はどこなのかな?」
フウタ様が一息吐いたところで私達の目的地を問うてきた。隠すことなど何一つないので素直に彼に説明する。目的地はエルタニア領の南西にあるミョラムの森の最深部。そう説明するとフウタ様は少し難しい表情を見せた。
「表層部ではなく最深部か……危険だな」
「……それはどうしてですか?」
「あぁ、最深部は一切魔法が使えないんだよ。あそこに辿り着ける者は相当に修練を積んだレンジャーくらいなものだ。魔法に慣れ頼りきった生活をしている冒険者にとっては鬼門とも言える場所さ。事実、俺も軽い気持ちで調査しに行って痛い目に遭った」
初耳である。グレー師匠はそのようなことを教えてはくれなかった。と考えて私はハッとなった。私たち黒エルフは魔法が元々使えないではないかと。
グレー師匠はそのことを配慮して伝えなかったのだろう。
「……それならば、最深部に辿り着いたグレー師匠は、やはり優秀なレンジャー隊員なのですね」
「グレー・ドーン隊員か。彼は優秀だよ、俺もサバイバル技術を彼から学んだ。グレー隊員であれば、最深部に辿り着けるだろうが……調査活動までは無理だろう」
「……それは何故です?」
フウタ様は乾いた口を湿らせるかのように紅茶を口に付けた。その表情は苦々しい。
「最深部は魔法が使えないと言ったね? それだけじゃないんだ。滞在しているだけで魔力が奪われてゆく。つまり、長時間留まれば魔力が枯渇し息絶えてしまう。それが最深部の調査が難航している要因というわけだ」
「うへぇ、マジかよ? エルティナくらいしか活動できないんじゃないのか?」
「でも独りで行かせたら絶対に迷子になるさね。飢え死にはしないと思うけど」
「だな、そこら辺の草食ってしのげそうだしな」
ロフト達が互いの顔を見合わせて愚痴をこぼした。酷い言いようであるがエルティナなら本当にやりかねないので反論できない。
あの子は自分の抵抗力を笠に本当になんでも口にするのだ。少し自重してくれないものか。いくら大丈夫とはいえ、見ていてギョッとする時もあるのだから。
「……そうであっても行かないといけない。せめて、サトウキビの場所を確認して帰りましょう。場所さえ分かれば、エルを連れてまた訪れればいいのだから」
「だな……それが一番現実味を帯びてるか。流石にそんな場所じゃ、ユウユウも長居できねぇし」
私の提案にロフトは頷き自分の考えを発言した。それは私の意見を肯定するものであり、また自分達の限界を認めるものでもあったのだ。
「そうねぇ……程度にもよるけど、長居はしたくはないわね。暴走したら困るし、クスクス……」
「ぼ、暴走っすか? ロフト、俺、震えてきやがった」
「奇遇だな、スラック。俺もだ」
「わちきも、さっきから震えっぱなしさね」
ユウユウもこういった特殊な場所での活動に慎重であった。元々が思慮深い考えの持ち主である。あまり興味がない物ごとに対しては熟考の上で行動することが多いのだ。
だが興味があることに対しては後先考えずに行動するため性質が悪い。彼女は本当に極端な人間だと思う。
「なるほど、それならば探索の許可を許そう。グレー隊員にも連絡を入れておく。おおよその場所は彼に聞くといい。表層部はモンスターの心配はないが中層部には手強い種も存在する。十分に注意すること。いいね?」
「……わかりました、フウタ様」
「クウヤ、彼女らをしっかりと護るんだ。ユウギ家の跡継ぎを名乗るのであれば失敗は許されないぞ」
「無論であります、我が力を以ってヒュリティアを護り通してみせましょう」
クウヤが胸を強く叩き決意に燃えていた。次期当主はやはり大変である。私達の護衛には困難が付き纏うと思われるが、是非ともがんばっていただきたいものだ。
「……ヒュリティアだけっすか、そうですか」
「ロフト、野暮なことは言いっこなしさね。話の種が増えてウハウハさね」
「クスクス……ダナン、アウトね。スペックが違い過ぎるもの」
◆◆◆
フウタ様にミョラムの森の探索許可を正式に頂いた私達はクウヤを加えて森を目指す。エルタニア領の主要都市『タニア』から徒歩で三時間の場所にミョラムの森はあった。
移動は馬車でおこなう。フウタ様が用意してくれたものだ。流石に徒歩で森に向かうと、その分の探索時間がなくなってしまう。それに体力も相当に消耗することだろう。
何よりも、体力に難のあるプリエナが、私たちに付いてくることができないと思われる。
立派な馬車に乗り込み、タニアの町を出たところで武装した男達に行方を阻まれる。出発早々に、バツが付いた形になった。なので厄払いといこう。
私たちの冒険にケチをつけるようなヤツらには、それ相応のお仕置きをしなくては。
私たちは乗り込んだばかりの馬車から勢いよく飛び出した。




