430食目 貴女と出会えたから
◆◆◆ ヒュリティア ◆◆◆
小鳥達のおはようの挨拶で私は目が覚めた。我が家は酷くおんぼろであり、屋根などには所々に穴が開いているようで、そこから身体の小さな小鳥たちが入り込んできて寝床としているのである。そんなわけもあって我が家の朝は非常に早い。鳥たちの目覚める時間が、我が家の住人の目覚めの時間であるからだ。
「ふぁ……おはよう」
「チュチュ! チチチチチチ……」
私はエルティナのように動物達の言葉が分かるわけではない。だが毎朝、彼らにおはようの挨拶をするのが日課となっている。それは隣で寝ていた姉のフォリティアも同様だった。
「んっはぁ……おはよう、毎朝、元気が良いわねぇ~」
眠たそうな目を擦りつつも背伸びをして身体を解す姉。豊満な乳房が体の動きに合わせてフルフルと揺れる。姉はこの乳房があまりお気に召してはいないようで、仕事の邪魔になって困ると言っていた。
彼女の仕事は私の親友の白エルフの少女エルティナ・ランフォーリ・エティルの警護である。
警護と言っても彼女の傍には正式な護衛としてルドルフという女騎士……もとい美形の騎士が正式に就いているので、もっぱら陰から彼女を護るという役目を請け負っている……のだが、今となっては既に形骸化しつつあるようだ。
それでもラングステン王国にエルティナがいる場合はこっそりと警護に付く任務が回ってくる。エルティナがイズルヒに赴いている間はフィリミシアの町の巡回や訓練が中心の仕事内容だったらしい。
昨日の夕方に彼女が帰ってきた、という情報を携えて姉が帰宅してきたので、今日から再びエルティナの身辺警護の日々が始まるそうだ。彼女は行動が突拍子もないので大変だと笑っていたが、私も親友の奇妙な行動には大変な思いをすることがままある。まぁ、そこも彼女の魅力であるのだが。
「さてさて、身支度を済ませて朝ご飯にしましょうか。ヒュリティアは朝食の準備をお願いね。私は井戸で水を汲んでくるから。早く行かないと混雑しちゃうわ~」
姉の言葉に頷くと彼女は下着姿のまま、大きな瓶を担いで井戸へ向かってしまった。もういい歳であるのだから、その姿で水を汲みに行くのは止めた方がいいと思うのだが、彼女は着替えよりも水汲みを優先させてしまうのだ。
スラム地区の水源は中心にある井戸一つのみなので朝は非常に混雑する。少しでも早く並ばないとなかなか朝食の支度が終わらなくなってしまうこともままある。
特に夏の期間は瓶に水を溜めておいても傷んでしまうことがあるため、その日に使う分を汲んでおき使い切ってしまうのが好ましい。そんなこともあってか、魔法が使えない黒エルフが多く住むここでは朝の水汲みが非常に混雑してしまうのだ。
「……〈フリースペース〉か。便利よね、アレ」
私は学校の帰りに立ち寄ったモモセンセイの大樹から汲んできた湧き水を使い、お米を炊くことにした。この水と井戸水ではお米の艶、そして味に天と地ほどの差が出るのだ。これもエルと私の仲だからこそ可能な米の炊き方なのである。持つべきものは友であると心から感謝した。
米を研ぎ準備を終えたら、年季の入ったかまどに載せて火を起こす。米を研いだ『研ぎ汁』は捨てずに取っておく。これを捨ててしまうなんてとんでもない。
この研ぎ汁は家の前で育てているお野菜達にとってのご馳走である。この研ぎ汁を与えるようになってからは、野菜達がぐんぐんと丈夫に逞しく育つようになったのだ。イシヅカがやっているのを真似たのだが、効果は抜群であり大変に驚かされた。
「……うん、後はおひつに入れて蒸らせば完成ね。御焦げは姉さんが喜ぶからお皿に……と」
続けて大根の漬物を樽から取り出し一口大に切る。この漬物はエルティナとザインに教えてもらった。野菜の長期保存法として優秀なばかりではなくとても美味しいのである。しかも白米に良く合う。
我が家ではもっぱら朝食は米である。それは姉がお米派だからだ。だが私はパン……それもコッペパンが大好きなのだが、意外なことにパンを毎日買ってくるのと、お米をまとめ買いして自炊するのとでは、月の食費に大きな差が出てしまう。この事実を知った時、私は愕然とした。やはり、コッペパンは貴族が食べるものだったのだ、と絶望すらしたのである。
「……あの頃は大変だったものね。今では随分と生活が改善されたけど、エルがいなかったら、どうなっていたことやら。本当に感謝しかできないわ」
そう、あの子が来てから、このフィリミシアの町は急速に変わっていった。もともと国王陛下が計画していたらしいのだけど、エルティナのお陰でその計画が加速していったのだという。そして竜巻の件もあり、スラム地区は以前とは比べ物にならないほど住みやすくなっていったのだ。
それでも訳ありの人間達の流れ着く場所であることに変わりはない。今でもスラム地区の最奥は犯罪者達が息を殺して潜伏しているのだという。というか、息を殺して隠れないとユウユウという狩人に狩られてしまうからだ。
そんなにビクビクして生きるくらいなら自首して更生すればいいのに、とも思うが、彼らにもちっぽけなプライドというものがあるのだそうな。私には理解できない。
「……後は『ミソスープ』を作れば完成ね。ザインには感謝しなくちゃ」
以前、うちにエルと一緒にやってきたイズルヒ出身の少年ザイン・ヴォルガーはお土産と称して大量のミソなる調味料を置いていった。なんでもラングステンに留学する際に買い込んだものの、こちらの豊かな食事情に向き合った結果、殆どミソが消費されないことが分かったのだそうだ。
寮生活の彼は自炊することがほぼなく、たまに故郷が恋しくなった時にミソを舐める程度であったので、これでは使いきれないと判断し、私達に進呈してくれたのである。
この非常にありがたい申し出を断る理由もない私は彼の申し出を喜んで受け入れた。更には『ミソスープ』……彼の故郷では『みそしる』と呼ぶらしい料理を教わったのである。
『みそしる』は魚介系の出汁を主に使うそうなのだが、生憎とフィリミシアでは魚介系の出汁を使うとコスト高になって贅沢品と化してしまう。そこで使うのがこれ、『ブッチョラビの骨』。
これならば大量に手に入る上に、無くなったとしても町の外へ少し出かければいくらでも手に入るのだ。まさに貧乏人達の救世主である。しかも、お肉も美味しい。でも、私達は朝食にお肉を食べることはない。胃もたれしたくはないからだ。
以前、食べるものがなくて毎日ブッチョラビを狩り、その肉ばかりを食べていたところ、胃もたれを起こし酷い目に遭ったのだ。以来、朝食くらいは別の物を食べよう、と言うことになったのである。あぁ、貧乏が憎い。
ブッチョラビの骨から取った出汁を使いミソを溶かしてゆく。具は家の前で生っているトマトをスライスしていれる。ミソスープ本体が完成してからいれるのがコツだ。
入れてから煮立たせるとトマトが崩れてしまってよろしくない。姉はそっちも好きだというが、私はこちらの方が好みなのである。
「ただいま~、やっぱり朝早くだと空いていて、いいわ~」
「……おかえり、姉さん。良いタイミングね、朝食の支度、終わったわよ」
「おぉ~、流石は私の妹、美味しそうな朝食ね!」
姉のテンションが妙に高い、何か良いことでもあったのだろうか? それはさておき、せっかく作った朝食が冷めてしまっては作った甲斐がない。料理には美味しく味わえる期限があるのだ。
こんなことを思えるようになったのは、生活に余裕ができてきたことと、エルティナの影響なのかもしれない。
あの子は常に食材と料理に向き合い、美味しくいただくことを尊んできたのだから。彼女と一緒にいる私が影響を受けないわけがないのだ。
「いただきます~」
「……召し上がれ」
二人しかいない……だけど、二人もいる私達の朝食が始まった。
◆◆◆
「……どうしたの、エル? 面白い顔をして」
「ふきゅん、ヒーちゃん。俺は今、猛烈に熱血しているんだぜ」
親友のエルティナが帰ってきたとあっては会いに行かないわけにもいかず、私は朝食後、姉を送りだし食器を洗って片付けた後にヒーラー協会にいる親友の下を訪ねた。
勝手知ったる他人の家、というか施設。彼女の部屋などは目を瞑っても辿り着ける自信がある。途中に知り合いのヒーラー達と挨拶を交わし目的の部屋の前に辿り着く。ドアをノックし返事を聞き届けた後に中へ入ると、彼女はそこに奇妙なポーズで佇んでいたのだ。
「……何か厄介ごとかしら?」
「厄介も厄介、かなりの試練に全ての珍獣が『ふきゅん』と鳴いてしまうんだぜ」
そう言って自身が「ふきゅん、ふきゅん」と鳴きだす。果たして彼女が何に対して悩んでいるかは問い質してみなければわからない。だが、そのことに対して私が理解できるかはまた別だ。
彼女は無二の親友であり、何も疑うことなく共に歩いて行けると自信を持って言える存在だ。だが、彼女の価値、そして思想ははあまりにも大き過ぎた。
ちっぽけな存在である私には理解できない事がままあることは承知のことであり、また悲しいことでもあった。
だからといって、卑屈になることはない。私自身も嫌だし、何よりも彼女がそれを許さない。だから私はありのままの自分でエルティナに接する。
「……それで、そのポーズは?」
「てん~ち、ま~とうっ! の構え、なんだぜ。でも、これでも解決しなかった」
言っている意味は分からないが、彼女はとても自信満々であった。それでも期待した結果には至らなかったらしく、彼女は虎猫のもんじゃが丸くなっている自身のベッドにダイブし盛大なため息を吐いた。
本気では弱音を吐かないと思われている彼女であるが、実は私の前では結構弱音を吐露することがままある。それだけ信用されていると認識しているが、実際のところは不明であることが少々不安である。
いつの日か、そのことに確信を持てる日が来るといいのだが……。
ベッドの上で仰向けになり、彼女の柔らかなお腹の上で、もんじゃが丸くなってくつろぎ始めた。出会った当初から繰り広げられるいつもの光景だ。その安心する光景に若干頬が緩むのを感じた私は少しばかり気を引き締め、エルティナに悩んでいる原因を訊ねることにした。
「ふきゅん、イズルヒで持ち帰った神級食材なんだけど、どうやら新エネルギー『神気』を習得しないと無限に作り出すことができないらしいんだ。何度も試しているんだが、出てくるのは魔力と桃力とオナラだけなんだぜ。これではまた、プルルが肉食獣になっちゃ~う! んだぜ」
「……肉食獣、あぁ、あの子、最近、いらいらしていたものね」
「そうなんだぜ、帰ってきた早々に襲われたんだ。取り敢えずは肉以外の物を口にしたことによって正気を取り戻したけど、早急に神気を習得してお米を作り出せるようにしないと、プルルがまた野獣に返り咲いてしまう。それだけは、なんとしても阻止しないといけないんだぜ」
そういうと彼女は白目痙攣をしだした。ぷるぷると震える彼女の上で丸くなっている虎猫は慣れているようで気持ち良さげな寝息を立てている。彼もなかなかに図太い精神力の持ち主だ。
「その『神気』という力は『桃力』とは違うの?」
「桃師匠が言うには似て異なる力だっていうんだ。そして答えは俺の魂にある、とも言ったから余計に混乱して大変なんだぜ。このままじゃ、俺の脳がはち切れそうだぜ」
「……そう、でも私じゃエルの力になれないわね。魔力も桃力も扱えないのだから」
「そんなことはないんだぜ。ヒーちゃんは、いつも俺に力を分けてくれているじゃないか、こうやって」
エルティナはそう言うとベッドから降り、ふにふにと身体を動かした。彼女の言うところのダンスというヤツである。
きっぱりと言っておくが、彼女のそれはダンスとは言わない。適当に身体を動かしているだけなのだ。
それでもノリノリで踊っているつもりの彼女は非常に可愛らしい。だが、彼女が踊ると不可解な出来事が起こるのだ。
それはエルティナの踊りを見ていた者が次々と倒れてゆくという奇怪な現象であり、原因は魔力の枯渇だというのだが原因は今のところ判明しておらず、取り敢えずの対策としてエルティナのオリジナルダンスは控えてもらう、という結論に達した。無論、この決定に彼女は遺憾の意を示すことになる。
「ふきゅん!?」
彼女の奇妙な踊りは箪笥の角に足の小指をぶつけて終了となる。蹲りぷるぷると震える白エルフの少女の姿を見て、悪いと思ったがクスリと笑ってしまった。
「ふぅ……〈ヒール〉が使えなかったら致命的なダメージだったぜ」
余程痛かったのか、彼女は自分の小指に治癒魔法を施したようだ。やがて、ぴょんぴょんと子兎のように飛び跳ね、足の感触を確かめると私の顔を見据えて話を切り出した。
「ヒーちゃん、実はお願い事があるんだ」
「……あら、私に? 珍しいわね」
「うん、頼みというのは俺が神気を習得している間、食材探しの指揮を執ってもらいたいんだ。ヒーちゃんなら森やサバイバルの知識も豊富だから適任だと思うんだよ」
「でも、私は魔法が使えないし……」
「できないことは、できるヤツに放り投げちまえばいいのさ。ヒーちゃんはできることをやってくれればいいんだ。うちの連中は自由なヤツらが多いけど、それ以上に仲間想いなヤツらが沢山いるよ。大丈夫、きっと助けてくれるさ」
こうやって面と向かって頼み事をされるのはいつ振りだっただろうか? 確か魔族戦争中に初めて私とエルティナが出会ったあの時以来だったか。本当に出会いは偶然で、そして突然であった。
我々黒エルフと祖を同じくして、ここまで差がついた白と黒のエルフ。幼いながらにして、その扱いの差に憤りを覚えないはずがない。私達黒エルフは物心ついた時から白エルフは尊き者、黒エルフは卑しき者と教えられてきた。
別に卑しいことは何一つしていない、ただ魔法が使えないだけだ。たったそれだけなのに私達黒エルフは奴隷の歴史を歩まされてきた。他の黒エルフの皆はそれを認めていたようだが幼い私はそれを認めず、いつか黒と白を逆転させてやろうとも思っていたのだ。
そのように野心を抱いていた私であったが、唯一の心の拠り所であった姉が足に大ケガを負って帰って来たことによって一変した。当時の私達は治療費など到底出せるような生活水準ではなく、自分達が作った薬でもってケガや病気を治していたのである。だが、薬の治療には限界というものがあった。
姉が足に負ったケガは毒矢によるものであり、薬では毒の回りを遅くするので精一杯だったのである。
日に日に腐ってゆく姉の足に絶望し、私はふらふらと家を出ていった。向かう先は思い出せないが、恐らくはヒーラー協会だったと思う。その途中で迷子になったエルティナに出会ったのだ。
あの時の私は八方塞がりで気が立っており、自分でもどうしようもない憤りの捌け口を探し回っていのだろう。だから、エルティナの必死の頼みに私は意地の悪い要求を提示した。
見返りとして、彼女の有り金の全てを要求したのである。
白エルフとはいえ、私よりも幼い……当時はそう思っていた。後から同い年であると聞かされた時には驚いたが。
ええっと、私よりも幼い彼女は大した金額を所持していないと踏んだのだ。それでも金貨数枚を持っていれば儲けもの、と踏んで要求し彼女から渡された袋を受け取り愕然とした。
中には大量の金貨がぎっしりと詰まっており、驚いた私は彼女の正気を疑った。更にその直後におこなった彼女との対話が私の曇った心を覚ましたのである。
あの時に受けた恩は決して忘れられることはないだろう。そして、今でも恩を返せたとは思っていない。
「……わかったわ、がんばってみる」
「ありがとう、ヒーちゃん! 心の友~!」
感極まったエルティナが私に抱き付いてきた。私は彼女のだいぶ大きくなった体を受け止める。それでも同世代の友人達に比べると、エルティナの身体はまだ小さい。本当に妹のような可愛らしさを持った子だ。
私はこの日から、エルティナが『神気』を習得するまで、神級食材捜索隊の指揮を任される事になった。決して道のりは平坦ではないだろう。だけど、私は彼女のため、そして友人たちのために骨身を惜しむつもりはない。今の私を形作っているのは、紛れもなく彼らの優しさであるからだ。
大丈夫、彼らと一緒ならきっと上手くゆく。
私はそう自分を奮い立たせ、エルティナに探索の成功を約束するのであった。




