425食目 紙一重の狂気
◆◆◆ ザイン ◆◆◆
誤って落としてしまった握り飯を慌てた様子で追いかけた御屋形様が忽然とその姿を消した。その直後に聞こえた彼女の悲鳴で慌てて行動に移るも後の祭りであり、白エルフの少女は拙者達の前からいなくなってしまったのだ。
急ぎ周辺を捜索するも、なんの手がかりも掴めない。いくら探しても、そこには『ぬかるんだ地面』しかなかったのである。ここはつまずいて転がり落ちるような坂もなければ断崖絶壁の崖もない、休憩を取るには打って付けの場所を選んだのだから当然と言えよう。
「い、いったい、どういうことでござろうか?」
「わからない、でも……エルがいなくなってしまったことには変わりないよ。もしかすると吉幸衆の仕業の可能性も否定できない。取り敢えずは兵達が動揺しないように纏め上げる必要がある。しかし、どうやってエルを攫ったのか……いや、本当に吉幸衆が? この霧では……」
エドワード殿下は顎に手を当ててブツブツと自問自答を始める。この仕草は彼が考え事に集中する際におこなう癖であり、拙者が彼に出会って間もない頃には既におこなっていた。このことから学校に入学する前に既に癖となっていたのだろうと予測できる。
こうなると声を掛けても気付いてくれないので、拙者は動揺する兵達を取り纏めるために木下殿と協力して兵達に声を掛けていった。更にはメルシェ殿とフォルテ殿も声掛けを手伝ってくれたのである。
自分よりも幼いにも関わらず冷静である少年少女に声を掛けられ、慌てふためいていた自分を省みたのか部隊は思ったよりも混乱することなく落ち着きを取り戻すことに成功した。
無事に兵達を落ち着かせることに成功した拙者は、地面を注意深く観察しながら何かを探す赤服の少年エドワード殿下を目撃することになった。果たして彼は何を探しているのだろうか? 地面に御屋形様が倒れているとは思えない、それにその周辺は既に捜索済みではないか。
「やっぱり見当たらない」
「エドワード殿下、見つからないとは?」
彼は少女のような整った顔をこちらに向けた。彼は男であると言われなければ誰しもが女と勘違いするような顔の作りをしている。しかもとびっきりの美形であるのだから性質が悪い。
彼の長いまつげとふっくらとした唇にドギマギしながらも拙者は彼の捜している物について訊ねた。
「あぁ、エルが追いかけていた握り飯が見当たらないんだよ。もし吉幸衆がエルを攫ったのであれば、地面に落ちている握り飯なんか当然に無視するだろう? だからそれが残っていれば吉幸衆の仕業だと断定できる筈だったんだけど……エルが落した握り飯が見つからないんだ」
「なんと……それは、いったいどういうことでござろうか?」
まったくもって奇々怪々な出来事に拙者達は沈黙せざるを得なかった。これ以上考えても何も良い考えが浮かんでこない。まさに神隠しと言えるような状況に不安と危機感を募らせてゆく。
だが、そんな負の連鎖を断ち切ってくれるのはいつだって拙者の主である白エルフの少女だった。唐突に拙者の頭に響く可憐な主の声。〈テレパス〉による念話だ。
『おいぃ、俺だ』
『御屋形様っ!? ご無事でござるか!! 今いずこに!?』
『握り飯を追いかけていたら、いきなり崖に落ちた。そこを正義の超人に救われたんだ。今いる場所は俺も把握していないが、まだ吉幸の山の中なのは間違いない』
『崖でござりますか? それは、おかしゅうございます。我らがいた場所には崖などございませぬ。御屋形様もご覧になって、ここであるなら休憩に適している、とおっしゃったではございませぬか』
『……え?』
『え?』
おかしい、話が噛み合わない。御屋形様は確かに崖に落ちたと言った。だが、ここにはそのような場所は一切存在していない。それに正義の超人とやらも気に掛かる。ここは早急に彼女と合流した方が良さそうだ。だが……どうやってこの広い山の中、しかも視界が悪い状態で合流すればいいのだろうか?
「ザイン、どうしたんだい?」
「はっ、今、御屋形様から念話で連絡が入ったのでござるが……」
キョトンとした表情で拙者を見つめていたエドワード殿下に現状を説明する。彼なら良い考えが浮かぶかもしれないと期待を込めたのである。そして、それは拙者の望んだとおりになった。
「なら、エルには山頂を目指すように伝えてくれないか、僕達は吉幸衆を警戒しながら山頂を目指そう。エルには、うずめとさぬきが付いているから『獣信合体』で黄金の蛇神になれば空を飛べるはずだよ」
「なるほど、それならば目指す場所は同じでござるな。そのように伝え申す」
繋がった状態の念話にて御屋形様に山頂を目指すように伝えると、彼女はそれを承諾し念話を終了させた。だが『獣信合体』は使用するつもりはないと言っていた。恐らくは恩義を感じているキララ九十七世という超人に気を遣っておられるのだろう。少しばかり気が急いているようにも感じられたが大丈夫だろうか? 心配だ。
移動を開始するにあたって部隊の指揮をエドワード殿下が取ることになった。御屋形様には申し訳ないが、やはり部隊の指揮能力は殿下の方が段違いに上である。ぬかるみ歩きにくい山道であっても部隊の進行速度が落ちないのはエドワード殿下の誘導があってのことだろう。御屋形様は体力の問題もあり、自分のことで精一杯のご様子だったので仕方がないことだと思うが。
◆◆◆
山頂を目指し一時間が経過しようとしていた。無事とは分かっていても御屋形様のことを想うと心が急いてしまうのは致し方がない。それは努めて冷静でいる彼を見ても分かることだった。
「猿子さん、山頂までは後どれくらいか分かりますか?」
「えっと……このままの速度で進めば後三十分ほどだと思うっす」
「そうですか、少し進軍速度を上げるべきか……いや、それでは体力がもたないか」
比較的軽装備の我らに比べて引き連れてきた兵士達は重装備のため移動速度が遅くなるのは必然、そんな彼らの移動速度を上げると無駄に体力を消費させてしまい、敵との戦闘の際に不利になってしまう。しかし、先に御屋形様が山頂についていた場合を考えると急ぎたい、という気持ちが彼の心の中でぐるぐると渦巻いているのが手に取るようにわかる。何故なら、拙者も同じ思いを抱いているからだ。
ここまでは吉幸衆に誰一人として遭遇していない。ここまでくると本当に彼らがこの山にいるかどうか怪しく思えてくる。もしかすると山頂付近がヤツらの根城の可能性も否定できないが、巡回部隊がまったくいないというのもおかしな話である。
「妙ですね、キツコウシュウって方々はいないのでしょうか? エドワード殿下」
「うん、確かにおかしいね。山頂に到着したら偵察隊を編成して探らせてみようか」
メルシェ殿もまったく討伐対象を発見できない事に疑問を持ち始めていたようだ。そんな時のことだった、彼女の前を歩いていたフォルテ殿が腰の剣を抜き構えた後に空を切り払った。直後に金属音が響き足下に矢が突き刺さる。間違いなく敵襲だった。
「きゃっ!?」
「メルシェ、俺の後ろに」
まったく敵襲の気配がしなかったというのにフォルテ殿はそれに感付き対応した。驚くべき察知能力の高さに呆気に取られるも、すぐさま立ち直り刀を抜く。兵達も戦闘態勢に入った。
「何者かっ!?」
エドワード殿下が声を張り上げる。その声は高く、あくまで少女が発したものにしか聞こえない。彼はこの声に不満を持っているが、声変わりするまでの辛抱だと言い我慢している。彼の目標は祖父であり王であるウォルガング国王陛下のような男になることだという。
……内面はともかく外見は無理かと思われる。だが拙者は彼を応援するつもりだ。
「神聖なる吉幸の山に侵入する愚か者共め、死してその罪を償うがいい」
濃い霧の中からぬるりと姿を現した複数人の武装した僧兵。どうやら彼らが吉幸衆であるようだ。その中には女性らしき者もいるが戦闘に入ればそのようなことは関係なくなる。敵対するのであれば味方を護るために切り捨てるのみ。
だがエドワード殿下は、まず彼らとの交渉から始めた。その僅かな時間を利用して念話で指示を出している。非常に器用なことをやってのける御仁だ。
「貴殿らが吉幸衆か、我らは織田家の討伐隊である。大人しく降伏すれば命までは取らない。素直に投降し、今までの罪を償い更生することを貴殿らに望む」
「我らは神聖なる者の使いぞ、下賤なる者共から供物を受け取ったまでのこと。罪に問われるようなことはしておらぬ。貴様らが我らに難癖をつけて、この山と神聖なる者を奪おうとしているのは明白である。神聖なる者の名の下に貴様らを討ち取らん! 者共、こやつらを討ち取れ!」
やはり、交渉は決裂した。エドワード殿下の説得は無駄に終わったのである。とは言っても、無駄に終わったのは戦闘の回避だけであり、その間に戦闘準備及び配置は完了していた。彼はこの濃い霧を利用して密かに複数名を吉幸衆の背後に回らせ包囲殲滅を企てていたのである。
背後に回ったのは存在が空気の……もとい、気配を感じさせないのが得意なフォルテ殿だ。彼は我がクラスでも指折りの戦闘能力を持っているので抜擢されたのである。
彼は基本的に誰かしらのサポートに回ることが多いのだが、その実力は本物であり、かのユウユウ・カサラをもってして『ゾクゾクさせてくれるわ』と言わしめた男なのだ。
だが、その存在の薄さで次の日には彼女に忘れられてしまい戦闘にまでは至っていない。運が良いのか悪いのか分からない少年である。
拙者も手合わせしたのだが何度も不覚を取っており、まさに陰の実力者と言えよう存在だ。ちなみに拙者の実力はクラスの中で中の上と言ったところである。まだまだ精進が足りない……強くならねば。
「残念だよ、こちらとしても無駄なことはしたくはなかったのだけどね」
剣すら抜かないエドワード殿下を見て吉幸衆の部隊を率いる頭の表情に怒りの色が差した。どう見ても年端もゆかない少年……いや、恐らくは可憐な少女と判断していると思われる、が自分達を完全に見下しているのだから無理もない。
「おのれ、なんという態度だ! おまえのような小娘にはきつい灸を据えてやろうぞ!」
言っていることはなんらおかしくはないのだが、その顔には明らかに悪意が籠っていた。絶対に捕らえていかがわしい事をしようと企んでいるのが容易に予想できる。だが、彼の下半身に付いている物を見ても同じ考えでいられるだろうか? まぁ、そうなる前に事は収まるであろうが。
「……? 何をしている、さっさとヤツらに天誅を……!」
棒立ち状態の僧兵達に発破をかける頭だったが、その直後にバタバタと倒れてゆく仲間を見て、彼は大きく目を見開き驚愕の表情を拙者達に見せた。その視線の先には濃い霧の中に紛れ込むように立っている少年の姿。それは鞘に収まったままの剣を持つフォルテ殿であった。
「呆気ないね、隙だらけだったよ」
「バカな……まったく気配を感じさせぬとは!? 貴様、さては天狗の子供かっ!!」
頭がフォルテ殿を指差した時には既に彼の姿はなかった。拙者も注意して見ていたのだが、瞬きをした次の瞬間にはもうそこにはいなかったのである。と同時に地面に向かって崩れ落ちる頭の姿が確認できた。彼の背後には黒髪の少年の姿。いつ頭の背後にまわったのか認識すらできなかった。
「終わったよ、エドワード」
「あぁ、手間を掛けさせたね、フォルテ。それと、木下さん、僧兵達は縛り上げておいてくれないか。帰りに回収するから」
「了解っす」
なんてことはない、といった会話を交わす二人に味方ながらも戦慄せざるを得ない。それはフォルテ殿と吉幸衆の背後にまわった兵士達も同様であったようだ。ただメルシェ殿はフォルテ殿の活躍に大はしゃぎであった。その可愛らしい様子が拙者と兵達の気持ちを紛らわせてくれたのである。
「凄いっすねぇ、自分らの出番がなかったっすよ」
「まだ本番ではないからね、彼らはきっと本拠地を護る衛兵のようのものだ。この先に彼らの頭領がいるに違いないよ。気を引き締めてゆこう」
木下殿に警戒を促すと殿下は部隊を纏めて再び進軍を開始した。殿下の後ろに付くフォルテ殿はまるで彼の影のように見えてくる。思えば拙者はフォルテ殿のことを殆ど知らない。それは彼が語ろうとしないこともあるが、拙者も彼のことを知ろうとしなかったせいもある。
いったい、どれほどの修練を積んできたのだろうか? あの早業は景虎殿のに勝るとも劣らぬもの、とても一朝一夕では習得できまい。恐ろしい少年だ。
◆◆◆
山頂に向けて進軍すること二十分弱、木材で作られた砦のような建物が霧の中から姿を現した。これが吉幸衆の根城であることは間違いないだろう。入り口となる門に立つのは三人の僧兵。周りを五~六人が巡回しており、それなりの警備をおこなっているように見受けられる。
「砦の規模からして中には百人以上はいるっすね」
「木下殿、現在の吉幸衆の規模はどれくらいでござるか?」
「全盛期は五千を超えるとかなんとか、でも殿の活躍で二百足らずにまで激減したって話っすから減ることはあっても、増えることはないと思うっす」
「つまり、大部分の吉幸衆があの砦に潜伏しているというわけでござるな……」
先行偵察をおこなっていた拙者と木下殿は獲得した情報を報告をするために部隊に帰還し、吉幸衆の砦の位置と規模を報告した。その報告を受けエドワード殿下は再び顎に手を添えて考え始める。策を練り始めたのだ。
「ザイン、砦の周りには燃えるような物はあったかい?」
「いえ、砦の周りのあったと思われる木々は全て伐採されてござった。恐らくは砦を建てる際の材料に使われたのかと」
「ふむ、わかったよ。なら山に引火する確率は低いな。よし、焼き討ちにしてしまおう」
「ははっ……はぁ!?」
拙者は返事をした後に素っ頓狂な声を上げてしまった。彼は砦に火を放ち吉幸衆ごと燃やそうと言っているのだ。御屋形様がいれば、このような暴挙を許すはずもない。エドワード殿下はなかなか御屋形様に合流できない状況に業を煮やした可能性がある。ここは彼をいさめなくては。
「殿下、あの砦には人がいるのですぞ」
「うん、そうだね、だから放つんだよ。籠城でもされたら備えの少ない僕らでは手に負えなくなる。それに砦は木造だ、万が一に火事になった際に脱出経路を備えておくのは当然だろう? だから火を放って全員あの砦から出てきてもらうのさ。ま、逃げ遅れたら運が悪かったということで」
拙者は殿下の妖艶な笑みを目撃し背筋が凍り付いた。彼はこのような冷徹とも言える作戦を実行できるほどに強い意志を持っているのだ。それは人の上に立つための資質とも言えるが、正直なところ納得はできないと思った。それはきっと、拙者が長く御屋形様を見てきたからだろう。
彼女は人の命を第一とし、どんな状況下でも敵味方隔たりなく救おうとする方だ。拙者は御屋形様の隣に長くいたせいで戦とはどのようなものか忘れてしまっていたのかもしれない。
殿下の作戦を冷静になって考えてみれば兵力の少ない我らが勝利を収めるには、この方法が最善であると言えよう。吉幸衆は拠点を失い蓄えと兵をも失う、砦を脱出した際には冷静さも失っているだろう。
そこを我々が容赦なく叩けば、あっという間に吉幸衆は壊滅するに違いない。拙者と変わらぬ歳であるにもかかわらず、なんという策を考え付くのであろうか。
「よし、では吉幸衆に覚られぬように接近しよう。エルの配慮のお陰でこちらは少数ではあるが精鋭揃いだ、この作戦は間違いなく上手くいくよ。砦に火を放つのは僕とメルシェでおこなう、ザインとフォルテはその護衛だ。木下さんは砦の周りに兵を配置して逃げ出してきた者を叩いてほしい」
拙者らは殿下の指示に従い息を潜めて静かに砦に接近した。幸いにもここは山であり木々が生い茂っているので身を隠す場所には困らない。砦を護る者に察知されない限界の距離まで接近し、それぞれの配置に就く。
吉幸衆の砦は木造であり、その周囲を高い壁で覆い囲っている。濃い霧に覆われているせいで物見やぐらが役に立たないのか建築していないようだ。
強固な結界に油断しきっているのか、唯一の入り口である門は開け放たれたままであった。そこに武装した僧兵が三人体制で護っており、一定周期で巡回兵が門の前を通り過ぎている。したがって拙者らは砦に火を放つために、まずは衛兵と巡回兵をどうにかしなくてはならない。
「さて、皆は配置に就いたようだね。後は僕達次第だ、まずは衛兵と巡回兵を全て撃破する。フォルテは巡回兵を始末してほしい、僕とザインは門を護る衛兵だよ。火の気を感付かれたら作戦は失敗になる、チャンスは一度きりだ。慎重に、だけど大胆に行こう」
まずはフォルテ殿が物音一つ立てずに濃い霧に紛れ込んだ。巡回兵を始末しに行ったのである。彼が失敗する確率は限りなく低いだろう。
ほどなくして巡回兵が門の前を通り過ぎる間隔が長くなってゆき、やがて誰も来なくなった。その事を疑問に思ったのか三人の衛兵の内、二人までもが持ち場を離れ様子を見に行ったではないか。
「フォルテは上手くやったようだね、ザイン、僕らも行こう。メルシェはここで待機。僕らが戻るまでは出てきてはいけないよ」
「承知」
「わ、わかりました」
拙者達はこの絶好の機会を見逃すはずもなく、すぐさま行動に移った。まずは孤立した衛兵を一撃の下に切り捨てる。悲鳴を上げさせてはならない。よって拙者が狙ったのは衛兵の頸。油断していた衛兵は悲鳴を上げることなく、あっけない最期を迎えた。
思えば人を斬るのは『久し振り』だ。以前は斬ってもなんの感情も湧いてこなかったが、今は酷く心が騒めき気分が悪い。だが、これから先は御屋形をお守りする為に何度もこういったことをおこなうだろう。心を鬼にして自分の務めに従事しなくては彼女を護ることなど到底適うまい。
「よし、上手くいった。残りの衛兵も片付けよう」
「はっ」
残りの衛兵を始末するべく、拙者達はなるべく音を立てぬように小走りで衛兵達を追いかけた。濃い霧の向こうに二人の影、衛兵の後姿が見えた。
その瞬間、エドワード殿下が一気に間合いを詰め片方の衛兵の頸を刎ねる。拙者も僅かばかり遅れて残った衛兵の頸を刎ねることに成功した。今度も悲鳴は上げさせなかった。
「上手くいったようだね」
「上出来過ぎて不安になるでござるな」
事が上手く運んだことを確認した後、メルシェ殿と合流し続けて砦に火を放つ。使用する魔法は火属性の攻撃魔法〈ファイアボルト〉。流石は魔法が得意とあって、メルシェ殿は大量の炎の矢を砦に向かって放った。その様は、まるで炎の雨が砦に降り注いでいるかのようだ。
「これは凄いや、僕が放つまでもない」
「うう~、仕方がないとはいえ……罪悪感が物凄いです」
「大丈夫、責任は全部僕が持つから。メルシェは僕の命令に従っただけ、いいね?」
「は、はい……」
やがて砦全体に火の手が回り沢山の悲鳴が聞こえ始めた。ここからが正念場だ。
『よし、逃げ出してきた者を一人残らず捕縛、もしくは仕留めるんだ。その際に周囲の警戒を怠らないように。砦から出かけている部隊が帰ってくる可能性があるからね』
念話にて最後の注意を促し殲滅作戦は最終段階へと移行した。燃え盛る砦から逃げ出してくる僧兵達を片っ端から切り捨てる。念話によって砦を囲う壁が開いて逃げ出してきた者がいる、と念話で報告が入ってきた。やはり有事の際の脱出経路があったようだ。もちろん、その者達も予め配置された兵によって撃破されてゆく。
やはり逃げ出してきた者達は冷静ではいられない者ばかりであり、大した抵抗もできぬまま捕縛、もしくは切り捨てられていった。投降する者は若干名いたが、殆どの者は半狂乱になり剣を向けてきたので切り捨てることになる。
完全に砦が炎に包まれた時、木下殿から吉幸衆の頭領と思わしき人物を捕縛したとの念話が入った。もう砦から人が出てくることはないだろう。あの燃え盛る砦中にいる者は燃やし尽くされ骨となって出てくるだけだ。
「くそっ……この悪魔どもめ」
「その言葉、あなた方が略奪の限りを尽くした人々が聞いたら、どのような顔をするでしょうね?」
吉幸衆の頭領と思わしき人物は肥え太った老人であった。その顔は悪行に手を染めて生きてきた者特有の醜さが刻まれた醜悪なものであり、その視線も腐りに腐り果てたものであった。自分の命が危ないというのに視線の先はメルシェ殿の剥き出しになった太ももであったのだ。
「さて、あなた方、吉幸衆もこれでお終いです。何か言い残すことはありますか?」
エドワード殿下は縄に掛けられて跪く頭領を見下しそう告げた。だが、頭領は不敵にも笑みを浮かべて彼を嘗め回すように見つめたのである。その視線には流石の殿下も嫌な表情を浮かべることになった。
「ひひ、おまえが指揮官か。なかなかどうして、器量の良い娘よ。まだ幼いながら美人になる素質を隠すことなく曝け出しておるわ。今から、わしがおまえを調教して一人前の女にしてやろう」
やはりヤツもエドワード殿下を女だと勘違いしているようだ。そして言い終わると同時に頭領の目が怪しく輝いた。催眠術の類だろうと推測される。
その目をまともに見てしまった殿下は頭領に向かって妖艶に微笑んで見せたではないか。まさか暗示に掛かってしまったのだろうか? 強硬手段も止む無しと考え拙者は構えた。
「おぉ、良い子じゃ。さぁ、今からわしがおまえの主じゃ、わしに奉公する喜びを与えべひ」
「僕はこれでお終いと言いましたよ?」
殿下は微笑みを湛えながら、手にした剣を頭領の脳天に振り降ろしたのである。彼は最後まで台詞を言うことなく絶命して果てた。なんとも惨めな最期である。
「ふぅ、最後の最期まで気持ちの悪い男でしたね。これで討伐はほぼ終了です。後は残党を駆逐すれば吉幸の山に平穏が訪れることでしょう。あ、その男に刺さっている剣はそのままにしておいてください。今抜くと汚らわしい血が大量に飛び出てくるので」
エドワード殿下は頭領の亡骸を心底汚らわしい物でも見るかのように言い放つ。流石の彼もこの男には情けの欠片もないようである。当然といえば当然だろう。
「さて、後はエルを見つけるだけだね。早くエルを迎えにいかなくちゃ」
「そ、そうでござるな」
そう言った彼の顔は満面の笑みであった。その顔に拙者は狂気が潜んでいるように思えてならない。人を殺した直後に、そのような笑みを浮かべるなど常人には到底できようはずもないからだ。
だが常人に国を治めることができないことは確かであり、狂気と紙一重の感情を制御する彼は紛れもなく王の資質を備えている。それは喜ぶことでもあるが、不安な気持ちにさせられることも否めない。
彼は御屋形様が絡むと狂気じみた行動も平気でおこなう。大抵は御屋形様がお止になるが、彼女が不在であるとこのような結末に至ることが多々あるようだ。逆に考えれば、御屋形様がいれば彼は間違いなく賢王でいることができると言えよう。
御屋形様を狙っている者は数多いるが、ここはやはり殿下と御屋形様を結び付けた方が民のためになるのではなかろうか? 御屋形様もエドワード殿下にはまんざらでもない感情をお持ちであるはず。
ライオット殿には申し訳なく思うが、多くの民のことを考えれば選択は一つしかないのだ。
御屋形様は一人にして一人にあらず。王もまた一人にして一人にあらず。民がいて王足り得るのだ。エドワード殿下と御屋形様、この二人が共にあるのは必然ではないか。
主の幸せは家臣の幸せ、彼女が幸せでいられるように『運命を斬り開く』、それこそが拙者のたった一つの誓い。この身を懸けるに相応しい使命だ。
燃え盛る炎を背に拙者達は惨劇の場を後にした。
未来の賢王が、このような惨劇をなくしてくれることを願いつつ。




