423食目 吉幸の山
ぬっぽる騒動から三日、俺達は吉幸の山を目指し行軍の真っ最中だ。澄み渡る青空には雲ひとつなく、代わりに白い鳥たちが楽し気に鳴き合って大空を飛び回っており、道端に咲く色取り取りの花たちも穏やかな風に吹かれ、まるで俺達を見送ってくれているがのごとくその身を揺らせている。
これからドンパチしに行くような天気ではないことは確かだ。そして、このような陽気に誘われて草原で寝っ転びたい誘惑になどに断じて負けない、という雰囲気を醸し出しながら進軍しているのが、信長さんから預かった兵士達だった。このことから相当な練度を積んだ者たちだと思われる。
信長さんから預かった兵は必要最小限の四十五名、これにエドワード、ザイン、メルシェ委員長とフォルテ副委員長、そしてもう一人、この部隊の編成を手伝ってくれた信長さんの家臣である『木下藤吉郎』さんという『女性』が加わり、総勢五十名という規模の部隊で吉幸の山を攻略する。
咲爛は案の定、信長さんが出陣させてくれなかった。当然といえば当然である。
彼女は相当に不満であり膨れっ面を見せていたが、一時的に信長さんの家臣となった俺は何も言うことはできない。彼女の戦力を当てにできないのは確かに痛手ではあるが、こちらにはザインもいるしエドワードもいる。なんとかなるだろう。
「エルティナ様、お疲れではないっすか?」
「うん、大丈夫だ、ありがとう」
足の遅い俺は馬に乗せられて移動していた。その手綱を引いて歩いてくれているのが木下藤吉郎さんだ。
彼女は後の豊臣秀吉であるが既に性別が違うということで、織田信長が亡くなった後に豊臣秀吉が即位した関白という地位に就くことは非常に低いと思われる。だが、彼女が転生者であることは周りも自身も知らない可能性があるので一概には断言できない。ややこしいことだ。
ちなみに木下藤吉郎はニックネームのような物らしく、本名は『木下猿子』というそうだ。
また、どういうわけか、このイズルヒには随分と転生者が多いらしく、特に戦国時代に生きた者達が集中的に集まる傾向があるらしい。だから、この国が戦国時代のようになってしまっているわけだ。何も転生先で戦国時代を再現させなくてもいいと思うのだが……それほどまでに未練があったということだろうか。
「そろそろ吉幸の山に到着するっすよ」
「ふきゅん、予想よりも遠い場所にあるんだな、木下さん」
「猿子とお呼びくださって結構っすよ」
この木下藤吉郎さん非常に気さくな女性であり、且つ細やかな配慮ができる大和撫子であった。是非とも彼女の爪の垢を煎じて美津秀さんに飲ませてやりたいところだ。
「今……自分の爪の垢を美津秀さまに飲ませたいって考えたでしょ?」
「な、なにぃ……!? 俺の思考を読んだだとぉ……!?」
驚くことに彼女は俺の考えていることを見事に的中させてしまった。これは彼女の特殊な能力なのだろうか? その驚異的な力に俺は戦慄し、その身をプルプルと震わせたのである。
「あぁ、いえいえ、美津秀様とお会いになった方々が口々にそう言われますので、表情を見ればなんとなくですが分かってしまうんすよ、はい」
そういって朗らかに笑う、きの……もとい、猿子さんはポリポリと頭を掻いた。
彼女は名前が表すとおり猿の獣人だ。年の頃は二十代前半と言っていたが非常に小柄で童顔であり、身長も百五十センチメートル程度かと思われとても二十代とは思えない。下手をすれば十代前半と間違われそうである。
赤毛の髪はベリーショートヘアーで整えられており、大きな丸い耳が印象的であった。尚、尻尾が長いことから彼女は少なくともニホンザルがベースではないようだ。
「それに、もう彼女は自分の爪の垢を飲んでいるんすよ? 直接、こう口をパクッと……の後のレロレロは流石に酷かったすねぇ。あの女性に付ける薬はたぶんないと思うっすよ?」
「これは酷い」
「押し倒された時はどうなることかと思いましたが、殿が助けてくれたので大事には至りませんでした。エルティナ様も美津秀様には努々(ゆめゆめ)お気を付けください」
あの人は本当に何をやっているんだ、幾ら転生したからといってはっちゃけ過ぎだろ。前世がくそ真面目過ぎた反動とでもいうのだろうか? もう俺が知っている明智光秀はいない……死んだのだ!
少しばかり心を乱された俺であったが、どうにかこうにかして立ち直り、目の前に迫った吉幸の山を見上げた。神聖なる者が住むというだけあって、得体の知れない力が身体に伝わってくるのがわかる。と同時にいやらしい意思でもって作られた結界の存在も理解できた。
吉幸の山は決して小さくはないが、その山全体を覆ってしまえるほどの結界を作り出すのは至難の業と言ってもいいだろう。且つ、その結界を今日まで維持しているということに脅威を感じざるを得ない。
だが俺の前では無意味だ。その結界は常人であれば、ほぼ無敵結界と言ってもいい代物であるが、俺にとってはパリパリと良い音を立てるお煎餅に過ぎない。鉄の城に登場するバリアーのごとく、ムシャムシャしてくれるわっ!
「ここが吉幸の山の入り口です。ご覧のとおり強固な結界が張り巡らされているっす。この結界は殿の拳をも弾く恐るべき結界……どのようにして攻略なさるおつもりっすか?」
「ふっきゅんきゅんきゅん、まぁ見てなって、猿子さん」
固唾を飲んで見守る猿子さんと兵士達。そんなに見つめられると恥ずかしい気持ちになるが、気を紛らわせるためにこの場面でおふざけをするのも場違いだと思うので自重する。
「出てこい! 全てを喰らう者〈闇の枝〉!」
強固な防壁や結界にこの一匹! 全てを喰らう者・闇の枝!!
そう、このようなチート結界は闇の枝に食べさせてしまうの限るのだ。ただし、今回は俺が直接闇の枝を操らず闇の枝を司るいもいも坊やに制御させることにしている。
闇の枝の正体が俺の『食欲』だということは判明しているが、その発現の条件はいもいも坊やの魂を取り込むことだった。過去の全てを喰らう者たちはどうだったかは分からないが、少なくとも俺はそうだったのだ。
そして取り込んだ後のいもいも坊やが『闇の枝』の発現を抑え込んでいてくれたことも、今となって理解できている。ただ、彼は抑え込むことはできても制御はできないようで、基本的に俺に丸投げの状態に陥ってしまっている。
それに対して初代様が司っている『光の枝』は完全に彼女の制御下に置かれていた。それは初代様の精神が成熟していることもあるが、彼女は『光の枝』と完全に同化することができるからだろう。その証拠に『光の枝』は彼女の姿に変えて飛び出してきたからだ。そう、あの『おっぱいぷるんぷるん』である。
ちなみに脳内で通常の光の枝の姿を見せてくれた際、光の枝は白い毛に包まれた八眼の蛇で口は見当たらないという姿で現れた。相当に不気味な外見であったが、その八つの青い眼は慈愛に満ち、見る者を安心させるという不思議な眼であったことも伝えておく。
『いもいもっ!』
闇の枝が出現すると同時に俺の頭の天辺より、いもいも坊やがにょっきりと飛び出してきた。彼はやる気満々の様子であり、短い足をわしゃわしゃさせてそれをアピールしている。
突如として眼がなく口だけがある巨大な黒い蛇が俺より飛び出してきたことに、兵達は驚きと動揺を隠せずにいた。
幾ら訓練を積んだ兵とはいえ、このような奇想天外な事態には慣れてはいないのだろう。取り敢えずは俺と居る限り、このような事態は割と頻繁に発生するので今の内に慣れてほしいものである。
「よぉし、いもいも坊や、闇の枝に結界を食べるよう指示するんだぁ」
『いももっ!』
いもいも坊やは裂帛の気合いと共に闇の枝に結界を食べるように指示するも、巨大な黒い蛇はそっぽを向き、とぐろを巻いてまったりし始めてしまった。やはり、まだいもいも坊やの精神は未熟であり、支配者としての実力も足りない様子であるようだ。
「ふきゅん、まぁ、最初はこんなもんだろ。気を落すな、いもいも坊や」
『いもぉ……』
すっかり凹んでしまったいもいも坊やを慰め、彼を左肩の定位置に陣取らせた後に闇の枝を操り結界を容赦なく食わせていった。幼い芋虫が闇の枝を操るには今暫くの時間が必要なようだ。闇の枝の真の力が解き放たれるのは、まだまだ先になりそうである。
「フキュォォォォォォォォォォォォォォン!」
今まで何者をも拒絶し寄せ付けなかった強固な結界を、まるでお煎餅のようにバリバリと喰らってゆく闇の枝。彼が味わっている物は俺も感じ取ることができる。この強固な結界は煎餅よろしく醤油味であった。
うん、美味しい!
「おぉっ!? あの結界がまるで瓦のように砕かれてゆく!」
「なんという大蛇だ!! これがあの幼い少女の力だというのか!?」
黒い大蛇の活躍に兵達は興奮を隠すことはできなかった。信長さんでも完全破壊とまでいかなかった結界を貪り食ってゆくのだから当然と言えよう。でも、戦闘の際には闇の枝は強力過ぎて反則なので防御技としてしか使用しない旨を伝えておかなくてはならない。下手に使用して皆を巻き込んでしまったら悔やんでも悔やみきれないからだ。
それにしても俺の攻撃方法って本当に極端なものが多い。殆どが無差別範囲攻撃ってなんだよ、いい加減にしろ! 単体遠距離攻撃を寄越せ! 近接戦闘なんて怖くてできるかっ!! と心の中で不満を爆発させるもそれを表情に出さない俺素敵。
基本的に俺はヒーラーなので後方支援が主な役割であるのだが、前衛が優れた戦士達であればダメージを負うことがそうそうないため手持ち無沙汰になってしまうのだ。とはいえ俺ごときがチェーンソーをぶんぶん振り回しながら突撃しても邪魔にしかならない。したがって間接攻撃で前衛の攻撃の機会を増やしてやりたいと思うのだが……世の中上手くはいかないものである。
「お見事っす、エルティナ様は召喚士だったんすね」
「いや、本業はヒーラーなんだぜ」
「ヒーラー……治癒師のことっすか!? で、でも、あの大蛇は相当な修練を積まなくては到底呼び出せないと思うんすが!? いったい、どういうことっすか!? もう頭が混乱してきたっすよ!」
普通に受け答えしたら混乱された。召喚士はラングステンではあまり聞かない言葉だ。テレビゲームなどではメジャーな職業ではあるがカーンテヒルにおいてはあまり聞かない職業である。
確か学校の図書室にある『世界の職業大全』という本の説明によれば、召喚士という職に就く者は自身の技術や秘術を他者には晒さない秘密主義を貫く傾向がある、と書かれていた文を読んだ記憶がある。
召喚士とは別に『魔物使い』という召喚士と似て異なる存在がいるが、この世界ではこちらの『魔物使い』方がメジャーである。
フィリミシアにも数名の魔物使いが滞在しており、よく冒険者ギルドに依頼を受けに来ているそうだ。俺もたまに魔物使いと間違われることがあるのだが……それはきっと、とんぺー達を引き連れて街中を散歩しているからだろう。
「ふきゅん、深く考えたら脳がはち切れるんだぜ。気にしない気にしない」
「そ、そうっすか? エルティナ様がそうおっしゃるなら、そうするっす」
猿子さん達の様子を見守っていたエドワード達は苦笑いを浮かべた。彼らもまた俺の突然変異のごとく飛び出してくる能力の犠牲者であるからだ。特にザインなどは俺に付き従って行動する機会が多いため、頻繁に驚くことになっている。こればかりは謝ってもどうしようもないので開き直るしかない。
結界を食い破るのは入り口付近だけで十分だ、と判断した俺は闇の枝を引っ込め吉幸の山へと進軍した。突入時間は午前十時半である。入り口付近は霧の『き』の字もなかったにも関わらず、侵入して五分も立たない内に霧で視界が見通せなくなってしまったではないか。
信長さんの言ったとおりの現象に多少は戸惑いながらも慎重に進軍する。この霧の中にあっては、たとえ『吉幸衆』であっても襲撃はできないだろうと踏み、仲間とはぐれないように慎重に進む。少数精鋭にしたのは大部隊を率いてバラバラに遭難した挙句に各個撃破されないためだ。人数が多過ぎると管理が大変になるからな。
入山して一時間ほど経過した。流石にこの深い霧の中を進軍するのは相当な神経をすり減らすことになる。また馬が使えないため必然的にぬかるんだ山道を自分の足で歩かなければならないため進軍速度がどうしても落ちてしまうのだ。主に俺のせいなのだが……。
「エル、そろそろ休憩を挟んだ方がいい。この視界と慣れない山道に兵が疲労している」
「ふひ~、ふひ~、そ、そうだな。俺も休みたい、ぜぇぜぇ」
この山道は俺にとっての試練であった。桃師匠に走らされているランニングなんて目じゃない、もう足も何もかもがガクガクいっていて相当に危険極まりない状態だ。
「へヴィだぜぇ……」
「ちろちろ」
違う、きみじゃない。
首に巻き付いたさぬきが俺を心配してくれたのだが、どうやら蛇とへヴィを勘違いしてしまったようである。このさぬきは喋れはしないものの相当に賢いらしく、遂には人の言葉を覚えてしまったようなのだ。
まぁ俺は秘儀『桃珍獣言語』が使えるので、さぬきのような人の言葉を話せない動物たちとお喋りすることが可能なのだが。ちなみに、さぬきは口数が少なく大人しい子である。
それとは真逆に俺の帽子の中にいる、うずめは非常にお喋りであり、今もなお一羽でちゅんちゅんと独り言を言っている。別に構いはしないのだが、授業中に独り漫才をおっぱじめるのは勘弁してもらいたいものだ。思わず吹き出してアルのおっさん先生に叱られてしまったのだから。
兵達に少しばかりの休憩を通達し、十五分ほどの交代で見張りと休憩する者とを分ける。計三十分の休憩だ。この時間を利用して腹ごしらえをおこなう。火などを使用しては居場所を察知されかねないので各自で用意した握り飯を食べる事となっていた。
握り飯は手軽に食べれて満足度も高い優秀な携帯食だ、飯の中に具を入れればそれだけで豪華な料理と化す。まったくもって米とは無限の可能性が秘められている食材であるな!
「さて……俺も食べるとするか」
俺も腹ごしらえをするために〈フリースペース〉から握り飯を取り出す。大きな笹の葉に包まれた特製の握り飯だ。シンプルに塩だけで食べるのが好みなので、あえて具は入れなかった。
いざ食べようとしたところで俺は不覚にも握り飯を落してしまった。するとその握り飯はコロコロと転がっていってしまったではないか!
「ふきゅん!? 握り飯がっ! まてまてぇぇぇぇぇぇい!」
俺は土が付いた程度で食べ物を捨ててしまうほど柔ではない。付いた土はある程度取り払って食ってしまう。それよりも食べ物を粗末にする方が大問題と考える白エルフなのである。
慌てて立ち上がり転がりゆく握り飯を追いかける。だが、突如として握り飯がその姿を消してしまった。
「ふぁっ!? 握り飯が消え……ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
気付いた時には手遅れであった。俺が握り飯を追いかけたその先は崖であったのだ。濃い霧に覆われて発見が遅れた俺は握り飯と共に深い崖へと転落してしまったのである。
「エルぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
「御屋形様ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
落ちゆく俺が最後に聞いたのは、エドワードとザインの悲痛な叫び声であった。