399食目 援軍
◆◆◆ エリス ◆◆◆
戦いは一変した。
物事は我々鬼の都合の良い方向に動きだしたのだ。
私の放った鬼力の特性『魅』は人のみならず、全ての生き物に効果を及ぼす。
特に知能の低い存在には効果が高い。
「なんだこいつらはっ!? モンスターか!」
「この子達はティアリ王国の固有種『ライスイーター』というネズミよ。
ライスって名付けられているけど雑食性だからなんでも食べるわ。
……勿論、人間もね?」
なかなかいい手駒を引き当てた。
ライスイーターはネズミではあるが小型犬ほどの大きさの身体を持っており、
その丈夫で鋭い前歯は強固な鎧すら齧り取るほどだ。
更にこのネズミは群れで生活するため数が多い。
繁殖能力も高く放っておくと無尽蔵に増えてゆき
辺りの食物を食いつくしてしまうため、
定期的にライスイーター専門の討伐隊が組まれるほどなのだ。
「くっ! 鬼だけならともかく……こう数が多くては!!」
このネズミは単独で行動する分には臆病であり人前には決して姿を現さない。
しかし、群れで行動するとその性格は一変して凶暴になる。
自分よりも大きな生き物にも躊躇なく襲いかかり食料にしてしまうのである。
「ほらほら、さっきまでの威勢はどうしたのかしら?
私を救ってくれるんじゃなかったの? おじさま? うふふ」
私は前屈みでもって彼を見上げ挑発的な態度を取った。
と……その時のことだ、
私の目の前をひらひらと一匹の蝶が優雅に舞っているではないか。
それはとても美しく儚げな印象を持つ翅をもっていた。
「あらぁ? 私の鬼力で呼び寄せてしまったのかしら?
でも、あなたじゃ戦力にならないわ。ごめんなさいね」
なんとなく、その蝶に手を伸ばすとチクリとした痛みを感じた。
何事かと手を見れば
皮膚が鋭利な刃物で切られたような跡が残っていたではないか。
まさか、あの桃使いもどきの拳圧が私まで届いた?
いや、そんなはずはない。
拳圧であれば間近まで接近していなければ切り傷にはならないはず。
「綺麗なものには棘があるのじゃよ。
もっとも……わらわの場合は刃じゃがのう」
戦場に突如として響く子供の声。
その声は凛としており一点の曇りもなかった。
その声の主は美しい黒髪を持つ幼い少女だ。
顔は少々きつめであるが将来は美人に育つだろう。
将来があればの話だが。
「あらあらぁ? こんな場所にお嬢ちゃんみたいな子がいたら
怖ぁいモンスターに食べられちゃうわよぉ?」
「ほう、それは楽しみじゃ。ささ、遠慮はいらぬ、共に舞い狂おうぞ」
その少女は手に持った見事な意匠が施された扇子をひらひらとはためかせた。
私をバカにしている……それとも挑発なのだろうか?
もし挑発だとしたら子供が考えそうな安っぽい挑発で逆に可愛らしい。
だから、その可愛い顔をズタズタに壊してあげよう。
殺しはしない、その顔で生き続けてほしいから。
きっと良質な憎悪と後悔の念を吐き散らしてくれることだろう。
「うふふ、それじゃあ、お言葉に甘えさせていただくかしら。
その可愛いお顔をもっと可愛らしくしてあげるわ」
「おぉ、並々ならぬ自信じゃの。
そなたはわらわを楽しませてくれるのかえ?」
そう言うと彼女は一際強く扇子をはためかせた。
するとその扇子から沢山の可憐な蝶が生れ出てきたではないか。
「あら、その蝶は貴女が生み出していたのね?」
「そのとおりじゃ、可憐であろう?」
「えぇ、綺麗ね。でも、その蝶が戦いの役に立つのかしら?」
「こやつら自身は戦いにおいてなんの役にも立たぬ。
宴の舞にて見る者を楽しませるのが使命ゆえに。
じゃが、この蝶をわらわが使役するとその役目は変わるのじゃよ」
「へぇ、どんなふうに?」
「こんなふうにじゃ」
はたはたと儚くも可憐に舞う蝶が小鬼のすぐ傍を通過した。
そのすぐ後のことだ、
小鬼がビクンと身体を振るわせた次の瞬間、ずるりと頸が落ちてしまった。
あまりのことに私は声を失う。
「わらわの個人すきると組み合わせればご覧のとおり、
強力無比な刃と化してくれるのじゃよ。
さぁ、さぁ、宴の始まりじゃ。楽しく舞おうぞ」
ということは先ほど私の手を切り裂いたのはこの蝶だったというわけだ。
ここまで理解して私はあることに気が付いてしまった。
彼女が放った蝶は私が纏っている鬼力をも切り裂いて
肉体を傷付けたということに。
つまり、この蝶は桃力なしで私の身体に傷を付けたということなのだ。
「ふっふっふ、そなたの鬼力とやらはわらわには通じぬぞ?
わらわには桃力がないゆえ、そなたを救ってやれぬが……
まぁ、元々救う気がないから気にするまでもないか。ほっほっほ」
口元を扇子で隠し優雅に笑う少女に戦慄を覚える。
この少女は何人もの命を奪ってきた者の目だ。
優雅に取り繕っても、その目に刻まれた略奪者の刻印は消せはしない。
私達鬼と立場こそ違うが、
この少女の気質は我々に近いことは間違いないようだ。
気を引き締めて対峙しなくては。
「ささ、遠慮することはない、ちこう寄れ」
「それは遠慮しておくわ。そんなに蝶を侍らせていたら近付けないもの」
挑発に乗ってはダメだ。あの不規則な動きをする蝶にズタズタにされてしまう。
ある程度予測できる人の動きに比べて蝶は不確定要素が多過ぎる。
僅かな風ですら大きく軌道を変えてしまうのだから。
やはりここは遠距離攻撃で攻めるのがベストであろう。
私はいつもより鬼力を凝縮して丈夫なチャクラムを作り出し
棒立ちの黒髪の少女に投げ付けた。
だがそれは彼女の前を舞っていた蝶に命中する結果となる。
「なっ!?」
私は不覚にも声に出して驚きの声を上げてしまった。
かなりの鬼力を凝縮して作り出した渾身のチャクラムが
あっさりと蝶に真っ二つにされてしまったのである。
「ど、どういうことなの!? なんで蝶ごときに私のチャクラムがっ!!」
「言ったであろう、わらわの個人すきると組み合わされば刃と化すと。
わらわの個人すきる『斬』は全てを切り裂く。
この世にわらわの切れぬものはない」
理不尽ここに極まれりというヤツだ。
強力無比な個人スキル、私には個人スキルすら与えられなかったというのに。
その妬みの感情と理不尽に対する怒りが私の鬼力を増幅させてゆく。
だが、鬼力が増幅したとしても、
どうやって黒髪の少女を仕留めればいいのかまでは思いつかない。
ハーイン様のように鬼戦技で槍を作り出して投げ付けるか?
でも私は鬼戦技は苦手であり鬼仙術専門である。
搦め手は得意とするところであるが直接戦闘はあまりとくいではない。
小鬼達も彼女相手では分が悪そうだ。
そもそも、あのおじさまを抑え込んでいる小鬼をこちららに回せば、
今度は彼が私に襲い掛かってくる。これは下策ね。
なら、蝶が入り込めない地中からの攻撃はどうだろうか?
ふふっ、これならあの厄介な蝶で防ぐこともできない。
少し冷静に考えればどうということもなかったではないか。
私の鬼力の影響力は何も地上だけではない地中にいる生物にも影響を及ぼす。
普段はあまり役に立たないので放っておいているが、
ワームタイプの巨大な生物がここいら一帯に生息していたはず。
そいつらを使ってあの少女の足下から襲わせれば簡単に片が付くことだろう。
「まったく……凄いわねお嬢さん。でも、これならどう?」
私が手を高く上げると、それに反応して巨大なワームが地中から飛び出す。
でも、それは飛び出てきた瞬間に死を迎えていた。
けしかけた巨大ワームがまるでパスタのような姿となって地中から出てきたのだ。
「なっ!?」
「ほっほっほ、考えそうな事よ……のう? くりゅーてる」
「うえ~、まさか、ミミズをけしかけてくるとは思いませんでしたわ」
物陰からげんなりとした表情で姿を見せたのは豊かな銀色の髪を蓄えている少女だ。
どれほどの髪の長さなのだろうか、
『四つ』のロールに纏められている銀色の髪は見ているだけで肩が凝りそうだ。
「貴女の攻撃は通用しませんことよ。
わたくしの能力でサクランの足下をガードしておりますから」
「いったい、どんな手を使っているのかしら?」
「それは乙女の秘密ですわ」
流石に敵に手の内を晒すことはしないか。
あのサクランだかいう少女は自ら情報を晒したが、
それは裏を返せば絶対の自信の表れともいえる。
これは参った、手の打ちようがなくなってしまった。
どこから攻撃しても防がれるのでは攻撃のしようがない。
しかし攻撃の手を休めるわけにはいかない。
すぐ傍には桃使いもどきのおじさまが小鬼達を次々に退治しているから。
多勢に無勢とはまさにこのことだろう。さて、どうしたものか。
私が思案にあぐねていた時、
すぐ傍に闇の塊が空間から滲み出るようにして現れたのを見て
私は険しい表情を和らげた。
それは私の良く知る人物が得意とする鬼仙術〈闇渡り〉の闇であったからだ。
「エリス姉貴、苦戦しているようだな?」
「マジェクト、よく来てくれたわね。
そうよ、あの子達、よってたかってか弱い私を苛めるの」
「苛めるねぇ? どんなヤツだよ……って、こいつらかよ。
あの時は勇者タカアキが護ってくれたが、今度は護ってはくれねぇぞ?
ヤツはラングステン王国でお留守番してるって聞いてるからな」
来てくれたのは私の可愛い弟、魔法使いのマジェクトだ。
彼は攻撃系統の魔法と鬼仙術が得意なので、
戦闘に関しては私よりも遥かに強い。
これでアラン兄さんがいてくれれば前衛が揃い勝利が確実なものとなるのだが、
生憎といまだに再生装置から出ることが許されていないのだ。
デュリンク博士がいうには兄さんの体内にはまだ桃力が残っており、
それを放置すると徐々に身体を蝕んでゆくという。
私は兄さんほど彼を信用してはいないが、その技術力だけは信用していた。
なので、大事を取って今回の件も私達だけで結果を出すことにしていたのだ。
「あの時は後れを取りましたけど……今度はそうはいきませんことよ。
きっちりと対策は取りましたの。
今こそあの時の汚名を返上させていただきますわ!」
「おぉ、こやつも鬼か。よいよい、切る対象は多いほど宴は盛り上がる」
不気味なほどの自信。
いったい、彼女達の何がそこまでの自信を持たせるに至っているのだろうか?
弟という援軍を得た私は油断なく二人の少女を見据え、
この状況を上手く切り抜ける方法を模索し始めたのだった。