380食目 たびびと
ダメだ! このままでは追い付かれる!
なんとかして、あの大蛇の気をそらさなくては!!
こうなっては仕方がない、陰の種を作って遠くへ投げ込む他には……!
私は存在することができるギリギリの鬼力を注ぎ込み、
小さな陰の種を三つほど作り出した。
それを急いで明後日の方向になげこむ。
「ほぅら、貴方の大好きな陰の種です! 食べてらっしゃい!」
「ふきゅおん!? ふきゅお~ん♡」
大蛇は陰の種にまっしぐらだった。
それは、もう私のことなど眼中にないほどです。
今の内に身を隠さなくては、と急いでこの場を後にしました。
あそこに見えている出口に見切りをつけたのです。
一向に近付けない出口。
きっと普通の方法では辿り着くことができないのでしょう。
今まで脱出するという行為を行ってこなかった私の怠慢なのかもしれません。
一度でもいいから、魂からの脱出というものを試してみなかったばかりに……。
済んでしまったことを悔やんでも仕方がないので、
私はとにかく花畑から逃れるために飛び続けました。
しかしながら、大量に鬼力を消費してしまったために
長時間の移動は困難だったのです。
「はぁはぁ……丁度いい、あの岩陰に隠れましょう」
私は身を隠すのに丁度いい大きな岩を発見しました。
少し休憩すれば僅かですが鬼力を自力で生産できます。
陰の力は相手を恨むことでも作り出せますから。
当然、対象はあの大蛇です。
アレさえいなければ、事は簡単に済んだのですから。
私が岩の陰に隠れ大きな息を吐いた時のことでした。
「いもぉ……」
「……ふぁ?」
岩から大きな芋虫が顔を覗かせたのです。
まさか穴一つない岩から芋虫が飛び出てくるだなんて思いも付きません。
完全に虚を突かれる形になった私は
酷く間抜けな声を上げる形になったのです。
「いもっ! かんげいするよっ! かんげいするよっ!」
「っ!?」
芋虫が喋ったではありませんか。
この魂には常識というものが不足しているようです。
情報の処理が追いつかずに私は不覚ながら固まってしまいました。
「せいだいにっ! せいだいにっ! いももぉ……」
大きな芋虫が酷く悪い顔をしたような錯覚に陥った瞬間、
私の身を隠して守ってくれるはずの岩が動き出したではありませんか!?
その岩の下には穴が開いておりそこから顔を出してきたのは、
巨大なヤドカリだったのです!
「…………」
どうやら彼は喋ることはしないようですが、
代わりに大きな二本のハサミを鳴らし私を威嚇してきます。
やはりこのヤドカリも大蛇と同じくこの魂を護る存在なのでしょう。
いけない、このままではやられてしまう!
反撃も考えましたが今の私は鬼力を使い果たしている状態……
正直な話、小鬼にも敗れてしまうほど疲弊してしまっているのです。
しかも、目の前にいる巨大なヤドカリは、
あの大蛇と同じ感じがするではありませんか。
即座に撤退という屈辱的な決断に至りました。
「く、くそっ! どうして私がこんな目にっ!!」
私は再び空を飛び逃げ出しました。
相手はヤドカリ、空を飛ぶことなどできないでしょう。
安堵した私はチラリと後ろを振り向きました。
遠ざかるヤドカリを確認して安心したかったのです。
「いもぉ……にがさないっ、にがさないっ」
「ほぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
振り向けば間近に迫る巨大なヤドカリの姿。
大きな貝殻から生えているのは虹色に輝く巨大な翅!!
よくよく見れば先ほどの大きな芋虫から生えているではありませんか!!
それよりも巨大なヤドカリを掴み上げている方が異常だ!
じょっ、常識なんてなかった! 常識とはなんだっ!?
ここでは私が非常識なのかっ!? 誰か教えてくれっ!?
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
頬を掠める巨大なハサミ。
触れた部分がぶすぶすと煙を上げ耐えがたい苦痛を私に与える。
案の定、このヤドカリは桃力の塊であるようだ。
「いももぉ……にがさなぁい」
芋虫が巨大な翅を最大限に広げ……いや、違う! どんどん大きくなっている!
まさか……私を包み込む気かっ!?
芋虫は退路を断つためにその翅を大きくし私を包み込もうとしていた。
どうせ、この翅も桃力で構築されているに違いない。
幸いなことに飛行速度は私の方が僅かに上だ。
包まれる前に全力で駆け抜ければ……!
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
危なかった。
翅が閉じる瞬間に僅かに開いた隙間に無理矢理身体をねじ込み、
間一髪のところで脱出に成功したのである。
その代償として私は全身を桃力に焼かれてしまった。
襲い掛かる痛みに意識が朦朧とする。
何故私がこんな目に、という憎悪の感情が辛うじて私を生き永らえさせた。
しかしそれも束の間のもの。
やがて私は全身を駆け巡る痛みに耐えきれず青空から墜ちていったのだった。
「う……私は? まだ存在ているのか?」
目を覚ませば私は桃力で作られているであろう花畑の中に横たわっていた。
不思議なことに痛みはない。
あまりの痛みに痛覚がマヒしてしまったのか?
それとも滅びてしまったのだろうか?
……わからない。
「おきた」「おきた」「おっさん」「おきた」
子供の声が聞こえる。
どこからだろうかと視線を動かすと、空に大量の小人が浮いているではないか。
それだけではない、私の身体に大勢の小人達が纏わり付いている。
こいつらはいったい何をしているんだ?
いや、それよりもこいつらは何故、陰の力の影響を受けていないのだ?
「おわった」「おわった」「けが」「なおった」「わぁい」
小人達はお互いの小さな手を重ね合い喜んでいた。
ケガとはなんだろうか? 彼らはケガをした様子はない。
私は身を起こし、そして気付いたのだ。
あれほど傷付いた己の身体が綺麗に治療されていることに。
「バカな……私は鬼、生きとし生けるものの大敵ですよ」
「へぇ」「へぇ」「へぇ」「へぇ」「へぇ」「ぷぅ」
物凄いバカにされた気がする。
後、最後の小人! おならを催促されたわけじゃないですよ!!
「けが」「なおす」「わたしたちのしごと」「だから」「なおす」
「それだけ」「それだけ」「おに」「しらない」
「おっさん」「けがしてた」「いたそうだった」「だから……」
「なおす」
「……あなた達は間抜けですね」
鬼を治してもメリットなどありません。
現に彼らなど私の糧に過ぎないのです。
私に陽の心など存在しないのですから。
「そう、私には陽の心などありはしない」
私は立ち上がりました。
傷みはありませんが疲労感は残っているようです。
私は小人に手を伸ばしました。
小人は逃げることもせずにそれを受け入れたのです。
「そう……思っていました」
私は小人の頭を撫でたのです。
彼女は笑ってくれました。
そして、私は己の最期が近いことを悟ったのです。
鬼の中に陽の感情が生まれるということはあり得ません。
もし、そのようなことが起これば鬼の存在を否定したことになり、
逃れられぬ制裁を受けることになるのです。
今、私は心の中に芽生えた温かい心によって、
徐々に肉体を内部から崩壊させていっております。
ですが不思議なことに痛みはありませんでした。
「これが……温かみというものなのですね」
これは私が受ける当然の報いなのでしょう。
数多くの命を奪ってきた。
数多くの悲しみを作ってきた。
温かみを知った私に後悔の念が圧し掛かってきます。
「いってらっしゃい」「またね」「またね」
小人達が手を振って送りだしてくれました。
「ありがとう……いってきます」
私は歩き出しました。
私が辿り着くべき終焉の地へ。
暫く歩くと、よく見知った大男が立っていました。
忘れたくとも忘れ得ぬ顔、夢にまで出てきた憎き桃使いです。
「よぉ、良い夢は見れたか?」
「……木花桃吉郎」
全身を醜い傷で覆い尽くされた最強の桃太郎がそこにいたのです。
そして私は気が付かされました。
「なるほど……全て貴方が仕組んだことでしたか」
しかしながら、今となってしまっては
彼がどうしてここにいるのかを詮索する気にもなりません。
私は敗れ滅びを待つのみなのですから。
「いや、俺じゃない。
俺はのんびりと、おまえの慌てふためく姿を眺めていただけさ。
ここは最初からこんな感じだぜ?」
「そうですか、ここは鬼がいるのには辛い場所です」
木花桃吉郎はニヤニヤしながら私の顔を窺ってきました。
相変わらず食えない男です。
「それに俺はただの残留思念だ。力なんてものはありゃしない。
俺の役目は珍獣が躓いて立ち上がれなくなった時に、
ケツを引っ叩いてやるだけだ」
「そうですか」
桃吉郎はそう言って飛び切りの笑顔を見せました。
そうでした、彼はこういう男でした。
敵であろうと味方であろうと関係なしなのです。
自分のやりたいことをやるだけだ、と何度も口にしていました。
「じゃ、行ってこい」
「桃吉郎……何故、わたしを……」
「言ったろう? この俺にできることは
誰かさんの背中を押してやることだけなのさ」
背中をそっと押された私は再び歩き出します。
背後に感じる桃吉郎の気配を感じながら、私が辿り着くべき終焉の地へと。
「ここは……」
私が最後に辿り着いたのは途方もなく巨大な木の根元でした。
空を覆い尽くす枝に思わず目を奪われてしまったのです。
「ここは無垢なる魂が辿り着く場所。
始まりにして終わりを迎える場所です」
いつの間にか私の前には赤毛の美しい女性が立っていました。
その女性は、この大きな木と同じような
大らかさと優しさを備えていることがわかりました。
まるで、この木がひとの姿を取ったように感じたのです。
「おかえりなさい、傷付き疲れ果てた無垢なる魂。
ゆっくりと休んでいいのですよ」
「だが、私の魂は穢れ果てている」
赤毛の女性はゆっくりと首を振った。
「穢れてなどいません」
「私は多くの命を奪った」
だが、彼女はそれでも微笑んだ。
「生きてきたのだから仕方のないことです」
納得はできなかった。
私は快楽のために命を殺めてきた。
陽の心が芽生えた今、その記憶が私を苛むのである。
「私は罰せられるために、ここまできた」
「それは違います」
彼女はただ、私の言葉に答え微笑み続けた。
まるで子供の問いに答える母親のように。
「私は数々の非道をおこなってきたのです!
何故、何故……私を許すというのか!?」
「許すも何も、貴方は鬼としての生き方をまっとうしていたに過ぎません。
自分のおこないに善悪を付けるのは、
貴方が自分のあり方に疑問を持ったからです。
ただ貴方は鬼として生き、
終わりを迎えようとしているに過ぎないのですよ」
「私は……鬼。生きとし生ける者の敵なのです!」
「でも、生きて魂を持っています」
大樹が輝き始めた。
それは私を包み込んでゆく。
温かい……冷たい体がゆっくりと温まってゆく。
「貴方が自分を穢れていると思っても、その魂までは穢れはしないのです。
穢れているのは魂を包んでいる外面だけ。
死を迎えて魂のみになった者に善も悪もありません。
ただ、『生きる』という役目を果たし、ここに戻ってくるだけなのです」
「ここは……いったい、なんなのですか?」
空を覆い尽くす木の枝から雨のように光の粒が舞い降りてくる。
その光の雨に当たる度に、私の身体は崩れ光となって空に浮いていった。
「ここは『魂のゆりかご』傷付き疲れた魂の安らぎの場。
全ての魂はここに戻り、そして再び旅立ってゆく。
私はその管理人を任された者です」
彼女はそういうと、光りになって崩れ去った。
そして……再びその姿を見せた時には光輝く大蛇となっていたのです。
「私はかつてエルティナと呼ばれていた者。
死して真実を知り輪廻の輪から外れた存在。
私はこの子と共にあり、
来たるべき終焉に立ち向かうために、ここにいるのです」
「貴女は神なのか?」
私の問いに彼女は再び首を振る。
「ふふっ……いえ、私はただのお節介焼きですよ」
「そう……です……か……」
私の身体は全て光となって消え去ろうとしていた。
もう眠くて仕方がない。目を開けていることも困難だ。
まさか、総大将様の探している物がこんなところにあったとは、
誰が予想できるであろうか?
だが、私がそれを伝えることはもうできない。
私はもう疲れたし眠たいのだ。
「眠りなさい、眠りなさい、無垢なる魂よ。
再び貴方が生まれるその日まで……おやすみなさい」
子守唄のような優しい声に促されるように私は眠りについた。
再び光り差す世界に生まれる……その日まで。
今度こそは、今度こそは……。
……。