367食目 絶望的な脅威
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
異変はその日の朝に起こった。
赤ん坊の身となり自分では何一つ満足にできない俺は、
大人しく赤ちゃんライフを満喫していたのである。
赤ちゃんなのに『大人』しくとはこれいかに?
んん~? これは激うまギャグの予感! メモすとこ(小さな努力)。
普段であれば、この時間に俺が鳴けばルドルフさんかエミール姉、
そして……たまにスラストさんがミルクを手に持ち、
甲斐甲斐しく飲ませてくれるはずであった。
しかし、今日の朝……俺がミルクを寄越せと「ふきゅん、ふきゅん」鳴くと、
嗅ぎ慣れた香りが俺の鼻に入ってきた。
瞬間、俺の中の全細胞が臨戦態勢に入る。
『エマージェンシー! エマージェンシー!
総員、第一種戦闘配備! 繰り返す! 総員、第一種戦闘配備!!』
脳内でけたたましくサイレンが鳴り響き、
絶望的な脅威が迫っていることを知らせる。
「おぉ、よちよち。お腹が空いたんだな、エルティナ。
今パパがミルクを飲ませてやるからな?」
「ふきゅん」
これは、いったいどういうことだ!?
何故、パパンが俺にミルクを飲ませようとしているんだ!?
そもそも、どうしてパパンがここにいるんだっ!?
ここはヒーラー協会の自室ではないのかっ!?
チゲはどうしたんだっ!?
くそっ、まだ目がぼやけて確認できん!!
「そら、おいちぃミルクでちゅよ~」
「ちゅっちゅっちゅっちゅっちゅっちゅっちゅ」
さまざまな疑問が俺の頭を埋め尽くすがミルクの誘惑には勝てず、
俺は哺乳瓶の乳首を力の限りちゅっちゅした。
だって、赤ちゃんだもの。
口に広がる優しい甘み、
鼻を通るミルクの香りは荒ぶった俺の心を穏やかにする。
これはライゼン牧場の粉ミルクとリカード牧場の粉ミルクを混ぜたものだな。
対比は七対三といったところか……見事なブレンドだ。
ううむ、まったりとしたコクの中にこっくりとした甘みが加わり、
ともすればくどくなりがちな油分を絶妙な水加減で抑えている。
水で薄めると『水増し』、『誤魔化し』、などの、
あまり良くないイメージを思い浮かべるだろうが事実は異なるのだ。
果汁百パーセントジュースをありがたがって飲む者が多いが、
その多くは飲むとくどさが勝って量を飲めないはずだ。
そこにミネラルウォーターを適度に割って飲むと、
途端にさっぱりとして飲みやすくなり、
結果として多くの量を飲むことができるようになる。
他にはサラダに降り掛けるドレッシングソースだ。
あれも適度にミネラルウォーターで薄めてやると、
さっぱりとサラダを食べることができる。
食べ終えた後、容器の底に残った大量のドレッシングソースは
味付けが濃過ぎると感じたことはないだろうか?
それは野菜の出す水分に負けないように濃く作っているのだ。
しかしながら、我々はサラダを水分が出るまでダラダラと食べるであろうか?
応えは否である。
我々は時間を掛けると野菜がしなびることを知っており、
折角お金を出して買ったのだから美味しく食べようと思うはずだ。
それに野菜の『パリッ』『シャキッ』という歯応えを楽しみたい、
と思う者は少なくないはずである。
であるなら、サラダを食べるのにそんなに時間を掛けるはずがない。
では、我々がサラダに求めるのは何かと聞かれれば、俺はこう答える。
『清涼感と口直し』であると。
野菜以上に清涼感と口直しをできる食材があるだろうか?
身体に良い上にそのようなことをできる食材を俺は高く評価したい。
……おっと、話が逸れてしまった。
ミルクと水のことはぶっちゃけた話、どうでもいいのだ。
問題はミルクを飲み終えた後のことである。
間違いなくパパンは俺のほっぺを凶器でスリスリしてくるはずだ。
赤ちゃんになる前は、
予めほっぺに魔法障壁を薄く展開することで致命的なダメージを防いでいたが、
今俺は魔法を使うことができない。
ファッキンゴッデスのお節介で魔法のまの字も使えない有様なのである。
このままではこのもっちもちのほっぺが、
パパンのお髭で無残にも赤く染まってしまうことだろう。
そんなの許されざるよっ!(白目痙攣)
なんとしても、この窮地を打開しなくてはならない。
俺のほっぺの損失は全人類の損失と言ってもいいだろうから。
「は~い、全部飲めまちたねぇ、えらいでちゅね~」
しかし、現実は非情である。
俺が身構える前にパパンは行動に移ったのだ。
「ふきゅ~ん! ふきゅ~ん!」
ジョリジョリとパパンの凶悪なお髭が俺のほっぺを蹂躙する。
鬼の攻撃など子供だましのような攻撃がダースで飛んでくるのだ。
いや、ダースすら生ぬるい。
というか、そんなことをかんがえている余裕もなくなってきた。
痛い、クッソ痛い。
そういえば、いつもママンがパパンを止めていてくれて、
直接スリスリ攻撃を受けたことはなかった。
ありがとう、ママン! だから助けてっ!(懇願)
「ははは、そうか、おまえも嬉しいか、エルティナ」
「ふきゅ~ん! ふきゅ~ん!」
どうやったら、そう思えるのだろうか?
俺は白目痙攣で生き絶え絶えだというのに。
俺のHPバーは間違いなくレッドラインだ。
クソザコナメクジに体当たりされても死亡待ったなしであろう。
誰か助けてっ!
『ふきゅお~ん!』
俺の切なる願いに応えたのは『全てを喰らう者・闇の枝』であった。
彼は俺の窮地を救うべく果敢にもパパンに挑んだのである。
……というか、パパンが危ないっ!?
闇の枝は俺のほっぺから飛び出し、パパンに襲いかかったではないか!?
逃げてっ、パパン!!
ジョリッ
「ふきゅおんっ!?」
あろうことか闇の枝はパパンのお髭にスリスリされ敗北を喫してしまった。
全てを喰らう者とはいったい……うごごごごごご。
というか、全てを喰らう者を退けるお髭ってなんだよっ!?
もう、お髭だけでいいんじゃないのかなっ!? 世界を救えるよっ!!
ジョリジョリジョリジョリ……。
「ふきゅ~ん! ふきゅ~ん!」
「ふきゅお~ん! ふきゅお~ん!」
圧倒的なお髭に蹂躙される幼き珍獣達。
それはパパンが満足して眠るまで続いたのであった。
……ドウシテコウナッタ!!(死亡)