362食目 愛しき騎士
フウタ男爵がリマス王子と解放軍を引き連れて戻ってきたのは、
オルア村の防衛に成功してから三十分を過ぎた頃であった。
余程慌てて出撃したのだろう、まともに鎧を身に着けているのは極僅かで、
必要最小限の装備で身を軽くしている兵士ばかりであった。
そのお陰で三十分という僅かな時間で、
彼らはオルア村に辿り着けたようであるが。
「これは、いったい……? 反乱軍はどうしたのですか?」
フウタ男爵に付き添われてリマス王子が姿を見せた。
以前見た時よりも少し痩せているが、彼の瞳には強い輝きが宿っている。
初めてお会いした時とは違い、まるで別人のような顔付になっていた。
この数ヶ月の戦いで大きく成長したことが窺える。
「リマス王子、ご無事で何よりです。
私はラングステン王国騎士団総司令ヤッシュ・ランフォーリ・エティルです。
殿下の要請に応えるため、王国騎士団千人を率いてまいりました。
これからは殿下の力になりましょう。
フウタ男爵も、よくリマス王子を護ってくれたな」
「いえ、自分は大したことはしておりません」
オルア村に突如として現れた騎士達に警戒していた解放軍の兵達は、
ラングステンの騎士が来たことを知ると歓喜の声を上げた。
中には涙を流し震える者までいたのである。
「これで……これで、皆の仇を取ってやれる!」
そう言って肩を震わせて泣いていたのだ。
フウタ男爵が引き連れてきた解放軍の兵の数は二百五十名ほど。
他にも五十名ほどいるようなのだが、
彼らは負傷兵であり満足に治療もできない事情もあり、
潜んでいた山に残して出撃してきたらしい。
よくよく見れば、駆け付けてきた兵も満足な状態の者はいない。
巻かれた包帯は所々が血で黒ずんでおり、
まともな治療ができていないことを物語っていた。
「積もる話はございましょうが、ここは一端、我々の砦に向かいましょう。
あなた方の治療も施さなくてはなりません」
「何から何まで……救援感謝いたします」
その後、我々はリマス王子の解放軍を我らの拠点に送る部隊と、
負傷した解放軍の兵を迎えに行く部隊とに分け行動に移った。
負傷した解放軍を迎えに行くのはモモガーディアンズと、
ハマー率いるGD隊百五十名だ。残りのGD兵は本体の護衛に付いている。
「ちょっと!? なんで、私がダーリンと別行動を取らないといけないの!?」
「きみ達が一緒にいたら被害が尋常じゃないからね。
だから、ひとまず負傷兵達を迎えに行った後で、
彼といちゃついてくれないかな?」
「やだっ、いちゃつくだなんて……うふっ、うふふふふふふふふふふ!!」
私が物腰柔らかくそう諭すと、
ユウユウは頬を手で押さえて腰をくねくねさせた。
うん、暫くはこの方法で彼女を制御できそうだ。
悪いがシグルドには犠牲になってもらおう。拒否権はない。
エルティナの仕返しというわけではないが、
私にも彼に思うことがあるので、この行為に悪意がないとはいえない。
寧ろ、悪意が半分以上を占めている。
何故なら、私は桃使いではないし、
正義の騎士を名乗ったことなど一度もないからだ。
というか、実は欲望に忠実に生きていたりする。
まぁ、そんなことは決して口には出さないが。
私の欲望はこの命を懸けて大切な人を護りたい、というものだ。
故に騎士という職は天職であると思っている。
「彼は私に恥をかかせてくれましたからね……
これくらいの仕返しはしても構わないでしょう」
私がいつだって命を懸けて戦うのは、命を懸けて護るに相応しい者のためだ。
だが、それは叶わずに終わった。
エルティナはガルンドラゴンとの戦いに敗れ重傷を負った末に、
何故か赤ん坊の姿になってしまったのだ。
彼女を護るための騎士であるにもかかわらず、
それを成せなかった自分が情けない。
しかし、その原因を作ったガルンドラゴンのシグルドは、
エルティナを護るように彼女から飛び出た巨大なシーハウスに撃退され、
深い渓谷に落ち、長らく行方知れずとなっていた。
その彼がよりにもよって、オルア村の人々を護るために『戦って』いたのだ。
シグルドは弱き者のために戦っていた。
義のために戦う者に攻撃しては大義が失われてしまう。
彼を見て怒りが一瞬の内に沸点に到達したが……これをなんとか抑え込む。
私はエルティナの騎士。
怒りで我を忘れて出過ぎた行為をしてはならない。
私の恥は彼女の恥でもあるのだから。
「騎士というのも辛いものですね」
「さっきから何をブツブツ言っている」
私の独り言をシーマに聞かれてしまった。
まぁ、ここは適当に誤魔化しておこう。
「いえ、騎士は大変だなぁ……という愚痴ですよ」
「そうか、騎士とは耐え忍ぶことの方が多いからな。
だが……私はそんな騎士が堪らなく愛しく思う」
そう言った幼い少女の目は真剣であり、
決して私に対する慰めの言葉ではなかった。
「かつて、我がフェイ家にも忠誠を誓った騎士達がいた。
我が家が落ちぶれた際にそれでも残る、と言ってくれたが……
彼らにも生活があり、それに応える報酬も満足に出せない我が祖父は、
涙を飲んで彼らを知人の貴族に託したそうだ」
シーマは昔を思い出すように一言一言をしっかりと噛みしめて語った。
とても、子供がするような表情ではない。
もしかすると、私より苦労を重ねているのではないのだろうか。
「だが、爺やだけは頑なに拒み、我がフェイ家の騎士として残った。
報酬などほぼないに等しい。
それでも彼は私財を使い果たしてでも、我が家の騎士であってくれたのだ。
老いにより騎士としての役目が務まらなく、
心ない者に笑われても爺やは決して不満を口にしなかった」
「…………」
知っている。
フェイ家最後の騎士、ゴルド・ザン・フェリーニ。
彼は我がラングステンの騎士においては『目指すべき騎士』である。
だが……心無い者達にはこう呼ばれている……『駄騎士』と。
「爺やはただ、ただ……愚直なまでに忠義を示した。
我が祖父に、我が父に、そして……私に」
「シーマ、貴女は……」
「私は爺やに誇れる存在になりたい。
いかなる手段を用いても家を再興させ、
彼の全ての行為は正しいものであった、と証明したいのだ」
その顔は決意を決めた者だけができるものだった。
ゴルド老騎士は、もうこの世にはいない。
彼の最後はフェイ家の門を護るべく、立ったままでの老衰であったそうだ。
何が彼をそこまでさせたかは、私達には決して理解できないだろう。
「私は騎士が好きだ。
ルドルフ、貴方も騎士であるなら騎士を嫌わないでくれ」
「……そうでしたね、少し愚痴が過ぎました」
シーマは私の顔を見ずに、私にだけ聞こえるように話していた。
他の者達には私達のやり取りはわからないだろう。
どうやら私は少しばかりネガティブになっていたようだ。
ここは初心に戻って、今の自分を戒めよう。
『他の者を羨むな、自分の成すべきことをひたすらに成せ』
ゴルド老騎士が遺した数々の言葉達は、全ての騎士達の指標となっていた。
人はそれを『騎士道』と呼ぶ。
シーマと話せてよかった。お陰で大切なことを思い出すことができた。
そうだ、私は愚直にエルティナを支えればいいのだ。
自分の思想を表に出してはならない。
あらゆる苦難に耐え忍び、その末に主が輝いた時、
仕える騎士は最大級の評価を授かるのだから……。
オルア村を出立して五十分ほどして、
解放軍の負傷兵が身を隠しているという山に到着した。
彼らの場所を案内してくれるのは同じく解放軍の兵士で、
バッチという若い男であった。
「お~い! 皆! 俺だぁ!!」
「俺だ! じゃ、わかんねぇっていってんだろ! バッチ!!」
「わかってんじゃねぇか!」
というやり取りの後、彼に良く似た兵士が木の陰から顔を見せる。
その表情は嬉しさと呆れが半分ずつになっていた。
「ラングステンの騎士が助けに来てくれた!
リマス王子は先に彼らの砦に向かっている!
俺達もすぐに移動を始めるぞ!」
「そんなこと言っても、ここにいるのは動けない負傷兵ばかりだ。
俺達は捨てておけ、この先……役には立たねぇ」
「あぁ!? グダグダ言ってんじゃねぇよ!
ケガ人はどこだっ! 片っ端から癒し殺してやる!!」
彼らの自虐的な言葉に怒りを露わにしたのは、
最近メキメキと治癒魔法の腕を伸ばしているマフティだ。
長いウサギの耳をピンと天に伸ばし、その怒りの度合いを強調している。
「まてまて、癒すのか殺すのかどっちだ!?」
「どっちもだ!!」
「うわぁ」
彼女は是非もなく、負傷兵がいる粗末な小屋へと突撃した。
何事もないとは思うが、念のため私も小屋に入る。
小屋は急遽作られたのかお粗末なもので、
隙間風があちこちから入り込んでいる。
これでは虫なども入りたい放題で傷に障ること間違いなしだ。
リックなどはその小屋を見て、
手をワキワキさせつつも手直ししたい衝動を抑えていた。
「へっへっへ……いい具合に腐ってやがる。
日頃の研鑽の成果を見せてやる! 脱げ、おらぁん!!」
「きゃ~っ!?」
セリフだけならマフティは悪漢である。
ちなみに、悲鳴を上げているのはムキムキの中年男性であった。
「ちっ……案の定、ウジ虫が湧いてやがる。ゴードン、綺麗に抉ってくれ」
「おう、任せな」
「え、抉るのかっ!?」
抉るという言葉に恐怖する兵士であったが、
その兵士に優しく声を掛ける者がいた。シーマだ。
「安心しろ、痛くはない。おまえ達の苦痛は私達が取り除こう」
シーマは中年男性の頭に手を置くと、力ある言葉を唱えた。
「〈ペインブロック〉!」
その言葉を聞き届け、ゴブリンの少年ゴードンは迅速に行動に移った。
私が見ても見事だとわかる業物のナイフで腐った肉をそぎ落とすと、
マフティが治癒魔法で見る見る内に再生させてゆく。
……あれ? アレは子ウサギ……?
腕に纏わり付いて鼻をひくひくさせている?
錯覚だったのだろうか? 次の瞬間には子ウサギ達の姿はなく、
綺麗に治った中年男性の太く逞しい腕があるのみであった。
「うし、いいぞ! あぁ、俺も食いしん坊みたいに直接治したいぜ」
「けけけ、そりゃあ贅沢ってもんだ。今のおまえも十分異常な腕前だぜ」
あっという間の治療に目を丸くして放心している中年男性は、
マフティの「治ったぞ!」という声に我に返る。
「あ、えぇ~!? 全然傷みがなかったぞ!!」
「私が痛覚を麻痺させているからな。当然だ。
さぁ、時間はないぞ、治ったのなら出立の準備を始めろ」
言葉はきついが穏やかな微笑みを向けられた中年男性は、
マフティとシーマに頭を下げると勢いよく立ち上がり荷物を纏めだした。
その光景を見た動ける負傷兵は次々とケガを治してくれと懇願する。
「へっへっへ、食いしん坊が加わらねぇから治したい放題だぜ!」
マフティの顔が治療者の顔ではない。まるで獲物を見つけた狩猟者の顔だ。
色々と間違っているが、やっていること自体はまともなので注意の仕様がない。
「あぁぁぁぁぁぁっ! ち、治療は嫌だぁ! 俺は男なんだっ!!」
「うおっ! 傷が……!! ありがとよっ! 狐のお嬢ちゃん!」
「きゅおんっ!?」
キュウトは相変わらずのようだが、やはり治癒魔法の腕は抜きんでていた。
その治癒魔法の効果はエルティナに迫る勢いだ。
やはり、マフティ同様治療の際に小動物が見える。
子狐が二十匹ほど負傷箇所をペロペロと優しく舐めているのだ。
……やはり、疲れているのだろうか?
「あまり無理はするなよ、マフティ、キュウト。
フォルテやプリエナもいるのだからな」
そう、モモガーディアンズには意外なことに、
かなりの腕前を持ったヒーラーがいるのである。
これもエルティナが熱血指導をおこなった成果と言えよう。
「……ききき……この傷が治ったら……貴方は悲惨な終わり方をする……」
「止めてくれぇ!!」
これはカラスの鳥人、ララァの治療風景。
「はい、なおったよぉ」
「狸少女は女神だった……」
プリエナの治療は優しさと温かみがあり……。
「…………」
「…………」
「フォルテ、少しは声を掛けてやれ」
「……おわり」
フォルテの治療はかなり淡泊なものであった。
シーマがツッコミを入れる程である。
エルティナの熱血指導の結果がこの有様であるのだが、
きちんと治療できているので良しということになっている。
いずれも一癖も二癖もあるヒーラーに育っていた。
「ケ、ケガが治った人は、
こ、これを飲んでおいてくれなんだなっ! だなっ!」
グリシーヌが渡している薬は『腐敗止め』という薬で、
体内に残った菌を殺す効果があるそうだ。
ケガが治っても内側から菌にやられてはどうしようもない。
〈クリアランス〉で治療はできるが、
そんな大魔法を何人にも使っていたらヒーラーが潰れてしまう。
彼女の活躍は小さなものに見えるが、大局的に見れば大きなものであった。
自分にできることをひたすらに成した結果である。
『ふきゅん』
ここでエルティナが鳴いた。
その鳴き声はまるで、皆を褒め称えているようにも聞こえる。
よくよく思えば、これは彼女の構想が成果を結んだ瞬間なのだ。
エルティナがいなくても、ケガで苦しむ人々を救える……。
彼女は常々言っていた。
「俺がいなくなっても問題ないようにしておきたい」と。
これは巡礼の旅を計画していた彼女から告げられた言葉であるが、
この分だとエルティナの世界巡礼の旅は実現できそうだ。
彼女が撒いた種は順調に成長し、花開こうとしているのだから。
二十分後には、五十名ほどいた負傷兵を全員癒し終え、
皆の待つ砦へと移動を開始した。
出鼻を挫かれた形にはなるが、最高の結果で初戦を終えたと思う。
この分だと、この戦争は我々の勝利で終わることができそうな予感がする。
私達は周囲を警戒しつつも、足取り軽く砦への帰還を目指したのであった。