352食目 遅いか早いか
私はフィリミシア城の通路をチゲと共に歩く。
騎士達は大慌てで物資を運び、
ひっきりなしに〈テレパス〉で連絡をやり取りしている様子が窺える。
さぁ、大変なことになってきた。
魔族戦争以来、騎士団は戦闘をおこなっていない。
しかしながら模擬訓練を怠ったことはないし、
魔族戦争を生き抜いた者達の能力は一騎当千といえる。
問題になるのは……魔族戦争以降に入隊した若き騎士達だ。
確かに素質があり将来に期待が持てる者ばかりであるが、
ほぼ全員が実戦未経験者だ。
モンスターとの戦闘経験はあっても対人戦となれば話は別になる。
大概のモンスターは己の能力を前面に出す直線的な戦い方をするが、
人はそれに知恵を使い多才な攻撃をしてくる。
モンスターには通用した戦法も、人相手には通用しない場合が多々あるのだ。
当然、罠や策略を用いてくるだろう。
それに対応できる若い騎士が果たしてどれほどいるか……。
やはり魔族戦争での損失は重大なものであった。
今や王国騎士団の八割は若き騎士達で構成されている。
つまり、殆どが戦争未経験者であるのだ。
「死なせたくはありませんね」
私もまだ二十代ではあるがベテランとして扱われている。
ハマーはその風貌からか、若い騎士から絶大な信頼を寄せられていたが、
本人は複雑な心境であったらしい。
彼もまだ二十代であるのだが、
若い騎士達は彼を三十代半ばの歴戦の騎士と思い込んでいたのである。
「なぁ、ルドルフ。俺って……そんなに老けてるかなぁ?」
仕事終わりの酒場のカウンターにて、
バーボンのロックをグイッと飲み干し、私に向けた彼の表情が忘れられない。
そのスキンヘッドも、少しばかり輝きを失っているようにも見えたのだ。
残念ながら私も若い騎士達に女と間違われるので、
彼の気持ちは痛いほど理解できた。
もう何人の騎士に告白されたか覚えていない……というか覚えていたくない。
問題はもう一つある。
モモガーディアンズの少年少女達だ。
戦場に出れば命のやり取りが待っている。
無論、私達も全力を以って護るがそれにも限界がある。
場合によっては、自分達で切り抜けてもらわなければならない場面も
少なからず出てくるだろう。
その時、彼らは相手の命を奪うことができるだろうか?
戦場において敵兵の命を奪わずにおくのは、非常に危険なことである。
気絶し意識を取り戻した敵兵が、
死体だと思い油断していた味方の騎士に、
いきなり襲い掛かる場面を幾度となく見てきたからだ。
「あまりにも幼過ぎる……彼らにはそれができるのだろうか?」
いくらモンスター相手の命のやり取りを経験しているとはいえ、
相手は同じ『人』である。
実際に相対すれば、戸惑い命を奪うことに恐怖することだろう。
一名ほど、嬉々として命を狩り取る者がいそうであるが、
全てのモモガーディアンズのメンバーがそうとも限らない。
さて、どうしたものか?
『一人で悩んでも仕方あるまい。
部隊の編成に三日ほどかかるのだ。
その間に彼らの参加の有無と覚悟を聞き出せばいい』
隣を歩いていたチゲから桃先輩の声がスピーカーを通して聞こえた。
きっとチゲのスピーカーにアクセスして言葉を発しているのだろう。
器用なことをするものだ。
チゲの中にはエルティナが内蔵されており、
時折「ふきゅん」という、ご機嫌な鳴き声が聞こえてくる。
「そう……ですね。それしかありませんか」
『残酷なようだが、遅いか早いかの違いだ。
彼らは戦いの運命を受け入れ鍛錬に励んでいる。
全ては生きて未来を勝ち取るためにだ』
私は何も言えなかった。
彼らの背負わされたものは、あまりにも大きく重たいものだったからだ。
〈約束の子〉世界の生贄にして守護者……
それが彼らに与えられた宿命であり使命だという。
しかし、望んだわけでもないのに勝手に与えられた運命を彼らは拒まなかった。
あろうことか、運命を受け入れ乗り越えようとしているのだ。
女神マイアスといえども、これには気が付かないだろう。
本当に強い子供達だ。
フィリミシア城を出て、午後三時を過ぎた時のこと。
『ふきゅん、ふきゅん、ふきゅん、ふきゅん』
お腹が空いたのか、エルティナが鳴き始めた。
その鳴き声がスピーカーを通して辺りに響き、
通行人達がクスクスと笑みを浮かべて通り抜けてゆく。
「本当に時間に正確ですね」
私は予め制作しておいたミルクを取り出し、
チゲが抱える彼女に飲ませた。
物凄い勢いでミルクが哺乳瓶から消えてゆく。
最近はミルクを三本も飲み干すエルティナであるが、
彼女の肉体に変化の兆しは見られない。
桃先輩によれば、その栄養は全て桃力に変換されているそうだ。
まさかこのことを予感していたのではないか、
とすら思ってしまうが……
桃先輩に言わせれば、この行為は赤子になってしまう前の癖であるらしい。
どおりで身体が成長しないわけである。
今の彼女に桃力を蓄えるのを止めなさい、
と言っても理解してはもらえないだろう。
何故なら彼女は物心も付いていない赤子なのだから。
ミルクを飲み終えたエルティナの背中を擦ってやると、
彼女は小さくゲップをして喜んだ。
私も最初の頃は戸惑いながらしていたものだが、
今となっては手慣れたものである。
そういえば、久々に会ったルリティティスのお腹は大きくなっていた。
順調に育っているそうで、雪が降る頃には生まれるらしい。
……私と彼女の子供が。
「さて、自分の子供にしてやるまでは死ねませんね。必ず生きて帰らなくては」
お腹がいっぱいになって満足したのか、エルティナは早速うとうとし始めた。
ここがどこであろうと、赤ちゃんは知ったことではないのである。
そんな彼女に苦笑しつつも、自分の子供もこうなるのであろうと苦笑しつつ、
適温に保たれたチゲの体内にそっと寝かせる。
チゲにはドクター・モモが開発した冷暖房装置なるものが新たに装備されていた。
彼が背負っている小さな箱が本体であり、簡単に取り外しができるそうだ。
これがあれば彼の体内が適温に保たれるそうで、
中でエルティナが熱さや寒さで苦しむことはないという。
元々はGD用に開発したもので、そのプロトタイプをチゲ用に改修したそうだ。
私も試しに新品のGDを身に着けてみたが、確かにアレを着込むと非常に暑い。
季節が夏と言うこともあって非常に蒸れるのだ。
この対策は必要不可欠であったのだろう。
その時、私の腹が『くぅ』と音を鳴らした。
そういえば昼食を摂っていなかったことに気が付く。
「少し簡単なものでも食べてゆきますか」
商店街にあるファーストフード店に寄り、ベーコンレタスバーガーを注文した。
大きな日傘がさしてある野外テーブルに腰掛けると
爽やかな風が私の頬を撫で通り抜けてゆき、
その心地良さに思わず目を細める。
「お待たせしました、ベーコンレタスバーガーです」
馴染みのウェイトレスが私のベーコンレタスバーガーを持ってきてくれた。
それに合わせるのは、いつもアイスコーヒーだ。
ベーコンレタスバーガーを手に取り口に運ぶ。
ジャクッという心地良い快音と、
ベーコンのジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。
ベーコンだけならくどくもなるがレタスの爽やかさがそれを抑え、
丁度いい塩梅にしてくれるのだ。
「うん、相変わらず美味しいですね」
レタスとベーコンが加わった以外は普通のハンバーガーだ。
しかしながら、ここのハンバーガーは基本がしっかりしているので、
それ単体だけでも十分に美味しい。
ジャクッと二口目を頬張り飲み込んだ後は、
アイスコーヒーの冷たさと苦みで口の中をさっぱりさせる。
この冷たさと苦みの余韻がまた堪らない。
「ふぅ……」
一息吐き、再びベーコンレタスバーガーに取りかかる。
これを全て食べ尽すまで繰り返すのだ。
ただし、最後にアイスコーヒーを飲んで締めくくらなければならないので、
分量には細心の注意を払わなくてはならない。
満足のゆく結果となった私は一休みした後、席を立ちヒーラー協会を目指した。
商店街の飲食店は露店街と違い、
ウェイトレスが食器を片付けてくれるので非常にありがたい。
その分、少し値段は高めに設定されているが仕方のないことだろう。
さて、モモガーディアンズの子供達は、
この話を聞いてどういう判断を下すだろうか?
一抹の不安を抱えつつ、私はヒーラー協会の展望台を目指すのであった。