347食目 うんうん先生
◆◆◆ エミール ◆◆◆
エルティナちゃんが赤ちゃんになってしまって一週間ほど過ぎた。
現在までヒーラー協会の仲間達と、
エルティナちゃんのクラスメイトが交代で面倒を見ている。
時折、彼女のご両親がやって来て可愛がってゆくのだが、
その際に拝見したミルクの上げ方や、
オムツの交換の手際の良さには感動すら覚えた。
更には一週間に一回、国王様が直々に様子を見にくる。
彼は「我が国の聖女ゆえ」と言っているが、
ただ単に彼女を可愛がりたいだけだろうことは、
どう見ても明らかである。
独り身である私も当然のごとく彼女の面倒に駆り出されるのだが、
それに文句を言うつもりはまったくない。
むしろ、こんな可愛い赤ちゃんのお世話をするのは願ってもなかった。
きっと、楽しみながら将来に役に立つ技術を学べることだろう。
「ふきゅん、ふきゅん、ふきゅん、ふきゅん」
エルティナちゃんが鳴きだした、お腹が空いたのだろうか?
しかし、ミルクは先ほど上げたばかりである。
となると……。
「あ~、おもらしかな?」
目をうるうるさせて不快感を訴える彼女の傍に寄ると、
やはり、ぷぃ~んと臭った。うん、これは大きい方だ。
「ふふ、遂に練習の成果を披露する時が来ました!」
オムツを脱がすと、やはり緑色のうんうんが「こんにちは」していた。
なんで赤ちゃんのうんうんは緑色なんだろうか?
『はろう、まいねーむいず、うんうん』
「へっ!? は、はろぅ?」
気のせいだろうか? うんうんに挨拶をされたような気がしたが。
私は気を取り直してエルティナちゃんのお尻を、
冷たい濡れタオルで綺麗にしてあげようとした。
『たわけ、冷たい濡れタオルで拭くヤツがいるか。
温かいタオルで拭いてやるのだ』
「えっ、あ……そ、そうですね」
何故か横に寄せておいたうんうん様に指導されてしまった。
言われてみれば、冷たい濡れタオルを敏感な部分に付けたら、
ビックリするだろう事を失念していたのだ。
改めて適温の温かい濡れタオルを用意しお尻を綺麗に拭いてあげると、
彼女はにぱっと笑って喜んでくれた。
きゃっきゃと手を叩いて喜ぶエルティナちゃんを見て思わず頬が緩む。
その後、乾いたタオルで拭いて新品のオムツを巻いてあげれば、
オムツの交換は終了となる。
『気を抜くな、私を処分して初めて終了となるのだ。
汚れたオムツはすぐに洗っておくのだぞ』
「え? あっ、はい」
またしても、うんうん様に指導を受けてしまった。
私は彼? の言うとおり水洗トイレの中に緑色のうんうんを入れる。
ぽちょん、と音がして彼は便器の水の中に沈んでいった。
『これで私が教えることはもうない。さらばだ』
「ありがとうございました、うんうん先生」
私は彼に心から礼を述べ、水洗トイレのレバーを引いた。
ジャゴォォォォォォォォォォッ! と激しい音がし大量の水に流されて、
緑色のうんうん先生は行ってしまった。
「……さようなら、うんうん先生」
大切なことを教えてくれた彼との別れに心が痛むが、
これは避けては通れない道であることを悟った私は、
汚れたオムツを洗剤入りの水桶の中につけてから、
再びエルティナちゃんのお世話をすべく彼女の自室へと戻った。
「ふぅ……なんだか、どっと疲れた気がする。
いや、もともと疲れていたのかなぁ?
うんうんの声が聞こえるなんてありえないものね」
「だぅー、あいあ~」
すっきりしてご機嫌なエルティナちゃんを見ていると、
その疲れも吹き飛ぶ気がした。
うん、これからもがんばろっかな。
うんうん先生との出会いと別れから更に一週間が過ぎた。
その間にリンダちゃんとエティル夫妻にエドワード様、
たまに国王様が入り乱れてのバトルロワイヤルがあったりしましたが
私はなんとか元気です。
本日は私がエルティナちゃんのお世話をする番だ。
基本的に彼女はベッドの上で寝ているか、
時折目を覚まして「ふきゅん」と鳴く生活を送っている。
彼女が目を覚ました時は、動物達が一斉に群がって挨拶をする光景が見られる。
パッと見は襲われているように見えるが、
実際はペロペロされているだけなので安心だ。
また安全面を考慮し、ベッドには柵が設けられていた。
これはタカアキ様が作られた物で、
巨漢の彼が寄りかかってもビクともしないほど頑丈な造りになっている。
つまり、私が寄りかかっても壊れないということだ。やったね!
「ふきゅん」
チゲちゃんに抱っこされ、
エルティナちゃんはヒーラー協会の展望台にて外の景色を楽しんでいた。
彼女が小さいため、さぬきもうずめもチゲに巻き付いていたり、
乗っかっていたりするのだが、もっちゅトリオやもんじゃ、
更にはダックスフントのももとはなも纏わり付いていたため、
彼女はさながら『動く動物園』と化している。
「……」
チゲちゃんは喋れない。
それでも雰囲気から、だいたいの心情を察することができるようになってきた。
これも、日々共に過ごしているからだろうか。
展望台に入ってくる日差しが暖かい。
三月も後半だ、春はもうそこまでやって来ているようである。
「暖かいなぁ、もうすぐお花見の季節だよ」
「ふきゅん」
エルティナちゃんにそう言うも、
返ってくるのは「ふきゅん」という返事だけである。
仕方のないことではあるが、以前であれば……
「ふっきゅんきゅんきゅん……桜餅を沢山作ってしんぜよう。
甘酒も用意しておくんだぁ……!!」
と涎を垂らしながら、うっとりとした表情を見せてくれたことだろう。
今の状態も捨てがたいが、私はやはり以前のエルティナちゃんの方がよかった。
だって、美味しいスイーツを沢山作ってくれるんだもの!
そんなエルティナちゃんは、じっとフィリミシアの町を眺めていた。
錯覚かもしれないが、知性の光が瞳に宿っているような気がする。
そう思った時のことであった。
ぷぅ!
可愛らしい音がした後、物凄くすっきりした顔のエルティナちゃんが
私の方を向いて悪い顔をした。
「こらっ、女の子が人前で『おぷぅ』をしてはいけませんよ」
ふにふにと彼女のほっぺを摘まむと、
つきたてのおもちのような感触が指先に伝わってきた。
これはある種の麻薬のような中毒性を秘めている。
まさに魔性のほっぺである。
「ふきゅん、きゃっきゃ」
「もう、悪い子ですねぇ」
無邪気に笑うエルティナちゃんに毒気を抜かれてしまう。
以前の彼女もよく笑っていたが、ここまで無邪気に笑うことはなかった。
いつかは元の彼女の姿に戻ってしまうだろう。
それまでは、心の底から笑わせてあげたいものである。
「ちゅっちゅっちゅっちゅ」
彼女待望のミルクタイムである。
一心不乱に飲み続ける彼女の表情は真面目で真剣だ。
「沢山飲んで大きくなってくださいねー」
暫くの間、ちゅっちゅ、ちゅっちゅとミルクを飲む彼女を見守り続けていると、
哺乳瓶のミルクが空になった。完食である。
「はーい、良い飲みっぷりでした」
背中を擦ってあげるとゲップをして喜ぶエルティナちゃん。
この子はよく飲んでよく寝る子だ。
きっと、すぐに大きくなることだろう。
「すぐにかぁ……もっとゆっくりでも、いいと思うんだけどなぁ?」
「ふぁ~」
私が思ったことを口にすると、彼女は大きな欠伸をしてうとうとし始める。
妖怪くっちゃねの名を欲しいままにするエルティナちゃん。
これは赤ちゃんの特権なので仕方がないだろう。
「ふふ、おやすみなさい」
ベッドに寝かしつけると、すぐさま眠りの世界の住人と化した。
彼女は夢でも見ているのだろうか? 口をちゅっちゅと動かしている。
どうやら夢の中でもミルクを飲んでいるようだ。
「どこまでも食いしん坊さんですねぇ」
幸せそうな笑みを浮かべるエルティナちゃんを見守りつつ、
私は一冊の本を手に取った。
『絶対に夏までに痩せれる本』というタイトルの本である。
この本を利用して夏までにスリムなボディを手に入れるのだ。
そして、素敵な彼氏をゲットするのである。
「赤ちゃんのお世話もできるようになりました。
後は痩せて、素敵な彼氏をゲットすれば完璧ですよぉ!」
出来る女は同時に困難を克服するものだ。
その第一歩として私は必勝本に目を通してゆくのであった。




