340食目 再び立ち上がるその日まで
◆◆◆ シグルド ◆◆◆
何かの音が聞こえる、それは我が過去に何度も聞いた音だった。
どこで聞いた音だっただろうか?
靄が掛かったかのように頭の中が真っ白に染まり思い出せない。
それでも、なんとか思い出そうと試みる。
思い出した……これは……。
「……波の音?」
重い瞼を開くと、ぼやける視界に砂浜と小さなヤドカリが飛び込んできた。
小さなヤドカリは目覚めた我を見てハサミを上げて驚き、
慌てて流木の陰へと逃げ込んだ。
風に乗って鼻腔に入り込む独特の磯の香りと身体をじりじりと焼く太陽が、
ここは海辺であることを教えてくれる。
どうやら崖から落ちた時に感じた衝撃は、水面に衝突したものだったようだ。
つまり、我は川に落ちてそのまま海に流され、ここに漂着したらしい。
「どうやら……我は生きているらしいな」
身体にぶつかっては砕ける白い波が傷口に障る。
意識が戻ったことにより痛みは明確になり、
とてもではないがいつまでも海に浸かってはいられない、
と鉛のような身体を無理やり動かし砂浜に這い登った。
「マイク、ここはどこだ?」
マイクに声を掛けるも返事はない。
どうやら身魂融合の期限が切れてしまっているようだ。
彼と情報をやり取りするには再び桃を召喚しなくてはならない。
だが、今の我はあまりにも消耗し過ぎていた。
桃力が足りなくて桃すら召喚できないのだ。
「……これは参ったな」
砂浜に身体を預け、自分がどれほどマイクに頼っていたかを思い知らされる。
彼がいなければ、ここがどこだかもわからないのだ。
自分は戦うことしか能がない木偶の棒である、
そう理解すると目を開けているのが辛くなってきた。
気力が萎えてしまったのだろう。
深いため息を吐くと我は目を閉じ、再び眠りの世界へと旅立っていった。
どれくらい眠ったのだろうか? 寒気を感じて目を覚ました。
辺りは暗くなり、日中の暑さが嘘のようになくなっている。
身体が冷えてきて、生きる気力も失われてゆくように感じた。
このままではいけない、と顔を上げると……
驚いたことに、目の前に魚やよくわからない果実が大量に置いてあった。
「こ、これは……?」
突然のことに頭の理解が追いつかず、何事かと思案に暮れていると、
大量の食べ物の向こう側に大きな生き物と、
その上に載る小さな生き物の立ち去る姿が見えた。
その二匹の生物はヤドカリだった。
日中に見た小さなヤドカリが、
とても大きなヤドカリの上に載り海の中へと帰ってゆく。
この二匹は親子であろうか? とてもよく似た魂の輝きを放っていた。
やがてヤドカリ達は海の中に姿を消し、波の音だけが辺りに響くのみとなる。
鼻腔に魚や果物の香りが飛び込んできた。
途端に腹が鳴り、早く食べ物を入れろと命じてくる。
その命令に素直に従い、魚と果物を夢中で口の中にいれる。
「美味い……」
食べる度に、自分がまだ生きている事を自覚できた。
食べる度に、自分はまだやれると信じることができた。
食べる度に……立ち上がる力を感じることができた。
「よもや、我を倒した者と同じ種族に命を救われるとはな……皮肉なものだ」
命を救ってくれたヤドカリ達と、
我の命を繋げてくれるために命をくれた者達に、
限りない感謝の気持ちを捧げる。
「我は……生きる」
確かに我は戦いに敗れた……だが死んだわけではない。
一度や二度の敗北がなんだ、命尽きぬ限り我は何度でも立ち上がろう。
「我の牙は、もう二度と折れたりはせぬ」
我らの夢は終わらない。
その手に掴むまで決して終わらせはしない。
負った傷を癒し再び立ち上がろう。
「エルティナ……次こそは我が勝つ」
傷付いた身体を起こし、しっかりと立ち上がる。
腹が満たされ気力も取り戻すことができた。
「さて、再びやり直そう……焦ることはない。
我に足りないものを理解し、兄弟と相談しながら強くなってゆこう」
我は桃を召喚し再び身魂融合を果たす。
マイクのキンキン声に顔を顰めるハメになったが、
それも仕方のないことだろう。
今日だけは……我慢することにする。
ここに我の挑戦は、ひとまずの幕を閉じた。
だが、我が生きている限り挑戦は終わることはない。
何故なら……我は挑戦する者なのだから。