339食目 陰から見守る者
◆◆◆ モーベン ◆◆◆
デクス山山頂から赤い飛空艇がラングステン王国王都の方角へと飛び立った。
無事に戦いは終わったのだろう。
これであの御方の望みは叶ったわけだ。
「これで私達の目的は真に達成されましたね」
「……うむ、そうだな」
顎に蓄えた立派な髭を擦りながら、
朝日に照らされて赤く映える飛空艇を見送るガッツァは、
そう答えると腰に下げていた酒瓶の蓋を開け一気に喉に流し込んだ。
アルコール度数が、じつに八十八度もある強烈な酒〈ドワーフダウン〉である。
酒が強い種族であるドワーフをも酔い潰すと謳う酒を彼は好んで飲む。
「ふぅ、酒に強過ぎるのも困りものだ。
酔いたい時にも酔えんとはな」
ガッツァは中身がなくなった酒瓶を見つめ、ため息を吐いた後、
彼は朝日に向かって思いっきり放り投げた。
その顔はとても憂鬱である。
「しかし……坊もまた、なんであんなガキに執着しているんだか。
確かに妙な力を持ってはいるが、そこまで気を払うほどじゃねぇだろ」
「ベルンゼ、御子様は何か深い考えでもあるのだろう。
我々では図りきれないほどのな」
手頃な岩に腰掛け、昇る朝日を見つめながらそうボヤいたベルンゼを窘める。
確かに彼の言うこともわからないではない。
御子様に比べれば取るに足らない能力ではあるだろう。
だが、彼が意味もなく、
我々に彼女の成長を妨げようとする者の妨害を指示されるわけがない。
「いや、そこまでは考えてはいないぞ」
「っ!!」
幼い少年の声が突如私達の背後から聞こえた。
その声は幼くはあるが、どこか達観した雰囲気があり威厳すら感じる。
「坊!? なんでまたこんな所に……」
黒いローブに身を包んだ我らが主、カオス神の御子が、
微塵の気配すら発せずにこの場に現れたのだ。
「いやなに、少し様子を窺おうと思ったのだが寝過ごしてしまってな」
「さ、左様でございますか」
眠たそうに欠伸をしながら、御子様はそう答えなさった。
彼は時折、このようにお茶目な側面を覗かせる。
そこが魅力的であるのだが普段は重苦しい雰囲気を纏っており、
身内である我々ですら息苦しくなるほどだ。
「んで、坊はあのガキンチョになんでご執心なんだ?
まさか……惚れたってわけじゃないだろうな」
ベルンゼは我々の中でも特に異質な八司祭だ。
御子様相手であろうとタメ口を聞き、その態度は横柄である。
「まさか……惚れてはいないが愛してはいる」
そんなベルンゼを、御子様は大層お気に召されていた。
まるで十年来の親友のように接しておられているのだ。
「おいおい、結局は惚れているってことじゃねぇか」
ベルンゼは御子様の答えに呆れた様子を見せる。
その様子を見て苦笑いをする御子様であったが、嫌な素振りは見せていない。
これはいつもの彼らのやり取りであるのだ。
御子様はフィリミシアに向かって飛ぶ、赤い飛空艇を眩しげに見て言った。
「この世にたった一人の『妹』だ……気にもかけるさ」
その答えは我らを驚愕させるに十分なものであった。
まさか、ラングステンの聖女と呼ばれているエルティナが、
カオス神の御子たる彼の妹君であるとは誰が予想できたであろうか?
「取り敢えずは〈枝〉の覚醒に至ったようだな。
まったく……面倒事に巻き込まれないように手を打ったのに、
結局は巻き込まれてしまっているとは……これも因果か」
そう言って、彼は自虐とも取れる笑みを浮かべてポツリと呟いた。
「いや……宿命か」
それはとても……とても、悲しそうな顔だった。
「帰ろう、我らの〈家〉へ」
御子様は腕を振るわれると、そこに〈ゲート〉が音もなく出現した。
彼にとって遠く離れた空間の行き来は、息をするのと同様の容易さであった。
「エルティナ……できれば、おまえだけは
〈真なる約束の日〉まで、穏やかに生きて欲しかった」
ゲートはまるで生きた生物のように我々を飲み込んだ。
次の瞬間には見慣れた空間が表れている。
カオス神様の御神体が祭られている、我らの〈家〉の前だ。
「ただいま、皆」
出迎えてくれた他の八司祭に労いの言葉を掛け、
御子様と私達は〈家〉へと帰っていったのだった。