336食目 雄叫び
◆◆◆ エドワード ◆◆◆
「な、なんだ、あの巨大な光る大蛇は!?」
デクス山山頂付近、魔族領とラングステン王国量の境目で、
魔族の部隊と睨みあいをしていた僕達に動揺が起こる。
それは魔族側も同様であり、互いが牽制し合っていたことも忘れ、
天高く首をもたげている大蛇を食い入るように見つめていた。
そして、魔族の兵の誰かが呟いた。
あれは……〈全てを喰らう者〉だと。
「アレが〈全てを喰らう者〉だって?
バカな……伝承では〈全てを喰らう者〉は人の姿であるはずだ。
あの大蛇がそれであるはずが……」
フィリミシア城にある〈全てを喰らう者〉に関する書物は一通り目を通したが、
それらの書物に記載されている〈全てを喰らう者〉は、
一様に人の姿をした化け物であると記されていた。
しかし、魔族側には、
ラングステン王国にはない書物が存在している可能性もある。
一概にアレが〈全てを喰らう者〉ではないと言いきれない。
「エドワード殿下、仮にあの大蛇が〈全てを喰らう者〉であれば一大事です。
このようなことをしている場合では……!?」
僕の傍に寄り小声で進言してきたホルスートの言葉がぶつりと途切れる。
絶句と言っても差し支えがない有様であったのだ。
それは何も彼だけではない、僕も仲間達も……
敵である魔族の兵たちですらも同じ有様であったのだから。
ピンク色に輝く大蛇は奇妙な咆哮を上げると大きな口を開き、
勢いよく大地に噛み付いた。
普通であればそこで攻撃が終わることだろう。
だが……その大蛇は違ったのだ。
ぞぶり。
身の毛もよだつ咀嚼音がし、あり得ない光景が目に飛び込んできた。
「や、山が……喰われた……!?」
「いってぇ、なんなんだぁ!? あいつはよぉ!」
フォクベルトとガンズロックが大蛇を睨み付け、
そして互いに目を合わせる。
「ま、まさか……!?」
「嘘だろぉ、おい! アレ全部が桃力だっていうのかよぉ!」
そうだ、あの輝きは桃力の輝き。
でも……あの輝きから感じるのは、常闇よりも暗い絶望、
砂漠よりも乾いた飢え、そして……濃厚な死の香りであった。
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!」
大蛇が咆えた。
その声にこの場に居るもの全てが竦みあがる。
「御屋形様! その力はいけませぬ!『まだ、早い』でござる!!」
ただ一人、ザイン・ヴォルガーを除いて。
彼はエルティナの秘密を知っているのか?
その表情はただ事ならないことが起こっていることを、
容易に理解させるに十分なものであったのだ。
「エドワード殿下、拙者は御屋形様の下に馳せ参じなければなりませぬ!
これにて御免!」
「まて、ザイン! 今行くのは危険だ!」
彼は僕の制止を振り切り疾風のごとく走り去った。
「くっ!? ルドルフ!」
「はっ! お任せください!」
僕は自由騎士ルドルフに彼の後を追うよう命じ、
この緊急事態に備えるべく行動に移る。
あの大蛇を見て、魔族の兵達は完全に戦意を喪失していた。
「お、終わりだ……世界が喰い尽くされる」
「あんなのに勝てるわけがねぇ、せめてコウイチロウ様がいてくださったら」
これはチャンスだ。
この状況を利用して魔族の部隊に一時休戦を申し込むとしよう。
僕は魔族の部隊を率いていたデリッサという女魔族に声を掛け、
現状を打破するまで休戦をすることを提案した。
「……わかった、貴公の申し入れを受けよう。
おまえ達! 何をしている!? 魔族の軍人が情けない姿を晒すな!」
「い、イエス、マム!」
流石に良く訓練されている兵だ。
まともにぶつかれば、こちらの損害も甚大なものになっていただろう。
これで、一応のところあの大蛇の対策ができる。
あの大蛇は本当にエルティナが桃力で作りだしたものなのだろうか?
それにしては、おぞまし過ぎる。
いくら彼女にセンスがない、といってもアレはあんまりだ。
「いかなくちゃ……私、エルちゃんの下に行かなくちゃ!」
「どこへ行く気だ、リンダ!」
僕は走りだそうとしたリンダの腕を掴み止める。
「離して、エドワード様! エルちゃんが、エルちゃんが!」
「落ち着いて、リンダ! 今行くのは危険過ぎる!」
「それでも……私は行かなくちゃならないの!
もう、後悔するなんて、まっぴらなんだから!!」
リンダの決意の籠った瞳は僕を気負わせるには十分であった。
この子はこんな表情ができたのかと驚かされる。
その一瞬の隙を突かれ、彼女は僕の腕から逃れてしまった。
「やれやれ……困った幼馴染だぜぇ」
巨大な両手斧を片手で持ち、柄で肩を叩く仕草をとるドワーフの少年。
「困ったものだよ、頼めるかい? ガンズロック」
「あぁ、任せておきなぁ。フォク、後は任せた」
リンダの後を追うように駆け出すガンズロック。
ぼくの隣に立つのはフォクベルト・ドーモンだ。
「エドワード殿下、間もなく飛空艇が到着する模様です。
ここは一時撤退するのが得策かと」
「うん、普通ならそうするだろうけど……ここにはエルがいる。
それに部下や、クラスメイトもいるんだ。
僕だけが王族だからって逃げられないよ」
ハッキリと逃げる意思がないことを伝えると、
彼は小さなため息を吐いた。
「困った主君に当たったものです」
「ご愁傷様だね」
互いに表情が緩み肩の力が抜ける。
そして、自分が思っていた以上に緊張していたことを理解した。
膝が小刻みに震えている、気を抜くと立っていられなくなりそうだ。
「……エド、私もエルの下にいくわ」
「ヒュリティア、きみもか。
エルが心配なのはわかるけど、あそこは危険だ」
「……行かなくてはならない気がするの。
きっと、待っている……『彼』が」
「彼? 彼とは、いったい誰だい?」
彼女は何も答えなかった。
だが、その透き通ったエメラルドのような瞳の中に映る自分の姿を見た時、
僕は電流に撃たれたような感覚と共に『彼』を思い出したのだ。
「……行きましょう、エルの下へ」
「ヒュリティア……うん、わかった。
クウヤ、きみにここを『任せる』。頼んだよ」
「! はっ、お任せください!」
僕はクウヤに魔族の部隊の見張りと牽制を頼み、
残ったクラスメイトを纏めてエルのいる場所へと急いだ。
そして暫く経った頃……異変が起こった。
今は夜だ。
だが世界は日の出を迎えたかのように赤く染まった。
デクス山山頂付近から放たれた赤い光、
それは破壊を孕んだ灼熱の熱波だ。
「ま、まさか!? 彼女はアレを使ったのか!?」
彼女から聞かされた禁呪〈イフリートボム〉。
それは禁断の術式を使用して彼女の〈ファイアーボール〉を
百個一瞬にして作りだし発動させるというものである。
もっと詳しくいえば、
十個分の威力を込めた火球を十個同時に作り出すというものだ。
エルティナの魔力なら魔力枯渇による死亡はない。
問題は彼女の魔法の仕様だ。
彼女の魔法は放たれることなく、その場で爆発する。
このことによりエルティナは〈爆弾少女〉と呼ばれ恐れられているが、
彼女自身は強力無比な魔法耐性により爆発の中にあっても無傷であるという、
恐るべき存在であるのだ。
だが、それはあくまで一つの魔法でのみに過ぎない。
もしも、二つ以上の魔法を同時に発動させた場合どうなるか?
答えは自身を傷付けることになる……だ。
これを防ぐには魔法障壁を展開すればいいのだが、
それにしたって限度というものがある。
彼女の〈ファイアーボール〉は一発で城の城壁を吹き飛ばす威力だ。
それが百発分である。
正気の沙汰ではない、発動してしまえばまず助からない。
「エル……!!」
破滅の熱波が押し寄せてくる。
まずは、こいつをなんとかしなくては。
でも、どうやって? 僕の魔法ではとても防ぐことは叶わない。
「ふぅぅぅぅぅぅ、熱いですねぇ。はい、少し揺れますよ?」
僕達の目の前に落ちてきた巨大な人物、それは……!
「勇者タカアキ!」
「はい、私が勇者タカアキです」
彼は天高く足を上げると、勢いよく大地に振り下ろした。
その瞬間、大地が震える。それをもう片方の足でおこなう。
するとどうだ? 大地の力が彼の足から流れ込んでゆくではないか。
その力は彼の右腕に集まり荒れ狂っていた。
「さて、このままでは丸焼きになってしまいますので、
少々手荒ですが処理させていただきますよ。
どすこぉぉぉぉぉぉぉぉぉいっ!!」
勇者タカアキが右腕を突き出した。
その掌底から放たれるのは純粋な衝撃波だ。
ただ、その威力が桁外れである。
迫り来る膨大な量の熱波を吹き飛ばし霧散させるという、
常識を無視したようなバカげた威力。
「これで、ここは大丈夫でしょう。
他の場所も我が友フウタとアルフォンスさんが抑えに行っております」
熱波が収まり再び夜の暗闇が戻って来た時、
デクス山の山頂付近があった場所を見て、僕達は唖然とすることになった。
「さ、山頂が……」
消えていたのだ、綺麗さっぱりと山頂が。
非現実的な現実に頭がおかしくなりそうだった。
「……急ぎましょう、ありがとう勇者タカアキ」
「勇者ですから」
頭が混乱している僕の手を取り、エルティナを探して走り出すヒュリティア。
冷静そうに見える彼女だが、その手の平は汗でびっしょりだった。
内心はかなり焦っているに違いない。
「……大丈夫、きっと、大丈夫……」
その言葉は僕に言った言葉か? それとも自分にか?
その時、静けさを取り戻したデクス山に雄叫びが響いた。
◆◆◆ リンダ ◆◆◆
突然、世界が赤く染まり身を焦がすほどの熱波が押し寄せてきた。
きっと、エルちゃんが爆発したのだろう。
でもこの熱量は尋常じゃない、それほどまでに追い詰められているのだろう。
「いま……いくからね! エルちゃん!」
私は手に持った巨大な歪な塊で熱波を薙ぎ払った。
熱波は赤い光の粒となって霧散してゆく。
どうしてそうなったか、どうしてできると思ったのか、
なんて考えている暇はない。
今は一刻も早く、彼女の下へと急がねばならないからだ。
「邪魔をするなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
熱波に思いっきり歪な塊を叩き付ける。
その瞬間、歪な塊が熱波を食べ始めた。
嫌がって逃げる熱をも捕まえて貪り食べる、奇妙な形をした物体。
どうしてコレは、こんな能力を持っているのか?
やっぱり、そんなことはどうでもいい。
とにかくエルちゃんだ! はぁ、はぁ。
「今! 貴女の! リンダが! 行くからねっ!」
熱波が通り過ぎていった、これで先に進める。
山頂部分が吹き飛んでいるが今はどうだっていい。
エルちゃんを救出して独占するチャンスだ!
「さぁ、エルちゃんはどこかな?」
辺り一面は瓦礫の山と化しているが、
彼女はきっとケロッとした顔で立っているだろう。
ドヤ顔で勝利ポーズを取っているかもしれない。
そこに私が飛び込み勝利を祝福してあげるのだ。
少し進むと輝く球体が見えた。
あれは、いったいなんだろうか?
エルちゃんが使用する魔法障壁は半透明の膜のようなものだ、
あのようにキラキラと輝いたりはしない。
注意深く近寄ると、その輝く球体が弾け飛び、
中からライオットとブランナ、アマンダとオフォールが飛び出てきた。
「あ、あぶねぇ! ぶっつけ本番だったけど、なんとかなったぜ!」
「ちょっ!? これ、今まで使ったことがなかったの!?」
やたらと眩しい姿のライオットにツッコミを入れるのはアマンダだ。
オフォールは立ったまま、真っ白に燃え尽きている。
「目がぁぁぁぁ! 目がぁぁぁぁ!! あぁぁぁぁぁぁ!」
ブランナは目を押さえてふらふらと彷徨い歩いていた。
きっとヴァンパイアの彼女には、
ライオットのキラキラした姿が眩しいのだろう。
あ、その前に輝く球体に入ってたっけ?
「あ、リンダさん! 無事だったのね!?」
「ちっ……うん! 私は大丈夫だったよ!」
「え? 今『ちっ』て言った?」
これで私のエルちゃん独占計画が頓挫してしまった。
だが、エルちゃんに最初に抱き付くのはこのリンダだ、
エドワードでも、クリューテルでも、ヒュリティアでもない、
この! リンダ・ヒルツであるのだぁぁぁぁぁぁっ!!
「うっ……くそっ、慣れない技は負担が大きいな。
悪い、俺は動けそうにねぇ。
エルのヤツを迎えに行ってくれないか?
きっと、力を使い果たして『ふきゅん、ふきゅん』鳴いているだろうからさ」
そう言いきると、ライオットから輝きが失せ、傷だらけの身体が姿を見せた。
アマンダ達を護るために無茶をしたのだろう、
彼はいつも自分のことを後回しにして他人を護ろうとする。
今までは尊いものであると感じていたが、現在の私はそうは思わない。
自分を護れないものは、他の大切な何かを護ることなどできない。
私はそのことをヤドカリ君に教わった。
確かに彼は自分の命と引き換えに、私とエルちゃんの命を救った。
でも……救ったのは『命』だけだ。
彼を失った悲しみは今も私の心を縛り付けている。
またヤドカリ君に会いたい、でも……それは叶わない。
もう彼は死んでしまった。
残された者は、ずっと彼の残像を想い生きていくことになる。
それは、とてつもなく辛く悲しいことだ。
やはり、自己犠牲の心など自己満足に過ぎない。
私はそれを身をもって知った。
だから、ライオットの行為を素直に称賛することはできない。
「うん、わかった! ライオットはそこで、ゆっくりしていてね!」
でも、私は寛大だ。
千載一遇のチャンスをくれた事に免じて、
今だけその行為に目を瞑ってあげよう。
感謝するようにっ!
私は駆け足でエルちゃんを迎えに行く。
さぁさぁ、早く私に抱擁されると良い。
やがて、私はいつも彼女が大切に抱えている木の枝を発見した。
確か〈かぐや〉という可愛らしい名前の枝だ。
「あ、あれは……って!? エルちゃん、下に埋まってるの!?」
垂直に立っている輝夜の茎にはエルちゃんの手があった。
だが、そこから下は土の中である。
「もう、いつも予想外の登場の仕方をするんだから」
きっと、土の下で身動きが取れなくて、
「ふきゅん、ふきゅん」と鳴いているに違いない。
チャンスだ、助け出した私にエルちゃんは感激して、
熱い抱擁をすることを許してくれるだろう。
「今助けてあげるからね、エルちゃん!」
私はエルちゃんの手を掴み、土の中から引っ張り出した。
「……え?」
その手は……確かに、エルティナ・ランフォーリ・エティルの手であった。
間違いない、私が見間違えるはずがない。
では何故……『その下がない』のだ!?
全身から嫌な汗が噴き出る!
鼓動が激しくなり苦しい! 目の焦点が合わない!
「オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
何者かの雄叫び。
それは勝利を宣言する戦士の咆哮。
私はゆっくりと雄叫びがした方角を見た。
そこには月に向かって咆える傷だらけの黄金の竜、
その足元には黒く焦げた何か。
私はそれを見て確信してしまった。
その黒く焦げた何かが……なんであるかを!
「エ、エルちゃん!!」
デクス山の山頂を吹き飛ばすほどの激闘を制したのは、
エルちゃんではなく、ガルンドラゴンだったのだ。