334食目 真なる約束の子
◆◆◆ エルティナ ◆◆◆
なんだろう、ここは。
真っ白な空間に俺は一人で歩いていた。
おれ……俺は誰だっけ? 思い出せない。
白い着物に赤い袴……なんでこんな服を着ているのだろうか?
『……! …………!』
さっきから誰かの声が聞こえている。
何を言っているかはわからない。
けれども、その声はとても懐かしくて温かい気持ちにさせてくれた。
でも……思い出せない。
いったい、誰の声なのだろうか。
忘れてはいけない声だったはずなのに……。
暫く歩いて行くと淡い緑色の輝く球体を見つけた。
触れてみるとパッと弾けて消えてしまう。
わからない、でも……大切な何かが消えてしまったようで怖かった。
更に進んでみる。
理由なんてない、目的もない、ただ……前へ前へと進んでゆく。
白かった空間はやがて真っ黒な空間へと変わっていった。
黒い空間に浮いているのは赤黒く輝く球体だ。
それも触ると、やはり弾けて消えてしまった。
心が締め付けられて苦しい。
理由はわからない、この赤黒い球体がそうさせてしまうのだろう。
この悲し気に輝く球体には触れない方がいいのかもしれない。
球体に触れないように進むと、やがて銀色に輝く空間に出た。
何もない地面から、ふよふよと銀色の光が湧き出して、
緩やかに宙に舞っている幻想的な空間だ。
俺はその空間を更に進んでいった。
銀色の光が地面から湧き出しては宙を舞い、
ゆらゆらと地面に帰ってゆく。
それはまるで純白の雪原のようでもあった。
無垢なる光の雪がひらひらと俺に落ちてくる。
俺はそれを払い除けることはせず、ひたすらに歩き続けた。
後ろを振り向けば、俺の通った部分に足跡が残り光り輝いている。
再び歩き始めた。
もう振り返ることはしない、何か変化が起こるまで、ずっと歩き続けた。
どれだけ歩いただろうか? 俺にはもうわからない。
気が付けば俺の周りには鬱蒼と茂った木々が立ち並び、
着ていたはずの服もなくなっていた。
身体も小さくなっており、周りの物がとても大きく見える。
俺はそれでも先に進んだ。
やがて、『見覚えのある場所』へと辿り着く。
そこは……森の神様が佇んでいた場所だ。
その神聖な場所に腰を下ろしていたのは、古びた森の神様の石像ではなく、
銀色の鱗を持ち六枚の翼を持った威厳のある竜であった。
銀色の光を纏う巨大な竜が俺に語りかけてくる。
低く威厳のある声だが、俺に向けられる眼差しは優しいものだった。
『よくきたな、我が娘よ』
貴方は俺の父親なのか?
『そうとも言えるし、そうでないとも言える。
おまえは私が生み出した娘の子だ。
そして、この世界の〈真なる約束の子〉にするために、
私が作りだした〈子宮〉にて、おまえを育て直したのだ』
よくわからない。
『今はわからなくてもよい。
時が来れば、おまえは自分で自分がどういう存在かを理解する日が来る。
それは終わりの始まりであり、
新たなる命が生れるための儀式が近付いている証でもある』
儀式?
『そう、儀式だ。
おまえは、このために二度目の生を受け、この地に『帰ってきた』。
〈真なる約束の日〉を迎えるために』
真なる約束の日?
『それは世界が終わる日であり、世界が生れる日でもある。
おまえは選ばなくてはならない、終わる命を取るか、始まる命を取るかを」
何故、俺なんだ?
『おまえが『エティル』の子として再び生を受けたからだ。
あの子はこの世界を救うために……いや変えるために、
私の全ての力を注ぎ込み生み出した〈真なる約束の子〉。
エティルは私の期待どおりの成長を見せた。
そう、計画は順調……だった』
だった?
『しかし……事故が起こった。
この世界に〈鬼〉が侵略の触手を伸ばしてきた際、
心優しいエティルは桃使いとして覚醒し、
この世界の鬼を自らの命と引き換えに、
異次元へと道連れにしようとしたのだ。
あの子の力によって、この世界の鬼は一匹残らず異次元へと消え去ったが、
その代りに私は大切な娘を失ってしまった』
…………。
『だが、エティルは死んでいなかった。
あの子は次元の歪みに飲み込まれ、こことは別の世界へと飛ばされていたのだ』
別の世界とは?
『……地球。青く輝く命溢れる世界だ。
おまえも、元はそこに生きる命の輝きであった。
エティルはその世界にいた桃使い達に助けられ、
桃使いとして生きる道を選んだ。
しかし、私の計画はエティルなくして成就できない。
力の殆どを娘に使ってしまった私では、
地球にいるエティルの様子を見守るので精一杯だった。
だが……何百年か経った頃に転機が訪れた』
転機?
『そうだ、エティルが桃使いの神との間に産み落とした幼き光を感知したのだ。
遠く遠く離れた、この地にも届く希望の光。
そう……おまえのことだ、エティルの娘『桃姫』よ』
とうき? それが俺の名前?
『そうだ、その名がおまえの真名。
おまえの両親は前世の名の一部を使って名付けたようだ。
暫くは幸せな日々を送っていたようだが、
おまえの異常な能力を利用しようと
目論む者が現れたことを察知したエティルは、
桃使いの神と協力しておまえを神桃の実に封じ、
地球から異世界へと送り出した』
そんな記憶はない。
『当然だ、エティルと桃使いの神が願ったのは、おまえの幸せ。
実の肉親との記憶を持っていたのでは、拾われた先での生活に支障が出る、
そう判断したあの子は、おまえの〈幸せの記憶〉を消去したのだ』
そんな……。
『だが、このことは私にとって都合の良いことであった。
何故なら、エティルに与えた能力をおまえは一つ残らず受け継いでいたのだ。
それが地球の神々に狙われる理由でもあり、
私がおまえを望んだ理由でもある。
混沌を漂う、おまえが乗った神桃の実をこの世界に引き寄せ、
私の残った力でおまえを〈真なる約束の子〉に育て直した。
あの子には悪いと思ったが、私に残された時間はあまりにも少ない。
女神マイアスでは、どうにもできない事態が迫っているのだ』
それはいったい?
『この世界にもう一人の〈真なる約束の子〉が生れてしまった。
その者は男であり、〈全てを喰らう者〉に転じてしまう可能性がある。
何故、私の意思とは別に誕生してしまったのかはわからない。
封じられた父の怨念か……いや、人の意思の力か』
全てを喰らう者?
『それは〈真なる約束の子〉の成れの果て。
重き罪に耐えきれず、心が砕け散ってしまった者の末路。
何人もの無垢なる魂に希望を託すもことごとく失敗し、
この世界を暗黒に染め上げてしまった』
原因は?
『判明している。原因は〈真なる約束の子〉が男だったからだ。
男の精神では重き罪に耐えられない。
男は女と違い、ただ消耗してしまうだけなのだ。
しかし〈真なる約束の子〉はどうしても男しか生れてこなかった。
幾千もの実験を繰り返し、ようやくエティルを生み出したのだ。
だが、もう私には〈女の真なる約束の子〉を生み出す力は残されてはいない。
あの子に全ての力を注いでしまったのだから』
俺はどうすればいいんだ?
『おまえの思うがままに生きよ。
それを強く望む者が私の下に懇願してきた。
そうであろう、〈エティル〉の名を護り、受け継がせた者よ』
銀の竜の陰から姿を現したのは赤い髪の女性だった。
その姿、顔を……俺は知っている!
『はい、この子は私の全てを受け継いでくれた二代目……
エルティナ・ランフォーリ・エティルです!』
頭の中に充満していた、どんよりとした雲が霧散してゆくかのようだった。
意識が鮮明になり、大切な人達の顔をどんどん思い出してゆく。
そうだ、俺はこんなことをしている場合ではなかった!
『行くがいい、我が娘達よ。導く者よ。
手を取り合い、汝らのあるべき世界へ。
おまえが再び覚醒した時、また私と語り合うことになるだろう』
『あぁ、行ってくるんだぜ! 森の神様!』
『行きましょう、貴女が居るべき世界へ』
俺は初代の温かい手を握り、戻るべき世界へと歩き始める。
森は姿を消し、いつの間にか銀色の輝く雪が降り注ぐ道を二人で歩いていた。
『我が愛しき娘よ、汝は思うがままに歩け。
汝が選ぶ方向こそ正しくあり、明日を作り出す道になろう。
我が名は〈カーンテヒル〉、汝に希望を託す者なり』
森の神様……カーンテヒルの声が最後に聞こえ、銀の世界は姿を消した。
俺達は真っ黒な空間を、二人で手を繋ぎ歩き続けた。
『初代……俺、話したいことがいっぱいあるんだ』
『うん』
けれども声が詰まって言葉が出てこない。
話したいことが山ほどあるのに言葉が出てこない。
『……わかっているよ、貴女が話したいこと』
初代エルティナが歩みを止めて俺に微笑みかけてきた。
それはゴーストだった時の彼女とは違う、本当に心の底からの笑みだ。
『ずっと、ずっと見守っていたんだよ。
悲しい時も、楽しい時も、苦しい時も、幸せな時も、
私の想いは貴女と共にあったの』
『初代……!』
黒い空間は姿を消し、真っ白な空間へと変化を遂げていた。
周りには淡い緑色の光がキラキラと輝いている。
『私は貴女、貴女は私』
『俺はエルティナ・ランフォーリ・エティル、
貴女もエルティナ・ランフォーリ・エティル』
初代の体が淡い緑色の光の粒へと解れてゆく。
彼女の身体は魂で作られていたのだ。
『私ではあの人ほどの力を、貴女に与えることはできないかもしれない。
大切なあの人の想いを、邪魔してしまうのかもしれない!
でも……それでもっ! 私は貴女に死んで欲しくないっ!!』
『俺は死ねない、俺には待ってくれている者がいる。
こんな俺を大切にしてくれている人達がいる! だから……!!』
『『真・身魂融合!!』』
俺と初代の声が重なり、世界は優しい光に包まれた……。