332食目 暴食の咢
◆◆◆ シグルド ◆◆◆
エルティナの小さな体から飛び出した巨大な桃色の大蛇。
彼女から放たれる桃色の光から作られているそれは、
間違いなく桃力の集合体だろう。
だが……だが、それでも目を疑ってしまう。
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!」
その大蛇の顔には大きな口以外は付いてはいない。
まさに、喰らうためだけの存在、
と認識させるには十分過ぎるほどの衝撃的な顔であった。
いや、アレを顔と言っていいものか……。
「マイク、しっかりしろ! いつまでも悲鳴を上げるな!」
「ひっ、だ、だってよぉ! 怖いんだよ、震えが止まらねぇ!
俺もわかってる! 怯えてる場合じゃないって!
でも……でもよぉ! アレは俺達が戦って勝てる相手じゃねぇよ!!」
「……っ!」
誰がマイクを責めれようか。
我も己一人であったなら、恥もかなぐり捨てて逃げ出していただろう。
だが、そのようなことはできない。
我には背負った魂がある、叶えたい夢がある、破れぬ約束がある!
「だとしても、我は戦う! 恐怖と震えは勇気で抑えつけろ!
敵わぬと思うその弱い心に、純然なる怒りを叩き付けろ!!」
「ブラザー……!!」
「来るぞ、マイク! 恐らく、これが最後の激突になる!」
口だけしかない桃色の不気味な大蛇が、
その大きな口を開き我に突っ込んできた。
極めて単調な攻撃。
しかし、その巨大な身体は脅威としか言いようがない。
全長三十メートほどもあろう巨体をうねらせ、猛スピードで迫ってくるのだ。
「うぬっ!!」
横っ飛びで、なんとか回避する。
その直後、『ぞぶり』というおぞましい音がした。
「ブ、ブラザー!!」
「な、なんだこれはっ!?」
山の一部が巨大な大蛇に『喰われた』。
整地されていた山の頂上部分が、
大きくその姿を変えてしまうほどの噛み付きだったのだ。
バリバリと咀嚼する大蛇の口からは赤い光が漏れ悲し気に消えてゆく。
あの光には覚えがある。
そう、我が鬼であるアランと相対した時に目撃した気分の悪くなる光だ。
「はぁぁぁぁ……うめぇ、おかわりだぁ!!」
エルティナの操る大蛇が再び鎌首をもたげ、我に狙いを定める。
「あ、ありえねぇ……あの大蛇、鬼となんら遜色もない能力、性質なのに、
身体を構築している桃力が正常なままで機能している!
エルティナは鬼に堕ちもせず、
桃使いとして存在しつつ陰の力を操っているんだ!
いったい、なんなんだ!? あの嬢ちゃんは!!」
「化け物め……!!」
まさにその言葉しか出てこなかった。
あの大蛇の性質は鬼のそれと良く似ている。
アレには愛も勇気も何もない、ただ食べるという『欲望』のみの存在なのだろう。
故に我らは、あの大蛇に恐怖を感じるのだ。
純粋過ぎる『陰の力』に……!!
「エルティナ! しっかりしろ! 自我を保て!!」
「俺はぁ、しっかりしているぅぅぅぅぅぅ!
しぃぃぃぐるどぉぉぉぉぉぉぉ! 食わせろォ! おまえのにくぅ!!」
エルティナに変化が現れた。
彼女を包むように赤黒い光と桃色の光の輪が、
交差するように回っていたのである。
青い瞳は赤く染まり爛々と輝き、見る者を圧倒する力を解き放っていた。
「お、鬼力!? 桃使いなのに!? 何が起こっているんだ!?
こんなケースなんてデータになんかねぇよぉ!
ワッツ!? 陰の力と陽の力が調和している!?
ジーザス! もう頭がパンクしそうだ!!」
「マイク、攻撃する! 桃力の調整をしてくれ!」
「う、え……わ、わかった!
あぁ、ちくしょう! こうなりゃ自棄だ! とことんやってやる!」
我は迫り来る大蛇の口に気を付けつつ、
〈暴虐の音玉〉を大蛇の長い身体に叩き込んだ。
これだけ大きければ当てることなど容易い。
しゃくっ。
「なっ!?」
〈暴虐の音玉〉が『喰われた』。
確かに我は大蛇の身体に命中させたのだが、
恐るべき破壊力を持った音の弾は、
己の使命を果たせぬまま消滅してしまったのだ。
「はぁぁぁぁ……しげきテキな、あジじゃねェかぁ! もっト、クわせろォ!」
エルティナが勢いよく腕を振るうと、
今までの緩慢な動きが嘘のように大蛇が俊敏に行動に移した。
その圧倒的な巨体が俊敏に動く……これほど驚異的なことはない。
「ぐっ!? まだだ!」
「ブラザー!?」
我の反応が少し遅れた。
そのせいで尾の半分を大蛇に食われてしまう。
『マイク! 何か攻撃手段はないのか!?
ダメージを与えられなくては勝負にならん!』
『今探している! 桃力が通用しない相手なんて聞いたことがねぇよ!
あの大蛇の身体の体の殆どが桃力〈食〉で構築されている!
だから、どこに触れても喰われちまうみたいだ!』
『それでは、攻撃が通じないではないか!』
『あぁ、そのとおりだよ! くそったれチートだぜ!』
迫り来る大蛇を辛うじてかわしながら、
我々は勝利に結びついた頼りない糸を探し、手繰り寄せなくてはならない。
それは気の遠くなるような作業だ。
だが、やり遂げねばならない。
「フキュオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!」
「このまま、野放しにはできん」
最早、暴走と言っていい状態のエルティナと大蛇。
我はこの圧倒的な力を持つ者を超えることができるのであろうか。
◆◆◆ フウタ ◆◆◆
デクス山の山頂付近に強大な力の発現を感知した俺は、
その力の異常さに戦慄を覚えた。
「む、これはいけませんねぇ」
タカアキの言葉を聞いたからか、それとも彼も感知したのかはわからない。
土の八司祭ガッツァは巨大なハンマーを下ろし、
もう戦闘の意思がないことを示した。
「我らの使命は達成された……行くがいい、勇者タカアキ。
そして、その目に焼き付けるのだ、〈真なる約束の子〉がどういう存在かを」
「わかりました。
行きましょう、我が友フウタ、アルフォンスさん」
「タカアキ、こいつらを信用するのか!? 後ろから攻撃されるぞ!」
「大丈夫です、我が友フウタ。
彼らは、そのようなくだらないことを『いたしません』」
タカアキは八司祭に背を向け、エルティナの下へと走り出した。
「けっ、あのデブ……言ってくれるじゃねぇか。
おら、てめぇも行っちまいな。
後ろから攻撃なんて『くだらねぇ』ことは、できなくなっちまったからよ!」
水の八司祭ベルンゼもトライデントを下げ、顎で以って山頂へ行けと指示した。
「でも、悪戯程度は許されるかもしれませんね」
「アンタの悪戯はシャレにならないから止めてくれ」
火の八司祭モーベンに愚痴を言ったアルフォンスさんは風の大剣を作りだし、
サーフィンボードのように乗ってタカアキを追った。
体の所々が焦げているところを見ると、相当に手を焼いたに違いない。
そう思うと、にこやかに彼を見送るモーベンの実力が生半可ではないことを、
容易に察することができる。
「いずれ、決着を付ける」
俺は彼らにそう吐き捨て、タカアキ達の後を追った。
これは負け惜しみである。……八司祭は強過ぎた。
同時に、己の未熟さを痛感することとなる。
俺の攻撃はまるで通用しなかったのだ。
ベルンゼの水の魔法に弄ばれ、
俺は無様に通用しない攻撃をひたすらに繰り出すだけだった。
水属性に有効である雷の魔法も純水にした水の壁に阻まれ通らない。
強固な水の壁は俺の斬撃をいとも容易く防いでしまう。
たとえ切れたとしても、すぐ再生してしまうのでは意味がない。
「くそっ、俺はチート能力を持って転生したんじゃないのか?」
彼らの能力を〈ステート〉で覗き見たが、
俺のようなオールSというチート能力は持っていない。
精々高くて自分の得意分野の素質がAといったところだ。
つまり、彼らは努力の積み重ねで、ここまで強くなったということになる。
「俺は自分の素質に胡坐をかいていたというのか……!!」
女神マイアスに授かった特別な素質。
だが、この世界の連中はその特別を、
『努力』という平凡な力で平然と乗り越えてくる。
「いったい、俺には何が足りないんだ」
俺とて努力は重ねてきたはずだ。
何度も悔しい思いをし、それを糧に鍛錬を重ねてきた。
絶望を力に変え強くなっていったはずだ。
「わからない……くそっ! もっと、力が欲しい!」
デクス山山頂に桃色に輝く奇妙な大蛇の姿が見えた。
その時、俺は確かに感じ取った。
『あれこそは力そのものではないか』……と。
「欲しい、力が欲しい。何者にも屈しぬ力が!」
俺は駆けた。
あの力がなんなのかを確かめるために。