324食目 右腕の悪魔
「ちょ、ちょっと! ユウユウさん、正気!?」
「話が通じる相手じゃねぇ。完全に『恋する乙女』だ」
俺達が飛び退いた場所にユウユウの拳が突き刺さり、一瞬の間を置いて爆ぜた。
飛び散る大地の破片に気を付けながら彼女の背後を捕る。
俺は迷うことなく相棒の引き金を引いた。
狙うは首、頚椎を破壊する。
「あはっ、貴方もやる気がでたようね? モテる女は辛いわぁ」
「ちっ」
あろうことか、ユウユウは振り向きざまに弾丸を歯で受け止めたのである。
かわされると踏んでいたのだが、
こんな防ぎ方をされるとは思ってもいなかった。
そのことが俺の動きを一瞬だけ鈍らせてしまう。
ニタリと顔を歪めた彼女は弾丸を噛み砕くと、俺に飛びかかってきた。
「ごめんなさい、ガイ! 私はダーリンに全てを捧げるからぁぁぁぁ!
貴方の気持ちには応えられないのぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「うおっ!?」
まさか抱き付いてくるとは思っていなかった。
だが、これこそ最大の『危機』だ。
彼女の力は俺を遥かに上回る。
よって、早急に抜け出さなくては体をへし折られてしまうだろう。
「うふふ、さようなら、ガイ」
「えいっ!」
ぶすり!
「はぅん!?」
ユウユウが崩れ落ち、大きく形の良い尻を手で押さえている。
その原因を作ったのは密かに背後に回っていたアマンダだ。
「大丈夫? ガイリンクード君」
「助かった、だが……淑女がする行為ではないな」
「私が普通に攻撃しても、彼女に効果がないのはわかっていたからよ」
彼女はユウユウの肛門に目掛けて、人差し指を突き入れたのである。
流石にそこは鍛えられないのか、普通にダメージを負っていた。
褒められた行為ではないが助かったのは事実だ。
一応は礼を言っておく。
「乙女の秘部に、なんてことをするの!?
アマンダ、貴女は許さなくてよ!
お尻の穴が戻らなくなるまで広げてあげる!」
「うひぃ、それだけは勘弁だわ」
尻を抑えながら立ち上がったユウユウは涙目だった。
本気で痛かったらしい。
普通はそんな場所を攻撃対象にするヤツはいないから仕方がないといえるが、
彼女の意外な姿を見た俺は、
なんとも言えない気まずい雰囲気に困惑するハメになる。
「ユウユウ!」
「あぁん、ごめんなさいダーリン、私の大事な場所が穢されちゃったぁ」
そこに怒竜が襲撃してきて更なる混乱を招き寄せる形となった。
もう混沌極まりない。
顔を赤らめて、くねくねと身体をくねらせつつも命を狙っているユウユウ。
油断なく構え、いつでも飛び出せる体勢を取る怒竜。
俺もいつでも行動できるように腰を軽く落とし身構えた。
そして、アマンダはこの隙にさっさと俺の陰に隠れている。
抜け目のないヤツだ。
「そんなことは気にせん、決着を付ける!」
「うふっ、やっぱり最高だわ、ダーリン。
さぁ、もう一度、愛を語り合いましょう!」
ユウユウが語り終える前に飛び出した。
怒竜のヤツもこう来ることは予測していたのか落ち着いて対処する構えだ。
俺としては両者共倒れとなってくれるのがいいのだが、
ユウユウに関して気になる情報を聞いてしまっている。
『あいつは鬼だ』
悪魔の戯言と言ってしまえばそれまでであるが、
どうしてもその言葉が頭から離れない。
鈍い音がして怒竜の顔が跳ね上がる。
ユウユウの拳が命中してしまったようだ。
しかし、ヤツもただではやられていなかった。
その太い尻尾でユウユウの顔を引っ叩いていたのである。
「痛いわぁ! いひひ! 素敵よぉ! シグルドォォォォッ!」
「ぐぬっ! 効いてはいないのか!?」
「効いてるわよぉ、ジンジン来ちゃう!
もっとちょうだい! 貴方の愛を!!」
遠巻きに見ていたアマンダがぼそりと言った。
「え、ユウユウさんてマ……むぐむぐ」
「少し黙ってろ」
俺は火に油を注ごうとしていたアマンダの口を急いで閉じた。
さて、どうしたものか?
二人の間に入って戦いを妨害するのは容易いが、なんの解決にもならない。
怒竜を仕留めてユウユウを正気に戻す、
というのがベストな結果であるのだが……。
『そりゃあ、無理難題だぁ。
いずれ、どちらかがくたばるぜぇ?
なんたって桃使いと鬼だ、天敵同士がぶつかりゃ片方が潰れるってもんよぉ。
ひひひ! 俺様はどちらでもいいんだがよ』
『このクソ野郎、黙ってろって言っただろうが』
『おぁ怖い、怖い、ひひひ!』
片方が聖女と同じ桃使いだと? あの怒竜がそうだというのか?
とてもそうとは思えない、桃使いとは愛と勇気と努力の戦士だという。
怒竜に勇気はあっても、愛と努力など皆無だと思われるのだが……。
『見かけで判断するのはガキの証拠よぉ。
桃使いは見た目で判断はつかねぇ、鬼もだがなぁ』
『……くそっ』
悪魔の囁きに耳を傾けていると状況に変化があった。
徐々に怒竜が押され始めているのだ。
「うぬっ!? この力はなんだ! 以前と比べ物にならぬ!」
「ホワァイ!? 数値がデータと一致しねぇよ!」
……怒竜の口から二種類の声を確認した。
やはり、ヤツが桃使いで間違いなさそうだ。
『まぁ、そういう判断もありかもなぁ』
『おい、糞野郎。力を貸せ』
『……あぁ? どういうつもりだ? 小僧』
このままだとユウユウが勝つ可能性があるが、
その場合、俺に彼女を止める手段がない。
確か鬼は特殊な力を使い、
こちらの攻撃を受け付けなくする力を持っていたはずだ。
ここは怒竜の能力を利用して、
先にユウユウを大人しくさせるのが上策とみた。
『滞納している家賃を払えって言ってんだよ』
『いいんだな? 出ちまってもよぉ! ひひひ! 後悔するぜぇ!?』
やらずに後悔するよりも、やってから後悔した方がいい。
聖女が俺に語った言葉だ。今ほど勇気付けられる言葉はない。
『後悔など数え切れないほど経験してきた!
やらない後悔よりも、やってからの後悔だ!』
『ひひひ! いいぜぇ、おまえ! 最高だぁ!
扱いこなしてみせなぁ、この俺様をよぉ!!』
俺は右腕の封印を解き放つ。
長い年月が経ち朽ちてゆくように白い包帯が跡形もなく散ってゆく。
久しぶりに見た右腕には奇妙な痣が浮かんでいた。
悪魔との契約によって浮かぶ背徳者の印……〈悪魔の烙印〉だ。
「アマンダ、離れていろ!」
「え、えっ!? ガイリンクード君!?」
アマンダを俺の側から離すと右腕の悪魔を解き放った。
もう後戻りなどできない。
一時期は女神に封印してもらうことばかりを考えていた。
だが、クラスの連中の事情を知ると、
女神を全面的に信用することができなくなったのだ。
ならば、どうするか?
悪魔を封印するのではなく、従えればいい。
「出てこい、右腕の悪魔! 仕事だ!」
禍々しい黒い霧が右腕から放たれ、腕を覆い尽くしてしまった。
自分の腕が異形の物へと変化してゆくのが感覚でわかる。
俺の右腕は完全に悪魔そのものになろうとしているのだ。
「ひゃぁぁっ! 久々の娑婆だぜぇ!!」
黒い霧が晴れ姿を現したのは、
ぬめぬめとした黒い鱗に包まれた奇妙な蛇であった。
そいつは俺の身体と繋がっており、
自分の右腕が変化したものだと嫌でも思い知らされる。
「我が名は大悪魔レヴィアタン! 水の支配者なり!
ひひひ、あぁ……堪んねぇぜ。
もう何百年も人間を喰らっていねぇからなぁ。
鬼もどきでも構わねぇから頭からいっちまってもいいだろ?」
「できるならな」
俺は右腕の悪魔、レヴィアタンの返事を聞く前にその場を飛び退いた。
直後、ユウユウの拳による一撃が大地を陥没させデクス山を揺らすに至る。
「悪魔ごときが私を喰らうですって!? 身の程を知りなさい!」
「けぇっ! 鬼もどきが調子に乗るんじゃねぇぜ!
おい、小僧! 能力を使うぞ! くたばるんじゃねぇぜ!?」
レヴィアタンが咆えると同時だった。
俺の生気が一気に吸われ意識を手放しそうになる。
こんなところで気を失えば、待っているのは確実な死だ。
「こいつを使うのは本当に久しぶりだぁ!〈大津波〉!
小手調べで、くたばるんじゃねぇぞぉ? ひひひ!」
レヴィアタンは渓谷から一瞬にして水を引き寄せ大津波を発生させた。
とんでもない能力だ。
並の人間なら絶望して立ち尽くすしかないだろう。
しかし、ここにいるのは並みの人間ではない。
「面白い大芸道ね。でも、そんなのじゃ楽しめないわ」
ユウユウは手刀を一閃させると、大津波を一刀両断してみせたのだ。
その直後のことだ、
凄まじい轟音と共に津波を貫通しピンク色の球体が飛んできた。
「ちっ! いつの時代も桃使いは鬱陶しいなぁ! 小僧、かわせ!」
「命令をするな!」
言われなくても回避する気であった。
アレは明らかに危険だ。
予想どおり、着弾して爆ぜたそれは、
範囲内の物質を全て粉微塵にするほどの威力を秘めていたのだ。
「かわされたか!」
「ブラザー! ユウユウの嬢ちゃんはともかく、
あのデビルは、この世に存在させちゃいけねぇ!
俺達、桃使いが退治しねぇと、世の中が滅茶苦茶になっちまう!」
「見習い風情がよく咆えたもんだぜぇ!
この大悪魔レヴィアタン様を退治するだぁ?
冗談にしては笑えねぇぞ、鼻たれがぁっ!!」
ビリビリとした殺気が立ち込め、濃密な闘気が景色を歪ませる。
間違いなく、この場は他の者にとって死地となりえるだろう。
一触即発の中、俺達は互いの出方を窺うのだった。