310食目 戦士ブルトン
「ぜぇ、ぜぇ、おぉい! 準備はできているか!?」
「えぇ~!? 今始めるところですよ!?」
メルシェ委員長は、とりもち地雷を持つ手をプルプルさせながら答えた。
女手だけでは罠を張るのに苦労しているらしく、
ほぼ設置されていない状態であった。
もう事態は最悪といってもいい。
やはり、俺達では時間稼ぎにもならなかったのである。
「くそっ……予定変更するしかないか」
幸いにもマフティ達は、この渓谷の先で待機中だ。
予定を変更して、こちらに来てもらうしかない。
『マフティ、はぁはぁ、問題が発生した! 至急こっちに来てくれ!』
『あぁ? マジかよ!? わかった、すぐに向かう!』
非常に短いやり取りであったが、俺の声の荒さを理解した彼……
いや、彼女は至急こちらに向かってくれることを了承してくれた。
デクス山の渓谷は非常に広く深いことで知られている。
一度落ちてしまえば翼を持つ者以外に助かる可能性はないに等しく、
難所であることは疑いようがない。
それが数か所もあり、それがこの山を越えることの困難さを更に高めていた。
故に先の戦争で、魔族達が一気に攻めてくることはなかったのだそうだ。
魔族達には空を飛べる者が多数存在しているそうだが、
そう言った者達は耐久力に難がある者ばかりらしく、
直接空から攻め込まれるということもなかったのが、
連合軍の勝利の要因になっているのかもしれない。
「ハァハァ……皆、予定変更だ! もうすぐマフティ達が増援にやって来る!
ガルンドラゴンのヤツを、この渓谷に叩き落す罠を張るぞ!」
「予定変更って……とりもち地雷はどうしたんだよ?」
ケイオックが俺の肩に載り、
先ほど仕掛けたとりもち地雷に結果を問い質してきた。
俺は隠すことなく、事実を述べると彼は顔を青ざめさせた。
「それじゃあ、殆どの罠は効果がないってことじゃないか!」
「だから、マフティ達を呼んだんだろうが」
そう、ここの戦力じゃ足止めにもならない。
マフティ達が到着し次第、
女子達はおんぼろの橋を利用して渓谷を渡り、
安全な場所に避難してもらう。
……キュウトはどうしようか迷っているところだ。
あいつは男でもあり、女でもあるからな。
あ~でも、最近は女の姿しか見てないから女でもいいのかな?
それに貴重なAランクヒーラーだ。
戦闘員として戦ってもらうよりも、別動隊として治癒活動に専念してもらおう。
「衝撃地雷があったよな?
それをあそこにありったけ仕掛けてくれ。
間違って作動させたら渓谷に真っ逆さまだからな!?」
その場所とは崖っぷちだ。
なんとかそこまでガルンドラゴンを押し込んで衝撃地雷を起爆させ、
地面ごと破壊して渓谷に叩き落す計画だ。
果たして間に合うだろうか?
今ガルンドラゴンが来たらアウト、
マフティ達の到着が遅れてもアウトだ。
あ~もう、こんなはずじゃなかったのになぁ。
普通のドラゴンだったなら、とりもち地雷で完封できていたんだ。
あ、その前にサクラン達で終わっているか。
焦っている時には、本当に余計なことばかり頭に浮かんでは消えてゆく。
俺はそれを高速で結論付けて処理してゆく。
結論付けないと作業に集中できないからだ。
「ダナン!」
「マフティ! ゴードン! ブルトンに……リック!?」
衝撃地雷を設置し終わった頃にマフティ達が到着した。
そこには何故かリザードマンの戦士、リックが同伴していたのだ。
「おう、ザインとルドルフさんが、
別ルートから合流してきたから、こっち側に移動したのさ。
なんでも魔族戦争時に使った裏道を通ってきたそうだぜ」
リックの増援は予想外だった。
これはありがたい、なら俺も女子と一緒に避難できるかな?
……できねぇよなぁ。
それは男だからといった理由じゃない。
月夜に照らされ輝く黄金の鱗。
ゆっくりと見えてくるその巨体。
隠すことなき雄大な闘志。
桃使いのガルンドラゴンが、俺達の下に到着してしまったのだ。
「……ガルンドラゴン。なるほど、良い目をしている。
この拳を捧げるに相応しい相手だ」
俺達の中で一番大柄なブルトンが、のそりと黄金の竜の前に立ちはだかった。
彼には恐怖心というものがないのだろうか?
正直、呆れるを通り越して尊敬の念すら感じてしまう。
それでも相手との体格差は歴然だ。
ブルトンは大柄といっても一メートル五十センチ程度、
対するガルンドラゴンは四メートル近くもある。
この体格差は戦いにおいて、やはり大きな影響がでる。
格闘術を主に使用する彼では、
リーチ差の時点でハンデを負うことになってしまっているのだ。
「名を聞こう」
臆すことのないブルトンを黄金の竜は真摯な眼差しで見つめている。
その瞳には理性があり、野生に生きるような獰猛さは見受けられない。
そう、この目は……武人が持つ気高いものだ。
「オーク族の戦士、ブルトン」
そう言って彼はその巨大な拳を構えた。
毎日毎日、丸太に撃ち込み続けている拳だそうだ。
学校の訓練中、太い丸太を何本へし折ったかもうわからない。
「怒竜のシグルドだ。
戦士ブルトンよ、汝の挑戦……受けて立つ!!」
ガルンドラゴンが身構えた。
その瞬間、俺の背筋が凍り付く感じがしたのである。
放たれる闘気をもろに受けてしまったのは明白だ。
格が違う。
俺などが割って入ろうものならミンチより酷い目に遭ってしまうだろう。
ふわりとブルトンの紫の長髪が揺れた。
俺が慄いている間に、両者は突撃したのである。
その戦い方に俺達は唖然とするしかなかった。
戦法なんてあったもんじゃない。
ただただ、互いの拳をぶつけ合う……恐ろしくバカげたものだった。
正気の沙汰ではない。
誰しもがそう思うであろう光景だ。
マフティ達も離れた位置から両者の戦いを見守っている。
ブルトンを信頼しているのか、
はたまた手が出せないのかは本人達にしかわからない。
「ぬぅんりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ブルトンの拳がガルンドラゴンの顔面に突き刺さる。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
お構いなしに右前足でブルトンを薙ぎ払うガルンドラゴン。
吹き飛ばされたブルトンは近くにあった巨大な木に激突し止った。
その衝撃の強さは、へし折れた木を見ればわかるだろう。
しかし、彼はどうと言うことはないという表情で立ち上がり、
再びゆっくりと黄金の竜の下に向かっていった。
俺は彼が恐ろしく思った。
味方であるにもかかわらず、とてつもなく異形の存在に思えてしまったのだ。
それは、その巨大な背中がそう思わせてしまっているのだろう。
発達したその背中から溢れ出る闘気。
それはある種の幻すら見せてきたのだ。
「阿修羅……!」
キュウトがそう呟いた。
どうやらこの世界でも、そう呼ばれているようだ。
俺達が見ているのは、
ブルトンの背中に映る、多数の腕を持つ異形の神の姿。
見ているだけで血が凍り付きそうになる。
バシンという衝撃音で我に返る俺達。
その音を立てたのはブルトンだ。
彼は両拳を合わせ目を瞑り祈るような姿だった。
「ルーティーン……まさか、アレをぶっ放す気か!?」
「けけけ……やれやれ、魔法のロープでも千切れかねねぇぞ?」
ブルトンが大技を放つ気配を察知したマフティとゴードンが
素早く行動に移った。
まるで生き物のように俺達に絡み付いて来る魔法のロープに、
マフティと肩に載っているテスタロッサが、
膨大な魔力を注ぎ込んで強化してゆく。
つまりは、そこまでしないといけない大技を放つのだ。
……あれ? これって衝撃地雷を使わなくて済みそうか?
「強化終わったぞ! ゴードン!」
「……あぁ、後は魔法のロープを結び付けた木がへし折れねぇことを祈りな」
その瞬間、ブルトンの背中の阿修羅が消え去った。
いや、違う……移動したのだ。
彼の両拳に。
「シグルド……この技を貴方に捧げる!!」
「こい、戦士ブルトン! 我は全てを受け止めて前に進む!」
黄金の竜から桃色の光が放たれ出した。桃力だ。
そして、その瞬間は来た。
「砕け散れ!〈アシュラ・インパクト〉!!」
ブルトンは阿修羅が宿った両拳を、前方のガルンドラゴンに突き出した。