297食目 その者、突風なり
◆◆◆ シグルド ◆◆◆
眼前には突風のような存在。
我が右前脚を片手で容易に押し返すほどの、剛力の持ち主。
その者は、年端もゆかぬ人間の少女であった。
強い。
我の勘がそう告げる。
この少女は手を抜いて勝てるような存在ではない。
『マイク、全力で行くぞ!』
『おいおい、ブラザー。
初っ端から全力でいっちまったら、
エルティナのお嬢ちゃんとやり合う時に困るだろう?
少しは配分も考えねぇと……』
マイクは物事の先を見据えているようだが、
それには目の前の脅威を退けなくてはならない。
しかし、後のことを考えて力を温存できるほど、
今対峙している者は甘い存在ではないと感じた。
故に我は言う。
『全力だ』
『あ~もう、はいはい、OK、わかったよ。
やるからには時間を掛けず、スマートにな? ブラザー』
我は恐るべき殺気を放つ緑髪の少女から、後ろに飛び退き距離を取る。
そして、油断なく身構えた。
「嬉しいわぁ、やる気を出してくれたのね?
うふふ……ゾクゾクしてしまうわ」
端正な顔が徐々に歪んでゆく。
それは笑顔であったが、見ていて気持ちの良い笑顔ではない。
それは、獲物を見つけた狩人の眼光を携えたものであったからだ。
「狩られるのは我ではない、汝だ!!」
我は咆哮を上げた。
戦いの開始を告げる咆哮。
それは、我の気を引き締める効果もあった。
小細工はしない、一直線に突っ込み叩き潰す。
今度は渾身の一撃を見舞ってやろう。
「ぬうぅぅぅぅぅぅん!!」
我は緑髪の少女を、右前足で叩き潰そうと思いっきり振り下ろした。
それは、またしても彼女に防がれる形になる。
今度は両腕であったが、我の渾身の一撃を見事防いで見せたのだ。
なんという筋力であろうか? とても、幼い少女のものとは思えない。
「あんっ! いいわ。
その速度、威力、そして殺気……
私が恋い焦がれていた『敵』にようやく会えた」
益々歪む少女の顔。
我の攻撃を受け止めた反動で、
地面は陥没しベキケキと悲鳴を上げているにもかかわらず、
剛力を誇る少女は涼しい顔をしていたのだ。
瞬間、感じた寒気。
我は疑うことなく左に横っ飛びをする。
ザンッ、と音を立て割ける大地。
いったい何をしたかはわからない。
だが、直撃を受ければ、我とて無事ではなかっただろう。
「あら残念……いい勘ね?
パパに教わった『体武』も、なかなか良い感じに仕上がってきているから、
貴方で試させてもらうわ」
そう言った緑髪の少女の手の形状は、指をぴったりと合わせ、
いわゆる手刀の形を成していた。
「クスクス……『体武・剣の型』。
パパほどじゃないけど、私のもよぉく切れるわよ?」
少女の身体からは強張りが見受けられない。
戦闘に対して、微塵も緊張していない証拠だ。
つまり、自分が負けることを一切思っていない証拠である。
……かつての自分のように。
『ジーザス、おい、ブラザー! あれに当たんじゃねーぞ!?
今計算してみたら、ブラザーの鱗でも防ぎきれねぇ!
とんでもねぇクレイジーガールだぜ!!』
『喚くな、わかっている』
油断なく緑髪の少女を見据え、いつでも動けるように構える。
その視界の先で、少年達がエルティナを抱えて走り去る光景が見えた。
「おいぃ! エド、なにするだぁぁぁぁぁぁ! は・な・せ!!」
「いいや、離さないね!
ガルンドラゴン! 僕達はこの先にある『デクス山』に向かう!
エルと戦いたいなら……僕達を倒してからにしろ!」
うぬっ、無粋なマネを!
しかし、追いかけようにも、
目の前の強者をなんとかしなければそれは叶わない。
ひとまずは、目の前の少女に集中しなくては!
「そう、それでいいわ。
あの子よりも、私の方が満足させてあげれるもの。
さぁ……殺し愛ましょう?」
緑髪の少女の緋色の瞳が、
月から放たれる冷たい光に照らされ爛々と輝く。
『やるぞ、マイク! ヤツを……仕留める!』
『OK、ブラザー。
サポートは任せてくれ!』
互いの闘気が膨れ上がり弾けた。
◆◆◆ エドワード ◆◆◆
腕の中でバタバタと暴れるエルティナを抱えながら、
僕らは『デクス山』を目指す。
デクス山は霧深い峡谷があり自然も手付かずの為、
小柄な僕らが身を隠しながら戦うには打って付けの場所だ。
既に『テレパス』による連絡で、
全員でもってガルンドラゴンをデクス山にて迎撃することを伝えてある。
勇者タカアキや、フウタ男爵、アルフォンス先生にも連絡済みだ。
こちらの最大戦力でもってヤツを撃退する。
「エド、俺はシグルドと戦わないといけないんだ!」
「ダメだよ、相手は鬼じゃない。
きみの優位性がまったくない相手なんだ。
一人で戦わすことなんてできないよ」
駄々をこねるエルティナを宥めながらも、僕らは目的地を目指す。
できれば、ユウユウがガルンドラゴンを仕留めてくれればいいのだけど、
何故かそれは叶わないと感じていた。
彼女はガルンドラゴンに勝てないかもしれない。
そのような考えが、僕の脳裏を横切ったのだ。
残念ながら、僕の勘はよく当たる。
特に嫌な勘は非常に高確率で的中するのが厄介だ。
だから、僕はデクス山に急ぐ。
早く自分達に有利な場所で陣取ろうと思ったのだ。
避けられない戦いであるのならば、少しでも勝率を上げる。
これは、指揮官としてやらなければならない仕事だ。
最悪、撤退も視野に入れなくてはならない。
プライドや誇り、信用は失っても取り戻せる。
でも……失った命は取り戻せないんだ。
「エド、エルは口で言っても聞かないぜ」
「ライオット……きみもガルンドラゴンに挑むつもりだね?」
彼は走りながら自分の拳を見つめた。
「いや、俺の拳はエルを護るためのものだ。
ヤツが……シグルドがエルを狙うのであれば、
この拳を持って退ける……それだけだ」
パーティー会場にいた時の彼とは、まるで別人のように見えた。
この短い時間、彼に何があったのだろうか?
今の彼はエルティナの守護者のような風格が備わっていたのだ。
その堂々とした態度に、少しばかり焦りと嫉妬を覚える。
これはいけない、エルティナの隣に立つのはこの僕だ。
決して、少しばかり凛々しくなったライオットではない。
『エドワード殿下、フォクベルトです。
ユウユウに加勢した方がよろしいのでしょうか?』
心中穏やかではない僕の下に、フォクベルトの『テレパス』が送られてきた。
いけない、いけない……指揮官たる者が多少のことで心を乱してどうする?
こんなことでは、王に即位した後に不覚を取ってしまうではないか。
冷静になれ、エドワード。
『いや、迂回してデクス山に向かってくれ。そこで戦闘準備だ。
僕らは山の頂上付近を目指す。
このデクス山には、頂上まで進めるルートが一本しかない。
そこに陣取ってヤツを迎撃する』
後はムー王子達をフィリミシアに降ろした『アンタレス』を
再びこちらに向かわせる。
そして、ガルンドラゴンを撃退できなかった場合、
エルティナを強制的に飛空艇に乗せ脱出させれば僕らの戦術的勝利だ。
できることであるならば、
ガルンドラゴンは仕留めて後の憂いを絶っておきたい。
勇者タカアキとフウタ男爵ならば討伐することも可能だろう。
『エドワード殿下、ホルスートです。
各員配置に就きました』
『ご苦労、今回は危険な任務だ。よろしく頼む』
『了解しました』
エルティナ付の『シャドウガード』全部隊の配置も完了した。
常にエルティナの影として必要最小限の手助けをする彼らも、
今回に限っては僕の権限でもって全力で戦ってもらう。
後は勇者タカアキとフウタ男爵、
アルフォンス先生が来れば完璧な勝利は間違いないはずだ。
冷涼な月の光に照らされるデクス山が見えてくる。
そこは僕らの決戦の地。
黄金の竜はきっと来るはずだ。
でも、エルは決して渡さない。
何人であろうともだ。
竜であろうと神であろうと、エルティナを害する者は決して許さない。
来るなら来い……ガルンドラゴン。
僕がおまえを叩き潰してやる。
エルティナが取り戻した美しい夜空の下、
僕らの決戦は始まろうとしていた。
果たして、僕らはガルンドラゴンを退けることができるのだろうか?