289食目 取り戻せぬ過去
グラシの振り下ろした巨大な刃を、ワシは国の名を冠した光の大剣で受け止める。
グラシは姿こそ幼いが、この腕力はただごとではない。
ワシもまだまだ若い者に負けるつもりはないので鍛錬を欠かしてはおらぬが、
その二の腕が負荷に耐えれなく悲鳴を上げておる!
「ウォルガングゥゥゥゥゥ! 貴様がワシから全てを奪った!
憎い、貴様が憎いぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
「グラシッ! ワシはまだ死ぬわけにはいかぬのだ!!」
ワシには護らねばならぬ者達が沢山いる。
ここで命尽きるわけにはいかぬ、そして……。
「そして……そなたを、このままにしてはおけぬ!
この光り輝く大剣で、そなたの魂を救って見せよう!」
「何が救うだぁぁぁぁぁぁっ! 貴様などに救えるものかっ!!」
グラシが出鱈目に両腕の巨大な刃を切りつけてくる。
ワシは最小限の動きでそれを大剣で防ぐ。
グラシは身体能力こそワシの上を行くが、
戦い方がまったくなっておらず隙だらけに見える。
……だが、これは誘いだ。ワシにはわかるのだ。
何故なら、グラシが幼い頃に剣を教えたのはワシだ。
相手の焦らし方などは教えのとおりのまま。
あの頃のグラシは良く笑う子であった。
素直で、笑顔の似合う子供だったのに……
どこですれ違ってしまったのか!?
暫くの間、せめぎ合ったワシらは距離を取り、お互いの隙を窺う。
歳は取りたくないものだ。
このせめぎ合いで、かなりの体力を消耗してしまったのである。
そこにトウヤ殿からの連絡が入った。
『こちらはトウヤです。
ウォルガング国王、そちらにグラシの反応が表れたのですが……』
『交戦中じゃ、恐らくは肉体と精神を分けておったのじゃろう。
案ずるな……こやつはワシが『救って』みせる』
ワシがそう告げると、
トウヤ殿は『お任せします』と短く返事をし連絡を終了した。
彼には感謝せねばなるまい……ワシを信用してくれたことに。
「ぜぇ、ぜぇ……ウォルガング! これで終わりにしてやる!」
ブルリと震えたグラシのわき腹から、新たな腕が生えてきた。
その数は四本、合計六本もの腕をその身に備えたのだ。
いずれも凶悪な刃の形を成している。
「ハァ……ハァ……グラシッ!
いかに、そなたが腕を増やそうとも……ワシの命には届かぬ!!」
ビリビリとした闘気と殺意がワシらの間に渦巻き……そして爆ぜた。
その瞬間、ワシらは互いに最後の攻撃に打って出た!
「ウォルガングゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
「グラシィィィィィィィィィィッ!!」
計六本もの巨大な刃がワシに振るわれる。
直撃すれば致命傷になる鈍い光を放つ刃である。
痛みと死への恐怖が、ワシの心を竦ませようと絡み付いてきた。
幾たびも経験した、生と死の狭間に住まう魍魎のようなものだ。
恐れるな! 前へ出よ! その先に……光はある!!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ワシは大剣を構えグラシに突撃した!
老いた身体が悲鳴を上げる。
構うな、前へ、前へ出よ! 我が肉体よ、我が意思に……応えよ!!
グラシの巨大な刃がワシの身体を引き裂くも、
いずれも致命傷には至らなかった。
吹き出す鮮血が我が体を赤く染め上げる。
迫るグラシの歪んだ顔に、幼い頃の天使のような笑顔が重なる。
これが、最後の誘惑、越えねばならぬ感情!
迷うな! 躊躇うな! 踏み込むのだ! この先へと!
我が手に伝わる確かな手応え。
ワシの光の大剣『ラングステン』はグラシの胸を貫いていた。
「が……か、かか……おのれ、ウォルガング……!!」
「はぁ、はぁ、グラシ……そなたの負けだ。母の下へ逝くがいい」
この光の源はエルティナの『桃力』だ。
鬼にとって唯一の弱点であり、ただ一つの『鬼を救う手段』でもある。
「は……はは……う……え……」
グラシは力なくそう呟くと、天を仰ぎ空を掴もうと喘いだ。
その身を徐々に桃色の光の粒へと変え、音もなく天にへと昇ってゆく。
ぽとりと種のような物も地面に落ちたが、
それも光の粒となって天にへと昇っていった。
その様を見届けたワシは、身体を支えきれなくなり膝を突くこととなる。
痛みと疲労が老いた身体には堪えた。
「ぜぇ、ぜぇ……グラシ。
そなたの闇に気が付いておれば、このようなことにならなんだものを……
不甲斐ないワシを許せ」
「ヒーラーは直ちに陛下の治療を! 陛下、お気を確かに!」
一騎打ちを見守っていてくれた、
ヤッシュと親衛隊が慌ただしく駆け寄ってきた。
彼らには感謝せねばなるまい。
ワシの我儘を聞き入れ、微動だにもせずに事を見守ったのだから。
「ハァ、ハァ、後は任せるぞ……トウヤ殿、エルティナ。
グラシのヤツを、救ってやってくれ」
残ったのはグラシの肉体。
飢えと欲望と苦しみが残った哀れな存在だ。
ワシは今尚、この国のために戦っている少女の無事を祈るのであった。
◆◆◆ マジェクト ◆◆◆
俺の前に現れたデブによって、俺は痛みを思い出してしまった。
衝撃波が当たった頬がズキズキと痛む。
そうだ、エルティナにやられた部分だ!
ようやく忘れかけていた痛みが、ぶり返してきやがった!
「がぁぁぁぁぁぁっ! てめぇ! ぜってぇに許さねぇぞ!!」
こいつは許さない、ぐちゃぐちゃにしてぶっ殺してやる。
まずはハチの巣にしてやるぜ!
「鬼戦技!『魔鬼呪怨弾』!」
こいつは憎しみの光を広範囲にばら撒く技だ。
弾の一つ一つの大きさや威力は弱いが、
防ぐ手段がないヤツには十分過ぎる威力がある。
「無駄です、今の私には『負の力』は効きません」
勇者と呼ばれたデブは避けもしなかった。
魔鬼呪怨弾はその殆どが命中したが、そのデブは変わることなくそこにいた。
「はぁ? そんだよそりゃぁ!? まるで……」
「『まるで、同族に撃ち込んだみたい』……ですか?」
「まるで、同族に撃ち込んだみたい……はっ!?」
勇者と呼ばれたデブが、ゆっくりと俺に近付いてきた。
こいつは得体が知れない、鬼戦技が効果がないヤツなんてありえない。
このデブも鬼なのか? いや違う。
「おまえは、なんなんだ!?」
「私ですか? 私は『タカアキ』です」
会話にならねぇ! だが、そこには既に設置済みだ!
「鬼戦技『暗火牢苦』!
闇の炎の牢だ! 燃え尽きちまえよぉ!」
設置型の罠『暗火牢苦』は、
対象が範囲内に侵入すると発動する炎の牢屋である。
もちろん炎は陰の力で作った特殊な炎で、
消えにくく即座に燃え広がる凶悪なものだ。
「無駄ですよ、こんな物では私を止めることすらできません」
タカアキが左腕を払っただけで『暗火牢苦』が霧散してしまった。
冗談では済まない強さだ。
下手をすれば、桃使いよりも強く厄介な存在なのではないだろうか?
くそっ! どいつも、こいつも……俺達の邪魔をしやがって!
このままじゃあ、世界に、女神に復讐ができねぇ!
こんなところで……つまずいてなんかいられねぇんだ!!
「なら、こいつはどうだ!?『死苦利霧存』!!」
こいつは『桃結界陣』すら通り抜けるほど粒子が細かい、
陰の力を纏った赤黒い霧だ! 防げるものなら防いでみな!!
「おやおや、子供だましの技ですね」
タカアキは大きく息を吸い込むと『死苦利霧存』に吹きかけた。
そして、俺の自信作である赤黒い霧が、意図も容易く霧散してしまったのだ!
「な、なんなんだ……てめぇは!? 俺と同じ鬼なのかよぉ!?」
「いいえ、私は『タカアキ』です」
まずい! もうデブとの距離がなくなってきた!!
こうなれば、切り札を使うしかねぇ!!
「鬼戦技……奥義!『烈怒蛇』!!」
俺の左腕から生えた陰の力を纏った赤黒い蛇がデブに向かって飛びかかった。
デブの野郎は左手を盾にするが、
それに纏わり付いた蛇はその太い腕に噛り付く。
勝った……! この鬼戦技は相手の体内に、
超高濃度の陰の力を注ぎ込むことを目的とした技だ。
肉体的ダメージを狙ったものではない。
これならば、鬼でもなければ耐えることは不可能だ。
「無駄ですよ、私には効きません」
デブが左腕に力を籠めると簡単に『烈怒蛇』が弾け飛んでしまった。
「バカな!? き、効いてないのかよ! 超高濃度の陰の力だぞ!!
人間程度なら狂うか死ぬか、鬼に堕ちるんだぞ!?」
「効きませんよ、何故なら……私はタカアキだからです」
目の前にはデブの巨体があった。
俺を見下す形で対峙する形だ。
どうしてこんなことになったんだ!?
俺はアランの兄貴を苦しめた桃使いに復讐しようとしただけなのに!
こんなヤツがいるとは聞いていない!
「一つ、聞いてよろしいですか?」
「な、なんだよ!?」
デブが俺に対して質問をしてきやがった。
もう勝った気になってやがる、俺にはまだ鬼戦技が残っているんだ!
そいつをぶち込んでやる!!
「何故……貴方はそこまで悲しい目をしているのですか?」
「……っ!?」
思いもよらない質問だった。
いまだかつて、俺にこのような質問をしてきたヤツはいない。
俺に向かって悲しい顔を向けるヤツもだ。
「質問を変えましょうか。
何故、貴方はこのようなことをするのでしょうか?
貴方は……自分を偽ってまでこのような行為をしています。
強い暗示を自分に掛けていますね」
何もかも見破られていた。
そうだ、俺は小心者で臆病でいつもアランの兄貴に護られていた。
エリスの姉貴にはいつも傷を癒してもらった。
だから俺は……二人のために役に立ちたかった。
「……復讐だよ。
俺達の過去と未来は女神に奪われた。
俺は……いや、俺達はもう鬼として生きる他に道はなかったんだ。
手を差し伸べてくれたのは……あの御方しかいなかったんだ!!」
俺達は『女神の生贄』だ。
子供の頃、マイアス教徒と名乗る連中に掴まった俺は、
どこともわからない場所に連れていかれ、『儀式』と称した実験に使用された。
俺の成長が止まり、小男になってしまった原因でもある。
そこで、アランの兄貴とエリスの姉貴に出会った。
『儀式』での結果が思わしくなかった俺は、女神に捧げられることになる。
だが、女神に捧げるなんて建前、実際は経費削減のための処分だ。
ここで、同じく生贄に捧げられることになってしまった、
アランの兄貴とエリスの姉貴とで一瞬の隙を突いて脱走を試み、
上手く連中から逃げ出すことに成功した。
だが……そこからが地獄の始まりだった。
俺達はどういうわけか、世界中に指名手配になっていたのだ。
子供だった俺達は大人に頼ることもできず、
たった三人で生きてゆかなければならなかった。
地面に落ちた食べ物を喰い、草を喰い、時には飢えから土まで喰った。
奇跡的に俺の両親の家にまで辿り着いたが、
そこで待っていたのは非情な現実だった。
「女神マイアス様に逆らう悪鬼め! 我が子マジェクトはもう死んだ!」
最愛の両親にそう言われ殺されかけた。
俺のみならず、アランの兄貴とエリスの姉貴も殺されかけたのだ。
命かながら逃げ出した俺達は、自分の置かれた境遇に恐怖した。
頼れる者はもういない。
そう悟った俺達は、三人で過酷な日々を送ることになる。
窃盗、強盗、詐欺、生きるために何でもやった。
次第に心は荒み痩せ細っていく。
俺達の身体のように。
そんな折に偶然出会ったのがグラシだ。
俺達とは対照的に肥え太ってはいたが、俺達よりも満たされず乾いていた。
ヤツとの出会いは俺達三人がグラシの屋敷に盗みに入った際に、
ドジを踏んで俺が捕まってしまったことに発する。
「ふん、コソ泥風情が……いや、使えるか?」
俺達はグラシの気まぐれによって生かされた。
ヤツの手先として汚い仕事に手を染めるようになる。
別にそれに対してはなんの不満もない。
元々がそうやって生きてきたからだ。
そうやって日々を送って来た時、アランの兄貴が仕事に失敗してしまう。
その結果、証拠隠滅のためにアランの兄貴は殺されることになった。
俺とエリスの姉貴はアランの兄貴を救うために、
グラシの屋敷の地下にある隠し部屋に雪崩れ込んだ。
そこで見たのは……部屋一面を血で染め上げたアランの兄貴が、
グラシの首根っこを掴んで持ち上げている姿だった。
「エリス、マジェクト、俺は力を手に入れた!
これで……復讐ができる! もう、こそこそ逃げ隠れるのは終わりだ!
取り戻す! 過去も未来も……いや、奪ってやる!」
そこから、俺達の復讐は始まった。
アランの兄貴が手に入れたのは『鬼』の力。
アランの兄貴から渡された『鬼の種』は俺達の負の感情を喰らい、
すぐさま芽吹き、俺達を鬼へと変化させた。
これが、俺達の復讐の始まりだった。
結局のところ、あの御方に使われる身ではあるが、
そんなことはどうでもよかった。
俺達を見下していた者達に、復讐する力を得たのだから。
直ちに俺達は行動に移った。
俺達を虐げた者達に、冒険者を装い迫り喰らっていったのだ。
何も直接殺すだけではない。
親族や恋人を惨たらしく殺し、精神的に追い詰めもした。
全て俺達に対しておこなった仕打ちを、
倍以上にして返してやったのだ。
最初の内は素晴らしく気が晴れた。
俺達は強い、何者にも負けはしない。
だが、それは次第にエスカレートしてゆく復讐に、
歯止めをつけることがないという証でもあった。
アランの兄貴とエリスの姉貴はどうだかわからないが、
小心者の俺は次第に自分の力が恐ろしくなってきたのだ。
かと言って、もう後戻りはできない。
そこで、俺は自分に強い暗示を掛けるようになった。
尊大で傲慢な、俺達を虐げた者のようになるように。
弱い自分の心を護らんがために。
「復讐ですか……復讐から生まれるのは復讐です。
使い古された言葉ですが……事実ですよ」
俺は壁にもたれ掛かり、そのまま座り込んでしまった。
どうやら暗示が完全に解けてしまったようだ。
「わかっているさ……それでも俺達は失われた過去を、
幸せになれたはずの未来を取り戻したかったんだ。
だから……『力』を手にした」
勇者タカアキの悲しみの表情が深くなった。
「マジェクトさんと言いましたね? 過去は取り戻せないのです。
でも……未来は取り戻せるんですよ。
私も過去を失いました。
そして……この手で、掛け替えのない友を殺めてしまった」
俺に見せたのは『カムフラージュ』を解いた左腕だ。
その左腕は、勇者タカアキ本来の腕ではないことがはっきりとわかる。
何故なら……その左腕は『魔族』の物であったからだ。
指先から伸びる爪が、野獣のそれと同じくらいに太く鋭かった。
「これは我が友『魔王コウイチロウ』が私に託した未来です。
彼との決闘で私は左腕を失いました。
この左腕が、貴方の陰の力を防いでいたのです」
「魔族か……鬼の性質に最も近い種族だったな。
しかも、魔王とくれば鬼とそう変わらねぇ。
はは……そう言うことだったのか。
まいった、俺の負けだ……一思いに殺してくれ」
俺は目を瞑り覚悟を決めた。
思い返せば、ろくなことがない人生だった。
いや、一つだけあったか。
アランの兄貴とエリスの姉貴に出会えたことだ。
あぁ……最期に会いたかったなぁ。
もう一度、二人の顔が見たかったなぁ……。
「生きなさい、マジェクトさん。
貴方にはまだ、帰る場所、待つ者がいるのでしょう?」
「……俺は鬼だぜ、生きとし生ける者の敵だ。
それを見逃そうなんて……勇者失格だぜ?」
俺は勇者タカアキの顔を見つめた。
その顔は優しい笑顔。
でも、とてつもなく悲し気な顔に見える。
「今の私は『勇者タカアキ』ではありません。
今の私は『魔王タカアキ』なのです」
思わず息を飲んでしまった。
その漢は、多くの悲しみを背負って立っていたからだ。
タカアキは……勇者タカアキはいったい何を見てきたのだろうか?
タカアキは……魔王タカアキはいったい何を護ろうとしているのだろうか?
俺は生きて、その先が知りたくなった。
この漢の行く末を見てみたくなったのだ。
「礼は言わねぇ、俺は『鬼』だからな。……あばよ、『魔王タカアキ』」
俺はふらつく足で立ち上がり、
ゆらゆらと揺れる闇の中へとその身を投げ込んだ。
タカアキに受けた頬の傷が、今まで受けたことがない熱を持っている。
今まで感じたこともない熱い、熱い……心が震えるような『熱』だった。
「魔王タカアキ……か」
魔王タカアキの名を何度も繰り返し呟く。
決して、決して忘れぬように。
俺は闇の中を、弱々しくふらつく足で歩き続けた。
この先にある……希望を求めて彷徨う亡者のように。
ただただ、ひたすらに……。




