286食目 獣信合体ケツァコアトル
俺は目的地に向かい、暗い地下道を全力で駆け抜けていた。
あまりにも巨大な質量を持つグラシであるが、思いのほか移動速度が速い。
醜く膨れた肉を、ずりずりと壁に擦りながらも確実に迫ってきている。
進化を遂げ、手足が伸びて走る速度も高まった俺ではあるが、
ヤツの速度はそれ以上であったのだ。
このままでは、やがて追いつかれてしまう。
なんとかしなければ……!
『エルティナ、急げ!
このままでは目的地に辿り着く前にグラシに掴まってしまうぞ!』
桃先輩が俺に発破をかけてきた。
俺の走る速度が落ちてきているからだろう。
『わかっている! ハァハァ……くそっ何か手はないか?
桃力は無駄に使えないぞっ!』
その時、背後で強烈な殺気を感じ取り、
思わず勘で右に避けると、僅かな差で触手がそこを通り過ぎていった。
危なかった……避けていなければ、今頃俺は串刺しにされていたことだろう。
このことで、俺がグラシの攻撃射程内に入ってしまったことが判明したのだ。
これからはヤツの触手にも気を向けなくてはならない。
『桃先輩! 目的地までの距離は!?』
『後八百メートルほどだ! 左に回避!』
「……っ!!」
俺は咄嗟に左に飛び退いた。
しかし、反応が遅かったのか右太ももの肉を抉られてしまった。
鋭い痛みと共に、傷口から赤い血が溢れ出してくる。
ドジったぜ……頼む! チユーズ!
『なおすよ~』『いたいの』『いたいの』『とんでけ~』
まずい……治療が終わるまでには五秒ほどかかる。
かと言って治さないで走るわけにはいかない。
走る速度が激減していては意味がないからだ。
ぞくりとした感覚が俺を襲う。
まだグラシは見えない、だが……確実に近付いてきている!
なにか、何か手はないか!? 俺一人じゃ何もできないのか!?
……ひとりじゃないよ。
その時、確かに聞こえた。
俺はその声の存在に気が付いたのだ。
この声は何度も聞いた声……窮地に立たされた俺は、
この声の主に励まされ、支えられ、共に困難に立ち向かい、
これを克服してきた。
『えるちん、えるちん。
ぼくがついているよ! ついているよ!
さぁ、ちからをあわせて、みんなをまもろうよ!
みんなも、えるちんをまっているよ、まっているよ!』
その声の主は、いもいも坊やである。
魂の存在となり、俺と一つになった勇敢なる芋虫だ。
つまり、彼とは常に一緒であるのだ……そう、俺は決して一人ではない。
今尚、眠り続けるヤドカリ君とて俺と共にあるのに!
「いもいも坊や……!」
俺は自分一人で成し遂げようと、
決して広くない視野を更に狭くしていたのだ。
「ちゅん!」
違和感なく俺の頭にドッキングしていた『うずめ』が、
俺を励ますように一鳴きすれば、首に巻き付いている『さぬき』が、
その舌をチロチロと出して「自分もいるぞ」とアピールする。
そうだった……俺は一人ではなかったのだった。
頼もしい家族達が就いていてくれたのだ。
獣という名の家族達が!
その時、俺の頭の中に桃老師の声が響いた。
苦難にくじけそうになった時、声を掛けて導いてくれていた者の一人であり、
現在では桃仙術及び桃戦技の師でもある。
『唱えよ……唱えよ、じゅうしんがったい、じゅうしんがったい……!』
俺の魂に熱き力が溢れ出してくる!
これは……俺の桃力がいもいも坊や達に反応しているのか!?
「皆、俺に力を貸してくれ!
我は誓う! 獣達を信じる心……そして、その魂の絆を!『獣信合体』!!」
力ある言葉を口にした俺は、眩い光に包まれ魂の姿へと変じた。
同じく魂の輝きとなった『うずめ』と『さぬき』が俺の魂と交わり融合する。
そして、光が収まった後には、
大きな翼を持った、黄金の毛を持つ巨大な蛇へと姿を変えていた。
驚くべきは溢れんばかりの陽の力だ。
それは以前、彼らと『獣信合体』した時とは、
比べものにならないほど強力なものであった。
『これならいける! いくぞ! 皆!!』
俺は翼に力を籠め羽ばたいた。
翼を羽ばたかせる度に速度がぐんぐん伸びてゆく。
しかし、目前に壁が見えてきた。
この向こうに行くためには、大きく迂回しなくてはならない。
だが、俺達はそのまま壁に突っ込んだ。
大きな衝突音の後、
まるで豆腐のように脆く砕ける固い石で造られた分厚い壁。
これが……進化した俺達の力なのか!?
最早、石壁程度では俺達を止めることはできない!
このまま爆破地点まで、真っ直ぐに突き進む!
『獣信合体……『ケツァルコアトル』!?
なんということだ、貴方様はエルティナを認めたというのですか?』
桃先輩が驚愕の声を上げつつも、
恐ろしい速度でタイピングをおこなっている。
今頃キーボードの上には、
質量を持った残像でも発生しているのではないだろうか?
その後も勢いに任せて、次々と石壁を突破しながら一直線に突き進む。
なんてパワーなんだ、勢いがまったく衰えない!
『だっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
目的地までの最後の壁をぶち破り、俺達は遂に爆破地点に辿り着いた。
後は『ファイアーボール』を使用して、城の一部を吹き飛ばすだけだ。
このままでは増大してゆくグラシの肉体が、
フィリミシア城を倒壊させてしまうからな。
それよりも、城に残った人々の避難は終わっているのだろうか?
爆破したらそれに巻き込まれました……とは聞きたくないぞ?
『桃先輩! 城に残っている人の避難は終わっているのか!?』
『大丈夫だ、グリシーヌ君とクリューテル君がやってくれた。
エルティナ、いつでも爆破できるぞ!』
よぉし! やってやるぜ!!
究極破壊魔法をぶちかましてやる!
俺は『ファイアーボール』を起動した。
しかし……飛び出したのは極普通の『ファイアーボール』であった。
威力は高いが下級攻撃魔法の域は出ない。
こんなんじゃ勝負になんないよ~?(呆れ)
『あるぇ? これはどういうことなんですかねぇ?』
『エルティナ、獣信合体を解除だ。
ケツァルコアトル様の素質の影響を受けていて、
正常に『ファイアーボール』が発動している』
……なんてこったい。
強くなってたのに、もう終了なのか? ふぁっきん。
かといって、この状態でグラシとここでやり合ったら、
間違いなく城が倒壊してしまう。
えぇい、残念だが合体を解除するしかないか!
このままでは、目的が果たせないので獣信合体を解除する。
すると急に気怠さが襲いかかってきた。
これが今の俺と、獣信合体モードの差というものか。
おごごごご……ふらふらする。
「く……いつまでもふらついていられん。
うずめ、さぬき、俺から離れるなよ!? ユクゾッ!」
俺は最大火力で俺式『ファイアーボール』を発動した。
その瞬間、視界が赤く染まり周辺の物体を粉々に砕いていった。
恐るべき威力の爆風が範囲内の全ての物体を蹂躙してゆく。
小さなうずめとさぬきが密着して、
威力が多少落ちていているのだが……この有様である。
我ながら恐ろしい威力だ(爆弾少女)。
爆発が終わると地下にいるというのに、真っ黒な雲がかかった空が見えた。
この広さであれば、グラシのヤツも通り抜けることができるであろう。
取り敢えずの目標達成だ。
「よし、爆破は済んだ。
後はグラシをモウシンクの丘に誘導するだけだ」
俺はモウシンクの丘の方角を向くと、
その方角から何者かに呼ばれているような気がした。
それは、決して忘れられない優しい声だ。
俺は左肩に載っていたいもいも坊やに手をやり、彼の魂の鼓動を感じ取った。
いもいも坊やもまた、俺の手を通して俺の魂の鼓動を感じ取ったことだろう。
「行こう……皆が待つ場所に!『月光蝶』!!」
肩のいもいも坊やが解けるように、
その身を淡い緑色の光へと変え俺の魂へと戻ってゆく。
そして、俺の背中から虹色に輝く大きな翅が出現した。
俺の成長に合わせて、小さかった翅も大きく成長していたのだ。
『いくよ、えるちん!』
俺の成長した身体が、いもいも坊やの操作によって、ふわりと宙に浮く。
虹色に輝く翅が、不気味な色に染まる闇夜を切り裂くように羽ばたいた。
「がぁぁぁぁぁぁっ! にがざん! えるてぃなぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その直後、異様なまでに肥大化したグラシが飛び出してきたのだ。
その姿はあまりに醜悪だった。
無秩序に膨れ上がった巨大な肉塊のいたるところに、
グラシ本来の顔が点在しており、その全てが醜く歪み悲鳴を上げていた。
その上、生物兵器や他の生き物も取り込んでいる形跡が見て取れる。
これを見て、ヤドカリ君の命を奪った原因の、
塊野郎に酷似していると感じた。
きっと、こいつがあの事件の黒幕なのだろう。
己の欲望を満たすために、堕ちに堕ちた結果がこの姿か……。
なんとも哀れな姿だ。
まだ人間だった頃のグラシの方が幾分かましに思える。
「ぐるおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
グラシが大量の触手を俺に伸ばし、俺を捕獲しようとしてきた。
『いもっ、いももも!!』
しかし、いもいも坊やが操るこの体には、
一本たりとも命中することはなかったのである。
俺であれば、何発か当たっていた可能性があるが……(悲しい現実)。
「見えた! モウシンクの丘だ!」
薄っすらと視界に入ってくるモウシンクの丘。
あそこにまで辿り着けば、きっとこの戦いは終わる。
何故なら、あそこには俺達が良く知る者達が待っていてくれているのだ。
その時、俺の隣を並んで飛ぶ者がいた。
いや、飛んではいない……走っていた。
「ムセル! 来てくれたか……いや、おまえも『呼ばれた』んだな?」
ムセルは黙ってモウシンクの丘に漂う暗雲を、
その三連スコープで見つめていた。
己の役目を確認するように、血の通わぬ右拳を強く握りしめる。
俺達は暗雲立ち込めるモウシンクの丘に向かって、力強く飛び続けた。
グラシとの決着の時は近い……。