276食目 異形の鬼
「あ、あの……聖女エルティナさま。
いったい外で何が起こっているのでしょうか?」
ラペッタ王子が不安そうな声で話しかけてきた。
しかし、怯えているという雰囲気ではない。
それなりの度胸は備えているようだ。
それにしても、先ほどからチラチラと俺の顔を窺っているが、
いったいどうしたのであろうか? お腹でも空いたのかな?
俺はもぐもぐとフライドポテトを口に放り込んでいた。
きっと、それを見て食欲を刺激してしまったのだろう。
くっ、なんて罪深いことをしてしまったんだぁ……(懺悔)。
「う~ん、なんて説明すればいいのかな?
最凶最悪の上に不倶戴天の敵が大量に湧いて出てきたといったところか?」
我ながら酷い説明だと思った。
でも、それほど間違ってはいないと思うので訂正はしない。
「その割には落ち着いていますね?」
今度はムー王子が俺に声を掛けてきた。
きっと、俺から情報を引き出すつもりでいるのだろう。
隠すことでもないので、素直に話すことにする。
「あぁ、もう何度もやり合っているしな……もぐもぐ」
俺はもう聖女として振る舞うつもりはない。
鬼が出現した以上、
ここにいるエルティナ・ランフォーリ・エティルは聖女ではなく、
鬼を懲らしめる桃使いであるのだ。
俺は鶏の唐揚げを豪快に口に放り込み咀嚼する。
それも手掴みだ。
鶏肉のねっとりとした脂が舌の上に解き放たれる。
衣に包まれているため、旨味成分が逃げ出さないのだ。
まったく以って、こいつはいけない。
鶏の唐揚げに伸びる手が止まらないぜ!
更には手掴みという方法がまたいいのだ。
手で唐揚げの温もりを堪能し、口で味わい、
指に付いた油をペロリと舐めて充実感を得る。
お行儀が悪いと言われるが、こいつばかりは止められないのだ。
案の定、ひそひそと小声で俺を侮蔑する会話が聞こえている。
言いたいヤツは言っていればいい。
きみ達は唐揚げの醍醐味を半分以上も知っていないのだ。
俺には彼らが哀れな人々にしか見えない。
「なるほど、それが貴女の本当の姿ですか」
「幻滅したか?」
俺はニヤリとムー王子に笑みを向ける。
だが、ムー王子はそれを意図も容易く受け流した。
「幻滅などしませんよ。
今の貴女の姿の方が余程自然体です。
それに、ウォルガング国王もエドワード王子も、
そんな貴女の本当の姿を知っていても尚、あなたを愛している。
だから、私も貴女のことをもっと知りたいのです。
エルティナ・ランフォーリ・エティル」
「……俺にかかわると火傷じゃ済まないぜ?」
「ふふっ、面白い。尚更貴女を知りたくなってきました」
ムー王子はそう言うと、その表情を厳しくした。
俺もそれに倣い表情を引き締める。
フィリミシア城内に鬼が侵入してきたのを察知したからだ。
「桃先輩! 鬼が入り込んできたぞ! どうなっているんだ!?」
「あぁ、こちらでも察知した。
しかし、鬼は現在フィリミシア城前でモモガーディアンズと戦闘中だが……
いったい、どうやって城内に入り込んだんだ?」
……いる! この会場のドアの向こうに!!
とてつもない憎悪と欲望を撒き散らして!!
咄嗟にルドルフさんとザインが俺の前に出て、
鬼の襲撃に備えた。
ルドルフさんはいつもの桃色のフルプレートアーマーに、
ルリさんのマフラーを纏っている。
ザインもいつもの紫色の武者鎧の姿だ。
やはり彼はこの姿が一番似合う。
「エルティナ! 下がって!」
「御屋形様! 来ますぞ! お気を付けなさいませ!」
その瞬間、分厚く頑丈なドアが一瞬でドロドロに溶けた。
『黄泉の光』か!? いや、それにしては強力過ぎる!
会場にいる要人達から悲鳴が漏れる。
それほどまでに異様な姿をした鬼がそこにいたからだ。
人の形はしていない、まるで肉の塊のようなヤツだった。
「ぶるひぃ……ぶひぃ……ころろすぅ、ころすぅ……!!」
不定形の巨大な体を震わせながら、
体のいたるところより生えた無数の触手を揺らめかせ、
同じく体のいたるところに付いている口からは止めどもなく涎が溢れていた。
その出鱈目な肉の塊の天辺に、申し訳程度に付いている人の顔。
不本意ではあるが、その顔には見覚えがあった。
「そ、その異様な体はどうされたのです!?
グラシ・ベオルハーン・ラングステン殿!!」
ミレニア様が変わり果てたふぁっきん豚野郎……もとい、
王様の甥、グラシを見て驚きの声を上げた。
元々の姿を知っている分、動揺も大きいのだろう。
「ぶぎぎぎぃ……おんなぁ、くぅ! わじ、おんなぁぐらうえぇぇぇぇ!!」
もう、人としての意識はないように思えた。
会話が成り立っていないのだ。
グラシがミレニア様に向かって唾液を飛ばしてきた。きちゃない。
しかし、咄嗟のことで全員反応ができていなかった。
辛うじて反応したのは桃先輩だ。
彼は俺の魔法障壁を強制発動し、
ミレニア様の正面に分厚い障壁を作り出す。
しかし、その障壁はあっという間に溶けてしまった。
「三十層の魔法障壁を一瞬で溶かすのか……厄介だな」
桃先輩が俺の脳内でカタカタとタイピング音を鳴らし始めた。
グラシの能力の解析を開始したのだろう。
「皆、下がれっ! こいつが……不倶戴天の敵……鬼だ!」
俺は要人を護るようにグラシに立ち塞がる。
俺の脇を固めるのはルドルフさんとザインだ。
ムセルは先ほどの場所にて狙撃の機会を窺っている。
くそ、とんぺー達まで行かせたのは失策だった。
要人達の数に対して盾になれる者が少な過ぎる。
一旦、何名かに戻ってきてもらうか?
「エルティナ! 何が起きている!?」
「オオクマさん!? リマス王子はどうしたんだ!」
その時、オオクマさんが剣を片手に会場に戻ってきた。
白いタキシードが返り血で赤く染まっている。
「リマス王子はトスムーに預けた。
今は別の部屋に隠れてもらっている!
それよりも……その貴族は、いつぞやのクソッタレと同じやつか?」
「あぁ、フィリミシアを滅茶苦茶にした連中と同じさ。
こいつをなんとかしないと、ここに居る人達の命が危ない」
オオクマさんは油断なく、そして素早く俺の下に来ると、
手に持った剣をグラシに向けて構えた。
「なら、遠慮はいらねぇな!
貴族だろうがなんだろうが、敵なら容赦はしないぜ!」
グラシが咆哮を上げる。
それは戦いの始まりを意味していた。
俺はオオクマさんとの『ソウルリンク』を果たす。
やはり、その能力は『闘神』には程遠いものだった。
何故、彼はそう呼ばれ恐れられていたのだろうか?
しかし、俺には考えている余裕はなかった。
『エルティナ! 回避!!』
桃先輩の声で我に返る。
うねりを上げて振り下ろされる気持ちの悪い紫色の触手。
先端にはイボイボが付いている。
こんな物には絶対に触れたくない。
触れた部分が物凄く臭くなってしまいそうだ。
「エルティナ!」
オオクマさんが手に持った剣を振り触手を両断する。
その時、俺は確かに見た。
彼のステータスが異常な数値を示したのを。
次の瞬間には元の数値に戻っていた。
これは俺の錯覚だったのだろうか?
でも、この錯覚が本当であれば……
オオクマさんはタカアキに匹敵する存在に相違ない。
何故か俺の背中に冷たい汗が流れる。
いつもニコニコ笑って俺を温かい気持ちにさせてくれるオオクマさんが、
どこか遠くに居るように感じたのだ。
今の彼はクリーニング店の陽気な店主じゃない。
敵を滅ぼすことに一切の躊躇をしない、
恐るべき存在として俺は感じ取ってしまったのだ。
それが、とても辛く悲しくて……俺は信じたくはなかった。
『それは、おまえが成長した証だ。
であるならば、彼の抱えている苦しみを、悲しみを感じ理解してやれ。
それもまた、桃使いとして……
いや、戦士として学ばなければならないことだ』
桃先輩はそう言って俺を諭した。
俺は俺自身の成長にいまだに戸惑っている。
成長することによって、
今までは感じなかったことを感じ取れるようになっていたからだ。
こういうことは徐々に感じ取っていくものなのに、
いきなり感じ取れるようになると困ったことになる。
とはいえ……今は戦闘中だ。考えるのは後回しにしよう。
戦闘中に考え事なんて、命がいくつあっても足りやしない。
取り敢えずはグラシを退治してこの騒動を終わらせよう。
騒動の大本が直接殴り込んでくるのであれば手っ取り早い。
今すぐボッコボコにしてやんよぉ!(ビキビキ!)
俺は輝夜を構え、『戒めの蔓』を発動する!
さぁ、あっという間に終わらせてくれるわ!
輝夜の蔓がグラシを雁字搦めにする光景を見て、
勝利を確信する俺であった……。