269食目 若き剣士の憂鬱
◆◆◆ ルーフェイ ◆◆◆
エルティナの誕生パーティーがいよいよ明日に迫った。
いつものとおり、フィリミシア城の訓練場にて父上との朝稽古を終えた私達は、
フィリミシア城の騎士団専用の浴場にて汗を洗い流していた。
今日、私は妹のランフェイに剣を捨てるよう告げるつもりだ。
そのためには、隣で共に湯に浸かっている父上を説得しなくてはならない。
もしもの時は強硬手段を取ることも辞さないが、
なるべくであれば、それは最後の手段としたい。
「父上……お話があります」
「……話せ」
父上は目をつぶったまま、言葉短くそう言った。
私の父は話すことが苦手で、自分の意思を伝えるのが下手である。
故に得意である剣に想いを載せて、今まで戦ってきたそうだ。
その行き着いた先が最強の剣士の称号である『剣聖』である。
「ランフェイのことです」
「ランフェイか……」
父上はゆっくりと目を開いた。
眉間に刻まれたしわがより一層深くなる。
私達兄妹は父上に良く似ている。
この黒髪や目の鋭さなども父上譲りだ。
「はい、私は妹に剣を捨てさせるつもりでいます」
「ふむ」
父上は再び目を閉じた。
意外なことに、父上は怒ることも悲しそうな顔をすることもなかったのだ。
「ルーフェイ、何故その考えに至った」
「はい、ランフェイには甘い部分があります。
それは剣を鈍らせ、最悪ランフェイ自身の命を危険に晒すことでしょう」
父上は目を閉じたまま、私の話を聞いていた。
朝早いということで、大きな湯船に浸かっているのは我々親子のみである。
何故、風呂でこの話を切り出したかといえば、
唯一ランフェイと離れることができるのが、トイレと風呂のみだからだ。
「ランフェイは、優し過ぎるのです。
妹は優しく穏やかな世界で生きるのが適しております」
「そうか……」
やはり、父上の言葉は短かった。
だが、開いた目には決意のようなものがあったのだ。
「私も前々から思っていた。
おまえもそう感じるのであれば……そうなのだろう」
「父上……」
父上が優しく微笑むのはいつぶりだろうか。
私はもう、いつぶりだったか覚えていない。
「ただ、優しいだけでは何かあった時に後悔するかと思い、
あの子に剣を握らせていたのだが……やはり、女の子にはきつい道であったか」
「はい、ランフェイの分は私が背負っていきます。
そして、護ってみせましょう。
私の全ての力を以って」
父上は上を見上げ遠い目をした。
それは、私達にはあまり見せない顔だ。
「このことは、ランフェイにもう言ったのか?」
「今日、ランフェイに告げるつもりです」
父上は「そうか」と呟き、湯船から上がった。
鍛え抜かれた肉体がその全貌を現す。
いつ見ても凄い肉体だ。
そして、何よりも傷がまったくないのだ。
それは、攻撃を受けないまま勝利してきた証。
父上が最強たる理由であるのだ。
「ルーフェイ、ひとつ……剣を交えるか」
「はい、父上!」
父上は全てを語りはしない。
その繰り出す剣にて、全てを語り全ての想いを告げてくる。
最強の剣士は、最高に不器用な漢なのだ。
訓練服に着替えた私達は、誰も居ない訓練場にて木刀を構え対峙した。
言葉はない、剣士は戦うと決めた瞬間から既に勝負が始まっているのだ。
浴場からここまでくる間にも、私は一切の油断はしていない。
そんなことをしようものなら、容赦なく父上の手刀が飛んでくるからだ。
父上から放たれる闘気が、通常の訓練ではないことを告げている。
試そうとしているのだ。
私の決断を、決意を、ランフェイへの愛情を!
であれば、私も全ての力を以って父を越えて見せよう。
女神マイアスから授けられたこの能力……今こそ解き放つ!
勝負は一瞬で着く。
相手が父上であれば尚更だ。
瞬きもできない。
父上には、その瞬間があれば十分なのだ。
集中しろ……! 空気の流れを、気の動きを、魔力の変動を察知するんだ!
五感を全て駆使して、父上の初動を見破れ!
時間にして十五秒も経ってはいない。
しかし、私にはそれが一時間以上も経過しているように感じた。
……!!
その時……父上が動いた。
それは、ほんの僅かな気の揺らめき。
「そうか?」と聞かれたら、「たぶん」と答えるしかないほどの僅かな動き。
だが、確かに感じ取った。
事実、既に父上の剣が目前まで迫っている!
「……!!」
神速の斬撃。
回避など不可能だ。
そう、普通であるならば……。
「なんと!?」
父上が驚愕の声を上げる。
それは、私の剣が父上の首筋に当てられていたからだ。
無論、父上の剣をかわしての勝利である。
「これが……私の……覚悟です」
そう言った私の息は荒かった。
それだけではない、全身から汗が滝のように流れ、
重度の疲労が圧し掛かっている。
たった数十秒のやり取りで、私はここまで疲弊してしまったのだ。
「見事だ、ルーフェイ。……強くなったな」
きっと、父は私が『個人スキル』を使用したのを理解しているだろう。
その上で、私が強くなったと褒めてくれたのだ。
加えて父上は自分の個人スキルを使用していない。
ハンデを貰っての勝利であったが、それでも私は嬉しかった。
「まだまだです。わたしはもっと強くなりましょう。
父上の隣に立てるほどに」
そう言った私の頭を軽く叩く父上。
「バカ者、私を護るくらいに強くなれ!」
そう言った父上の顔には、満面の笑みが浮かんでいたのだった。
私は昼食後……妹のランフェイを連れて、再びモウシンクの丘にやってきた。
暖かくなったことにより、
丘には色取り取りの花が誇らしげにに咲き誇っている。
「うふふ、綺麗な景色にねりましたわね。お兄様」
「あぁ、そうだね。ランフェイ」
穏やかな笑顔で、空を飛ぶ二羽の小鳥を眺めているランフェイ。
やはり、妹は戦う者ではない。
こんなにも優しい顔ができる彼女に、
命を奪う剣など似つかわしくはないのだ。
「……ランフェイ、話があるんだ。聞いてくれるかい?」
「えぇ、もちろんですわ。お兄様」
振り返る妹の笑顔は、まさに私にとっての光そのものだ。
この笑顔……護ってみせる。
「ランフェイ、剣を捨ててくれないか?」
「……え?」
ザァ……と、強い風が私達二人の間を通り抜けていった。
ランフェイの顔は話を理解できていないのか、きょとんとした表情である。
しかし、私は構わず話を続けた。
「ランフェイは剣の道を歩むには優し過ぎる。
それでは、いつか命を落としてしまうだろう。
だから……」
「そ、そんなっ! 剣を捨ててしまったら、
私はお兄様の隣に立てなくなってしまいますわ!
嫌です! 私はお兄様と離れたくないのです!!」
目に涙を浮かべて必死に剣を捨てまいとするランフェイ。
正直辛い、しかし……これは仕方がないものなのだ。
何かあってからでは遅い……そう、遅いのだ。
「ランフェイ、言うことを聞いてくれ。
私も辛い決断だったが……おまえが死んでしまったら私も生きてはいられない。
おまえは日の当たる穏やかな世界こそ相応しいんだ。
私の歩む剣の道は修羅の道。
ランフェイには、とてもじゃないが向いてはいない」
「あぁ……お兄様、そんなに私のことを想ってくださっていたのですね?」
俯き胸に手を当て、ハラハラと涙をこぼすランフェイ。
私は思わず妹を抱きしめようと……。
「でも、私は剣を捨てれません。
捨てようと思っていたら当の昔に捨てていますわ。
『今』の私はお兄様の『隣』に居たいのです」
顔を上げた妹の顔には決意が漲っていた。
やはり、こういう結果になったか。
ある程度は覚悟していた。
ランフェイもそれを望んでいるのだろう。
「お兄様、勝負いたしましょう! 全ては剣にて語り合う!
それが……私達『剣士』ですわ!」
「あぁ、それで納得するのであれば……勝負しよう。ランフェイ!」
私達は『フリースペース』から木刀を取り出し対峙した。
この光景は初めてではない。
稽古中に何度も、何度も、見た光景。
そして……これが最後になるであろう光景だ。
「いきますわっ! やあぁっ!!」
ランフェイが左上段から木刀を振り下ろしてきた。
迷いのない攻撃だが、父上のそれと比べればどうということはない。
だが、全てにおいて私達兄妹の身体能力は同じなのだ。
現在は……だが、その現在が問題だ。
私はなんとしても、この勝負に勝たねばならない。
このままでは、決着が付かずに終わってしまう可能性が高い。
それではいけないのだ。
よって、父上に勝つ要因になった個人スキルを使用する。
このスキルはタイミングが重要だ。
効果時間もそれほど長くなく、使用による疲労もバカにならない。
私が女神マイアスから授かった個人スキルは『反転』。
これは対象を反転させるスキルだ。
物体をひっくり返すこともできるが、重要なのはそこではない。
このスキル……能力などもひっくり返せるのだ。
つまり、極限まで早い父上の素早さを、
私は『反転』でひっくり返したのである。
その結果、父上の素早さは極限まで遅くなった。
ただし、それは一瞬のこと。
実力差があると効果時間が極端に短くなる欠点があるのだ。
しかし、その一瞬が剣士にとっては命取りだということが、
私の勝利によって証明できたと思う。
『反転』の使用タイミングは、相手が攻撃を放ってきた時だ。
この能力は相手に知られてしまっては都合が悪い。
なので、一撃で仕留める必要がある。
「たあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ランフェイが勝負を掛けてきた。
私の右肩目がけて、強烈な斬撃を見舞ってきたのだ。
速度、威力共に申し分ないだろう。
ここが勝負どころだ! 個人スキル『反転』発動!
その瞬間、景色の色が反転する。
それが『反転』の効果が発動している証だ。
その証拠にランフェイの素早さが……!?
「うわっ!?」
私は辛うじてランフェイの斬撃を回避した。
どういうことだ!? ランフェイの素早さが落ちていない!!
確かにスキルは発動しているし、今も効果は継続中だ!
「うふふ……お兄様ぁ。個人スキルですわねぇ?」
地面に突き刺さった木刀を引き抜き、ゆらりとランフェイが顔を上げる。
その顔は……今まで私が見たこともないものだった。
「ダメじゃないですかぁ……うふふ、個人スキルだなんてぇ……えへへ」
「ラ、ランフェイ!? バカな!『反転』が効いていないのか!!」
私の脳内にけたたましく鐘の音が鳴り響いた。
危険だ、ここを離れろと警鐘を鳴らしまくっている。
それを鳴らしまくっているのは、何故かエルティナだ。
この時点で嫌な予感しかしない。
『ふきゅん!? 鐘が壊れたっ!!』
脳内のエルティナがそう言った瞬間であった!!
ランフェイからおびただしい闘気のようなものが……!
これは闘気と言っていいのか!?
いいや、これはとんでもなく邪悪な何かだ!!
「ひひっ、私には効きませんよぉ?
だってぇ……私の個人スキルはぁ……『不変』なんですものぉ!
ぎひひ! そう! 不変! 変わる事なきもの!
全ては変わらない! 私の能力も!
お兄様への愛も! 欲望も! 肉欲もぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!
あっひゃっひゃっひゃっ!『反転』がなんぼのもんじゃぁぁぁぁぁぁっ!!
ひほほほほほほほほほほほほほほほほっ!
私は! お兄様と! この場で! 添い遂げるっ!!」
ジャーン! ジャーン! ジャーン!
遂に私の脳内イメージのエルティナが、
『ふきゅん、ふきゅん』と鳴きながら銅鑼を鳴らし始めた。
もう、危険極まりない状態だ。
私の妹の顔が肉食獣のそれになってしまっている。
涎を撒き散らしながら私に迫ってくるなど狂気の沙汰だ。
どうしてこうなった。
どうして妹にこんな個人スキルを与えたんだ。
やはり、女神マイアスはダメだ。呪ってやる。
「お、落ち着け! ランフェイ! 話せばわかる!」
「えぇ! 話し合いましょう! 裸で! あのお花畑がいいですわ!
さぁさぁさぁさぁ! 大自然に返りましょう! お兄様!
ひほほほほほほほほほほっ! はぁ、はぁ! じゅるり」
悪夢だ、悪夢としか言いようがない。
私の可愛い妹を返せ、邪神マイアス。
私は剣を捨てて、裸で追いかけてくるランフェイから逃げ出した。
どうやら、妹とは剣で語り合えない運命であるらしい。
私の悲鳴は互いの体力が尽きるまで、モウシンクの丘に響いたのだった。
◆ テンホウ・ロン ◆
人間の男性。剣士。37歳。
短い黒髪、黒い瞳。整った顔の優男。
背が高く痩せているが筋肉がしっかり付いている。
『剣聖』の称号をもつ最強の剣士であり、
ルーフェイとランフェイの父親である。
二人はテンホウに似ている。




