261食目 竜の涙 我が友よ、我と共に生きよ
◆◆◆ ガルンドラゴン ◆◆◆
それは……一瞬のことだった。
誰もが我らの勝利を確信したであろう。
シグルドも、マイクも、そして我も……勝利を疑わなかった。
だが、我らは敗れた……あのような卑劣な男に。
ゼグラクトの町の手前に我は降り立ち、
静かにシグルドを横たえる。
「シグルド……しっかりするのだ!
おまえは、まだ死んでいい身ではないのだぞ!?」
異常な呼吸音。
まともに息もできない状態。
このままではシグルドは死ぬ。
我も片手を失った。
だが、我はどうとでもなる。
竜の再生能力は他の生物の比ではない。
死ななければ、いずれ生えてくるのだ。
だが、シグルドは人間。
我のような強力な生命力も再生能力もない。
エリスンが居れば、こんな傷など治せたものを!
「はは……ドジった。情けねぇ……ごふっ!
ブ、ブリギッド隊長の仇どころか……ぜぇぜぇ……
返り討ち……に……されちまうとはな……!」
「喋るな! シグルド!
マイク! おまえの不思議な力で、なんとかできないのか!?」
「今やってる! あぁ、もう!
生命維持プログラムの授業を、もっと受講しておくんだった!
ええっとぉ、これがこうなって……あぁなってぇ……!」
その時、シグルドの胸からピンク色の光が漏れ、
未熟な果実が転がり落ちた。
途端にシグルドの様態が急変する。
出血が激しくなり、すぐさま地面を赤く染め上げてしまった。
「う、嘘だろ……身魂分離現象だって!? 冗談じゃねぇぞ!!
おい! 相棒! しっかりしてくれ! 相棒! 相棒!!」
未熟な果実からマイクの声が聞こえる。
この果実がマイクの本体なのだろうか?
いや、今はどうでもいい。
シグルドを何とかしなければ。
「シグルド! いま、エリスンの所まで運ぶ! 死ぬんじゃないぞ!!」
「……あ、相棒……ごふっ、そこまで……もたねぇよ……」
シグルドの弱々しい声。
血を吐きながら我の相棒は言葉を続けた。
「自分の体だ……もうダメだってことぐらい……ごほっ、ごほっ……わかる」
「おい、おい……いつもの強気な相棒は、どこにいっちまったんだよ!?
こんな時こそ、明るく強気にいくもんだろ!?
そうだろ!? なあ! そうだって言ってくれよぉ!!」
マイクの悲痛な声が果実から聞こえてくる。
その声は果実を震えさせた。
まるで、マイクの思いを反映させるがごとく。
「シグルド! シグルドなのか!? しっかりしろ!
今、ヒーラー達を連れてくる!!」
カーターと呼ばれた熊の獣人が、我らに気付き駆け寄ってくるも、
シグルドの惨状を見て慌てて町に引き返そうとする。
「カーター……頼まれごとを……受けてくれねぇか?」
「あ!? 今それどころじゃねぇだろ! 早くケガを治さねぇと!
エリスンちゃんが待ってるんだろうが!!」
しかし、シグルドはカーターの言葉を無視して空間に黒い穴を作り出し、
その穴に手を入れると、何かの白い袋を取り出した。
白い袋はシグルドの血で真っ赤に染まってしまっている。
「これは……あいつの最後の薬さ……渡してやってくれないか……」
「自分で渡せよ! 待っているんだろう! おまえをよぉ……!!」
シグルドはその袋を、無理やりカーターに渡し咳き込んだ。
その咳すら、もう弱々しい。
「ごふ……そうだ……な。エリスンは……待っている……だろうなぁ……」
「なら、なら! 帰ろうぜ!
あの可愛いシスターが待ってくれている家にさ!
ヒーラーを呼んで、身体をパパッと治して終わり!
どうだい、簡単だろう? だからさ……諦めんなよぉ!
それに、俺達の夢はどうすんだ! まだ、これからじゃねぇかよ!」
そうだ、我らの夢。
最高で最強のコンビになるという夢。
誰もが一度は目指す見果てぬ夢に向かい、我らは歩き出したばかりなのだ。
こんな、つまらないところで終わっていいはずがない。
「しっかりするのだ……シグルド!
おまえは我らに夢を見せると、叶えると言ったのだろう!!
男なら……できぬことを口にするな!」
シグルドの生気が、どんどんなくなってゆくのがわかる。
顔は土気色に変わってゆき、心臓の鼓動も弱々しくなってゆく。
「マイク! なんとかできぬのか!?
このままではシグルドが死ぬぞ!!」
「うるせぇ!! できるなら、もうやってる! くそったれめ!!
手も足もでねぇってのは、まさにこのことだよ! ファーック!」
もう、時間がない。
シグルドの命が尽きようとしている。
幾つもの命を奪い、生き永らえてきた我にはわかるのだ。
その命が尽きる瞬間が。
「シグルド! しっかりせよ、シグルド!!」
我の呼び声に辛うじて反応するシグルド。
もう殆ど意識がないようだ。
「ゆめ……ゆめか……そうだったな……
おれたち、さんにんで……つかむっていったよなぁ……」
「っ!! そうだっ!! 我ら三人で夢を掴む!
そう約束したではないかっ!!」
「そうだぜ! 相棒! まだこれからじゃねぇか!
だから、だから……死なないでくれよぉぉぉ……!!」
シグルドは静かに目を閉じた。
そして、ポツリ、ポツリとか細く言葉を紡いだ。
「ゆめ……じんせいは……ゆめ。
おまえらに……であえて……よかった。
さいこうの……ゆめを……みれた……ありが……と……な」
シグルドの心臓の音が……止った。
それを切っ掛けに、我を抑えていたものが決壊する。
「待てっ! いくな! シグルド!!
約束はどうするつもりだ!? 夢はどうするのだ!?
返事をしろっ! シグルド!! シグルドっ!!
我を……我を一人にしないでくれっ! シグルドォォォォォォォォッ!!」
視界が歪む。
こんなことは今までなかった。
こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
我はもう、一人でいることに耐えられなくなっていた。
我の隣にはシグルドが居た。
コンビを組んでからずっとだ。
お節介焼きで、少し間抜けな気の良い男だ。
これからもずっと、一緒だと思っていた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
我はこの日、生まれて初めて泣いた。
叫ばずにはいられなかった。
友を失った痛みに、苦しみに、狂ってしまいそうだったからだ。
「ちくしょう! ちくしょう……!!
この世には、神も仏も居ねぇのかよ!?
異世界だからってあんまりだっ! あんまりだぁ……!!」
「シグルド……バカ野郎! エリスンちゃんはどうすんだよ!?」
崩れ落ちるカーター。
シグルドとの付き合いは我らよりも長いだろう。
その震える肩が全てを物語っている。
我らは失ってはならない友を……この日、失ってしまったのだ。
泣き疲れた我は、シグルドの亡骸に寄り添っていた。
もう、何もする気は起きない。
暫くすれば、アランとやらが来るかもしれぬが、知ったところではない。
もう、我は牙の折れた負け犬も同然。
生きていても、なんの価値もない。
そんな我に、纏わり付く何かがあった。
淡い緑色に輝く光の粒だ。
それは……シグルドの亡骸から放たれていたのだ。
「これは……いったいなんだ? ……とても温かい」
「これは魂の輝きさ……ブラザー」
マイクが光の粒を見て枯れた声で呟いた。
その光は段々と数を増してゆく。
シグルドから放たれている光の粒は、
やがて我らを包み込むように回り始めた。
「あぁ……そうかい、相棒。
あんたは、死んでもお節介焼きなんだな?
残された俺達のことばっかり考えてやがる!
もっと、自分のことを考えろよ! バカ野郎!!」
「マイク、この光はシグルドなのか!?」
「あぁ、この光は魂の輝き、命の継承の道、遺志の架け橋さ。
ある特定の資質を持つ者にのみ起こる奇跡の現象。
その秘儀こそが『真・身魂融合』さ」
その光にはシグルドの強さが宿っていた。
優しく、お人好しで、少し間抜けで……
でも、頼りになる男の強さが間違いなく宿っていた。
「ブラザー、理由はわからないが、あんたは桃使いの資質を持っている。
この『真・身魂融合』というものは、
俺達が使っている疑似身魂融合とはわけが違う。
託す者の力を取り込んで、
己の力にすることができるんだが……それが問題なんだ」
「どういうことだ?」
「取り込む……いや、言い直すぜ。
それは、ブラザーが相棒を食らうということに他ならない」
「!?」
マイクが突然、とんでもないことを言い出した。
そんなことをできるはずがない!
我らはたった今、シグルドを失った悲しみに、
打ちのめされたばかりではないか!!
「相棒を食えば、あの糞ったれを倒せる力が手に入るかもしれねぇ。
でもな……それは罪を背負うということに他ならねぇんだよ。
その罪は体のどこかに現れる。
醜い傷かもしれねぇし、奇妙な痣かもしれねぇ。
一番きついのは……大切な友人の記憶、夢、思いを
『全て』継承しちまうことだ! わかるか!? この辛さが!!
一生、胸に秘めて生きてゆくことになるんだぜ!?
事あるごとに……思い出しちまうんだ! 大切な人の最期をよぉ……!!」
「マイク……おまえは……」
「あぁ……そうさ、俺はかつて『真・身魂融合』から逃げ出した。
怖かった、耐えられなかった。もう、友を食うなんて……できなかった!
ははっ……笑ってくれよブラザー。
その結果、俺は右足を失った。俺は全てを失ったのさ。
友も、自信も、誇りも……すべて失った!
俺の弱い心が! 全てを奪った!! 笑ってくれよ……ブラザー」
「誰がおまえを笑えようか。そんな資格は誰も持ってはいない」
そうだ、誰も笑えはしない。
このような過酷なことから逃げ出して、誰が笑うというのだ。
「相棒はブラザーをご指名だ。
俺っちのように拒否もできる。
全てはあんた次第さ……よく考えてくれ」
それからマイクは黙ってしまった。
話す気力を失ってしまったのだろうか。
我はどうすればいい?
それに応えてくれる友はもう居ない。
シグルド……我はどうしたらいい? おまえは何を望む?
淡い緑色の光の粒が我の頬を撫で、宙をふわりふわりと漂っている。
それはまるで……我を導く光の道。
そう……道だ。
我らの夢へと続く道だ。
「シグルド……我が友よ。
おまえは我らに夢を託すというのか?」
我は意を決し、その疲れ果てた身を起こす。
この牙折れし情けなき竜に、まだできることがあるのならば……!!
「シグルド! 我が友よ!
我の血肉となりて……共に生きよ!『真・身魂融合』!!」
その瞬間、シグルドの亡骸が光の粒に解れ、我を囲むように旋回し始める。
そして、その光の一部が人型に形を取り我の肩を軽く叩いた後、
パッと弾け我の魂に入ってきた。
「ブラザー……それが、あんたの選んだ答えか。
あんたはつえぇよ、誰よりも、誰よりもな……」
どんどんと光の粒が入ってくる。
我の身体全てに、シグルドの光の粒が入り込んでゆく……!
我は理解した。
これが、『食べるという罪』なのだと。
そうだ、我は今シグルドを食べている。
その強さ、思い、意思、優しさ、記憶、夢を……食べているのだ!
我の目からは、熱き滴がぽたりぽたりと流れ落ちる。
辛い、苦しい、そして……悲しい。
シグルドと過ごした記憶が蘇る度に心が抉られる。
『すまねぇな、頼むぜ! 相棒!!』
『おいおい、大丈夫か!? 頼りねぇ翼だな!』
『嫌なら降りろ!』
『降りろって、海のど真ん中じゃねぇか!!』
浮かんでは消える、シグルドの記憶……そして想い。
エリスンへの想い、そして無念。
その全てが我に伝わってきた。そして理解した。
何故なら、我はシグルドであり、シグルドは我だからだ。
やがて、シグルドから放たれた光の粒は全て我に収まった。
シグルドの痕跡を残す物は何もない。
その肉体も身に付けていた物も、
全てが光の粒となって我の魂へと消えた。
「ブラザー、あんたの覚悟……見届けさせてもらったぜ。
あんたの型は『英雄の傷跡』。最も効果が高く、最も罪が重い型だ。
ははっ、男前な顔になったぜ? でっけぇ傷跡だ」
『真・身魂融合』の効果なのだろうか?
我の身体は萎んでいた。
いや、萎んだというよりは、引き締まったというべきか?
身体は以前の半分以下の大きさだ。
だが、筋肉のが異常に発達しているのがわかる。
感覚も以前とは比べものにならないほど向上している。
何もかもが変化していた。
失われた右腕も再生している。
身体の内から湧き出る途方もない力に、
我は戸惑いを隠せなかった。
「シグルドが消えちまった。
わけがわからねぇよ……なぁ、あいつはどこにいっちまったんだ?」
「カーター、シグルドは我の魂だ。
我はシグルド、シグルドは我。……我らは一つになったのだ」
呆然とするカーターに、我は最初で最後の頼み事をする。
「カーター、一つ頼み事を頼む。
エリスンにはシグルドが旅を続けていると伝えてくれ」
「え? で、でもよ!!」
「今は……まだシグルドの死を伝えるべきではない。
大事な時なのだ。エリスンの目が完全に治るかどうかのな」
我の頼みを受け入れてくれたカーターは小さく頷いた。
これで、もう……ゼグラクトの町に思い残すことはない。
色々とあったが、これでお別れだ。
「さぁ……残った残飯を食い散らかしに行こうか。マイク」
「あぁ、行こうぜ、ブラザー! 身魂融合だ!」
我は迷うことなくマイクの声を発する果実をたいらげた。
それは、シグルドの記憶が我にあるからだ。
『ソウル・フュージョン・リンクシステム起動!
シンクロ率……13%! ははっ! 俺達の相性最悪だな!?
システムオールグリーン! いけるぜ、ブラザー!』
『行こう、マイク……我らの誇りと、夢を取り戻しに!』
我らは飛び立った。
誇りを、夢を取り返しに。
我と、マイクと、シグルドの魂と共に!